「それでは、頼むよ。お前はここで、このジパングの人間たちを蹂躙するんだ。そうだな。一つ忠告しておくと、巫女の一族には注意してね。彼らの力は厄介だから」
 我の封印を解いたのは、少年の姿をした魔法使い。

 深く被った黒いフードから覗く双眸は、いつも紅く昏く我ら魔物たちを統括する。
「サマンオサには、ボストロールが行っている。いいライバルだと思うよ。競い合って、姉上達の役に立ってね」
 我は頭を下げ、立ち去る少年魔法使いを見送っていた。

 一度失敗した、ジパングの蹂躙。
 憎き巫女の一族を筆頭に、我はこの国の人間どもを喰らい尽くす。それが我の望み。
そして、人間の力の消滅は、闇の者全ての望み…。
 魔族達は、すでに人間の世界に踏み込んでいる……。




「はっ…!はぁっ…!    っ!」
 シャルディナを担いで走り、それ程の時間は要らなかった。俺は追いかけて来た仲間の二人と溶岩の洞窟で向かい合わせる。
 生贄に便乗されそうになっていた、魔法使いと僧侶の二人組。
 生贄の娘と同じ、白い着物を着た二人は走りにくかったのか、少し袖や裾をまくって動きやすい身なりに変えていた。

「サリサ!頼む!シャルディナが毒にやられてるんだ!」
 脇目もふらずに二人も走って来たんだろう。この溶岩の洞窟の中でしっかり息を乱し、止まらない汗が滴り落ちていた。
 息も絶え絶えに、俺からシャルディナを受け取るとすぐに解毒の呪文に入る。
「…うんっ!任せて!」
 シーヴァスも、シャルディナの重体に心配して横に座り込み、顔に手を差し伸べていた。
「アイザック、他の方たちは」
「…多分……」
 質問したシーヴァスに、俺は口ごもる。躊躇い、はっきりとは言えずに、濁った言葉を吐き出した。
「卑弥呼も、どうやら偽者だったらしい。俺たちが会った卑弥呼は、オロチが化けた奴だったって言うんだ」

「え……?」
 サリサは呪文に集中している途中。シーヴァスは不安に息を飲んだ。
「……。サイカさんは…」
「俺が行った時には、シャルディナしかいなかった」
「……。それは…」
 明らかに、シーヴァスは言いようのない衝撃を現し、辛そうに口を覆った。
「それでは、お兄様は…」
 訊いたニーズが、どれ程悲しむのか、案じた妹の瞳は辛そうに暗くなる。
「わからない。まだ何処かで生きてるのかも知れない!俺探して来る!」

 二人にシャルディナを預け、俺はオロチの元へととんぼ帰る。
    そうだ。ニーズが「死なせたくない」と苦しんでいた、あの娘を見つけなくちゃいけない。シャルディナは、何て言った?

「他の人たちは…」

 とても口にするのを辛そうにして。
 通り過ぎた、祭壇付近は血の海だった。信じたくはない。
 そんなことニーズに言えるわけがない    !!


「グオオオオオオオオオオオ!!逃がさぬぞ!シャルディナぁぁあ!!」

「なにっ!?」
 祭壇の場所に戻る前に、洞窟を崩しながらオロチの首一つが突き上げて襲ってくる。

「許さぬぞ!貴様っ!焼き尽くしてくれる!」
「うおおおっ!」
 目の前に横の壁から生えた大蛇は突然口を開き、業火を吐き出す。
「ちいいいっ……!」
 炎に包まれたらひとたまりもない。捕われの身から駆けつけた自分には防具ももちろんあるはずもない。隼の剣の二回攻撃で起こる、旋風でいくらかの直撃を凌ぐが、それでもあちこちに酷い火傷を負わされ俺は膝を付く。

「くっそう!この野郎!」
 それでもお構い無しに反撃の二回攻撃に奔り出す。おぞましい叫び声を上げてオロチの頭は十字に裂け落ちる。
「ギエエエエエッッ!!」
 そこへ、また別の頭が洞窟を頭突きで崩し、俺は足場を崩され落下する!
   !!やべえっ!!!」

 眼下には溶岩の海が待ち構えていた。必死に何処かに捕まろうと腕を伸ばすが、何も掴み取れない。
 空中に躍り出た俺に喰らいつこうと、大蛇の首が何本も交差し下から上から伸びてくる。上下左右から先を競って喰われる直前   


「バギマ!真空の刃よっ!!」
 何処からか真空の呪文が飛び、八つの蛇は苦しみ身体をうねらせ、血飛沫をあげてのたうち回る。そして俺の手は誰かにしっかりと掴まれていた。
「一人で先走ると、こうなるぞ。馬鹿」
「サンキュ!ニーズ」
 崩れた足場から手を伸ばし、俺の手を掴んでニーズが引き上げる。
 引き上げられ、見つめ合ったその顔は上気した顔とは裏腹に、悲しみの影が掠るのに俺はハッとしていた。

「アイザックさん、今、回復しますね!」
 バギの呪文をよこした僧侶、ジャルディーノが俺に両手を差し伸べる。
「…ワグナスは?」
「シャルディナについてる。…サリサじゃ、毒が消せないらしい」
「なんだって」
 そんなに、強力な毒なのか…。でも、ワグナスがいるなら大丈夫だよな。きっと…。

 眼下で苦しむオロチを、静かに冷静に勇者は見下ろしていた。一つの言葉を、震えるほどの悲しい言葉を、雫が落ちるようにぽつりと勇者は尋ねる。
「あの女、死んだのか……?」

「あ……」
 沈黙が訪れ、ただ、俺は奥歯を噛み締めることしかできず、頭の中で懺悔の言葉を捜していた。
「…悪い。間に合わなかった、かも、知れない」
 ニーズの横顔に、その顔が例え無表情でも、胸が悔しさで締め付けられる思いがした。おそらく、すでにシーヴァスに会って、察していたのか…。
「…サイカさん…。そんな、そんな…!違いますよね!?」
 まるで代わりのように、呪文を唱え終わったジャルディーノが涙を滲ませ始めていた。うろたえて、今度は冷や汗で全身を湿らせる。

「ニーズ、まだ…。諦めるな。何処かで生きてるかも知れない。…その、瞬間を見たわけじゃないんだ。俺は……」
 言う、俺の言葉の先を、身を翻してニーズは遮った。
「気にしなくていい。誰のせいでもない」

    気づけば、ニーズはあの場所に祀られていた草薙の剣を装備していた。
 不思議な青い光に揺れるジパングの霊剣は、まるで生き物のようにゆらゆらと不定期な光をニーズの周りに灯している。

「俺は俺の意志で、あのヘビをぶち殺す」

 蒼い勇者は剣を手に汗を拭うと、背中に気迫を感じさせてマントを裁きなおし、先へと歩き出した。
 …初めて、かも知れない。良く知るニーズに畏怖を覚えたのは。
 声をかける事さえ、俺が躊躇う程の      



 そして、その頃。
 賢者ワグナスはシャルディナを前にして、珍しくその顔を蒼白に変えていた。
「…いけませんね。遅かったようです。このままでは、シャルディナさんは助かりません…」
「ええっ…?そんな!ワグナスさんでも駄目なんですかっ!?そんな事ってあるんですかっ!?」
「…情けない話ですが、オーブはラーミアの一部。私は所詮女神の従者に過ぎません。そしてその主は封印されています。私の封印も完全に解けていない今、私には解毒する事ができません。侵食激しく、回復呪文も負けてしまいます」

「……。じゃ、ジャルディーノさんならっ!?」
 ワグナスが来るまでひたすら回復し続けていた、サリサは必死に答えを賢者に求めて見上げた。
「オロチはパープルオーブの力を得ているようです。オーブをオロチの腹から取り出したのなら、シャルディナさんに救いの道はあります。ジャルディーノさんは…。あまりお勧めしません。彼の負担が大きすぎます」
「……。そうですね。また、何日も寝込む事になってしまいますね…」

 シーヴァスは杖を持ち直し、すくりと立ち上がって賢者を促す。
「では、オロチを討つまでです。行きましょうワグナスさん。サリサは、シャルディナさんをお願いします」
「えっ…。私…!私も戦うよ!」
「私では、回復はできません。ワグナスさんの力は必要でしょう。サリサしかいないのです。…お願いしますね」
 にこりと、シーヴァスは優しく微笑む。

「………。わ、…わかった。うん。必ず守る!」
 手足が紫に変色した、シャルディナをサリサはぎゅっと抱き寄せ、決意に瞳を輝かせる。なんとか、毒と戦い続けているシャルディナのため、連続して回復呪文をかけ続けていく事が必要だった。

 かつて、勇者オルテガが封印したと言う、ヤマタノオロチ。
 更にオーブの力を付けたこの化け物に、俺たちは今挑もうとしている。

++

     寒い風が吹いているのを感じていた。
 自分でも奇妙な話だと思う。

 目に映る光景は溶岩の噴き出る灼熱の洞窟。間近に溶岩も流れ出て来ている程の世界で、自分の心は不思議な程に冷め切っていた。
 洞窟内は溶岩の赤き揺らめきに照らされ、歩くのにもう灯りも要らない。

 走り続け、汗で髪は額にはり付き、全身の汗も気持ちが悪い。けれど、汗が顎から落ちていくのを確認しても、俺は「寒い」と思うのだった。

「おのれ!許さぬ!許さぬぞぉ!」

 不思議なことに、熱さはもう感じなくなっていた。
 心は冷え切り、研ぎ澄まされた神経に自分でも驚く。
 ジャルディーノのバギマの呪文に逆上し、八つ首の大蛇は凄まじい怒りのオーラを吹き上げ炎を吐き出す。
「ちょっと失礼しますよ。光の衣よ!フバーハ!」
 先頭に踊り出て、炎の渦を保護の呪文でワグナスはかき消してくれる。

「ニーズ、アイツ、再生能力持ってるんだ!一気にたたみ掛ける必要がある」
「了解」
 左側に隼の剣を手にしたアイザックが並ぶ。
「封印に関しては、草薙の剣が鍵でしょう。私も死力を尽くします」
「そうしろ」
 左側に賢者ワグナスが杖を構えて立つ。
「魔法で援護します。シャルディナさんにはサリサがついています」
「あんまり前に出るなよ。補助でいい」
 後ろには妹のシーヴァスが杖を構える。
「必ず倒しましょう。ヤマタノオロチ、許せません!」
「頼りにしてるよ」
 シーヴァスの横にジャルディーノが後方支援に控えていた。

 オロチが砕いた壁から、眼下に祭壇を含む広い場所に降りる事ができる。背景には溶岩が火を噴いているが、気にもとめずに俺はオロチ目掛けて飛び降りていた。
「スクルト!」
「バイキルト!」
 落下の間に通常通り、攻撃力や守備力を上げる呪文が降り注ぐ。
 俺に続いてアイザックも剣を突き立て、閃光のように怒り狂うオロチの頭上に飛び込む。金色と蒼い剣の軌跡が、稲妻のように数メートル下で吠えていたオロチに叩き込まれていく!
「トラマナ!…ピオリム…!」
 飛び散る溶岩から護る呪文、素早さの上がる呪文。呪文使いは休む間も無く詠唱の連投を繰り返す。

 ここに来る途中で、倒れたシャルディナを回復しようと懸命になる、仲間二人に俺は訊いた。そこには、吟遊詩人シャルディナの姿しか見当たらなかったからだ。
「あの女は?」

「…………」
 シーヴァスは口を結び、サリサも唇を噛んで俯いた。
 馬鹿でも分かる反応だった。

 卑弥呼は何処にいるのか知らないが、俺たちが顔を合わせた、あの女王はオロチが化けていた姿だったのだと言う。
 まんまと騙され、姉と信じ、あの女は生贄になる事を選んでしまった…。

 そして、飛び降りたこの場所    生贄の祭壇は、上から下まで殺戮の痕をまざまざと残してそこに在った。


「ギャアアアアッッ!おのれっ!まさか、クサナギの剣を用いてきたかっ!」
 アイザックも続いて降り立ち、暫し落下の衝撃を屈んで堪える。
 同じ場所に立ち、軽く見上げたヤマタノオロチは、全長悠に三十メートルはあったのか。その姿は山の様に咆哮を上げていた。

「しかし効かぬわ!オーブと、邪魔はされたが、神の娘の血を啜ったからのう!」

 ザワザワと、うるさくオロチは能書きを垂れ、それぞれの首で思い思いに炎を吹き上げる。
 俺とアイザックで刻んだ傷痕も、オロチ全体を包み込む紫の光が癒してゆく。
 吐き出す炎を抑えるのにワグナスは集中し、口を塞ぐために冷気の最高呪文で頭の幾つかを凍りつかせる。しかしそれすらも、炎で奴らは溶かしていった。


「有難う御座いました、ニーズ殿。今までの人生で、一番幸せな夜でした」
それが本当に、最期の言葉になった。
そして、俺の投げた最期の言葉は「馬鹿野郎」。



「ニーズ、駄目だ、コイツ次から次へと回復しやがる!一気に皆で協力して、連続攻撃と行こう!」
 八体の大蛇を相手するのも等しく、攻撃を避けるのにも必死にならざるを得ない。さすがのアイザックも呼吸困難にまで陥りかけて、俺と背中を合わせて肩で息をする。
 炎のダメージは凌げても、熱さだけに目眩を起こしそうになる。
 そうだ、もう、この場所では酸素も満足に吸えはしない。

 八体の蛇の攻撃で、最も恐れたのは毒の攻撃。牙に噛まれる事だった。
 どうやら、普通に解毒できるような軽いものでもないらしい。
 噛まれる事は上手く避けてはいたが、吹き飛ばされ、撃ちつけられる時のダメージも馬鹿にできずに蓄積されていく。
 高い場所から呪文を撃っていたワグナスも降りて来て、全員に全力の連続攻撃の意志を示す。
「行きますよ!皆さん!全力で撃って下さい!」

 始めに炸裂したのは、魔法使いの呪文。
「氷の刃よ!全てを貫き荒れ狂う吹雪となれ!!」
 魔法力も、残さず、全ての力をその吹雪に注ぎ込む!
 巨体のオロチは呪文を避けることはできない、吹雪に包まれ、炎を吐き出せずに痒そうに吹雪をむずがる。

「太陽神ラーよ。僕に力をお貸し下さい。人を喰らう、悪しきオロチを討つ為に」
 赤く染まった溶岩の洞窟でも、尚ジャルディーノは赤く揺らめく。
「聖上なる風よ刃と為りて、等しき裁きの十字架をもたらし賜え!   バギクロスッ!!」

ゴオオオオオオ!!

 真空は何度もオロチを十字に斬りつけ、吹雪と重なり、オロチの悲鳴も轟音で掻き消されて聞けなくなる。
 力は洞窟にひずみを生み、天井からバラバラと岩のカケラが混じって落ちる。間髪入れずに、賢者の呪文も炸裂していた。
「全ての世界を凍らせる、氷の女神の祝福を受け取りなさい。
永劫の吹雪の中に眠れ!!マヒャド…!!」


「…スゴイ……!」
 崩れ行く、洞窟のすみ、下の戦いを覗きながらサリサは感嘆の声を上げていた。
穴のできてしまった道の壁から、下の戦いが全貌できる。
 必死に毒に抵抗するシャルディナを抱えながら、眼下の戦闘にごくりと唾を飲み込んでいた。
「シャルディナさん…。もう少し。頑張って。もう少し…!」
 彼女の戦いは今はここにこそあった。魔法力の尽きるまで、この少女に回復呪文を唱え続ける   


 三人の呪文の嵐は、術士の魔力尽きるまで治まらずに渦を巻く。
 波状の風に黒髪を乱した戦士は、光る剣の柄を握りなおし、剣との意志を確かめるように眼前に構え気合を入れる。
「腕が折れるまで、剣を振るってやる!」
 俺の横手から、掛け声と合わせてアイザックは奔り込み、高く跳躍する!

「喰らええっ!!そして二度と、再生するな!!」

 隼の剣は吹雪ごと、オロチの巨体に斜めに亀裂を奔らせる。跳躍から地面に降り立った戦士はそれだけでは止まらない。
「うおおおおおおおおっ!!」
 全身にかかった重い手ごたえ、返した刃で、もう一度振り上げる、アイザックの咆哮が洞窟内に強く轟いた。

「ぎゃああああああっ!おおおっ!あああああああっ!ギャアアーー!!」
 オロチの首は全て落ち、山を揺らす悶絶に耳が破れそうになる。
 もう一度、隼の戦士は攻撃のために剣を振りかざした。
       それは必要ない。


スウッ…。
   と、蒼い一筋の線がアイザックの目の前に描かれた。
 軽い跳躍からふわりと、戦士の前に降りてくる。それは額冠を閃かせた黒髪の勇者。見苦しく暴れていた、ヤマタノオロチは急にぴたりと静かになった。

「…・な、なに…。なんだ、今の力は…」
 静かに胎動しながら、オロチは紫の光で全身を包み込む。
「コイツ!まだ再生する気だっ!」
「動くな」
 飛び込もうとした、アイザックを俺の前に立たせはしない。
「いいから。お前はシャルディナの心配でもしてろ」

 紫の光はオーブの力、オロチは再び再生しようと光を強く輝かせる。首を落とした、胴体だけになった体が、遅れてバサリと二つに別れた。

「ぬおおおおアァーー!!なっ!何故だっ!グワァアアアァーー!!」
 剣を握る手の痺れなど、とうに俺は忘れていた。
 ジパングの霊剣を首を失ったオロチに突きかざす。再生できずに苦しむ、オロチは首だけでも、殺意に歪んだ眼差しで俺を殺そうとする。

++

 不思議だった。
 草薙の剣は、俺のしたい事を理解しているように思うことが。
 突き付けた剣先から、蒼い光はオロチ全体を包み込み、やがては完全に紫の光を蒼く塗り替えてしまう。
「ば、馬鹿なぁ…!なんだっ!貴様何者だっ!お前は勇者のまがい物のはず!オルテガも完全には扱えなかった力を…!」

「へぇ……」
 全く興味がなく、オロチの言葉に俺は眉一つ動かさない。
「知ってるんだろうが。俺は勇者のまがい物だ。それ以外の何者でもない」
 霊剣の力に、抗おうとする、その力を俺は捻じ伏せる。

「一つ、訊いていいか…」
 苦しみ悶えながら、のたうち回りながら、オロチの姿は徐々に小さくなっていく。
 紫の光は何処にも見えない、替わりに世界は蒼一色に染まる。

「あの女。お前は喰ったんだな……」

「…なんだ。彩花の事か…?ハハハハ。喰ったとも。美味かったぞえ。今頃、冥府で家族と会ってるだろうよ」
「なに…?家族……」

「憐れで、愚かな娘よ。父も魔物に殺され。姉も兄も我が喰ろうていたと言うのに。…ほほほほほ。馬鹿な娘よ…!」
「畜生が……」
 全身が逆上に震える。卑弥呼だけじゃなく、サナリも、喰ったと言うのか。
 俺は、願っていたんじゃなかったか。あの女の普通の幸せを。

ただ普通の幸せを……!!



「消え去れ……!!」

 こんな蛇の棲まう、ふざけた山ごと消え去ってしまえ!
 後に何ひとつ残させはしない。振り下ろされた蒼い閃撃は、消えずにオロチの肉体を沈めようと撃ち続ける!

 洞窟が崩壊する。構うものか。
 ジパングの大地の底まで削り取り、こんな国永遠に滅ぼしてしまえ!

「ギャアアアア    ッッ!!何故だっ!何故、そんな力がぁ!ぐはぁあああ!消える!我が消えてゆく…!」
 蒼い炎の中で、紙くずが燃え焦げて、灰になり崩れ落ちるように、オロチの姿は崩壊してゆく。
 許さない。封印なんて許しはしない。

「消えろ!クズがっ   !!」


 知らない。知らなくていい。
 アイツが最期に何を思って、何を口にして死んで逝ったかなんて。コイツを破壊しつくしても、何をしても気が晴れない事も分かっている。
 でも、繰り返し、俺は消え逝くオロチをいたぶっていた。

 狂った者が弱者を殴り続けるように。

「そ、そうか。分かったぞ…。貴様…。まがい物でも、多くの力を手にしているのだな…」
 ヤマタノオロチは、か細い言葉を、肉体を失っても俺の耳に残してゆく。

「オルテガの、竜と…、エルフ族。そしてあの娘だ…。誤算だった…。あの娘、自分ではなんの霊力も持っていなかったが…。お前に影響をもたらしたらしい…。お前を、近付かせたのは、間違い…」

「…………!」
 アイツの軌跡が、俺の中に残った、オロチの言葉には一瞬の感動を覚えていた。
 …嬉しい事だった。
 俺に残った物は何も無いのだと、覚悟していた心に希望を残す。
「…お前は、多分。一番喰ってはならない女を喰ったんだ」
 オロチの残像思念さえ、許す気にもなれはしない。

「消え失せろ」

 立ち昇った蒼い炎は、雷にも似た火花を散らし、草薙の剣を地面に繰り返し叩きつける俺の足場さえも崩壊させてゆく。
「消えろ!許さない!消えろ!許さないっ……!!」
「…ーズ!ニーズ!もういいっ!止めろっ!」
 強引に俺の手から剣を奪い取って、アイザックが俺の頬を強く叩く。反抗的な俺の視線に、強くアイザックは叫んで俺に「今居る場所」を教えなおす。
「洞窟が崩れる   !!落ち着けっ!!」

 洞窟が崩れても、いい気で俺は戦っていた。
 更に、    シンと静まり返った、目の前の光景をアイザックは俺の背中を押して見せ付ける。
「もう、終わってる…」




     ああ、そうか……。
 目の前の世界は、ひたすら空虚に空洞を映していた。
 遅れて、…どの位忘れていた?
 
 オロチの存在は、かけら程ももう残っていなく……。
 えぐられた地面から、くすぶり、漂う蒼い霊気が霧となり、不気味に視界を曇らせているのが見えた。

「ワグナス、オーブがあれば、シャルディナは助かるんだな?」
「ええ。オーブは崩壊してないと思いますよ」
 正気に覚めて、立ち尽くした俺をよそに、横でアイザックとワグナスが打ち合わせ、オーブを探しにえぐられた岩場に進み始める。

 オーブ、何を意味するのかは知らなかった。
 あの女が、何度か口にした事だけは覚えているが……。
 俺以外の仲間たちが、せわしなく動いていた。
 サリサも、シャルディナをおぶって連れて来る。

   「寒い」、な……。もう、何もせずに眠りたい。
 一人でも帰ろうと、俺は草薙の剣を鞘にしまう。

 視界の端に、紫の光が奔った気がして、俺は霧の中に注意を引かれた。
オロチは消滅し、紫の光が輝くはずはない、…何故だろうか、俺は自分でも理由が分からずに光の元に駆けていた。

++

 紫の光を、最初に見つけたのは賢者ワグナスだった。
 しかし、ゆっくりと近付く、賢者の脇を追い抜いて光の前に座り込んだ人影。
    俺は、紫の光に輝く宝玉に初めて出遭った。

 女の両手にしっかりと包み込まれている。女の身体も薄く紫に光っていた……。

「………。サ…」
 光景を後ろで、ワグナスは立ち尽くして見下ろしていた。
 女は下半身を失い、上半身のみの悲痛な姿で、衣服も髪も半ば溶かされてオロチの胃液にまみれて倒れていた。

 貼り付いた黒髪を指で避け、顔を確かめる。
 顔は白いが、知った娘の横顔を知った。
「……っ!ワ、グナス!早くっ!何してるんだ!さっさと回復しろっ!」
 声が震える、しかしワグナスは打たれたように動かない。賢者の彫像に成り下がる。
「おいっ!!…。ジャルでもいいっ!早く!」
「は、はいっ!」

 慌てて、ジャルディーノが女の横に膝を付き、呪文を唱えようと動作に入る…。
「………!!」
 呪文は、一言も出てきはしなかった。ジャルディーノは何かに衝撃を受け、何故か沈黙を作った。

 しかし、再度呪文の動作に入る。
 横で見つめていた俺も異変に気がつく、いつも聞いている、耳慣れた回復呪文じゃない。
「ジャルディーノさん、いけません」
 ワグナスが肩を引いてジャルディーノを止めた。
「ワグナスさん、でも…」
「おい。…なんで止める。早く…」

「ジャルディーノさん、貴方は今、お母様の形見のペンダントをお持ちでないですね。その状態で「蘇生の呪文」は貴方の命が危ぶまれます。あの品にはセズラートさんの保護の力がありますから。保護があったからこそ、今まで貴方は無事で来れたのです」
「…………」
 指摘されたジャルディーノと、横に並んで座る俺と、言いようのないショックが身体を突き抜けていった。

「ニーズさん。サイカさんは、…事切れています。回復呪文では、間に合いません。すでに、オーブがなければ、一緒に消えてしまっていたでしょう…」

「………。お前なら、できるだろう?…全ての呪文を使えるんだろう?魔法をもたらしたのはお前なんだろう!?」
 鼓動が別の場所で、暴れている音が聞こえていた。
 自分の頭は動揺し混乱していて、自分で何を言っているのかわかっていない。
「…すみません。蘇生の呪文は、女神の力が必要です。封印されている今、私に蘇生の呪文は扱えません」

「ジャルディーノっ!お前は!お前はできるよな!?できるはずだ!ラーの化身なんだろう!?ドエールだって、お前が生き返らせたんだろう!?早くっっ!!」
「ニーズさん…」
 赤毛の僧侶の両肩を揺さぶり、力任せにその肩を強く掴む。
 ジャルディーノは、呪文を唱えようとする。しかしそれは断固としてワグナスが引き止める。

「いけません。ニーズさん。貴方と言えども、仲間の命を危険に会わせて良いと言うものではありません。ジャルディーノさんは、貴方が頼めば、実行してしまいます。勇者として、許される行為ではありません」
「…なんだよ。アレが、形見があればいいんだろう…?今すぐ持って来いジャルディーノ!今すぐ持って来てザオリクでもザオラルでもやってみせろ!」

 仲間達も周りに集まり、俺一人の我がままに困り果てる空気が漂う。
 その中でも、賢者だけはさすがに毅然とした指示にはしる。
「間に合いません。…シャルディナさんが、オーブを必要としています。彼女はオーブを手にすれば助かるでしょう。…酷ですが、オーブを渡して頂きます」

    唯一、その女をこの世に繋ぎとめているモノ…!
 身を乗り出したワグナスを、俺はすかさず本気で殴り飛ばす!

「さわるな!!誰も、誰ももう触るな!!」
 ワグナスを殴り飛ばし、傍にいたジャルディーノまでをも押しどかして、俺は女の前で仁王立ちして吼えている。愚かで救いようのない行動なのは分かっていた。
 でも、情けないほどにどうしようもなかった。

「ニーズ…」
 いまだ意識を戻さずに、苦しみ続けているシャルディナを抱えていた、アイザックがシャルディナを降ろし、俺の正面に向い立つ。
「頼む。シャルディナを助けてくれないか。…後で、どんな謝罪でも礼でもなんでも返す」
「断る。俺はそんな女どうだっていいんだ」
「お兄様……!」
 余りの言い草に、アイザックの後方で妹が驚いているのが見えた。仲間の誰もが、俺に呆れていくのが分かる。

「ふざけるなよ…。何が、ルビスの使いだ…。ラーの化身だ…。肝心な時に何の役にも 立たない!使えないっ!お前ら何のためにここにいるんだよ。
何もできないくせに。何もできないくせにっ!」

 俺の背後で、女を包む光が薄れてゆく。
 目の前には毒にうなされ、瀕死のシャルディナが倒れている。

「みんな消えちまえっ!二度と俺の前に現れるな!二度と顔見せるな……っ!」

    パシンッ!
 蒼い霧の洞窟に、乾いた音が微かに響いた。
 悲しそうに、妹が兄の頬を叩いて、その瞳を潤ませてゆく。
「…もう、悲しい言葉は、たくさんです……」
「…シー…」
「悲しいのは、みな、一緒です。お兄様…」
 そのまま、妹の胸に、俺の頭は抱かれていった。離れる事はできずに、抱かれる事に抵抗はできずに、その心地よさに俺はしがみつく。

 どうしてだ。どうして。またこんな想いをする?
 何かを失って、胸が裂けそうになる…、もう二度と味わいたくなかったのに。
 何かを守れなくて、泣く事なんて、もう二度としたくなかったのに。

 つい先日、兄ニーズとの別れに泣き、またニーズならともかく、あんな女の事でこんなにも苦しい想いをしている。

 もうこりごりだ。もう何も見たくない……!


「意地悪言って、ごめんね。元気でいてね…」


 ニーズの笑顔が甦る。やめてくれ。もう、苦しみたくはない。
 もう誰も、死に逝く姿なんて見たくない……。
「………。……!」
「…お兄様…?」
 妹の胸に刹那甘えて、俺はふと顔を上げ、ゆっくりと距離を取る。

    そうだ。ニーズ。
 ニーズと言えば、『アレ』が俺の手には有った……。


 いい加減に焦って、ワグナスも強引にオーブを持って行こうかと思案していた。そこへ、俺は、胸の内ポケットから「二枚の葉」を引っぱり出す。
「お兄様、それは…!世界樹!?」
 知っているワグナスは、俺の意志を察したらしい。厳しい顔で俺に確認をする。
「貴重な品です。良いのですか?」
「……。本当は、ニーズと、母さんに使おうと思ってた」

 死者をも生き返らせると言う、世界樹の葉。
 身体に問題のある二人を、少しでも助けたいと思っていた。俺は神は信じてはいないが、ここで助けてくれたのなら、死ぬまで信仰を誓ってもいい。
「これなら、いいよな。誰も危険に会わない…」
「ええ。そうですね。世界樹の葉なら、女神の奇跡が起こるでしょう」

 ワグナスは微笑み、上半身だけの女の手から、パープルオーブをするりと抜いてゆく。
「アイザック…。言いすぎた。すまない。これを使ってくれ。謝罪も礼もいらない」
「…いいのか?大事な、物だろ……?」
「いい。悪かった、本当に」

 世界樹の葉を受け取り、アイザックはワグナスに続いて、シャルディナの横に屈み込む。シャルディナの手にオーブを握らせ、その身体は紫の光に包まれ彼女は薄く意識を取り戻す。
 俺は消えかかっている女の肩を抱き上げ、死人の顔にまとわりついた邪魔な髪の毛たちを指でよける。
 シャルディナの方は、アイザックが細かくちぎった世界樹の葉を、少しずつ口に含ませて飲ませていた。こちらの女は自分で飲み込む力は無い。

 俺の隣には、追ってジャルディーノが座り、両手を合わせて、神への祈りの言葉を詠唱していた。
 女を挟んで向かいには、心配そうに妹のシーヴァスが静かに見守る。
 世界樹の葉を少し噛みちぎり、何回か噛んでほぐした後、変色した女の唇から流し込む。女神の奇跡を祈りながら、俺は反応を期待していた。

 ザオリクとはいかないまでも、横でジャルディーノが回復の呪文を一生懸命唱えている影響か、女の身体は神気に包まれてゆく。
「お兄様、喉が、今、少し動きました……!」
 ぱっと顔を輝かせ、妹の顔が微笑む。俺は繰り返し、世界樹の葉を口移す。

「…ふっ。…う、こふっ…」
 光は失った足の形にまで輪郭を成し、回復始めた女は少しむせて、身体をよじって腕もぴくりと一度震えた。
 葉が手元に無くなる。
 その頃にはもう、女の身体は正常な状態にまで回復していた。自分のマントを被せ、赤みの戻った、女の身体をぎゅっと強く抱きしめる。
「サイカ……!!」
 腕に掴む事ができる、そして温かい命がそこに在ってくれる、それ以上俺の望むものはない。
「…ジャルディーノ。さっきの言葉、訂正する。…ありがとう。いつも……!」
「いいえ。お役に立てずに、すいません…。でも、良かったですね、サイカさん…。本当に、良かったです」

「馬鹿なのは、俺だな。本当に、どうしようもない。馬鹿すぎて、馬鹿すぎて、泣けてくる……!」
 惜しみも無く涙は流れた。
 温かさと、傍にいる仲間の笑顔に感謝を繰り返しながら……。

++

 崩れかけた、溶岩の洞窟から魔法で抜け出すと、空はもう東から白んで朝の姿で俺たちを待っていた。
 辿り着いてから、奔り続けたジパングの大地。
 生贄事件の真相、全容は、生き残った二人の娘から告白される運びとなった。

 女王卑弥呼はすでにオロチに喰われ、その後はオロチが卑弥呼に成りすまし、ジパングを影から操ろうとしていたこと。
 サイカの兄、サナリもオロチの毒牙にかかっていたこと。
 ジパングの民は、異国の娘の言葉は信じなかった。女王の妹、サイカの言葉なら信じたかと言うと……。

 追求に押し寄せた、人々の対応で忙しい一日が瞬く間に過ぎ、少し欠けた月が再び夜空に姿を現す。誰もが、疲れて眠りに着いた。
 そして、またジパングの夜が明けた……。



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