「滾る月」
「…おい…。離れろよ。サイカ……」
「…ううっ。うっうっ…。嫌です。せめて、今夜だけでも、一緒にいたいです。ニーズ殿と、一緒にいたいのです……!」
俺にしがみつき、離れようとはしない女の、先程の台詞が妙に頭に回り続ける。
決して俺からは腕を絡ませる事はなく、泣きつかれるままに、俺はそのまま畳の上に座り込んでいた。
シャルディナを見に行った兄貴も帰ってこない。
泣き止まないサイカを突き放す事もできず、俺は途方に暮れる。
ロウソクが切れたのか、不意に灯篭の灯は落ち、部屋の中は真っ暗に静まり返った。小さな窓からの月の光だけが、二人の顔をぼんやりと照らす。
「ニーズ殿は…、どうしてジパングに来てくれたのですか。私を心配して、私に会いに来てくれたのですか?」
再び灯をつけることもなく、そのまま、サイカは俺を見上げて訊ねた。
「いや。俺の仲間がシャルディナと知り合いでな。そいつを助けに来たんだ」
「……。あの、その女子とニーズ殿は、その…親しいのですか」
「いや、全く…。無関心だよ」
「そうですか」
明らかに喜んで、サイカの声は明るくなる。
「美しい娘でしたから、少し不安になりました」
「…なぁ、お前……」
俺のこと、思うのはやめろよ、そう言おうと思った。
「サイカ、ニーズ。入るよ!大変だ!」
それは遮られ、待っていた兄貴が慌しくふすまを開けて部屋に入ってくる。
「……と。……ごめん。盛り上がっていたところだったかな?」
暗がりで妹が抱きついていたのを知り、サナリは咳払いをして横を向いた。
「灯りも消して、まさかニーズ……」
「……なに?」
「よもやとは思うけれど…、まさか、妹に…。若い男女が、暗闇で……」
「えっ!ニーズ殿、まさか私に……!???」
「殴るぞ」
顔をしかめて、機嫌をそこねた俺はサイカを無理やりに引き剥がす。
「そうだ!ニーズその手があったよ!君とサイカが結ばれれば万事解決する!」
「…な、に?」
ぽんと手を打ち、サナリは顔を輝かせて饒舌に語りだす。
「え?え?まさか兄上」
「オロチの妻に選ばれるのは純潔の生娘のみ。娘に恋人が現れ、純潔を奪われたのなら娘は生贄から外される。それなら世間も文句は言えぬ。サイカは助かるんだ!」
「きゃああ、そんなっ!い、いきなりそんなっ!まだ接吻すらもしていませぬのに…!恥ずかしいです兄上!」(嬉しそう)
「帰る!」
俺は頭に血が上り、どかどかと床を鳴らしてふすまに手をかける。
「そんな!ニーズ、頼むよ!」
「頼まれてたまるかっ!!!」
「良いじゃないか。君になら妹を任せてもいいと思っているんだよ!」
「あ、兄上っ!私はそんなっ!」(やはり嬉しそう)
サイカは両頬を押さえ、真っ赤になって顔を振る。
「騒がしいぞえ!誰かおるのか!彩花!佐成!来ておるのか!」
「姉上っ!?」
望まぬ大ボスの登場に俺は戦慄し、すぐさま部屋の奥に戻る。押し入れに間一髪、サイカに促され身を隠す。
「あ、兄上が来ております。お騒がせして申し訳ありませぬ、姉上」
押入れの隙間からだが…。ジパングの巫女姫、女王卑弥呼の姿を覗き見る。
サナリ、サイカ兄妹と同様に、黒髪に赤みの瞳。
長い黒髪を結い上げ、豪華な衣装に勾玉の飾りを派手にぶら下げていた。隙間からでは全容は見渡せないが、会話はどうにか俺にまで届く。
「佐成、お前とて、そう何度もここに訪れてよいと言うものでもない。彩花も神への嫁入りの覚悟を決めよ。時に佐成、お前か?シャルディナの部屋の辺りを探っていたのは…」
「この方です。卑弥呼様……」
もう一人、聞き覚えのある女の声が聞こえた。
確かめようと隙間から目を凝らすと、案の定、会おうと思っていた吟遊詩人シャルディナが卑弥呼の後ろにつき従っているのが見えた。
「シャルディナが不審人物を見たとわらわに申してきてな。佐成、お前はもうここへはくるな。出入り禁止を申し付けるぞえ」
「………。は、はい。姉上…。失礼致しました…」
意義は口にせず、サナリは頭を下げて、去り行く卑弥呼を見送る。
「シャルディナ殿、不安にさせて申し訳ない。そなたに会いたいと訪ねて来た旅人がおりまして…」
まだ警戒して、俺は隠れたまま、その返事を聞いていたが……。
俺でさえも、異常には気がつく。
「私は、オロチに嫁ぐ身です。誰にも会いません。神に嫁ぐは名誉にして誇り、ジパングのため。私は誰にも会いません」
抑揚のない棒読みで、シャルディナは別人のように無表情に繰り返した。
「おい。サイカ、卑弥呼はもういないか」
「あ、もう、姉上は見えませぬ」
確認を取って、シャルディナを引き止めるサナリの横に俺も顔を出す。このジパングで初めて出会うシャルディナは、真っ白い顔に、光のない瞳でゆらりゆらりと不安定に立っていた。
今まで、アッサラーム、イシスでほんの少し見かけただけにしても、シャルディナの変わりようには驚かされる。どう見ても正気ではなかった。
「おい。お前を助けにアイザックが来てる。それでもオロチに喰われるか?」
「ア、イザック……」
シャルディナは微かに声を震わせ、右のイヤリングに指を触れた。
「おい。目を覚ませ。誰かに操られているのかよ」
その手を掴むと、思いの他激しく抵抗され、俺の手を振り放した。
「触らないで下さい。この身も心もオロチ様のもの。穢れます」
気弱だった詩人の姿はなく、狂信者さながらの怪しい瞳で俺は睨み潰される。思わず俺は反射的にその頬を強打していた。
「誰だ。誰に操られてやがる!卑弥呼か?!」
「ニーズ何を……」
ぶたれたシャルディナは倒れ、焦ったサナリに身を起こされる。
「人を呼びますよ。神への暴挙、この国の敵です!」
「心底いかれてやがる」
怒りもあらわにして、シャルディナは俺に殺意さえ向けて声を張り上げた。俺は舌打ちして、問答無用でそのまま腕を引き上げて立たせる。
「このままコイツ連れて帰る。アイザックに会えば目も覚めるかも知れん」
「離せ!卑弥呼様!誰か!曲者です!神に逆らう者です!!」
「ニーズ殿!」
ヒュンヒュンヒュン!
余りに手が早く、すでに配置されていたかのように、弓矢が雨のように降ってきた。
心配してサイカは俺を部屋に隠すが、見えない弓兵達もさながら、奴らを指揮する女の声が禍々しくも夜空に深遠を残す。
「我が国に災いを起こすは異国の勇者。我が国に勇者は要らぬ。シャルディナは渡さぬ。我が妹もぞ。神への無礼、決して許さぬ。矢の雨に討たれて死ぬがよいぞ!」
「卑弥呼様!」
「ちっ!」
騒ぎに便乗して、シャルディナは俺の手からのがれ逃げて行く。
「佐成、彩花、その男を差し出せ。でなければお主らは反逆者じゃ」
「あ、姉上……!」
二人は命令に戸惑い、どうしたらいいのか困惑する。俺は反対側に身を翻していた。
「じゃあな。俺は大丈夫だ。サナリ、後で屋敷で会おう」
反対側の窓を叩き割り、俺は地面に転がり出る。
「ニーズ殿っ!」
その窓から顔を覗かせて叫んだサイカ。明日は会えるかどうかすらわからない。
俺と一緒にいたいと言った。せめて今晩だけでもと……。
コイツが仰げる夜空は、あとは今夜を含め二回のみ。すぐに逃げ出さなければならない状況で、俺は躊躇してその場に足踏みを残す。
「サイカ、また来る。だから泣くなよ!」
卑弥呼の追っ手を支持する声が轟いている。窓から乗り出したサイカを乱暴にどかし、守備の一人が鋭い矢を何発か俺に掠める。
俺は月夜の中を、振り返らずに奔り出した。
++
「ニーズ!なんだ!何の騒ぎだ!?」
ニーズがサナリと出かけている間、気が気でない俺も、仲間たちも寝室には案内されたがニーズの帰りをひたすらに待っていた。
「大丈夫ですかお兄様!」
辺りはにわかに喧騒が濃くなり、待っていた勇者は矢を何本かその身に喰らい、ふすまを破って部屋に転がり帰ってくる。
「悪い。この分だと、ここにもすぐに手が回る。ひとまず撤退だ。何処かに隠れて、明日シャルディナを助けに行こう」
ジャルディーノが回復呪文をかける間に、短くニーズはそう俺たちに指示を出した。外の騒ぎは、ニーズを追ってのものだったらしい。
「卑弥呼に見つかった。すっかりお咎め者だ」
「サナリは?」
「アイツは、殺されはしないだろう。弟だしな」
慎重に屋敷から離れ、行き来するジパングの衛兵達を横目に、俺たちは集落からはなれ、深い霊峰麓の森へと退散してゆく。
満月に程近い月が、逆に俺たちを嘲笑うかのように、ひっそりと浮かび見下ろしていた。ジパングの夜霧深い森に逃げ込み、ようやく一息ついて、腰を下ろした所で憔悴ぎみのニーズに俺は話をせがむ。
「あれは、思い切り何かの術にかかってるんだな。正気じゃなかった。卑弥呼教の信者みたいになってたぜ」
ニーズはマントを引き寄せながら、呆れ顔で俺にぼやいていた。
ジパングは温暖な気候の中にあったが、森の夜霧はしんみりと体を冷やしてゆく。
「誰だ?卑弥呼か。そんなことしやがって……」
「この国一番の霊力者とか言ってたからな。卑弥呼だろうな。すんごい顔で睨まれたよ」
「どうしたら戻るのでしょうか。ワグナスさんがいれば、良かったのですけれど……」
俺はシーヴァスが言うのに、同意して頷いていた。
「全くだ。一体いつまで遊んでるんだよ」
「ワグナスさん、姿隠しの魔法が使えました。それがあれば逃げるのも簡単でしたのに。仕方ないですね」
「…そう言えば、そんなのもあったな。…あの野郎。肝心な時にいやしない」
ニーズも一緒になって毒を吐いたが、ふと思い出したのか、俺を横目に訊いてくる。
「お前の名前には反応してた。とりあえず殴っただけじゃ元に戻らなかったがな。お前の事は記憶に残ってるみたいだった」
バコッ!
俺は上からげんこつで勇者の頭を突き落とす。
「なにするんだよ!」
「殴るなよ!可哀相だろ!アイツ弱いんだよ!」
「…あのなぁ。状況をみてモノを言えよ。たいした力じゃねえよ。お前だってあの状況なら殴ってるって」
「殴らない!」
「…ああ、そうかい」
ニーズはふてくされて、頬杖ついて視線を反らした。
「おっと、そう言えば、イヤリングなんか触ってたな。あれだけ妙だった」
「イヤリング?……、あれかな、俺のあげた奴」
「へえ。アイザックがそんな気の効いたものあげてたなんてね。意外だな」
「うるさいな。茶化すなよ」
ニーズは言う。清めの社ではそう決められているのか、女は白い飾り気のない着物に着替えていた。髪につけるリボンすらしていないのに、赤い石の入ったイヤリングなどしているのが妙に違和感だったと。
「アイザックから貰ったから、外さないんじゃ……」
ぼそりと横から口を挟むのは、ずっとジパングに来てから口数の減っていた僧侶娘サリサだった。言った後で後悔したのか、集まった視線にごまかそうとして笑う。
「あ、気にしないで。なんでもない、です」
「アイザックさんに会えば、きっとシャルディナさん、思い出してくれますよ。親しい人は忘れないものですよ」
不安を消すように、ジャルディーノはにこりとして俺を励ます。
「……そうだといいんだけどな……」
正直な所、俺は考えてしまっていた。
親しいと言えば親しいだろうけど、まだたいして長い付き合いでもないのに、そこまで俺って重要な相手なんだろうかと疑問は抱く。
約束はしたけど……。
ただそれだけの友人だ。ちょっと会ってすぐに別れて、そんな繰り返しがあっただけ。でも、今頃本当のシャルディナは、怖くて震えてるに違いないんだ。
助けてやらなくちゃ。絶対に……。
「この厳戒体制だけど、できるよな、俺たちなら」
必ず助けよう!そう意気投合する仲間達に、珍しく真剣なニーズの声が加わるのが意外だった。
「神も国もクソ喰らえだ。必ず助け出す」
追っ手もここまでは来ないらしく、俺たちは交代で見張りを立てて休息を取り、明日の作戦に挑む。気になった俺は、ニーズと一緒に見張りを組む。
どうにも、帰って来てからのニーズの様子がおかしくて。
起きているんだろうが、ずっと闇を睨んでは思案に暮れている横顔が、やたら鬼気迫っていた。
「なぁ、ニーズ。聞かなかったんだけど、あっちの方はどうだったんだ?あのサイカって娘。会ったんだろ?」
皆を起こさないように、会話は小声に交わす。妙にピリピリしたニーズの隣であぐらをかく、俺はその顔を覗き込んで問いかけた。
「知るか。あんな馬鹿女」
相変らずな冷たい言葉が帰ってくるけれど……。
「お前、本当に心配してるんだな。あの娘のこと」
「何言ってるんだ。ぶちのめすぞ」
乱暴な物言いに苦笑はするが、慣れっこな俺には脅しにもならない。
「アッサラームの時だってさ。あんなに気にしてたのに。お前いっつもそうな。助けたいのはあっちの方なんだろ?結構、あれ本当になるかもな。白い花束の……」
「なるかよ!」
俺を黙らせようと、振り上げた腕を俺は余裕で抑えていた。
「ニーズ、口でどう言ったって、顔までは誤魔化せないぜ。お前が冷静じゃないのがいい証拠だよ。素直になれよ」
「………!」
言い返すこともできず、ニーズは腕を取られたまま悔しそうに震えた。顎を上げたまま、どうにか平静を装うとする。
「…知るか。アイツがほんとにムカツクんだ。イライラする」
「……。心配なんだろ?それって、多分」
「もう、やめてくれ……!」
嫌気がさすのか、首を振ってニーズは髪を両手でかき上げる。
「俺だって冷静でいたいんだ。自分でもどうしたらいいのか分からないんだよ。どうにも、落ち着かなくてしょうがない。畜生、どうして、俺は馬鹿みたいに、あんな女を助けたいんだろうな…」
うなだれて、珍しくニーズは俺に愚痴っていた。
家に籠もっていた頃の、俺が外へ連れ出した頃の、俺に救いを求めたニーズを思い出させる。
「いつから、俺はこんなに優しくなったんだ。あんな女見捨てればいいものを…」
「なんだよ。いいじゃないか、優しい方が」
俺は座り直して、足元の焚き火の炎を見つめながら教えてやる。
ニーズの知らないニーズの事を。
「お前、自分で言うほど冷たくないんだよ。好かれれば嬉しいんだ。優しくしたいんだよ。しっかりあの娘助けて、優しくしてやればいいじゃないか。お似合いだよ」
「……。できるか、馬鹿が」
ぼそりと呟く、いつも通りの悪態。
「簡単だろ〜。助けたいって、言えばいいだけだよ。優しくできなかったら、ごめんって謝るんだよ。どうしたら喜ぶのか、聞けばいいじゃないか。本当は優しくしたいんだって言えば、そうそうケンカにならないと思うけど」
「……。別に優しくなんか、したくない。アイツ、夢があるんだよ。あんな顔して、恋愛とかに夢持っててな。俺はそれを叶えたいだけなんだ。死ななくていいじゃないか。馬鹿みたいに、夢叶えて笑ってればいいじゃないか。それが当然だと思ってた」
こんなニーズの表情、見たことがあっただろうか。
言わなくても、その声も瞳も抱える思いを教えてくれる。
「なんだか、あの娘は特別なんだって、全身で言ってる気がする。すごいな…」
「誰がっ!」
得意の悪態も出ないのか、視線を流したニーズは唐突に横になった。
「なに?まさか寝る気か?」
「眠いんだよ!見張りよろしくな」
ぎりぎり歯軋りしながら悔しがっていて、ますます俺は笑いあげていた。
「あっはっはっはっはっはっ」
負け惜しみに呻いて、ニーズはふて寝に突入していた。
「あんな女なんか俺はどうだっていいんだ。畜生……」
ブツブツと俺からしてみれば、笑える文句を繰り返しながら。
++
夜は明け、俺たちはどうにかシャルディナを助けるための作戦を練る。
警備は厳しく、戦闘なしには清めの社に入れそうにはなかった。
「殺さない程度に、吹っ飛ばそうぜ。ジャルのアレ、アレがいいじゃないか」
「バシルーラですか?はい、確かに死ぬ事はないでしょうけれど、あれだけ多くの人になると……」
「いや、お前ならできる。ってゆーか、やれ」
いつも通り、反論は許さない俺の命令にジャルは逆らわない。
「はい。が、頑張ります」
「では、私はボミオスの呪文で、敵の動きを遅くします」
「私は、ピオリムで、皆の速さをアップさせて……」
魔法使い組み、シーヴァスとサリサの呪文も作戦には必須だった。
「ったく、ワグナスの野郎まだ帰らないし。何してやがるんだ」
「まぁ、お兄様。ワグナスさんはいないのですから、仕方ありません。私達だけで頑張りましょう」
「まぁ、相手は普通の人間の衛兵なんだし、敵じゃないさ。よし、行くぞ!シャルディナとサイカを助け出すんだ!オー!」
「オー!」
アイザックの呼びかけに、俺以外は腕を上げて応える。
そして、強行突破の救出作戦が敢行された。
社に到着したのは昼頃になる。昼でも夜でも警備に変わりはないだろうし、飯時ならいくらか警備が手薄なのではないかと狙ったのだ。
物影に隠れながら、俺はジャルを連れて別行動に走る。
「じゃあ、俺とジャルはサイカの方へ行く。シャルディナの部屋は分からないんだが、サナリはあっちの方向へ向って行ったのは確かだ。健闘を祈る。用が済めば、すぐに追いかける」
「了解。行こう、シーヴァス、サリサ」
「うん!」
「はい」
すでに魔法で素早さを上げている、更にシーヴァスなどは星降る腕輪も装備しているから、全く心配はしていなかった。
シャルディナが正気に戻らなくても、連れ出す事は簡単にできるだろうと思った。俺はジャルディーノと二人でサイカの居た部屋を目指す。
「曲者だ!いたぞっ!!」
衛兵に見つかり、すぐさま無数の矢の雨が降るが、動じない俺はジャルの呪文を待つ。
「暫く離れていて下さい!バシルーラ!」
「のわああああああー!!」
「うおおおおおお〜!!」
殺傷力はないが、抵抗できない風の渦に衛兵達は飲み込まれ、何処か遠くまで吹き飛ばされてゆく。
「ジャル、次こっち」
「は、はいっ!」
一度見つかれば、絶え間なくわらわらと衛兵達は沸いてくる。しかしジャルのバシルーラに抗える能力の持ち主などいるはずもない。
「よし。上出来だ。こっちだ」
珍しく褒めてやって、俺は渡り廊下を土足でけたたましく駆けて行く。剣を手にして向ってくる奴らもいたが、殺さない程度に痛めつけて、昏倒させると踏み越えて進む。
ジャルは部屋の入り口で、追っ手を蹴散らすのに集中し、俺はふすまを壊しかねない勢いで横に引き倒した。
「サイカ!何処だ!」
「ニーズ殿!逃げ……!」
開けた視界の先には確かにアイツが待っていた。しかし、必要のない客も随分と部屋には呼ばれていたらしい。
サイカを縛りつけ、その前で、弓を構えた男達は数人一斉に矢を放つ。
「ぐはっ!!」
しまった。
どうして頭が回らなかったのだろう。俺たちは待ち伏せされてしまっていた。
一度に数十本の矢に撃たれれば、俺だって立っていられない。腕、胸、足と撃たれ、血を吐き出して俺は昏倒する。
「ニーズ殿っ!ニーズ殿ぉっ!嫌ですぅっ!」
「ニーズさん!」
足音は、ジャルディーノが慌てて駆け寄ってきた事を知らせる。が、その足音もぴたりと止まった。
「動くな!動けば撃つ!佐成様もだ!」
「えっ!、あ、サナリさん!」
俺は気づかなかったが、奥にはサナリも捕まっていたらしい。首元に剣を当てられ、人質にされていた。さるぐつわもされ、声も出せない。
「今だ!ひっとらえろ!神の裁きを与えるのだ!」
「ジャルディーノ、逃げろ……!」
「は、はいっ!ニーズさんもですっ!」
俺は一人で逃げろと言ったのだが、意思に反してジャルディーノは俺の前に庇うように屈み、呪文の詠唱に入る。
「佐成様がどうなっても良いのか……!?」
「えっ!…あっ!すいませんっ!」
「喰らえ賊めっ!」
俺たちを「人」扱いしない、奴らにとっては俺たちは「ガイジン」と言う名の魔物だった。剣を振り下ろす事に何の躊躇いもない。
万事休すか……!
斬りつけられ、ジャルディーノがどうと倒れる。すかざず大勢のジパング男が俺たちを囲み、その腕を押さえて呪文を封じるため、さるぐつわを噛ませる。
「やめっ!やめないかっ!やめて下さい……っ!!」
嫌がるサイカの声も人垣の向こうに遠い。
甘かった。後悔はもはや後の祭りで……。
++
「シャルディナ!何処だ!返事しろ!」
もう何度、しらみつぶしに部屋を開けて回っただろう。その多くが無人の空き部屋だった。矢を放ってくる奴らの迎撃はサリサとシーヴァスの魔法に任せ、剣を持って向ってくる奴は、俺が隼の剣で掃討する。
疲労も現れてきたが、広い社内での、再奥にたどり着く。そこの部屋からシャルディナらしき人影が騒ぎに顔を覗かせていた。
「いた!シャルディナだ!」
「あっ!待って!アイザック!こっちがまだ……!」
先行する俺をサリサは呼び止めたのだが、俺は一目散にシャルディナを目指して駆けつける。
「シャルディナ!助けに来たぞ!無事か!」
「アイ、ザック……」
ふすまから渡り廊下に出て、シャルディナは俺を出迎えて両腕を伸ばす。
「会いたかった……」
「っと……!」
そのまま、シャルディナは俺に飛び込んできて、俺もしっかりと受け止める。強く俺に抱きついたシャルディナは、ニーズの話とは違い、変わらぬ俺の知る彼女に見えた。
「助けて…。私、このままじゃ…。ああっ……」
「大丈夫!もう大丈夫だ!逃げよう!」
腕の中のシャルディナは苦しそうに顔を歪ませて、辛そうに俺を見上げると、身を乗り出して俺に顔を近づけた。
「ん、っ!?」
慌てて体を押して離すと、遅れて動揺が胸を襲ってきた。
「シャルディナ、今なにす……」
追いついてきた、サリサが槍を落として棒立ちしていた。
「なぁあっ!シャルディナ!やめろよっ!どうしたんだよ酔ってるのか!?」
「お願い、離さないで。私が、消えそ、う…なの…」
右手で口を押さえながら、熱に浮かされたようなシャルディナを、俺は狼狽しながら揺らしていた。
「アイザック、私、ね……」
サリサが、視線の隅で振り返り、背を向けて走り出すのがよぎる。視線を戻した時には、再び俺とシャルディナは口付け合っていた。
やばい。熱が移る!
押し付けられる身体と、唇が燃えるように熱いと感じた。
耐えるように俺は目を瞑り……。
ザクッ。
「うっ!」
背中に、またしても熱い衝撃が俺を襲う。薄目を開ければ、シャルディナが声色を変えて囁いた。
「オロチに逆らう者。皆殺す……」
「シャ、シャルディナ……」
シャルディナの瞳は翳り、血塗られた短剣が不似合いに握り締められていた。俺はよろめくが、痛みに耐えて短剣を奪おうとする。
「正気に戻れっ!シャルディナ!!」
「神の娘は渡さぬぞえ。残念だったのう…。戦士よ」
反射的に、背後からの女の声に振り向けば、いつの間にか後ろに迫っていた女の瞳が鋭く紅い閃光を放つ。
「ぐわぁっ!」
シャルディナのいた部屋から出てきたようで、その黒髪の女は、くつくつと恍惚に高く哂う。俺は目をつぶされ、頭を貫く激痛に横に倒れる。
そのまま何かに足を噛み付かれ、ずりずりと部屋の中に引きずられていった。
「力のある者は美味い…。神の娘の男は、神の剣の持ち主か…。面白いのう…。ほほほ」
舌なめずりの音がする。ぴちゃり、ぴちゃりと。
何かの獣がざわめく気配に身の気がよだつ……!
「卑弥呼、様。彼は、食べないで、下さい。お願い、です……」
動けない俺の元に、シャルディナらしき手が二つ触れる。泣いている声にも聞こえていた。
「おのれ。術に抗い、わらわに口出しをするか」
「お願い、です。私は、構いません。でも、彼、は……」
「お前はわらわのモノぞえ。他の男なぞ心に残しておいてはならぬ。この男など身を引き裂いて、骨まで喰らい尽くしてくれる」
「お願い、です。彼を、見逃して、下さるなら……。全ての、『オーブ』の場所を、お知らせ、します……」
泣いて懇願する、その言葉に女の声はぴたりと息を潜めた。
「そうか、そうか。ようやくその気になったか。ようしようし。さすがわらわの妻よ。神の娘よ。男の一人くらい、オーブに比べればカスに過ぎぬわ。ほほほ」
二人の気配は、早急に俺の傍を離れて行く。
「卑弥呼様!賊を捕らえまして御座います!エルフの娘と僧侶の娘です」
遠巻きに、嫌な報告がされていた。卑弥呼の前に二人は縛られて突き出されていたようだったが……。
「娘は特別じゃ。力のある生娘はいくらおっても困らぬぞえ。生贄の娘と共に夜明けに洞窟へよこすのじゃ。今宵はほんに楽しみじゃのう…」
「賊には男達もいましたが、どうなさいますか」
「男どもは、神への反逆者によって、明日見せしめにしてくれよう。それまで牢にでもぶち込んでおけ」
「はっ!」
シャルディナに届かぬように、卑弥呼は衛兵に耳元で指示を囁く。
「すぐそこにも一人戦士が倒れておるぞ。彼奴も捕らえよ。あの男は容易く殺してはならぬ。最もむごたらしく殺せ。今すぐ町中に杭を立て、貼り付けよ。夜明けとともに矢を撃ち、槍を撃ち、火あぶりにするのじゃ。良いな」
「…はっ。ははー……」
余りの非道な女王の言葉に、恐れおののく周囲の姿が容易に頭を掠めた。
畜生…。目も何も見えなければ、体も思うように動かなかった。
「シャルディナ……!」