「一夜の妻」


「サリサ、何処へ行くのですか!」
   シーヴァス!」
 逃げ出した私はやみくもに来た道を戻り、心許す魔法使いの胸へと飛び込む。
「シーヴァス!ああぁん!シーヴァスー!」
「どうしたのですか!?何を泣いて……」
「喰らえ、障り者めっ!!」
「うっ!!」
 私を庇い、シーヴァスが背中に弓を受ける。遅れて、私は自分の置かれた状況を思い出していた。今、私達は侵入者として社を護る守兵たちに追われていたのだ。

「女は殺すな!神への捧げ者にできるかも知れん!捕らえよ!」
 周りをびっしりと取り囲まれ、卑弥呼の信者達は容赦なく襲いかかって来る。
「イオラ!」
 壮絶な爆発を起こし、エルフの魔法使いは私を抱えながら勇ましくも迎撃。
「魔法使いだ!術者を呼べ!」
「妖術使いめっ!」
「森の魔物だ!」
 爆煙から逃げ出し、蔑みの怒声に私は眉を潜めて嫌悪を噛み潰す。嫌な国だと心底思った。

「サリサ、一体どうしたのですか?アイザックは何処へ」
 建物の影にひとまず隠れながら、心配して訊くシーヴァスに私はまた瞳を滲ませていく。
「…もう、駄目かも。もう、駄目かも。あの二人、くっついちゃうかも……!」
「え……」
「二人抱き合って。アイザックも抱きしめていて……!キ、キスまでしててっ!どうしよう。どうしようシーヴァス。私もう……」
「……そんな」

バサアアッ!
「きゃあっ!」
「なんですかっ!」
「今だ!魔法を封じろ!魔封じの護符を撃てっ!」
    ガツッ。ガツッ。ドシュドシュ。
 建物の上から網が降り、そして護符の貼り付いた矢がとめどなく降り注ぐ。私達は狩られる者の心境をこの日初めて身に染みた。

「娘は特別じゃ。力のある生娘はいくらおっても困らぬぞえ。生贄の娘と共に夜明けに洞窟へよこすのじゃ。今宵はほんに楽しみじゃのう……」
 初めて目にした女王卑弥呼。邪悪な瞳に嫌悪が沸き立つ。
 そして、どうやらアイザックも、ニーズさん達も捕まってしまったみたいで……。
 私とシーヴァスは魔法を封じられ、後ろに両手を縛られ、地下の牢獄に叩き込まれてしまった。
「八人の嫁の後で、お前らはオロチに捧げられる。夜明け前に迎えがくる。それまで大人しくしているがよい」
 
 牢に鍵を閉め、ジパングの男は冷たくも去って行った。
 牢には魔封じの護符が貼られていて、魔法も使えない。生贄にされるという事で簡単な応急処置はされたものの、私とシーヴァスは服も体も傷だらけだった。

「みんな、大丈夫かな……」
「……。明日、見せしめに殺すのだと話していましたね…」
 更に、私達は生贄にされる。
 特に酷いことを言われていたアイザックは?シャルディナさんは助けられなかったのかな?ニーズさんとジャル君は……?

「大丈夫です。ワグナスさんが助けに来てくれます」
 意外なほどに冷静に、シーヴァスは不在の賢者を信頼しきって微笑む。
「…そうか。ワグナスさん、来てくれるよね。きっと……」
 冷たい土の上に、藁の敷物を敷いただけの質素な牢獄。壁に寄りかかって私達は必ず来る助けを待つことに決めていた。

「それから…。大丈夫ですよサリサ。まだ、正式に断られたわけでもないのでしょう。シャルディナさんの方から、キスしていたのでしょう?」
「うん…。そう見えた」
 私は思い出しては、嫉妬に胸がざわめく。
「しかも、二回も……」
 ふくれて、私は唇を突き出してシーヴァスに愚痴っていた。
「なによぅ。シャルディナさん、綺麗だからって。馬鹿馬鹿」
「サリサも綺麗です。負けていません」
 シーヴァスはにこにこと、赤面するようなことをあっさりと億面もなく言う。
「…ありがとう」
 安心する。こんな時でも、こんな場所でも、一人ではないことに。

 少し愚痴り、少し休んで、時間はどれくらい経っただろう。ここに着たのが昼過ぎ。もう、夕方は過ぎたかな……。
 窓も何もないので、時間など分かるはずもない。
 この地下牢獄に、無数の足音が近付いてくる。

「お願いです!姉上!姉上っ!」
 黒髪を肩まで伸ばした、ジパングの娘が一人、卑弥呼にまとわりつき何かを懸命に頼む声が地下室に反響していた。

++

「彩花よ、かげんにせいよ。何処までいつまで、わらわに手間を取らせるつもりじゃ。皆ほとほとお前に困り果てておるぞえ」
「我侭は承知の上です!姉上、ニーズ殿は関係ありませぬ。私は逃げませぬ。姉上の命令に従い、この身をオロチに捧げましょう。けれど、ニーズ殿と、その仲間達は助けて頂きたいのです!」
 私は弓に撃たれ、倒れたニーズ殿を目の当たりにして姉への抗議に躍り出ました。私達兄妹をおとりにし、彼らを罠にはめた姉上。
 姉上とて許せなかったのです。

「せっかく勇者と連れを撃ったと言うのに、今までお前が部屋で離さなかったそうではないか。怪我の手当てまでしての。攻撃すれば舌を噛み切るとまで脅して周りを困らせた」
「はい。申し訳ありませぬ……」
 地下牢の入り口、姉上を言い聞かせ、ついにここまで姉上を引っ張ってくることができました。
 姉上が現れ、私の部屋での暴挙は治められてしまいましたが、この牢の一つに閉じ込められたニーズ殿にどうしても会いたい。
 助けたかったのです。

「そんなにあの勇者に惚れたか。うつけ者が」
「……。姉上には、両親を失ってから、母親のように、大事にして貰いました。その恩は忘れておりませぬ。姉上を敬愛しております。ですが、ニーズ殿を侮辱する事は許せませぬ」
 牢には、それぞれ個室にはロウソクの一つも灯ってはいない。廊下の壁に申し訳程度に、細いロウソクが感覚を置いて立ててあるに過ぎなかった。
 暗がりの中、姉上の紅い瞳は細く、私を見定めるように見つめる。

「…姉上、オーブは、どうされたのですか?オーブの力で、オロチを完全に従え、もう生贄を出す事はなくなると。それが姉上の目標でした。そのために私と兄上は旅立ち、そして見つけて来たのです。パープルオーブを!」

 姉上の着物を掴み叫ぶ私に、姉上、卑弥呼はにこりと微笑む。
「わかっておるぞ。感謝しておる。もうじき、オロチは完全にわらわが支配するだろう。それには、今一度だけ生贄が必要じゃ。すまないが、わらわのために犠牲になっておくれ、彩花。愛しい妹よ……」
「…はい。わかりました。姉上のために。私はオロチへ嫁ぎます。その後で、ジパングは救われると、信じております……!」
「ほほほ。安心せい。わらわを信じよ」
 姉上と抱き合い、私は自分の運命を受け容れる。

「可愛い妹の頼みじゃ、仕方がないの。お前の願い叶えてしんぜよう」
「……本当ですか?姉上」
「嫁入りの儀式が終わった後で、勇者とその仲間は解放させよう。儀式の前では邪魔に入るかも知れぬのでな。それで良いか」
「はい!有難う御座います!有難う御座います!」

 何度も私は頭を下げ、偉大なる姉に敬意を示した。
「それで、あの、姉上。もう一つ、お願いがあるのです……」

++

 土の匂いが鼻につく。藁の敷物の上で、俺はする事もなく一人転がっていた。こんな風に、捕われ、後がない状況に陥ったのはもう何度目か…。
 ジパングの牢獄は地下に掘って、壁は土のままと簡単に造られている。
 さすがに隣の牢屋との境は鉄だったんだが。

 うたたねしていた、俺はいい匂いに目を覚ました。
「ニーズ殿、起きましたか。食事を頂きましたよ」
「…………」
 俺の横には、サイカが器を両手ににこにこしながら正座している。
「…なんで、お前がここにいるんだよ」
 体を起こし部屋を見渡すが、せまい牢内には俺とサイカの二人だけだった。
「姉上に頼んで、儀式までの間、ここに居る許可を貰ったのです」

 にこりとして、サイカはスープを勧めてきた。
「冷めてしまうと美味しくないですよ。はい、あ〜ん、ですv」
「誰が食うか」
「…でも、ニーズ殿は両手を縛られています。自分では食べられません」
「ほどけよ。お前手空いてるじゃねえかよ」
「私はいいのです。ほどいたら、私が叱られます。ですから、あ〜んvvv」

 俺は横を向いて、断然拒んでムッとしていた。
「お腹すきますよ。私から、食べさせて貰うのは嫌ですか。ニーズ殿…」
 俯いて、サイカは伏し目がちに呟く。
「縄ほどけよ。早く。この馬鹿」
「……。ほどいたら、抱きしめて下さいますか」
「誰がするか。ほどく気がないなら帰れよ」
「…………」
 泣く寸前、サイカの口がへの字に曲がる。
「冷たいです。…悲しいです…」
「…………」

 昨晩、アイザックに言われた事を思い出す。
「優しくしたいんだろう?」と…。


「……、ごめん…。言い過ぎた」
 視線を合わせないように、俺は謝る。
「手が使えないと不便だから。ほどいてくれないか。もしかしたら、お前を抱き締めたくなるかも知れない」
 もちろん、言葉のあやで、俺はコイツを操作しようとしていた。
「本当ですかっ!!」
 呆気に取られる程に、顔を輝かせてサイカは俺の縄をほどきだす。その変わりように俺は心底呆れていた。

「どうですか?抱きしめたくなりませんか?目の前に美しい女子がいますよ!」
 両手を組み、期待してサイカは俺の行動を待つ。
「いただきます」
 俺はスープを木のさじで飲み始める。
「あ、あのぉ〜…」
「ズズー。変な味」
「あ、外国には余りないです。味噌汁です」
「へぇ」
「…ニーズ殿、お腹も満たされたところで、一つ……」
「そうだ。俺の仲間はどうした。赤毛の僧侶とか」
 わかっているんだが、俺は無視して、別な話題を持ちかける。

「あ、はい。別の牢屋におります。でも、大丈夫ですよ!私が姉上に頼んだら儀式の後で解放してくれるそうです!!」
 自分の手柄のようにサイカは手を上げる。
「……本当か……?」
 俺は訝しがるが……。
「シャルディナは?」
「あ…。それは、すみません。わかりません…」
 忘れていたんだろう。うっかりしていたとサイカは小さくなる。俺は皿を無人の廊下に鉄柵の隙間から出し、正座したままのサイカの眼前に屈み込む。

「で、お前はどうするんだ」
「…………」
 わずかなロウソクが背中から灯す、俺の影に隠れてサイカの顔は闇に薄れた。
「私は、オロチに夜明け前に嫁ぎます。もう決定です」

 一晩で、こうまで変われるものだろうか。
 幸せな花嫁のように、見上げるその顔は綺麗に微笑む。
「…死ぬのか。どうしても…」
「はい…。姉上のためです」
「俺のために生きろって言っても、お前は死んでゆくか」
「ニ……!」
 暗がりでも、奴の顔が下から赤くなるのが判別できた。言った当人は、すぐに暴言だと取り消した。
「何言ってんだ、俺は…。忘れてくれ」

 立ち上がり、部屋の隅に俺は腰を下ろした。
 二人でいても会話も思い浮かばず、こぼれたのは短いため息だけだった。

 憔悴ぶりに、膝を抱えて目を伏せる。アイザック達は無事だろうか。
 ひたすら自分の行動の甘さを後悔していた。

 サイカはちらちらと俺をずっと気にしていた。何かを決めたのか、顔を上げると俺の傍に静かに歩み寄り、屈んで見上げる。
「お傍にいってもよいですか」
「嫌だ」
「……。お願いがあります」
「聞く気ない」

「…………」
 あと一歩、俺までの距離を躊躇い、サイカは俺がそちらを向くのを待っていた。俺は反対側の壁を見つめては拒絶していた。
「散り逝く者の、最後の我侭だと思って、聞いて下さいませ。情けでも、構いませぬ。…嘘でも、同情でも、憐れみでも、なんでも構いませぬ…。どうぞ今夜一晩だけ。お願いです」
 微かに、声が震えている。
 振り返る気はなかったのに、泣きの入る声に俺は胸を捉まれてしまう。
「私を、ニーズ殿の妻にして下さいませ……」

「意味、分かって言ってるのか……」
 振り向いた先には、まっすぐに、まっすぐに俺だけを想う瞳が揺れていた。
 泣いてはいなかった。
 馬鹿野郎が。完全に覚悟を決めた強さなんか見せて欲しくない。
 そんな美しさなんて見たくないんだ。

「はい。私はオロチの妻になりますが、心に想うのは貴方のみです。愛する人の妻になるのは私の夢でした。ずっと、憧れていました…。嘘で構いませぬ。夢を見させて下さいませんか。最後の夜に、貴方と一緒にいたいのです…」
「…………」
 言いたい事は、ただ一つだ。

「死ぬな。死ぬなよ。死なないでくれ」
 喉まで出かかる、叫びは声にはできない。

「…それが、お前の望みなんだな」
「はい。最後のお願いです。安心して下さい。もう、困らせる事はありませぬ」
 一粒の涙も見せず、女は俺の返事を待っていた。
 結っていない、黒髪は肩まで。そして大きな瞳は赤紫の光。
 ジパングの女王の妹、名前は彩花。漢字では、彩りの花と書くらしい。

「いいよ。妻にしてやる。今晩だけな」
 優しく、優しく、それしか俺にできないなら、それが望みなら。俺は身を乗り出して、一歩先の花を優しく抱きしめた。
 初めて家族以外の女を抱きしめる。細くて、微かに震えていた。

「ニーズ殿ぉっ!」
 体を押し付けて、全身でサイカは俺にぶつかってきた。
「嬉しいです!嬉しいです!私は、忘れませぬ…。オロチに喰われても、ずっと、ずっと貴方を想い続けます。生涯、命尽きた後も、貴方が好きです…!」
 抱かれて、サイカは弾かれたように泣き崩れ、俺の胸や肩や頬で泣いた。
 泣き声は地下室に反響し、俺の胸にも消えなく焼き付かれる。

++

「…ぐすっ。ぐすっ」
「落ち着いたか。いいかげん…。随分泣いたな」
 泣き崩れたサイカをずっと抱きしめたまま、すでに胸元は涙が染み込んで濡れていた。涙を拭いて、じっと見上げる、その女は拾ってきた小動物にも間違いそうな顔をしていた。
「優しいです。温かいです。幸せです…」
 甘えて、顔を首元に擦りつける、俺は頭を妹にするように撫でてやった。

「ごめんな。妻と言っても、ここには何もない。あのリボンもないし、あの花束もない。指輪もないし、あげられる物が何一つないんだな……」
 しかも、ここは牢獄。俺の格好は血で汚れているし、マントも服もズタボロだった。
 サイカの方は白い着物で小奇麗にはしていたが。

「いりません。貴方がいればそれで良いです」
「…そうか」
「あっ…」
「ん…?なんだよ」
 突然、サイカは赤くなって俯き、ソワソワして視線が泳ぐ。
「あの、ニーズ殿、私、接吻にも、憧れて、いました、です…」
 ごにょごにょ口の中で誤魔化しながら伝えるのだが、俺は首を傾げた。
「なんだ?せっぷんって?ジパング語か」
「あああああ、あのっ、あのあの…。ガイコクでは、あの、き、きききき…」
「き……?」
「き、き、き、『きっす』です!きゃあ〜!」

ごつ。

 俺は壁に頭をぶつけていた。
「私ったら、はしたないです!『きっす』なんて〜!きゃーきゃー!」
「俺が恥ずかしいわっ!!!」

 怒鳴りつけるとサイカは耳を塞いでちじこまった。
「……う、すみませんです」
「ったく。そんなことするか、馬鹿」
「ええ〜…。でも、夫婦なら、「きっす」ぐらいするものですよ。その先も夫婦の営みですよ。…あっ!しょ、初夜ですっ!ニーズ殿っ!「初夜」ですよ!」

「恥ずかしい言ってるだろ!!!」

「わぁあ〜んっ。怒鳴らないでくださいー」
 抗議するが、おかげでこっちも馬鹿みたいに恥ずかしくて赤くなっていた。
「もう、お前、アッチ行けよ。オロチとキスでも何でもしてこいよ」
 抱き合っていたのを離して、俺はごろりと藁の上に寝転がる。
「そんなっ!オロチとが初めてなんて嫌です〜!」
「…知るかボケ!」
 俺は思い切り顔を歪ませて、言葉だけを返していた。

 背中で無視を決め込んでいて、その間サイカの奴はじっと黙りこくっていた。


「………。オロチとファーストキッスなんて、悲しすぎます」
 間が開いて、暫く沈黙していたサイカは寂しそうに呟く。
「…………」
 寝返りをうつと、ちょこんと座っていたジパング娘と目が合った。
コ イツ、気分が極端なんだよ。浮き沈みが激しすぎる。
「冗談だよ。本気にするなよ」
「………」
「ほら…」
 ゆっくりと起き上がって、俺はサイカの頬に片手を触れて励まそうとする。

 目をつぶる、女は静かに俺が重なるのを待っていた。
 ほうっておくと、いつまでも目を瞑って待っていそうだった。
「…………」
 待っているんだ。俺の言葉を。行動を。

 俺は抱き寄せて、耳元で命令を言い渡す。
「いいか、何も言うな。俺がいいと言うまで、何も口にするな」
「はい…」
 俺は今更ながら、今夜妻になった女の顔を見つめ、これまでのやりとりを思い出す。ロマリアで、花束に求婚と勘違いされ、殴り飛ばされた。
 アッサラームでは不本意にもコイツと踊ることになり、自分の緊張具合に情けないと思った。
 あの時の異常な程の緊張がよみがえって、俺はここで、今までさんざん抱きしめていた女に触れる事を今また怖いと思う。

「…好きだ。サイカ。お前が…」
 耳元で囁く。全身で痺れて、一夜の妻は驚愕に目を見開いた。
「目も開けないで。じっとしてて…」
 動かれると、俺が困る。

 こんな気持ち、俺の中のどこにもなかったはずなのに。
 いつから育っていたんだろう。
 なかったはずの感情は、気がついたら自分でも押さえが利かない。溢れて止まらなくて爆発しそうに思うんだ。

「俺は、もう、お前以外、誰も妻にしないかもな…」
 独り言は、ぼそりと抱きしめなおす俺の口からこぼれ落ちた。
「…え…。ええっ……?」
「喋るなって、言ったろ」
「あ、でも。でも…。私だけを、生涯愛してくれるという意味ですか…。好きっ、て、それは、本当、ですか?それとも、これは夢ですか。今夜だけの付き合いなのですか…」

「どっちでもいい。都合いい方に取ってくれ」
「そんなのは、そんなのは…。決まっています。ニーズ殿は、私を愛してくれています…」
「最愛の妻だよ。幸せになれるか、これで…」
「はい…!私は、幸せです!幸せな花嫁です……!」

 痕を残したいと思った。
 決して死んでも消えないような、俺が愛した形跡を。
 オロチへのささやかな嫌がらせのつもりで、俺は女の首筋に噛み跡を残す。


ぼうお〜。ぼうおお〜。


「…なんだ?この音」
「あ…、ほら貝です。時間です」
 短い時間、寄り添ったサイカは立ち上がり、迎えに来た卑弥呼の前に決意を込めて直立を決め込む。
「別れは済んだかの。彩花よ」
「はい。有難う御座いました、姉上」

 卑弥呼は連れていた女に鍵開けを命じ、そのままサイカを連れて行かせる。
「有難う御座いました、ニーズ殿。今までの人生で、一番幸せな夜でした」
「……馬鹿野郎……っ!」
 俺を残し鍵はかけられ、俺は鉄柵を掴み罵る。
 間違いのない、その言葉は本心だった。
 死んでゆくお前はいいだろうさ。残される俺はどうしたらいいんだ。むざむざお前を死なせて、これからも生きていかなければならない俺は。
 サイカは命令どおりに、振り返らずに地上へ階段を昇って行った。

「悔しそうじゃのう…。勇者よ。貴様、オルテガの息子かえ?」
「な、に……」
 まだ居たのか、睨んだ卑弥呼は不気味に薄気味悪い微笑を浮かべ、俺を視線でねっとりと舐めていた。
「オルテガの息子など生かしておく訳にはゆかぬ。貴様らはこれから見せしめに町の中心で焼かれるのじゃ。ほほほほほっ」

「なるほど、サイカとの約束などとうに聞く気もないワケだ」

「せいぜい悔しがれ。お前の女もわらわのモノじゃ。さぞかし美味いであろうな。あやつは巫女ではないが巫女の一族の末裔。ほほほ。舌が鳴るわ……」
 口からはみ出した赤い舌は、人の物とは思えぬ程に長く血走りちょろちょろと音を鳴らす。
「お前はっ!?」
「卑弥呼様!準備ができました!」
「よし。この者らを連れてゆけ。オロチに逆らう者がどうなるのか教えてやるのじゃ!」

++

 ガタン。ガタン。バサバサ。
「ないっ!一体何処に……!」
 私は一人、姉上、卑弥呼の私室を「ある物」を探して荒らしていた。

「何をしておる。佐成よ」
「!!あ、姉上っ!」
 びくりと跳ね上がり、私は気配もなく背後に現れた実の姉に恐怖を覚える。
「オーブを!オーブが何処にやったのですか!姉上」
「何ゆえお前がオーブを探す」
「行き過ぎです。…姉上は変わられた。旅人達への仕打ち、むご過ぎます。我らが戻ってからです。姉上が変わられたのは。私たちがオーブを持ち帰ってからなのです」

「ほほほ。何を可笑しなことを」
「あのオーブは偽者で…。姉上は魔に盗り付かれたのではありませんか!?オーブはいかがされたのですかっ!」
「…感謝しておるぞえ、佐成よ…」
 姉上に喰ってかかる、弟に対して卑弥呼は口に手を当てほくそ笑んだ。

「オーブは神の鳥ラーミアの力の一部、神の力じゃ。卑弥呼、そしてお前らは神の力を持ってしてオロチを制しようと画策していた。憐れよの。よもや、そのオーブをオロチに喰われるとは」

「喰われ……!」
「時は満ちた。今宵、わらわは神になるぞえ。オーブを喰らい、そして今宵、わらわは神の娘を喰らうのじゃ。喜べ、この国は選ばれし魔の島となろう」

「あ…。あ…。姉上、いいえ…。お前は誰だ……」
 卑弥呼の瞳が赤くギラギラと光り、髪がざわざわと生き物のように波をうつ。白い腕が伸び、その指先から肉がぶれ腕は姿を変えてゆく。
 腰を抜かし、私は恐怖に口が塞がらなくなった。
 卑弥呼の腕は大蛇の頭に姿を変え、蛇は鎌口をもたげ、一度舌を鳴らした。

「シャアアアアアツツ    !」

 恐ろしい速さで大蛇は自分に喰らいつき、牙を噛みしめ、ボキボキと骨を砕く音を鳴らす。
「あ、姉上、姉上はどうしたのだ!この化け物ぉっ!!」

「ほほほほ。とうの昔に喰ろうてやったわ」

「ば、馬鹿な…っ。姉上、……サイカ……っ!」
 大蛇に噛み付かれ、消えかける意識の中で、大蛇の影が無数にも壁に揺れているのを確認する。
「ウッ!ギャアアアアッ!」

 ぼと、ぼとぼと。
 床に血は音を立てて鮮やかに落ち、薄れる視界の中でそこには卑弥呼の姿はもう見えなくなっていた。
「ヤマタノオロチ……。そ、んな……」

「ふはははははは。いいぞ。男は好きではないが、巫女の一族の男は悪くない。感謝しろ。姉にも妹にもすぐに会える。黄泉の国でな」

 ずるっ。ずるっ。
 バシャ……。ボタボタ。

 ぴちゃり。ぴちゃり。

「サイカ…。ニーズ、サイカを……」
 床は血に染まり、飛び散った鮮血は白い障子を鮮やかな花模様に染める。
 オロチは、神などではない。人を喰らう、凶つ神だ……!
 血に染まった壁に映る影、最期の男の手も大蛇の口の中に飲み込まれた。静かに障子を閉め、一度卑弥呼は口元を舌で拭った。
「卑弥呼様、悲鳴のようなものが聞こえましたが、いかがしましたか」

「気のせいじゃ。行くぞえ。嫁入りの儀式の始まりじゃ」
 満月の下、白装束に身を包んだ八人の娘がオロチの洞窟へと歩みを進める。
 同時刻、町の中央、昼間から貼り付けにされたままの黒髪の異国人が弓兵に周囲を包囲されていた。
 遅れて、額冠をした男、赤毛の少年。
 三人の異国人の見せしめ処刑も開始される。



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