「そうですね、一度、話し合いを持てたなら、いいと思います…」 神妙に、妹はひと言だけを呟いた。散々俺達を苦しめてきた敵の魔法使いが、同じ『竜』族だったと知った、複雑な心境に言葉は濁る。 「……じゃあ、今度会った時は捕獲だな。説得というか…、話すのは二人に任せるよ」 女二人、シーヴァスとサリサを除いた者の総意見は「そういう事」で決まった。代表してアイザックが二人に伝え、俺も無言で肯定する。 女たちの優しさを突っぱねる事も出来ず、俺たちは様子を見守る。上手くいけばそれでいいし、戦闘になれば守るまで。 『竜』と云われれば、思うところはさまざまあるが……。 |
妹を休ませ、宿の別室で仲間と共に待機していた。
俺とアイザックとサリサの三人、待つのは先行して監獄島に向かった海賊兄弟、ミュラーとスヴァル。
二人の父親、勇者サイモンが流された監獄島は、すでに世界から隔離されて久しく、当然水も食料も届かず、生存者はいないと予想されていた。そんな島に姉弟は二人だけで向かい、いくばくかの時が経過している。
どんな凄惨な光景が広がっているのか……。あの二人に限って心配はしないが、明らかにサリサの表情は緊迫して強張っていた。
人知れず何度も隠れて祈るのは、二人の父親の無事なのだろうな。
案じているのは姉の方なのか、それとも弟の方なのかは、敢えて聞くまでもない。
衰弱した竜二人の様子を、交代で看ながら一晩経ち、明朝、海賊姉弟は岬の村に戻って来た。一晩二人で島で過ごし、吹っ切れたのか、表情に悲しみの痕跡は見つからない。
宿の部屋に一同集まり、二人からの報告を待ち受ける。
「……ま、想像のとおり、死体だけだったわよ。掃除はしたけど、さすがに壁の染みやなんかはね……。行くにはあんまりお勧めしないわ。親父には会えたから安心して。タダじゃ死なないのよ、あの親父は」
いつも通りミュラーの言動はサバサバしていて、何処か人事めいている。彼女なりに平静を装い、結果そうなっているのかも知れないが。
「…どういうことだ?」
死んだのに会えたとは。矛盾する口上に問いかける。
疑問に答えるのは、相変わらず真面目くさった弟の方。
「ガイアの民は灯に還る。父は『灯』となりて、牢獄で俺達を待っていたんだ。そして、約束を果たせなかった友のことも……」
姉弟の視線は緩やかに、けれど熱き決意を抱いて同じ方向へと針を指す。
…そう、頼んでもいないのに、『俺』を真摯に捕らえる四つの瞳。
「オルテガの息子ニーズ、アンタに来て貰いたいの。うちの親父のご指名よ。他の奴は来ないでね」
死臭漂う島に他者を入れない配慮か、それとも別な狙いがあったのか。
解らないが『俺』限定で島へといざなう。
『オルテガの息子、ニーズ』という指名に、一抹の不安を覚えながら。
「遺言」
通称、祠(ほこら)の牢獄。数年間、隔絶された孤島には、すでに風雨に去らされ、潮にただれた寂しい監獄が廃墟となりて、勇者の来訪を待っていた。 生者はすでになく………。待っていたのは、ただひと塊の「炎」のみ。牢獄の中を進み、最奥の個室に辿り着くと、不自然な炎が一つ、冷たい床の上でゆらゆらと寂しく、はぜていた。 鍵の壊れた個室に入り、錆びたベットの前で燃える炎を見下ろすと、そこには人魂のように炎だけがぼうっと床で燃えている。 海賊姉弟の案内に従い、その人魂の前に立った。二人は獄中、終始無言だったが、ここでもまだそれは変わらずに、部屋の隅で大人しく見守っている。 「……なるほど。いわゆる人魂ってヤツだな」 死者の魂が炎のように、宙を彷徨うという逸話がある。世間一般では怪談話だが、ガイアの民にとっては事実、彼らは『灯』に還り、大地の底にたゆたう炎に戻るらしい。 勇者サイモンの体は果てど、魂は留まり子供たちを待っていた。 そして勇者オルテガのことも……。 「……。お前が、ニーズか……。エマーダに似てるんだな」 人魂はぼんやりと金髪勇者の姿を映し出し、俺を見つめるとニヤリと笑った。なるほどスヴァルは良く似ている…。息子より粗雑な印象の戦士の亡霊。不安定な実体だが、屈強な戦士たる風貌と、体躯はそのまま。 これが、勇者オルテガと肩を並べた、もう一人の勇者………。 老朽化した狭い牢獄内を自らの炎で照らし、親友の息子たる「ニーズ」に、彼は言いようのない懐かしさを込めて微笑っていた。 「………………」 正直、どう対応したらいいのか俺は迷い、すぐさま返事をすることが出来なかった。 俺はオルテガの息子ニーズじゃない…。『ニーズ』ならどう思うのか、どう反応するのか、想像を巡らしながら、結果として口ごもる。 勇者サイモンの視線、痛いな………。 顔を見せたくないと願い、マントを引き寄せ口元を覆った。 「すまなかったな……。こんなザマになって、オルテガとの約束の場所に行くこと適わなかった。二人に聞いたが、オルテガは火山に落ちて死んだんだってな。俺のせいだ。許してくれ」 霞む勇者は、深く頭を垂れて謝罪する。 「……別に、貴方のせいじゃないですよ。オルテガの力が足りなかっただけです。謝らないで下さい」 「……そうか。そうは言ってもな。俺には俺の責任というものがあるんだ。頼むぞミュラー、スヴァル」 子供等に促し、姉弟は頷くと、おもむろに、それぞれ帯剣していた短剣の柄を持ち上げた。姉弟愛用のガイアの神剣。炎を操り、時に地脈も視ると言うが……。 勇者サイモンの炎の中、チラチラと仄めくのは金属の光沢……。 光はやがて形を成し、一振りの短剣となって、炎の中から突き出て来た。ミュラーは柄を掴み、しかと受け取る。 「聞いてくれニーズ。俺とオルテガはネクロゴンドへの道を拓くため、バラモス城の東、火山の火口にて会う約束を交わしていた。ガイアの剣を火口に投げ込み、深きマグマの流れを操り、あの地域一体の地形を変えてやろうとしてな……。その約束は為されなかったが……。ニーズ、代わりに、俺のガキどもが、お前をネクロゴンド連れて行く」 「地形を、変える?」 そんなことを考えていたのか 地殻変動に合い、険しい山脈に覆われてしまったネクロゴンド城付近へは、現在人の足で行ける手段が見つかっていない。 『道が無いなら造ってしまえ』 しかし、語るガイアの民に冗談という素振りはなかった。 「信じられない」と開かれた俺の目に映る、力強く子供たちの肩を抱く勇者の姿。 「…悪いな、お前たち。分けた剣を元に戻す時が来たようだ。これまで使ってくれてありがとよ。友のために力を貸してくれ」 「……分かってる。ったく、一体何年待たせたのよ。っとに、ぐうたらなんだから」 父親から譲り受けた短剣と、自分のとを抱き合わせ、ミュラーは父親の肩に寄りかかりながら悪態をついた。その両肩はいつもと少し違い、か細く震える。 「必ず……、勇者を連れて行く。姉さんは必ず守る…」 そんな姉を必ず守ると、呟く弟の声は決意に熱い。弟は姉に短剣を渡し、ガイアの剣は娘の胸で一本の長剣へと、『真の姿』を取り戻してゆく おそらくは、今生の別れと、三人ともが知っている。 もう幽体との会話もこれきり。だからこそ、強く結び合う家族の炎は輝いて……。 サイモンの炎は、紅の光と化して家族を包み込み、 彼らは暫し、お互いの温もりを確かめ合っていたのだろう。 「……。さて。そろそろと逝くとするか。先にオルテガが待っているしな」 最期の戯れに終止符を打った、勇者サイモンはそっと離れて、人のいい笑顔をこちらに向けた。もの言いたげな瞳は暫し躊躇って…。 「エマーダは、元気にしてるのか?」 最後に、不意打ちだったが、勇者は旧友である母の名前を持ち出した。 「……はい。元気にしてます」 一瞬戸惑い、返事を考えてしまったが……。 「そうか。それはいい事だ。大事にしてやってくれ」 豪胆な勇者が、儚い微笑みを浮かべてうっすらと消えてゆく。床に灯る炎も、シュルシュルと音も無く燃え尽きた。 責任を感じていたのだろうか……。 牢獄の主は、この世を去った。訪れる無音の世界。 静寂 ………カチャリ。 沈黙を打ち破るように、ガイアの剣を腰に吊るし、海賊頭は威勢良く進む道を示してくれた。いや、むしろ、それは『俺に』ではなく、彼ら自身の道だったのかも知れない。 「行くわよ。火山の火口に。盛大な花火を上げてあげる」 |
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岬の村に戻り、勇者一行、そして私たち海賊団も、新たな旅立ちの準備に追われていた。 飛び出して来た祖国サマンオサに使いを出したり、ひとしきりルシヴァンの阿呆を説教したり…。火山へ向けての進路相談や荷材の確保。日中休まる時はなく、 一通りの準備が終わったのは、深夜の11時頃だったろうか。海賊船の自室で靴を脱ぎ捨て、どっとベットに転がり落ちる。停泊中の船の揺れに身を任せれば、そのまま静かに眠りに就ける勢いで疲労していた。 けれど、私には待ち人がいた。 この夜だからこそ、会いたいと願う「待ち人」を………。 私が部屋に落ち着いたのを見計らって、とても静かに来訪者はやって来た。 ドアを叩き、ドアの向こうで頑なに返事を待つ。気配で分かるけれど、相手は相当緊張していた……。 「開いてるわよ」 案の定、訪ねてきた人物は幼なじみのチェスターだった。幼少の頃からずっと傍にいて、海賊団でも、私達姉弟の参謀役を務めてくれている。闇に溶けるような黒髪を一つに纏め、いつも身なりを乱さない。よく言えば真面目、悪く言えば堅物。夜更けの訪問にも、随分遠慮がちに頭を下げる紳士だった。 「夜分失礼します、ミュラー」 「なぁに。チェスター。なんか忘れ物?」 用件は分かっているのに、敢えて意地悪く、けだるく答えた。枕元のランプを点し、眠そうに頭をかく。 「サイモンさんの事、残念でした……」 うちの親父の死を最も重く受け止め、深く悼んでいたのは彼なのかも知れなかった。 …まぁ、あくまでも表面上の話だけれど。うちの弟は諭させないタイプだし、私も、もう気持ちは落ち着いている。 閉めたドアの前で打ち震えて、こちらが声をかけるまで、彼は動かずじまいだった。 「何て言っていいのか……。悔しいです。もっと早ければこんな事にはならなかったのに……!」 「……ん。そうね。でも、分かっていた事よ。心配しないで」 後悔なら、いくらでも転がっている。 あの日にも。あの日にも。けれど所詮過去の話だ。 取り戻せないのだから、前に進むことしかできないのよ。 「……………」 神妙なチェスターは、何か言葉に詰まって、行動に迷っている振りが見えていた。ベットに座ったままだった私は、ひとしきり感知して、自分から「けじめ」をつけるべく動き出した。 「なぁに?もったいぶって」 立ち上がり、待ち構えるように彼の前に進み出る。…もう、その行動は、「観念した」と言っても良かった。 「………。本当は、サイモンさんが無事に戻って来たら、ミュラーとの事を許してもらうつもりでした」 「……………」 来たるべき告白。おそらく今夜、言いに来るだろうなと予兆していた。思わず眉間にしわが寄って、口がへの字によじ曲がる。 「ミュラー、私はずっと……!」 幼なじみは私を抱き捕まえて、思いつく限りに恋心を語ると、何度も何度も力を込めた。 何故だろう……。 温かい腕に抱かれながら、どうしようもなく涙が溢れてくるのはどうして。 父の死を嘆いているわけでもなかった。 無性に悲しくて堪らないのは、この腕が「アイツ」でないせいだと分かってる。 「…ミュラー。私と一緒になってくれませんか。ずっと私は、貴女のことが好きでした…。ずっと貴女の傍にいます。いつまでも、許されるなら……」 「……。そうね……」 抱きしめる腕を拒否しない。けれど私の腕はだらりと下がったまま。本当に掴みたいモノは、一体いつになったら届くのか。 薄い私の反応を見て、不意に彼が嫉妬に燃える。 「……アイツが気になるんですか。あんないい加減な賢者の事を……。アイツはミュラーと一緒になんてならない。いや、なれない。住む世界が違うんです。もう奴のことは忘れて下さい!想っているだけ、ミュラーが不幸になる!」 「……………。はははっ…」 必死な剣幕の彼を薄く笑って、その実、心の奥底で笑っていたのは「自分」だった。 アイツ自身からも、そう言って何度も振られてんのよ。 …別世界の、更に神の使いたる男を好きになるなんて。 多くの者は、叶わぬ恋だと笑うだろう。 でも、違うのよ。 私は、私が幸せになりたくてアイツを選んだわけじゃない。 忘れられないんだ。あの日、あの場所で、 「この世界には、朝が来るのですね…」 朝日に落ちた賢者の涙を 世界が違うなんて、言わないで欲しい。例えそれが真実であっても。 何よりアイツを悲しませる言葉だと解っているから……。 責める言葉はなくとも、滲む涙に気がついて、チェスターはハッとして言葉を塞き、苦虫を噛んだ。涙の意味は解らなくても、『誰のため』の涙なのかは察している。 心なしか腕を掴む彼の手は、悔しさに小刻みに震えていた。 「……。あと数年、待てる?…ううん、一年。半年でもいいわ。多分そんなに長くはない。アイツともうニ、三度ぶつかって、それでも駄目だったら諦める。アンタと一緒になる事にする。それでいい?」 「……!?本当ですか、ミュラー!」 いい加減、踏ん切りをつける、それが私なりの『けじめ』。 アイツという存在がなければ、彼を断る理由もない。 突然の申し出に驚き、その後で前向きに喜んで、幼なじみは「ほっ」としたのか、頬を紅潮させて笑った。 「……分かりました。それで貴女が納得できるなら…、そうしましょう。ずっと貴女を待っています」 「……ありがとうね。ずっとこんな私を想っててくれて」 「ミュラーは…。素敵な女性です」 「疲れてるから。また明日ね」 彼を帰らせ、一人になってベットに伏せた。冷たい寝台が温まる。けれどどこか眠りは遠く、心はずっと来るはずのない訪問者を待っていた。 毛布の中、何度も向きを変えて、暗中の視界に浮かぶのは憎たらしい笑顔ばかりで…。その都度、どうしようもなく泣き崩れそうになる衝動を、一生かけてアイツに教えてやりたかった。 「あの馬鹿……。きっとチェスターに譲ったのよ。嫌な男ね……」 こんな私でも心がしおらしくなる、そんな夜に告白なんて絶好のチャンス、アイツが解らない訳がない。傷心の私を支えてくれる男性。アイツと違って、ずっと私の傍にいてくれる。いてくれた。これからも……。 そんな彼を「選びなさい」、と居もしないアイツが諭す。 どんなに待っても、絶対に今夜は現れない。 「チェスターさん。ミュラーのこと、よろしくお願いしますね」 サマンオサの城下戦、最後に聞いたアイツの言葉。 まさか、本当に 『そんな言葉』を残して、このまま出て来ないつもり………? |
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自分たちの準備が済んで、時間を貰って、足は港の海賊船へと駆けていた。日はすっかり沈み、村を流れる風は冷たい。けれど逸る気持ちに高まって、体温はむしろ、ぐんぐんと上昇していた。 何か言いたくても、声もかけられなくて…。 顔を見る事も切なくて…。 ずっと晴れない胸を抑えながら、彼を見ているだけだった自分。 積荷を指示する彼の姿を見ては、物陰に隠れて、すくむ足に発破をかけながら進み出した。海賊団「暁の牙」副長、スヴァルさんを声をかけて呼び止める 「…あの、すみません。突然お邪魔して……」 彼の部屋で紅茶を淹れて、持ってきたクッキーをお皿に盛るとテーブルに並べた。帽子を脱ぎ、椅子に腰掛けた彼は、何処かため息のように洩らしている。 「いや、いいんだ。俺を心配して来たんだろう。感謝する…」 「………………」 来た理由が分かったからこそ、彼は仕事を離れて、休憩を取ってくれたのでしょう。何処か疲弊した彼に戸惑いながら、小さな二人がけのテーブル、向かい側に腰を下ろす。 紅茶を啜りながら、ちらちらと何度も向かう、美男子の表情を盗み見ていた。黒服の彼はいつも以上に無口で、なんだか何を話すにしても勇気が要る。 張り詰めた空気を感じて、なんとかこの息苦しさを解消できないかと、思案に暮れた。 「疲れてましたか?ごめんなさい…。それとも、火山での事って…、あの、スヴァルさん達に、相当、負担がかかるものなのでしょうか……」 私達はこれから彼らと共に、ネクロゴンドの火山帯へと出発する。最も活動激しい火山の火口にガイアの剣を投げ込み、二人は地下深く流れるマグマを操り、地形を動かす壮大な計画を立てていた。 考えただけでも、本当にそんなことが可能なのかと不安が襲う。 二人に負荷がないのかと心配だし、 そもそも二人は、父親を亡くしたばかりだと言うのに 「主に姉さんに重大な負荷がかかるだろうな。剣を渡した俺は、せいぜい補佐をするだけだ。こんな大きな力は使ったことが無いし、遠隔操作も慣れてない。俺たちにも何処まで御せるか不安はある…」 「ミュラーさん……。心配ですね……」 こんな時に、ワグナスさんは一体何をしてるんだろう。父の死と大きなプレッシャーを抱えて、ミュラーさんが不安でいないはずが無いのに……。 意識は勇ましい女海賊へと流れ、会話は終わり、また重い空気が部屋を押し潰そうと広がっているのに気がついた。 「だ、大丈夫ですよ!私達も守りますから。ニーズさんもアイザックもいるし…。もしかしたらワグナスさんも、ひょっこり追い着いて来るかも知れないじゃないですか」 「……。そうだな。頼りにしている」 「………………」 やっぱり、空気が重い………。 見ていると、せっかく作ったお菓子にも、手が進まないようだった。 「お前は、あの魔法使いを助けたいそうだな」 お菓子を薦めようとして…。 ……そう、魔法使いファラは、彼にとっては国を陥れた憎い敵、そして父親を死に追いやった仇敵だから 「…ごめん、なさい…」 サマンオサの現状にあんなに苦しみ、憎んだのに。 そのためにどれだけこの人が、虐げられて来たのかも解っていたのに ただ一つの気がかりは、私の心に鉤爪を立てるのはたった一つ、 魔法使いファラが『竜』であるという事実 「謝らなくていい。憎くないと言えば嘘になるが……。もう国は解放された。父の魂はこのまま国に戻るだろう。俺の復讐は終わったんだ」 「………………」 いい言葉でした。前向きだし、私を責めるでもなくて。 けれど、それが時に酷く障る時もある。 「どうして…。そんな風に、なんでも、いつも、受け入れて……」 木製のテーブルに手を組み肘を立て、何度も聞いたような「大人発言」をする彼を、悔しさを込めて見つめていた。 いつもこの人はこうなんだ。自分の中で勝手に悟りきっていて…。 ガイアの民を攻撃するサマンオサの民にもそう、「優しくしないで」と拒絶した、不躾な僧侶にだって、怒りをぶつけたりはしなかった。 「少しは怒ったっていいじゃないですか。感情的になったっていいじゃないですか…。私の事だって、怒ったっていいのに……」 思いがけずテーブルを叩く。俯いて唇を噛むと、正直、彼は当惑した表情で肘を下ろした。 何を言うのだろう私の口は……。 せっかく彼が許してくれたのに、掻き回すような事を言い出して。でも私は悔しくて、苦しくて堪らない。 「私には…、言えないだけかも知れないですけど……」 悔しいのは、そんな彼の態度に『例外』があるかも知れないから。 ずっと気になって、でも絶対に聞き出せない、苦しい胸の内。 彼女なら、もっと気の利くことを言うのかなと。 もっと彼は素直に感情を見せて、彼女に笑いかけたりしているのかなと……。 嫌………だ………。 嫉妬心に駆られて、どんどん自分が醜く歪んでいくのが分かる。もう「嫌な自分」に会いたくなかったのに。あんな気持ち、もう二度と味わいたくないのに……。 スヴァルさんの恋が叶ったら、私、きっと崩れ落ちる。 耐えられないもの。祝福なんてきっとできない。 できそうにない………。 「………………」 長い、長い沈黙でした。 私は固く握った手元を見据えた、まま動くことはなく、彼も視線だけが流れて、お互い、きっと心中で激しく思いが交錯していた。 部屋を照らすランプの炎がチラチラ揺れる。 動いていたのはそれ位の息苦しい部屋。 「………。そうだな。お前の言う通りかも知れない。俺は感情を殺しすぎる…」 「………はい………」 それが時々、どうしようもなく苦しくなるんだ。やめて欲しい。 「少しだけ、本心を聞いてくれるか。こんな事を、人に話すのは初めてだ…」 脱いで横に置いていた帽子をまた被って、顔を隠した彼が洩らす本心。ただただ、胸が鳴って強く見つめた。 「怒りは、もう無いんだ。どちらかと言えば落胆している…。ただ父親を連れて帰りたかった。最後まで生きていると信じていた。お前の綺麗にしてくれた母の墓に、二人で行けると信じていたんだ…」 「スヴァルさん……」 悲しく崩壊していた彼の母の墓標。サマンオサ解放後、ようやっと私は修繕して…。 「…ありがとう。母親も喜んでる」彼の笑顔が、余りに綺麗で胸を打たれた。 その笑顔のために戦ったのに 「…辛いな。余りに時間がかかり過ぎた…。復讐なんて果たした所で、もう何も帰ってくるものは無い」 ………。泣いて、いる……? ううん。泣きたいのは私の方だった。 この人の涙なんて、見たことがない。 どうしよう。…止まらない。 立ち上がって、思いのままに強く抱きしめて、この人の全てを守りたいと切望する。 それはいつから?今に始まったことじゃなかった。 サマンオサの城下町で、彼を「大切だ」と認識した時から? 「優しくなりたい」と叫んだ日から? ガタリと音を立てて、立ち上がる。 「サリサ、俺と付き合えよ」 「お前のいいところたくさん見つけてやるから。お前の隙間、全部埋めてやる」 心地よい言葉の記憶。 彼に心を委ねれば、どんなに素敵な未来が待っている事だろう。彼に心を委ねて、弱さを預けて、きっと言葉どおり私の隙間は埋まってゆく。 でも、ごめんね。アドレス君……。 ずっと中間地点で彷徨い、何処にも進めなくなっていた私は、でも本当は解っていたの。自分の心が、どちらを指しているのかを……。 私、スヴァルさんが好きです……。 いつからか離せなくなった視線。抑えられない恋心。 本当は自分でも知っていたけど、恋する事が怖くて、目を背けていたんだよ。 失恋する事が怖い。彼に振られたら…。アドレス君が慰めてくれるかも知れないけど、それってずるい事じゃないの……? 受け止め口がある身分で、戦いを挑む事に卑怯さを感じていた。 だからアドレス君のことは、断ち切らなくてはと考えてる。 ごめんね。ありがとう。でも………! 「スヴァルさん………!」 椅子を蹴り、驚いて顔を上げたその首にしかと抱きついた。帽子が落ち、綺麗な金髪に自分のを重ねてひたすら祈る。 「何て言っていいか、分からないですけど……!私、何度もお墓参りします。スヴァルさんのお母さんが寂しくないように…。サイモンさんの分も、行きます……!」 ああ、どうして、この人に不幸ばかりが降るのかな。 自分に注ぐ光の全てをかき集め、この人を照らす事ができたらいいのに。 「だから、大丈夫ですから………」 どうか、哀しまないで欲しい。いつも微笑っていて欲しい。 この人に幸せになって貰いたい。 「………。どうして、お前は………」 彼が言葉を発した。だから顔を上げて見つめ合った。思いの丈を言葉にすることできなくて、床に膝を立て、席上の彼を、ひたすら無心で抱きしめるしかできなかった。 「そんなに、俺を気遣ってくれるんだ…」 大きな手が私の髪に乗せられる。彼と抱き合うことは初めてじゃないけれど、すでに私の鼓動は最高音に達していた。 「それは……」 唇から想いが零れて、落ちてゆく。零れ落ちたら最後、これまで良かった『関係』まで叩き壊して転落してゆく……。そんな光景が目蓋の裏から離れない。 「それは……。スヴァルさんが、私の事を、たくさん助けてくれたからです……」 臆病になった私は、無難なことしか言えなかった。 「………。お互い様と言うことか。…そうだな」 ただの恩返しだと。そう話して………。 「ありがとう。サリサ…。いつも助けられている」 いつも以上に感謝を込めて、彼は妹にするように頭を優しく撫でてくれる。 本当……、ですか……?私が助けになっている……? 心の中、溢れそうな液体が暴れている。本当は満たされない。感謝では満たされない思いがあるけれど、今はそれだけでいい 触れ合うことが嬉しくて、私は自分からは離れることが出来ずに、どれだけ図々しくも彼に貼り付いていたのだろう…。 「すっかり冷めてしまったな。淹れなおそう」 動けない体勢に、やんわりと終了を促したのは当然彼。 「あっ…!私、やります」 勿論彼にさせる訳にもいかないので、ササッと紅茶を淹れ直す。丁度緊張も緩んで、ふと視線の先で、彼がお菓子をつまんで微笑っていた。 「旨いな。心が和む」 「………。それなら嬉しいです」 まだ胸がドキドキしているけれど……。 彼の心が穏やかに鎮まる。これ以上嬉しいことはないと思う。 私はにっこり微笑んで、クッキーを頬張ると心の中で反芻していた。 今は。今は………。 |