今夜、一体何度目の戦闘になるのか、しかし、確実にこの女だけは最凶と言えた。
 銀色の長い髪を揺らし、燃えるような赤い双眸を歪ませる事も無く、幻のように全ての剣戟をするりするりと擦り抜ける。

 最初に立っていた位置から殆ど動く事も無く、しかし衣服さえ汚す事もできていない俺達は次第に焦りを感じていた。女一人に寄ってたかって攻撃しても、こんな有様だ。

「メラミ!!」
 一際大きな炎の塊をシーヴァスが飛ばす。しかしそれはユリウスの差し伸べた手の平でスゥッと不可解にも飲み込まれてしまった。
「ハイそこ下がって下がって!イオラ!!」
「ぐはっ」
 大きな音と爆風を巻き起こす呪文。俺は壁まで吹っ飛び苦痛に呻く。
 今のはデボネアの奴だ。女目当てに助けてくれているのはいいが、爆風の去った後もユリウスは変わらない微笑みとともに、わずかに髪を乱しただけ。

「こいつ魔法が効かないんだ……!」
「今の貴方がたの魔法では効かないでしょう。皆さん援護に回って下さい!」
 女の吹雪から身を守る呪文や、速さを上げる呪文などを大人しく飛ばしていた賢者が魔法組に支持を出す。
 まだ攻撃はせず、俺たちの反応を見て楽しんでいるユリウスとは裏腹に、ワグナスは後ろでこまごまと多くの呪文をかけていく。

「ニーズさんいきますよ!バイキルト!」
 俺の体と、賢者から奪った剣が光を放ち始める。
「しょーがねーな。バイキルト!」
 嫌そうにデボネアがアイザックに魔法をかける。
「スクルト!」
 シーヴァスは防御力を高める呪文。サリサはピオリムの呪文。

「貴方がたの二人の剣なら届くはずです!」
 俺は賢者から奪った剣、アイザックは見たこともない剣を何処からか持ってきていた(隼の剣)。それならこの女にもダメージを与えられるか     

 殺されたニーズの恨みだ!
 魔法によって素早さも上がり、攻撃力も上がった剣で腹立たしいこの女を追い続ける。捕らえた!と思っても、剣は空を斬り、耳元で女の含み笑いだけが俺を笑った。
「くそっ!!」
 アイザックの剣は奇妙な剣で、どうやら二回攻撃ができるらしい。それでも俺達は女を笑わせることしかできない……!

「メラゾーマ!!」

 俺とアイザックとの攻撃の隙間をついて、壮絶な炎のうねりが女を飲み込んだ。
 炎は離れても尚焦げるような灼熱の炎。そのまま天井を溶かし、上階への穴までも生み出す賢者ワグナスの強烈な呪文。
 知ってはいたつもりだったが、相当な魔法の使い手だよ。

 これでも無傷か……?
 轟音を立てて燃え上がる炎の渦にそれでも俺は警戒していた。それでもあの女は笑って出てきそうな恐ろしい予感がしていたんだ。
 炎から仲間達はそれぞれ距離を取る。

「や、やりましたかね……?」
 後ろで隠れていたナルセスが恐る恐る顔を出して、誰にともなく声をかけた。答えたのは同じく傍観していたもう一人のエルフ、シャトレー。
「これからだろーよ。全員ここから帰れないかもね」
「な、なんてこと涼しい顔で言っちゃうかなこのエルフはっ・・・・!!」
 ナルセスの悲鳴も束の間で、急激に炎が鎮まり、案の定ユリウスは髪の毛一本すら焦がさずに現れる。
「さすがに熱かったです。少し、汗が出ました」

 おそらく全員に襲った戦慄。
 ユリウスは大きな銀の鎌を携え軽く跳躍した。      ように見えた。

 次の瞬間、俺の眼前は赤く血飛沫で染め上げられた。
 自分の血じゃない。すぐには理解できなかったが、俺への鎌の攻撃をワグナスがフォローに入って負傷し、そのまま鎌を押し返す。俺の後ろで石の壁が切り崩され、音を立てて崩壊した。岩をも鋭利に切り裂く恐ろしい死神の鎌。
「あなたいつも邪魔ね。ルビスのハエ如きが」
 鎌の連激を杖は受け止め、ワグナスはそのまま一人でユリウスの押さえに入る。

「ベホイミ!」
 受けた傷にはすかさず僧侶の回復呪文が飛ばされた。しかしこのまま傍観しているわけにもいかない……!
 
「…もうそろそろ、行かなければならないわ」
 不意に死神がそう言って賢者を鎌で吹き飛ばし、ワグナスは音を立てて石の壁に激突する。
「あなた方にはこれを置いていってあげます」
 ユリウスは姿を消すが、その代わりに蠢きだす床から氷の塊が這い出して来る。
大きな氷の塊の魔物で、命が与えられたのか現れた目は赤く光り、氷の腕が床から這い出して冷気を吐いた。それが三体。氷河魔人と評される大型の魔物。

 ワグナスは自力で立ち上がり、消えた死神の後を追うようにして姿を消す。

++

 長い夜が続いている。
 決してもはや、太陽がこの地に注ぐ事はないだろうと思っていた。
 太陽は失われたのだ。「彼女」の去ったあの日から。
 取って代わった代身の太陽は、昇るごとに自分の心に憎悪の炎を灯らせていった。

 あれはいつの日だったのか……。
 墓守りの一族であった僕の前に、運命の如き「死神」が現れたのは……。
 出会った時は、もちろん、その女が魔物であったとは知る由もなく、ほんの三、四歳だった自分にはただの綺麗な娘に映っただけだった。

 怯えた子供に死神は笑って、同じ年くらいの子供に姿を変えた。確かな記憶はないが、安心して、幼い自分は彼女に親しみを覚え、騙され利用される事になったのだ。
 僕は闇の教えに飲み込まれ、暴走し、止めようとした両親を害した。

 狂気に走った僕を止め、救いを与えてくれたのは、「ラーの化身」と謳われたセズラートその人。彼女は母親として、心を閉ざした僕に優しく強く、愛を与えてくれた。
 闇の証は消えないが、僕ならば押し寄せる闇に強く立ち向かっていけると彼女は信じた。何度もそう僕に言って聞かせたものだった。

 そんなことはない。
 あなたが生きていてくれたのなら、それも叶ったのかも知れないが。小さなジャルディーノでは僕の心は救われなかった………。

「僕が、全てを浄化します」

 小さかったはずのジャルディーノが、恐ろしくも大きく巨大な壁となって立ちはだかっている。そこに存在する奴の巨大な力に自分は今、重圧に立ち上がることもできず、床に押しつぶされ顔を歪ませている。
 それははからずも苦痛のせいではなかった。

 自分の信じた力でさえ、悪魔の力でさえも、殺したいほどに憎んだ奴の前ではこんなにも無力なのかと思い知らされた屈辱からだ。
 悔しい。これが、「神」の力か。

 魔王の眷属の力を借りようが、神の力には届かないというのか。
 ここまで圧倒的に力を見せ付けられるなら、こんな無様で滑稽な策略もしなかっただろうよ。その力以外、まともに作業もこなせないような無能な従兄弟に、痛烈にも敗退させられるのならば。

 用意していた魔法陣は、ジャルディーノの唱える破邪の呪文に抵抗しているが、その飛び散る火花も空しく儚く感じる。
 ニフラムの範囲は限界が無いように何処までも拡がってゆき、この墓中をついには捉えた。永く、永く滞っていた数々の怨念を、呪われた魂たちを、聖なる手はそっと包み込み、空へ上げて行く。

 もう何もかもが馬鹿らしいように、静かに、簡単に、優しく。
 ジャルディーノの聖なる手は墓の外にも届くようだった。

「もう。悲しまなくていいんですよ」
 聖なる手の持ち主の声は遠く、そっと小さな鈴の音のように響いて聞こえる。

「僕が、あなたを許します。僕が、あなたを守ります。僕が、あなたを愛します……」
 個人に伝える言葉ではなかった。その中に僕も含まれる、この墓に執り付く多くの嘆きの魂たちに語る言葉。
「僕が、道をつくります。大丈夫。僕が、あなたを信じます……」

「ううっ……!」
 背中が、焼けるように熱い。刻まれた黒十字の痣が浄化されることを拒み、炎を吹き上げているようだった。もう、十数年にも及ぶ、この痣は消えるのか?
 セズラートには消せなかった「印」が、今ジャルディーノの手に抗い咆哮を上げ始め、我慢できずに僕は床をのたうち回った。
 プライドも保つことができずに、激痛に転がるさまはどんなにか惨めに見えたか。
 死んだ方がまだましだと思えた。

「マイスさん。痛いですか。ごめんなさい……」
 床に爪を立て血の跡を残す、その手を掴み上げジャルディーノは目を伏せた。
「貴様……。例え闇から解放されようが、それでもお前への憎しみは消えるわけはない。感謝もするものか。そんな同情じみた視線は侮辱だ……!」
「かまいません。それでもいいと思います。僕は、マイスさんが大好きです」

 また、従兄弟は笑う。
 消せない。その笑顔をお前から消し去ることはもう出来はしない。死ぬまでその無敵さを恨むだろうよ。

 自分の力が消えていくのがわかる。
 この墓が浄化されていく。背中の証が消されていく。
 すがっていたつもりはなかったが、力は僕の誇りになっていた。

 痛みは薄らぎ、朦朧とした意識の中で、ジャルディーノは力を失った僕の体を仰向けにさせ、この手に温かいものを握らせる。

・・・・・!」
 手はそれを持つ事を拒絶した。
・・・今まで、何も言いませんでしたね。マイスさん」
 意識とは裏腹に、震え始めた手を取り、強く赤い光を握らせてジャルディーノは呟く。
「お母さんのことすごく求めていたのに、マイスさんはこの石を欲しがったりしなかったです。どんなときも」
・・・それは、お前に残したものだよ」
 手にしたことのなかったその赤い石は、泣けるほどに温かく思った。

「すり替えるにも、ドエールにさせて・・・。お母さんは、マイスさんのことも見守っています。いつも、どんな時もです」
 いつから、記憶の中の彼女は哀しいものに移り変わった?
 こんなに胸の締め付けられる美しい微笑みは。

「僕一人じゃないんですよ。お母さんはみんなのお母さんです」
 僕の心情を知ってか知らずか、ジャルディーノは無邪気に笑うのだった。

 やはり、ジャルディーノ、お前は羨ましい奴だよ。憎らしいほどにそう妬む。これだけの温かい想いに、いつも包まれていたお前は。
 何故今の今まで、この石に触れようとしなかったか……?
 お前を憎んだ僕が、触れられるはずもない。彼女への罪悪感がそうさせてきた。

 解っているさ。ラスディール以上に、無能な兄であったと自覚はしていた。
 お前にセズラートの代わりはできない。
 求めることは無意味だったのだ。
 兄として弟を守る事も考えたことも無かったよ。

 彼女には謝ろう。自分は弱かったことを。
 幼稚な過ちでした。申し訳ありません………。

 彼女の光に包まれながら、いつからか忘れてしまっていた、優しい眠りの中に自分は堕ちて行く。
 遠い日に彼女の腕に抱かれた子供の安らぎのように、今は眠らせてくれ。

++

 追った銀の死神は、そのまま赤毛の少年の前へと降り立ち、冷めた微笑を浮かべていた。静かに眠る神官マイスの首に首飾りが光り、少年はその横で死神と対峙しようとしている。

ガラガラガラ・・・!ズドン・・・!
 無造作に切り崩された壁は、銀髪の彼女が鎌で切り崩したもの。土埃も甚だしく、しかし少年は身じろぎもしなかった。
「まぁ…。すっかり懐柔してしまったのね。私の従者も、この墓の亡者達も」
 彼女は芝居じみて残念そうに語ると、けれど次の瞬間には殺意に瞳を閃かせる。

「あなた、アリアハンでも邪魔してくれたあの時の子供ね。あの時はこちらも不意の事で、他にも異常事態がありまして帰りましたけれど、何度もそんな幸運はありませんよ」
 少年の怒りも何処吹く風に、彼女はクスクスと微笑んだ。
「…僕も、許しません。アリアハンの襲撃も、ノアニールの呪いも。ニーズさんのことも、そしてずっとマイスさんを苦しめてきたことも!」

 私は彼の後ろに現れると、彼の大事な従兄弟の兄と親友の二人を抱え、一度この場を離れ、二人を安全な場所に運ぶ。そして戻ると、少年は見たこともない力強さで赤く光り輝いていた。

 ジャルディーノさん、いえ、「今の彼」は違うのかも知れません。
 その眼差しはこの私でもひざまづく思いに駆られます。

「人に、神の力など扱えるものではないのよ。可哀相なくらいに脆弱ですもの。力に溺れ、自ら破滅していくのね。哀れな子」
 死神の鎌が閃光を放つ……!
「スカラ!」
 私の呪文に彼は防御力を増やし、その剣で鎌を受け止めたかと思うと、驚く彼女に光る剣で美しい弧を描き返す。

     !!」
 長い間追っていた、それでも決して見ることの出来なかった彼女の驚愕の表情。
 私もまさに戦慄していました。他の誰でもありません。目の前の少年の姿をした太陽神の化身に。

 彼の力を伝えた赤く光る剣は、まるで紙を切ったかのように鮮やかに、死神の体を切り裂き、その体を肩から二つに裂き分ける。
 しかし本来なら流れるはずの赤き血潮は見られない。

 そう、私は初めて彼女の正体を知ったのです。
 切り裂かれた体の断面は真っ暗で、彼女は衝撃の表情だけ浮かべ、痛みに声をあげることもなく棒立ちしていました。
 彼女にダメージを与えたことはない私は知らなかった。彼女は実体のない闇の魔物なのだと言うことを。そしておそらくはこれは本体では有り得ないでしょう。

    そう思われました。
 と、いうことは彼女の妹というフラウスさん、彼女もそうなのでしょうか。余計な思惑に捕われている間に、ユリウスさんは笑うのを止め、おそらく本当の感情に顔を歪める。

・・・・驚きました。さすがに、神々も本気になったということですね」
 切られた半身は光によって浄化され、彼女は半身のないまま、赤毛の少年から一歩後じさる。

「ユリウスさん、貴女を追っても捕まらないはずです。貴女の分身にしか私は会っていなかったのでしょう。いつも私は翻弄されていた訳ですね」
 言われた彼女は鼻で笑い、憎しみを込めて嘲り哂う。
「私が会うのは愛しい勇者だけです。ルビスの小間使い如きに、ラーの化身如きに、私の姿など見せるものですか」
「なるほど、ますますニーズさんはあのままにはしておけませんね」
 私は杖を構え、例え分身と言えどもここで消し去る意志を見せた。

「メラゾーマ!!」
 再び、たいした効果はないと知りながらも、半身を失った彼女の分身は力を削いでいる可能性にかけ、呪文で攻撃する。連続して私は自分にピオリムの呪文をかけ、素早さを高めてもう一度攻撃呪文を降りかける。
 傍にいたジャルディーノさんは炎から距離を取り、目を伏せ、静かに息を吐いたようでした。

「ジャルディーノさん…?大丈夫ですか」
 恐れ多くも声をかけても声は届かないようで、彼は何かに耐えていたようでしたが、急に小さな体が激震をかもし始める。
 震える彼は息も絶え絶えで、実は彼には余裕はなく、私が肩に手を当てるとがくりと足はくず折れてしまった……。

「う…う、ワ、ワグナス、さ、ん……」
 小さな彼は、その身に偉大な力を抱いていたとしても、やはりまだ少年だったのです。私にも達っせられない彼女への攻撃を鮮やかに決めても、急激に彼の体力は削られていたのでしょう。
 いつの間にか顔は青白く、震える体からは苦痛の汗が線をひいていた。
「イシスは、イシスも、僕は、守り、たい……!」

「わかりますよ。わかりました。無理はいけません。これ以上は貴方の身がもたないでしょう。もう充分です。あとは私がなんとかしましょう」
・・・・なんとか……?してみて下さいませ」
 炎の中から、やはりそのまま髪すら焦がさない死神の微笑みが覘く。
 軽い彼女の跳躍一つ、ジャルディーノさんを抱えた、私の眼前を銀の閃きが掠って行った。

ドカァッッ!!
 衝撃と共に、ジャルディーノさんともども壁に討ち付けられてしたたかに私は流血する。壁は崩れ落ち、この薄暗い部屋の方々でもはや壁は境の意味を持たなくなっていた。瓦礫の中で、ジャルディーノさんを片手に、私は襲い来る次の閃撃を杖でがちりと押さえ込む。

 杖は悲鳴を上げていた。特殊な樹木で造られたこの杖は死神の鎌でも折られはしないが、それでも防ぎきれない激しい振り下ろしの連続に火花を散らして悲鳴を上げる。
 右から、左から、上から。少年を抱え逃げる事の許されない私は瓦礫を背に、徐々に追い込まれ後が無くなってゆく。

「賢者ワグナス。貴方もそろそろ潮時かしら。お可哀相に。貴方もまだ完全ではないのですものね・・・
 クスクス。妖しくも美しい彼女が、半身の身で余裕で微笑む。

「そんな子、置いて逃げればまた出てこれるでしょうに。あの海賊さえ生きていれば」
 私の事情を知る死神は面白そうに含んで笑う。
「ミュラーに手を出したら許しませんよ」
 死神の物言いに私もついには笑みを消した。

 明らかな殺意に、もう一度私は覚悟を決める。
「可愛い人の子、貴方には可愛くて仕方がないのでしょうね…。あの海賊の娘」
 私への挑発、けれど冷静さは失わなかった。
 杖を回転し赤い瞳の死神を討ち付ける。立ち上がって早口で呪文を続けた。
「イオナズン!」
 一歩彼女が引いた隙に、飛び退いて爆発の呪文を撃ち込む。しかし彼女はふわりと音も立てずに眼前に浮いていた。

「うっ……!」
 鎌に引っ掛けられ、回転して杖が手を離れる。杖の落ちる音もまだ届かないうちに、彼女は私を貫いていた。
 ニーズさんに剣を渡したため、杖以外の武器は私にはない。かろうじて体をひねり、ジャルディーノさんに銀の刃が届く事はなかったが、私は人であったなら即死する程の重傷を刻まれた。

「ワグナスさん……!!」
 もはや意識もおぼろげなジャルディーノさんが慌てて彼女を睨む。
「真空よ    !バギ!」

 真空の呪文の中でも下位の呪文であったが、今の彼の魔法力はどれ程のものであるのか。小さな風のうねりはすぐさま信じられぬ豪風の竜巻と変貌し、周囲を刻みつけながら豪快に死神の姿を飲み込んだ。
 天井を突き破り、上の階の部屋を抜け、竜巻は周囲の壁を粉々に砕いて撒き散らした。ピラミッドが崩れる……!!

 彼の破邪の呪文により、悪しき魔力の消え去ったこの墓、今内側より揺らごうとしていた。竜巻の去った後、更に体をズタズタに切り裂かれた死神が憤怒で髪を逆立て、仁王立ちをしているのが砂埃の中に微かに見えた。

「貴様・・・。許さぬ。その子供だけは殺しておかなければならぬ・・・!」

 美しい姿の死神はもう消えていた。狂気にかられた恐ろしい悪鬼がまた私達の元へ飛び掛って来る!

ズバァッッアアッ!!
「あああああああああああ!!」

      叫びは、死神のもの。

 声も出せなかったジャルディーノさん、そして密かに覚悟していた私に、死神の鎌は到達せずに床に落ちた。
 死神の前を閃光のように駆け抜けた黒い影、破れたマントを翻して私達の前にその後姿を晒した。下の氷河魔人を倒して駆けつけたのでしょう、私の誇る勇者の後姿に憧れさえ覚える。

「お前・・・・!お前の様な駄作に私が……!」
「うるさい」
 駆け抜けた黒い影はアリアハンから旅立った勇者。ニーズさんは短く一言だけつまらなさそうに告げるだけ。
「こっちもいるぜ!」
 崩された壁の向こうから、もう一人の剣士が隼の剣を携えて名乗りを上げる。頼もしい、勇者の仲間達もそこにいる。

「ニーズさん、今なら彼女を討てます!援護します!」

「おのれ・・・。虫けら達が・・・。なんていう屈辱・・・!お前等全て残らず皆殺しだ・・・!!」

「ピオリム!ピオリム!」
「バイキルト!」
 私の呪文の後にシーヴァスさんが呪文を続ける。
「スクルト!」
 そしてサリサさんの呪文。私に支えられたジャルディーノさんは力尽きたのか眠っている様子。かつてこの場所が部屋であった頃は、魔法が使えない結界が敷かれていたようですが、部屋が崩壊した時点でその術は無効化されていた。
 今は仲間達でも呪文の効果が現せる。

「小賢しいっ!!」

 攻撃をしていたのはニーズさんとアイザックさんの二人、私はその間に自分にベホマをかけていた。暫くは動けないが魔法は使える。
 しかし死神は鎌を落したままに一睨み。凍てつくような波動が彼女から押し寄せて体を震え上がらせる。

「…なんだ…っ!?これ……!?」
 全身の毛が逆立ち、足先、指先まで氷水に使ったように一気に冷え切った。体が竦み上がり、戦士も膝を折る。魔法に疎いアイザックさんは解らず往生したが、ニーズさんは察して、死神を恐れの視線で凝視した。
「魔法が消された……!」

「もう一度行きますよ!」
 不可解な、そして恐ろしい力を持つ銀の死神、また新しい彼女の能力に怯えている時間は無い。例え眼前の彼女が本体ではなくても、これを消せば確実に彼女は力を僅かでも失うでしょう。
 再び援護の呪文が飛び交う中、二人の剣は確実に死神を追い詰めて傷を負わせていた。

 私は死神に弾かれた杖を拾い上げ、タイミングをじっと待つ。
 彼女は半身を切り落とされ、そして真空の竜巻に引き裂かれ、しかし一滴の流血も有り得ない。彼女は実体の無い闇の魔物。切られた断面も真っ暗に見えるだけの邪悪な存在。

 アイザックさんの持つ隼の剣には主神ミトラの御力が。倒すべき敵に反応したのか隼の剣はうっすらと淡い光を浮かべていた。
 そして彼女に傷を与えられる武器はこの場にはもう一つ、この私の杖。

 息の合った勇者と戦士の連携攻撃の前に、死神はまた手にしていた鎌を落とされる。
口惜しそうに呪文に入ろうとした彼女の足を勇者ニーズが切り落とした。

「今です!!」
ビュンビュンビュン!!ザスッ!!

 私の投げた杖は旋廻し彼女に深々と突き刺さった。
 足を失い杖を胸に、彼女は声を上げる間も無くがくりと膝を折り崩れる。

 アイザックさんは見逃さずに二回攻撃を繰り出す。切り外された部分は幻だったかのようにじわじわと浄化して消えた。

 もう後の無い死神の、恨めしそうな瞳に映っていたのは、彼女が蔑む偽の勇者。
「…覚えていなさい。この屈辱、この恨み、私はまた憎悪によって力を得る。あなたは効果的に殺してあげるわ……」
「うるさい」
 無造作に振り下ろした剣。彼女の分身は痕跡も残さずに消失していった。

 私の耳元、吐息のような笑みを零す、ジャルディーノさんの目の端から雫がこぼれる。これでこの戦いが終った。それを知った彼は完全に意識を失った。
 小さな体で余りにも大きな仕事をやり終えて。


 このイシスに帰ってからまだ数日、次々と起こった事件にも臆せずに、誰を恨むこともなく、身近な二人の裏切りにも心を曇らせずに。
 その優しさで、二人の心を許し救いの手を差し伸べた。

 ピラミッドに宿っていた悪しき怨念達の全てまでをも浄化。イシスに残されていた呪いは見事に彼によって天に昇っていくのを確認している。今夜イシスの町を襲っていた亡者達も、ピラミッドの力と神官マイスの力の喪失と共に終結したことでしょう。

 頭の下がる偉業の数々です。自分にもそこまでの力はありません。
 太陽神ラーのもたらした、赤毛の少年はまさに「ラーの化身」だったのです。

 勇者もがくりと座り込んでうな垂れた。
 誰もが戦いの終わりに疲れをあらわにして脱力していた。

「お疲れ様です」
 いつものように私は優しく、誰にでもなく呟きます。
 一つの戦いを終えた、勇者達に心からの労いを込めて。

・・・・ワグナス……。後で説明しろよ。全部どうせ知ってるんだろ?」
 疲れに床に身を投げ出して、ニーズさんが私に言葉を求めました。
「一体あの女は何なのかとか。どう収拾ついたのか、とか。…どうせ、ジャルディーノはあの二人を許したんだろーけどよ……」
「そうですね。ゆっくり、今は休息すべきでしょうね。その後で説明致します」

 派手に崩されたピラミッドを後にすべく、簡単に怪我を治し、勇者達は残された仲間の元に集まった。 神官マイスとドエールさんを見ていたナルセスさんの元に。
「すみませんが私も休息が必要です。また明日にでも顔を出しますね」
「とか言って逃げるなよ?」
 釘を刺す勇者さんに笑顔を返し、私は姿を消していました。
 私も余りに多くの力を失ったがために。

++

「ドエール、帰ろう。一緒に帰ろうよ」
 駆けて来て、君は僕の手を引いた。
「帰れないよ。ジャルディーノ一人で帰って」
「……嫌だよ。一緒に帰ろう」
 淋しそうに、ジャルディーノはしっかり手をつないだままに僕を見上げた。

「…僕は、死んだ。それでいいんだ。…君は、生きて。生きて、君には、やりたいことがあるんだろう?」
 君は勇者と共に行かなければ、そしてそれは君が決めた事だ……。
「僕はもっとドエールに幸せになって欲しいよ。なれるはずだよ」
 唇を噛んだジャルディーノの瞳には、もうこぼれそうな涙がたまっていた。

「ごめんね。ドエールのことわかってあげられなくて……。またやりなおさせて。ドエールのために僕も一生懸命考えていくから。帰ろう?また一緒に友だちとして、過ごしていきたいよ……」
 ねぇ……。
 どうして、君の方が捨てられた犬のように、僕に哀願してくるんだろう……。

 頼みたいのは、僕のほうだよね……。やりなおせる?やりなおすなんて僕に許されて、はたしていいのか……。
「君には、叶わないな……」
 まだ、友だちでいていいんだ……?
 引かれた暖かい手、また離す事の方が君を悲しませるの………。

 暗い、君のいない遠い場所へ一人向かおうとしていた僕は、体を君の方へ回転させた。多分、これから、罪を償いながら生きていく事の方が辛いことだと僕は知っている。君も旅立つ中、また孤独で辛い日々が待っているんだろうな。
 それでも、僕は生きていく事ができるだろうか。
 誰か一人でも信じて、君を信じて、生きていく事ができるだろうか。

 ・・・・怖いよ。自信は全く無い。
 それでも…、僕にもそんな自分を悔しく思う気持ちぐらいある。
 もうここまで落ちぶれることは無いさ。後は這い上がって行けばいいだけ。
 頑張ってみようか……。自分を信じてみようか……。

「うん……。帰るよ……」
 僕はとてつもなく遠い過去に置き忘れていたように、微笑む事を思い出した。
 両手を握り締めてジャルディーノはボロボロと泣き崩れた。子供のようにしゃくり上げて、鼻をすすって大声で泣いた。

「淋しくさせてごめんね。ごめんねドエール……!」
「謝るのは僕だよ…。ごめんね、ジャルディーノ…」
 二人で歩き出すと光が見えて来た。誰かが呼んでる声がする。光が近づく…。


「ドエールさん…!ドエールさん気がついた……!」
 僕の視界に入ったのは、明るい瞳のナルセスさんだった。
 状況を掴むのに数秒かかったけれど、場所はすぐにわかった。石の壁から、まだピラミッド内部だったと知る。体に痛みは無い。

 視界の端に介抱されるマイスさんの姿が映っていた。彼はまだ気を失っているようで、しぶしぶ勇者が担いで行くようだ。僕達を連れて、この場を移動しようと動き出す仲間達が見える。

 けれどジャルディーノの姿が見当たらない。
「ジャルディーノは……」
「あ、無事ですよっ!あっちで眠ってます」
 僕に肩を貸して立たせてくれる、ナルセスさんが指差す先に戦士アイザックさんがいて、彼がジャルディーノをおんぶしていた。

「あ…。大丈夫、自分で、立てるよ……」
 離れようとすると、ナルセスさんは心配そうに顔を覗き込んだ。
「無理しないで下さいよ…。その、遠慮なんかしないで下さいよ」
 僕は、首を振って彼から離れた……。
「すみません。ナルセスさん…。生きていてくれて本当によかった……」

 深く頭を下げ、返事に困るナルセスさんと、回りの仲間達が僕に気付いて立ち止まるのを気配で感じた。自分の下した罪は許されるものではない。全員が無事で本当によかったけれど。
 僕は床に両手をついて頭を下げた。
「僕は、これから、イシスに帰って罪を改めます…。皆さんには、心から謝罪します。申し訳ありませんでした……!」

・・・・・・
重く包んだ沈黙、ナルセスさんがそれを破る。

「えっと、だからぁ、やめて下さいよー」
 困って、思い空気を振り払うように、陽気な声色を作って彼は僕を立ち上がらせた。口の中でもごもごと次の言葉を選んで、でも、苦笑だけれど笑顔を向ける。

「ジャルディーノさんは、許したんでしょう?だからそれでいいんですよ…。俺は…、そう思います。いや…、なんてゆーか、今は、ただ…。ホント皆無事で良かったですよ。それだけでいいじゃないですか…。ドエールさんも本当に無事で良かったです。帰りましょうよドエールさん……」
 彼にも戸惑いはある。でも、僕を受け入れてくれようとしていた。
「俺にもむかつく所はあったんだろうし。なんか、刺されたどーのこーのよりも、なんか哀しかったと言うかで……」

 彼は、陽気で、僕に親しみを覚えていてくれたことはわかっていた。けれど僕はそれを利用したし、踏み躙った。彼も悲しませたのだと初めて知る……。
 本当に僕は馬鹿だったんだ……。

「あ、でもですね。責めてるんじゃないですよ。勘違いしないで下さいねっ!どちらかと言えば、まだドエールさん信じてる方が強いんですから」
「ありがとう……」
「私も、気にしていません。帰りましょう、ドエールさん……」
 僕が死の言葉を投げた、シーヴァスさんも僕に優しい言葉をくれた。

「もたもたしてんじゃねーよ。来ない奴は置いていくぞ」
 しぶしぶマイスさんを担いでいるニーズさんが、トゲのある台詞を残して歩いて行った。その後に続くアイザックさんも、サリサさんにしても、わだかまりは残っている。
 それでも、僕は帰ると決めた。

 ・・・行かなければ。


 僕は一番最後にピラミッドを出た。
 先頭にニーズさん。後に仲間達と知らないエルフ二人。そして僕。

 墓の外に出るともう夜が明けて、砂漠の向こうに朝日が光を放っていた。太陽の光は眩しすぎて、僕の汚れた全身に痛く熱く、罪を裁くように感じられた……。

 また太陽を見ることになるなんて、思っていなかった。
 また「君」に会えたね。嬉しいよ……。
 朝日をこんなに眩しいと思ったことはない。太陽の光がこんなにありがたく思ったことはない。僕の望みは、太陽の光を独り占めしようとする行為のようなものだった。
 それは無理な願い。

 でも、いいんだ。
 必ず太陽は昇って来るんだと、それだけを信じればいい。信じて待てば、必ず夜は明ける。辛い淋しい夜は、いつまでも続かない。
 朝が来て、また夜は来るけれど、また朝はやって来る。その繰り返し。

毎朝「君」に会えるね。ありがとう……。


 今日の朝日に僕は誓おう。今日から生まれ変わった僕が、新しい僕になる。僕は変わっていける。誰かを愛して、信じていくことが、きっとできる。
 「君」がいる限り、僕は忘れないよ。

 毎朝の「太陽」が、僕の信じる「君」の優しさ。
 毎日「君」に感謝するね。ありがとう。

 砂漠は風も静まり、ひっそりと朝日の訪れを迎え入れていた。冷えた大気がゆっくりと熱を帯びていく。
 砂の上に残った足跡は、新しい自分の旅立ちの記録。
 いつも見ていて。僕は歩き出せるから。
 
 もう一度、君を思い始めたい。

++

 その晩、二月もの間、イシスの民を苦しめていたアンデット事件はようやく終結を迎えた。避難して王城に集まっていた民達はみな、ピラミッドの方角に赤い光の柱を鮮やかに崇めた。人々は感じていた。再度太陽神がイシスのために降り立ったのだと。

 東のアッサラームや、近隣の町ではイシスに太陽が落ちたと噂した。
 イシスの空が燃えていた。

 けれど、人にはそれは恐怖には映らなかったのだと言う。
 イシスの誇る「ラーの化身」の噂が、また世界に拡がる予感がしていた。
 小さな「君」、けれど大きな「光」を背にまた旅立って行く。

 また同じ様に笑って旅立って行くのだろう。
 今度は僕は、笑って伝えるよ。

「頑張って。元気でね!ジャルディーノ!」






太陽の国、眩い光の王国。
熱き砂と熱き風、全ては太陽神の恵みなり。

全ての光は、太陽神の伸ばした指先。
太陽の化身、降り注ぎ、民を導く道を拓く。

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