「関白宣言」
紫の光は、希望となるはずだった…。
姉上、兄上、そして私で。この国を護ってゆけると信じていたのに。
私は両手にその光を掴み取る。そこに、姉上と兄上が居るように思えて…。
その場所には悲しみしか在りえずに、私はこの世を嘆いて、ひたすらに祈りを捧げていた。この国の未来を。大事な人の幸せを…。
温かい光が私を包み込む。
感覚の薄れた、身体に触れる温かい人の匂い。薄く揺れた視界に、現れたのはとてもとても愛しい人。
嬉しくて、涙が溢れて止まりませんでした。
私は気がつくと、青い瞳の異国の勇者に、口付けられていました……。
++
事件の報せを受けてから、数日間は走り続けた島国。
ヤマタノオロチを倒し、崩壊寸前だった洞窟から逃げ、生き延びた二人の花嫁を腕に、俺たちは休息のためにサイカの屋敷へと戻っていた。
サイカとサナリとで暮らしていた建物は、満月の夜が明け、朝を迎えてもシンと静まり返ったまま。
世界樹の葉で回復したとはいっても、瀕死状態だった二人を特に大事に休ませ、見張りにワグナスを残して、俺たちも疲れ果てて眠りに落ちる。
暫くは、ワグナスが眠らせた民衆は起きないが、今日の昼頃には目覚めだし、騒ぎになるだろうと予告されていた。
広場に居た者は寝かせたが、ジパングの民全てを眠らせた訳でもない。
オロチの棲む山で大きな地響きが聞こえたのも、不安を掻き立てているだろうと思われた。派手に、魔法も撃ったからな…。
あの後でおそらく洞窟内は落盤に崩れただろう。
もう、疲れた。しかし…。
この国は俺たちを眠らせはしなかった。
ざわざわ。ざわざわ。
何かが、表でざわめいている、眠りは短く、時刻は昼前に当たった。
布団から抜けて、人の押し寄せる屋敷の入り口に向かい、渡り廊下を歩く。
屋敷の門も大きいが、納まらない人垣が押し合いへし合い、何かをわめき散らしているのが視界に飛び込む。
「ガイジンの言う事なんて信じられるものかっ!卑弥呼さまは何処へ行きなさった!彩花さまはっ!佐成さまは何処だっ!」
「…ですから、あの…。卑弥呼は、すでにオロチに喰われてしまって、私の来た頃にはもう…。卑弥呼はオロチがすりかわっていたのです…。信じて下さい…」
人に押し寄せられて、泣きながら説明をしているのは金髪を三つ編みにしたシャルディナ。 あんなに重症だったところを、必要とされてワグナスに起こされたんだろう。
元々気が弱い上に、病明けのところを人に押し寄せられて、シャルディナの顔はますます蒼い。
反対側の渡り廊下から、ワグナスがサイカを連れてその場に参列する。「ガイジン」ではない、サイカの登場に、ジパングの民は歓喜して名前を次々と叫ぶ。
「おお!彩花様!彩花さまだっ!」
「彩花様!一体何が起こったのですか!?」
「卑弥呼様は何処へ行かれたのですか!?」
「オロチの洞窟は崩れておりました!オロチはどうなったのですか!?」
死から甦ったばかりの、サイカにはただでさえ辛いだろう。
本人の一連のショックだって、相当なものだったはずだ。しかし、おかまいなしに質問は飛び交う。
「…皆の者…。良く聞いて下さいませ…」
廊下の上に正座し、背筋を凛と伸ばし、サイカは全ての真相を民に語った。
「そんな…。ま、さか……」
重い、低いざわめきが、さざなみのように拡がってゆく。
俺はそのまま座っていた、サイカの傍へ行き、心配して声をかける。
「もう、いいだろう。もう、休め」
「ニーズ殿…」
見上げたサイカの瞳は、嬉しそうに潤んでくる。
しかし、心無い、一人の発言が引き金になろうとしていた。
「……。オロチが、卑弥呼様に化けた…?そんなこと本当に有りえるのか……?」
また誰かが、口を開く。
「彩花様は、その勇者に入れ込んでいた様子…。私は見ました。彩花様は、その異国の者達を庇おうとしておりました!その者達に心奪われて……!」
「死にたくないからと言って、オロチを葬ったのではないかっ?!」
「な……」
ざわめきは、執拗にサイカへの疑心を吐き続けてゆく。
「そいつら、恐ろしい力を持っておった……!卑弥呼様も、オロチではなく、そいつらに殺されたのではないかっ!?」
ざわっ……。
「違います!皆の者!オロチは神ではない!人食いの魔物じゃ!姉上も、兄上も、父上も魔物に殺されてしまいました……!」
心砕かれた傷も癒えていないというのに、こいつらは容赦なくサイカの傷をえぐってゆく。たまらず肩を震わせた、サイカの横に庇うように屈むと、サイカはひしとすがりついて俺の胸を掴んだ。
「…なぜ、彩花様だけが残っているのですか!」
「私の娘はっ!?うちの娘はなんのために死んだのですかっ!」
「うちの妹はっ!?貴方方一族を信じて逝ったうちの妹は、どうすればいいのですか!無駄死にだったと言うのですか!」
「他の娘はどうなったのですか!彩花様っ!!」
「あ…。皆の者…。すまぬ…。申し訳が…」
民の怒りを一身に受け、俺の胸を掴みながら震える、その顔はまたしても青ざめ、死に顔を思い出させてしまう。
コイツら…。ジパングの連中に心底吐き気を覚える。
せっかくオロチに喰われずにすんだものを、ここで俺に殺されたいか。
「生贄を差し出せと言ったのは、お前達だ!!」
「っっ!!」
身内を差し出してきた男の叫びか、怒声は激しくサイカの背を貫いた。
「返せっ!返してくれっ!返せ!!」
震えて振り返り、サイカは正座し、両手を付き、民に土下座して謝罪する。
「も、うしわけ、ありませぬ…。我らが、浅はかでした…。オロチを制御できると、姉上を信じておりました。けれど、我らには、…。オロチの力を、甘く見ておりました…。この国を救って下さったのは、勇者ニーズ様方です。多くの犠牲を出してしまったこと、深く、深く、ここに謝罪、いたします……」
一瞬、場は水を打ったように静寂に包まれた。
しかし…。
「なんだそれはっ!ふざけるなっ!!」
「…あっ!うっ!」
石が投げ込まれ、サイカのこめかみから血が滴り落ちる。
「さんざん偉そうにしておいて!生贄を出しておいて!それで許されると思っているのかっ!」
「や、止めてください!!私たちはこの国のために……!!」
俺はその場からサイカを連れ出そうと立ち上がらせたが、信じてもらおうと必死にサイカは食い下がってしまう。
「自分達の罪は承知しています。どんな償いでも致しましょう!どうか……!」
「お前がオロチじゃないって、何処に証拠があるんだっ!!」
「…………!!」
「そうだ!オロチが化けた彩花様かも知れぬ!」
「ガイジンの策略かも知れぬ!正体を現せっ!この化け物っ!」
「ジパングから出て行けっ!この化け物ー!!」
石は降り、罵りは止まず、またワグナスは呪文で民を眠らせる始末に終わってしまった。問答無用で、俺はサイカを抱えて走り去る。
++
もう、見飽きた…。気もする。
屋敷の庭先で、押さえきれない慟哭に、激しく嗚咽する女の姿を…。
ずっと、この国で会う度に、この女は泣いていた気がする。
綺麗で、静かな庭だった。高い塀に囲まれ、桃色の花を咲かせる樹木が数本並んで風に揺れる。
「うっ。ううっ。ひっく…。はう…。あああ…っ」
「……。もう、いい加減泣き止めよ…」
庭の樹木を眺めるように、渡り廊下に腰掛け、胸に泣きつく女に言い聞かせる。
「でも、でも…。国のために、ずっと考えてきたのにっ…。私達はずっと、苦しんで来たのに……!」
「わかるから。もう泣くな。こんな国の事なんて、忘れちまえ」
「……。忘れるなんて…」
騒ぎから数刻、屋敷の入り口を見張っていたワグナスの元に、ジパングのお偉い連中が話を聞きにやって来た。サイカ達を本家とした巫女の一族の者達。
卑弥呼にオロチの対応を任せ、女王としての地位を与えた大王(おおきみ)。
サイカへの裁量は、国を捨てる事で一致していた。
巫女の一族の親族は、本家の不始末を蔑み、国から追放する意志を示した。
大王は、民の怒りを考え、サイカに国を出てもらうしかないと提案する。国にいては、サイカはいずれ民に恨み殺されると予測したのだ。
今夜を最後に、屋敷に火をかけるとの伝言を残し、奴らは帰って行った。
この国で死にたいのなら、屋敷で死を待てと、サイカにも伝えられる…。
「国が、好きでした…。誇りに思っていました。家も、家族もとても大事でした」
俺も圧倒されていた、咲き誇る眼前の花に、サイカは悲しく告白する。
「この花…。綺麗でしょう。櫻というのです。毎年、家族で花見をするのです。今年も、来年も、ずっと愉しみにしていました…。でも、今日で、見納めなのですね。可哀相に、今晩で燃やされてしまう…」
「……。もう、いいだろう。夜になる前に、この国を出るんだ。ここで死にたい訳じゃないんだろう?」
意味に気づいて、サイカは鼻をすすり、花を見つめる俺の横顔を見上げた。
「…ニーズ殿。何処かへ、連れて行ってくれますか?くれるのですか…?私は、何処にも行く当てがありません」
「…………」
少しの間考えて、大きく息を吐き出し、俺は仕方ないと諦める。
「……。こんな国、もう捨てちまえ。連れていってやるから」
行き場所は……。
悩むけれど、でも、そこ以外、場所が思い浮かばなかった。
「アリアハンの、俺のうち、部屋も余ってるから」
「………!!!???」
ぽかーん。間抜けな顔で、どの位奴は固まっていたんだろう。
顔を着物の裾でごしごしと拭いて、泣いたカラスももう浮かれていた。
「あ、ああ、あの、あのっ!そ、そ、そ、それ、それは…!それは…!あの、ぷ、
「ぷろぽーず」ですかっ!?きゃああっ!」
「違うから」
「はっ!?」
「お前はただの居候その一」
「…………」
くじかれて、また間抜けな顔で、サイカは固まっている。
「俺の家は…。母さんが一人でいるんだ。体が弱くて、ずっと気がかりだった。誰かが居てくれれば、助かるんだ」
「…はいっ!それなら!ニーズ殿の母御様なら私の母上も同じです!」
「だから、違うって言ってるだろ」
「私、気に入って貰えるでしょうか…。どきどき」
「話聞けよ」
横目に見ても、もう明るさを取り戻した、女の横顔に俺は軽く安堵している。
「アリアハンでは、こんな辛い仕打ちは起こらない。保障するよ。周りは親切だし、母さんには王宮の保護もある。…っと。そう言えば言ってなかったんだが……」
風に、はらはらと落ちる櫻の花びらを追いながら、自分の事を話す事に、俺は少し躊躇していた。まだ迷いもある。
そんなに身近に女を置いて、後で後悔しないんだろうかと……。
「オルテガの、妻だ。母さんは。俺は一応息子になるが……」
「えええっ!?まぁ!…そうなのですか?あっ、だからニーズ殿、草薙の剣を使えたのですね!?」
「それは…。お前のせいもあったみたいだけど…」
「私のせいってなんですか?」
「いや、気にするな」
「……。それなら…。言っていれば、もう少し、民はニーズ殿を信用してくれたかも知れませぬのに…」
隣に腰掛けるサイカは、残念そうに口を尖らせて憮然としていた。
「言えないな。殆ど無関係なんだ」
「……親子なのに。寂しい関係なのですね」
「それと…。オルテガの話は、母さんには言わないでくれ。禁句だ。あと、俺の双子の兄貴にも。これは家のルールだ」
「兄上がいらっしゃるのですか。しかも双子……!」
「ああ…。今行方不明で探してる。理由があって、兄貴も「ニーズ」なんだけど、愛称は「元ニーズ」とかなんとか…」
「ぷっ。変わってますね。分かりましたv」
号泣していたはずの女は、俺の身の上話を楽しそうに訊いていた。
そして…、誰も訊かなかった、俺の耳飾りに唐突に触れてくる。
「ニーズ殿は、いつもこの耳飾りをされているのですね。大事な品物なのですか」
「コラ。触るなよ」
俺は嫌がって、左耳を押さえて遠ざかる。
「……。まさか、何処かの女子にもらった品ですとか…」
「ちげーよ。これは、その兄貴に貰ったんだ。誕生日の…」
「まぁ!誕生日!!いいですね!私もお祝いしたいです!!」
「…いいよ」
「そんなー!遠慮なさらずに!」
受け答えながら、俺は遠くにニーズの事を思い出していた。
そっくりな俺たちを、母さんが間違えないように、そう言ってニーズがくれたもの。
++
「ニーズ殿…。あの…」
ジパングで過ごす最後の日、春の陽光は心地よく、サイカの顔を照らしていた。改めて、サイカは俺に対してかしこまって礼を告げる。
「ありがとうございました。助けて下さって」
「別に。シャルディナのついでで助けただけだから」
「……(汗)。そんな、貴重な薬草まで私のために使ってくれたと訊いています。ありがとうございます」
「ホントだよ。後悔してるよ」
「……(滝汗)。…口移しもしてくれていましたのに…」
「他にできそうな奴いないだろ。…成り行きだ」
いい雰囲気を作りたいような素振りを無視して、かなり冷たくあしらう。
「ううううううううっ。私のために必死で、何度も濃厚なきっすをしてくれたのだと、ワグナスさんが教えて下さいましたよー……!」
「なに泣きそうになってんだよ。アイツの言う事は、みなでたらめなんだよ。信じるなよ」
「夫婦の誓いを交わした仲ではありませぬかっ!ニーズ殿ぉ〜!!」
半泣きになって、サイカは俺のマントを掴んで激しく揺さぶる。
「離せよ…。一晩だけの約束だろ」
「………!」
視線を反らしながらでも、サイカのショックは痛い位に伝わってくる。
せっかく笑ったものを、また泣かせるんだろうか、俺は…。
「嘘、だったと言うのですか?あの晩の事は…。全部嘘だったと…」
「嘘でもいいって、言ったのはお前だろう」
不思議だった。春のジパングの風が、急に寒くなってしまう二人の空気が。
「では、…どうして、どうして助けてくれたのですか…。どうして、家にまで迎えてくれるのですか…」
「それは…」
「わかりませぬ。冷たくしたり優しくしたり、ニーズ殿がわかりませぬ!」
ふるふると怒り出す、その顔は初めてロマリアで会った時と重なる。
「ニーズ殿は、…嘘つきです」
その言葉に、今度は俺が面食らう。
「私の目を見て言って下さいませ!私がお嫌いなら、それで構いませぬ!それなら私はここで、火に焼かれ、家族の元に旅立ちます!」
この女は、強いんだ。
覚悟を持って、俺にも、死でさえも立ち向かう。オロチとの、どんなやりとりがあったかは知らない。けれどサイカは、たった一晩でもいくらでも強くなる。
瞳を合わせれば、その強さに撃ち抜かれそうだった。
「お前は、死んじゃ駄目だ」
「何故ですか」
「……。貴重な世界樹の葉を使ったんだ。それなのに死なれちゃ困る」
「私が生きるも死ぬも、私の勝手で御座います」
「…………」
違う。
こんな言葉じゃ届かない。
けれど本心を口にすることは、心底恐ろしいんだ。
あの晩は、「嘘にできる」からこそ言えた。いくらでも後で掻き消せるから。
でも、今は、嘘にできない。ごまかしが効かない。
心が壊れそうに締め付けられ、喉の奥が乾いて張り付く。この臆病な心をなんとかして欲しい。俺は、恋心を認めたくない。俺は自分が変わるのが恐ろしい。
認めることは、負けることの様にすら感じてしまうんだ。
この女失くして、生きていけなくなるような気がするんだ…。
助けてくれ…。
何処かへ消えて無くなって欲しい。この女もこんな苦しい思いも。
「…死んで欲しく、ないんだ。俺が…」
両肩を掴み、とてもじゃなく、顔を上げられずに、俺は懇願者に成り下がる。
完全に負けているのだと、他人をそこまで好いてしまった自分が信じられない。
取り繕った、いい加減な言葉は女には届きはしない。けれど、本心の叫びは、しっかりと受け止めて貰える。
「…それなら…。私、死にません。もう、国にも、家族にも、縛られる事はなくなりました。あなたのためだけに、私、生きてゆきます」
怒り顔も、ふっと優しく微笑み、サイカは嬉しそうに俺の胸に体を預ける。
それが、感動的に温かくて、俺は無我夢中で抱きしめていた。
「愛しております。ニーズ殿…。誰よりも。何よりも」
世界中で、一番幸せな場所に居る、サイカは嬉しそうに、そう主張するように何度も笑った。
「もう、死ぬな。…頼むから」
あんな死に顔を、そして冷たい身体を見てしまった俺には、温かい体が、そして笑顔がとても大事なものに思えて、離したくなくなる。
「えっと、不死身にはあの、なれませんので…。長生きするように、善処します」
「死ぬな。死ぬ時は俺の知らない場所で隠れて死んでくれ。絶対だ。…いや、違うな、俺より先に死ぬな。お前は死んだら駄目なんだ」
「……。ニーズ殿は…。くすくす。本当に嘘つきですね」
背中に腕を回しながら、吹き出して、唐突にサイカは笑う。
「何がだよ。…いいから、聞いておけ」
「はい」
「病気もするな。金輪際。怪我もするな。危険な場所に近付くな。辛い目にあって泣くな。ジパングにも二度と帰るな。不幸になるな」
「……。あははははっ。はいっ」
なにが可笑しいのか、ツボにはまって、サイカは俺の胸で笑い転げる。
「…いつも、笑って…。いい奴らに囲まれて。それでいて、いつも幸せでいろ」
「でも、それは…。ニーズ殿が居てくれないと、無理ですよ?」
「俺以外の奴とだよ。誰がお前なんか。冗談じゃない」
「不可能です。健康に気をつけますし、危険なことも致しません。長生きもしますね。体力には割りと自信があるのです。それはお約束します。…でも、ニーズ殿が居ないのならば、私はきっと泣いてしまいます。それは不幸なことです。ニーズ殿がいてくれれば、いつも笑っていられます。二人でいないと、幸せは成されないですよ?ニーズ殿」
少し鼻を上げて、拗ねたように言ってのける。
「よく言うよ。誰でも良かったくせに。花束をくれた奴が俺でなくても良かったんだお前は。なんでそんなに俺がいいのか分からないよ。ま、他に男なんていないだろうけどさ」
「むむっ!そんなこと!私はもてもてで、よりどりみどりでしたよ!ニーズ殿が泣いてしまいますので、仕方なくあなたと一緒になるのです!」
「鏡見てから言えよ馬鹿。誰が泣くんだよ」
くっつきながら始めた喧嘩は、お互いじゃれ合う行動にも似ていた。
「ニーズ殿は私に「ぞっこん」です!「べた惚れ」です!困ります!」
「ぶはっ!ふっざけんな!図々しいにも程がある」
「…もう。大嘘つきなのですから。人間素直が一番ですよ!」
「ふん。嫌ならやめちまえ」
「嘘ばかり。全然腕を離さないですもの。照れ屋さんなのですから」
言い争っても、それもまた喜んで、サイカは再びぎゅっとしがみ付き、俺の胸の音を聞く。
「ほらあっ!鼓動も激しいですものっ!やらしいですニーズ殿っ!」
「聞くなよ!」
「どきどきです!ニーズ殿どきどきです!」
「だああっ!ぶっとばすぞ!お前なんかどうでもいいんだからな。あんまり人に触れたことないから緊張してるだけだ、馬鹿」
からかうために、まとわりつくサイカを両手で剥がしながら、気づくと、やばいくらいに顔が熱くて、恥ずかしさが込み上げてくる。
「むううううっ。私だってですね、ニーズ殿の事なんて、好きでも何でもありませぬようーだっ!」
ぶっ。
俺は思い切り吹き出し、腕組みして顎を突き上げた、サイカに唾が飛ぶ。
「お前それこそ、大嘘だと思うぞ」
「ニーズ殿の方が大嘘です」
「…ぷっ。本当にお前は…。あはははははっ」
「笑った方が素敵ですね。ニーズ殿。それでは、これからお世話になります」
サイカは荷物をまとめに部屋に戻り、俺は待ちながら、見納めの櫻をのんびりと見つめていた。
短い時間だったが、ジパングで起きた出来事に思いを馳せ、静かに目を伏せる。
アリアハンでのこれからは……。
奴にとって「幸せ」であって欲しいと、切実に願う。
++
夕刻、夜になれば火が付けられる、生家にサイカは別れを告げ、ひとまずジパング西の祠の宿屋に仲間達は勢ぞろいしていた。
シャルディナを心配していた旅芸人達とも合流し、涙の再会を宿で繰り広げている。
当のシャルディナの顔は何処か沈んでいたが、まだ体調が完全ではないせいなのだと本人は苦笑していた。
「シャルディナ、訊いておくれ!なんと、私アリアハンへ、ニーズ殿のご自宅にお世話になるのですよ〜。もう気分は嫁入りですv」
「サイカさん…。おめでとうございます。ありがとう御座いました。いろいろ…」
「シャルディナもまた逢いましょう。時には大胆に、しっかり想いを伝えるのだぞ!女は度胸なのです!」
「……。はい…」
「いいから、もう行くぞ。母さんに説明しなくちゃならないからな」
「はい!…緊張しますねっ!」
放っておくと、仲間達その他大勢に自慢して、余計な事まで言われそうなので、サイカの仲間たちとの挨拶が終わると、俺は急かしてアリアハンへルーラで飛んでいった。
「アリアハンへ遊びに行きますね。サイカさん。それまでお元気で」
「有難う、感謝します。妹殿」
「何か困ったら、俺のうちとかも当てにしていいから」
「有難う御座います。アイザック殿」
仲間たちに手を振られ、サイカは俺に連れられ祠の宿屋を去って行く。見送りでは、ただ一人、シャルディナだけが今にも泣きそうに唇を噛みしめていた。
俺の居ない間に、シャルディナは宿屋にて旅芸人達に別れを告げる。
別れを告げる姿は、共に旅してきた仲間たちが逆に心配になるほどに辛そうで痛々しかった。
旅の仲間に別れを告げた後で、シャルディナは賢者の元に一人泣き暮れる。
「ワグナス様…。私、ランシールへ帰ろうと思います。もう、これ以上。誰にも迷惑はかけられません…」
「…そうですか。…仕方ありませんね。これで、貴女の事は魔物にも伝わったでしょうし、守護の「羽根」も失くして、世界を旅されるのは危険すぎます。お送り致しますよ」
「今回、多くの人が…。目の前で亡くなってしまいました。もう…。耐えられません…。そして、アイザックの事も……」
「貴女のせいではありませんよ。そんなにご自身を責めないよう。アイザックさんの事はどうされるのですか?」
宿の庭先、海からの潮の香りに細い金髪は揺れている。
両手には美しい紫色の宝玉が握り締められていた。
「さよならします。「剣」も「羽根」も、返して貰います……」
表情も重いはずだった。それは心に決めた別れのため。