「そうですね、一度、話し合いを持てたなら、いいと思います…」
 神妙に妹はひと言だけを呟いた。散々俺達を苦しめてきた敵の魔法使いが、同じ『竜』族だったと知った複雑な心境に言葉は濁る。

「……じゃあ、今度会った時は捕獲だな。説得というか…話すのは二人に任せるよ」
 女二人、シーヴァスとサリサを除いた者の総意見は「そういう事」で決まっていた。代表してアイザックが二人に伝え、俺も無言で肯定する。


      本心を言えば、和解などに興味はないが……。
 女たちの優しさを突っぱねる事も出来ず、俺たちは様子を見守る。上手くいけばそれでいいし、戦闘になれば守るまで。

 『竜』と云われれば、思うところはさまざまあるが……。





 妹を休ませ、宿の別室で仲間と共に待機していた。
 俺とアイザックとサリサの三人、待つのは先行して監獄島に向かった海賊兄弟、ミュラーとスヴァル。
 二人の父親、勇者サイモンが流された監獄島はすでに世界から隔離されて久しく、当然水も食料も届かず、生存者はいないと予想されていた。そんな島に姉弟は二人だけで向かい、いくばくかの時が経過している。

 どんな凄惨な光景が広がっているのか……。あの二人に限って心配はしないが、明らかにサリサの表情は緊迫して強張っていた。
 人知れず何度も隠れて祈るのは、二人の父親の無事なのだろうな。
 案じているのは姉の方なのか、それとも弟の方なのかは、敢えて聞くまでもない。


 衰弱した竜二人の様子を交代で看ながら一晩経ち、明朝、海賊姉弟は岬の村に戻って来た。一晩二人で島で過ごし、吹っ切れたのか、表情に悲しみの痕跡は見つからない。
 宿の部屋に一同集まり、二人からの報告を待ち受ける。


「……ま、想像のとおり、死体だけだったわよ。掃除はしたけど、さすがに壁の染みやなんかはね……。行くにはあんまりお勧めしないわ。親父には会えたから安心して。タダじゃ死なないのよあの親父は」
 いつも通りミュラーの言動はサバサバしていて、何処か人事めいている。彼女なりに平静を装い、結果そうなっているのかも知れないが。
「…どういうことだ?」
 死んだのに会えたとは。矛盾する口上に問いかける。
 疑問に答えるのは相変わらず真面目腐った弟の方。

「ガイアの民は灯に還る。父は『灯』となりて牢獄で俺達を待っていたんだ。そして、約束を果たせなかった友のことも……」

 姉弟の視線は緩やかに、けれど熱き決意を抱いて同じ方向へと針を指す。
 …そう、頼んでもいないのに『俺』を真摯に捕らえる四つの瞳    


「オルテガの息子ニーズ、アンタに来て貰いたいの。うちの親父のご指名よ。他の奴は来ないでね」
 死臭漂う島に他者を入れない配慮か、それとも別な狙いがあったのか。解らないが『俺』限定で島へといざなう。

 『オルテガの息子ニーズ』という指名に、一抹の不安を覚えながら。





「遺言」





 通称、祠(ほこら)の牢獄。数年間隔絶された孤島には、すでに風雨に去らされ、潮にただれた寂しい監獄が廃墟となりて勇者の来訪を待っていた。
 生者はすでになく………。待っていたのはただひと塊の「炎」のみ。牢獄の中を進み、最奥の個室に辿り着くと不自然な炎が一つ、冷たい床の上でゆらゆらと寂しくはぜていた。

 鍵の壊れた個室に入り、錆びたベットの前で燃える炎を見下ろすと、そこには人魂のように炎だけがぼうっと床で燃えている。

 海賊姉弟の案内に従い、その人魂の前に立った。二人は獄中、終始無言だったが、ここでもまだそれは変わらずに、部屋の隅で大人しく見守っている。


「……なるほど。いわゆる人魂ってヤツだな」
 死者の魂が炎のように宙を彷徨うという逸話がある。世間一般では怪談話だが、ガイアの民にとっては事実、彼らは『灯』に還り、大地の底にたゆたう炎に戻るらしい。
 勇者サイモンの体は果てど、魂は留まり子供たちを待っていた。そして勇者オルテガのことも……。


「……。お前がニーズか……。エマーダに似てるんだな」
 人魂はぼんやりと金髪勇者の姿を映し出し、俺を見つめるとニヤリと笑った。なるほどスヴァルは良く似ている…。息子より粗雑な印象の戦士の亡霊。不安定な実体だが、屈強な戦士たる風貌と体躯はそのまま。
 これが、勇者オルテガと肩を並べたもう一人の勇者………。

 老朽化した狭い牢獄内を自らの炎で照らし、親友の息子たる「ニーズ」に彼は言いようのない懐かしさを込めて微笑っていた。

「………………」
 正直、どう対応したらいいのか俺は迷い、すぐさま返事をすることが出来なかった。

 俺はオルテガの息子ニーズじゃない…。『ニーズ』ならどう思うのか、どう反応するのか、想像を巡らしながら結果として口ごもる。

 勇者サイモンの視線、痛いな………。
 顔を見せたくないと願い、マントを引き寄せ口元を覆った。


「すまなかったな……。こんなザマになって、オルテガとの約束の場所に行くこと適わなかった。二人に聞いたが、オルテガは火山に落ちて死んだんだってな。俺のせいだ。許してくれ」
 霞む勇者は深く頭を垂れて謝罪する。
「……別に、貴方のせいじゃないですよ。オルテガの力が足りなかっただけです。謝らないで下さい」
「……そうか。そうは言ってもな。俺には俺の責任というものがあるんだ。頼むぞミュラー、スヴァル」
 子供等に促し、姉弟は頷くと、おもむろにそれぞれ帯剣していた短剣の柄を持ち上げた。姉弟愛用のガイアの神剣。炎を操り、時に地脈も視ると言うが……。



      ふと、今更ながらに気づいたが    
 勇者サイモンの炎の中、チラチラと仄めくのは金属の光沢……。



 光はやがて形を成し、一振りの短剣となって炎の中から突き出て来た。ミュラーは柄を掴み、しかと受け取る。

「聞いてくれニーズ。俺とオルテガはネクロゴンドへの道を拓くため、バラモス城の東、火山の火口にて会う約束を交わしていた。ガイアの剣を火口に投げ込み、深きマグマの流れを操り、あの地域一体の地形を変えてやろうとしてな……。その約束は為されなかったが……。ニーズ、代わりに俺のガキどもがお前をネクロゴンド連れて行く」

「地形を、変える?」

 そんなことを考えていたのか   

 地殻変動に合い、険しい山脈に覆われてしまったネクロゴンド城付近へは、現在人の足で行ける手段が見つかっていない。
 『道が無いなら造ってしまえ』     途方も無い考えだが、彼らには自信があるのだろう。あの地域は広範囲の火山帯でもあった。地中深く流れるマグマを操作し、噴火を巻き起こし地殻変動を人為的に造ろうと言うのだからとんでもない。

 しかし、語るガイアの民に冗談という素振りはなかった。「信じられない」と開かれた俺の目に映る、力強く子供たちの肩を抱く勇者の姿。


「…悪いな、お前たち。分けた剣を元に戻す時が来たようだ。これまで使ってくれてありがとよ。友のために力を貸してくれ」
「……分かってる。ったく一体何年待たせたのよ。っとにぐうたらなんだから」
 父親から譲り受けた短剣と自分のとを抱き合わせ、ミュラーは父親の肩に寄りかかりながら悪態をついた。その両肩はいつもと少し違い、か細く震える。

「必ず……、勇者を連れて行く。姉さんは必ず守る…」
 そんな姉を必ず守ると、呟く弟の声は決意に熱い。弟は姉に短剣を渡し、ガイアの剣は娘の胸で一本の長剣へと『真の姿』を取り戻してゆく    


 おそらくは、今生の別れと、三人ともが知っている。
 もう幽体との会話もこれきり。だからこそ強く結び合う家族の炎は輝いて……。


 サイモンの炎は紅の光と化して家族を包み込み、
 彼らは暫しお互いの温もりを確かめ合っていたのだろう。

      けれど、そんなささやかな時間も終わりを告げる。




「……。さて。そろそろと逝くとするか。先にオルテガが待っているしな」
 最期の戯れに終止符を打った、勇者サイモンはそっと離れて、人のいい笑顔をこちらに向けた。もの言いたげな瞳は暫し躊躇って…。

「エマーダは、元気にしてるのか?」
 最後に、不意打ちだったが、勇者は旧友である母の名前を持ち出した。
「……はい。元気にしてます」
 一瞬戸惑い、返事を考えてしまったが……。
     今は、きっと毎日笑っているだろうと予測した。

「そうか。それはいい事だ。大事にしてやってくれ」
 豪胆な勇者が、儚い微笑みを浮かべてうっすらと消えてゆく。床に灯る炎も、シュルシュルと音も無く燃え尽きた。
     彼にとっては、夫を失くす理由を「自分が作った」と責任を感じていたのだろうか……。

 牢獄の主はこの世を去った。訪れる無音の世界。
 静寂    



 ………カチャリ。
 沈黙を打ち破るようにガイアの剣を腰に吊るし、海賊頭は威勢良く進む道を示してくれた。いや、むしろ、それは『俺に』ではなく、彼ら自身の道だったのかも知れない。
「行くわよ。火山の火口に。盛大な花火を上げてあげる」


==


 岬の村に戻り、勇者一行、そして私たち海賊団も新たな旅立ちの準備に追われていた。

 飛び出して来た祖国サマンオサに使いを出したり、ひとしきりルシヴァンの阿呆を説教したり…。火山へ向けての進路相談や荷材の確保。日中休まる時はなく、    いや、ある意味休みたくなくて働いていた。

 一通りの準備が終わったのは深夜の11時頃だったろうか。海賊船の自室で靴を脱ぎ捨て、どっとベットに転がり落ちる。停泊中の船の揺れに身を任せれば、そのまま静かに眠りに就ける勢いで疲労していた。
 けれど私には待ち人がいた。
 この夜だからこそ、会いたいと願う「待ち人」を………。



    コンコン。

 私が部屋に落ち着いたのを見計らって、とても静かに来訪者はやって来た。
 ドアを叩き、ドアの向こうで頑なに返事を待つ。気配で分かるけれど、相手は相当緊張していた……。

「開いてるわよ」
 案の定、訪ねてきた人物は幼なじみのチェスターだった。幼少の頃からずっと傍にいて、海賊団でも私達姉弟の参謀役を務めてくれている。闇に溶けるような黒髪を一つに纏め、いつも身なりを乱さない。よく言えば真面目、悪く言えば堅物。夜更けの訪問にも随分遠慮がちに頭を下げる紳士だった。
「夜分失礼します、ミュラー」
「なぁに。チェスター。なんか忘れ物?」

 用件は分かっているのに、敢えて意地悪く、けだるく答えた。枕元のランプを点し、眠そうに頭をかく。
「サイモンさんの事、残念でした……」
 うちの親父の死を最も重く受け止め、深く悼んでいたのは彼なのかも知れなかった。
 …まぁ、あくまでも表面上の話だけれど。うちの弟は諭させないタイプだし、私ももう気持ちは落ち着いている。

 閉めたドアの前で打ち震えて、こちらが声をかけるまで彼は動かずじまいだった。
「何て言っていいのか……。悔しいです。もっと早ければこんな事にはならなかったのに………!」
「……ん。そうね。でも、分かっていた事よ。心配しないで」

 後悔なら、いくらでも転がっている。
 あの日にも。あの日にも。けれど所詮過去の話だ。

 取り戻せないのだから、前に進むことしかできないのよ。


「……………」
 神妙なチェスターは、何か言葉に詰まって、行動に迷っている振りが見えていた。ベットに座ったままだった私はひとしきり感知して、自分から「けじめ」をつけるべく動き出した。
「なぁに?もったいぶって」
 立ち上がり、待ち構えるように彼の前に進み出る。…もう、その行動は、「観念した」と言っても良かった。

「………。本当は、サイモンさんが無事に戻って来たら、ミュラーとの事を許してもらうつもりでした……」
「……………」
 来たるべき告白。おそらく今夜、言いに来るだろうなと予兆していた。思わず眉間にしわが寄って、口がへの字によじ曲がる。

「ミュラー、私はずっと……!」
 幼なじみは私を抱き捕まえて、思いつく限りに恋心を語ると何度も何度も力を込めた。


 何故だろう……。
 温かい腕に抱かれながら、どうしようもなく涙が溢れてくるのはどうして。
 父の死を嘆いているわけでもなかった。
 無性に悲しくて堪らないのは、この腕が「アイツ」でないせいだと分かってる。



「…ミュラー。私と一緒になってくれませんか。ずっと私は、貴女のことが好きでした……。ずっと貴女の傍にいます。いつまでも、許されるなら……」
「………。そうね………」
 抱きしめる腕を拒否しない。けれど私の腕はだらりと下がったまま。本当に掴みたいモノは一体いつになったら届くのか。

 薄い私の反応を見て、不意に彼が嫉妬に燃える。
「……アイツが気になるんですか。あんないい加減な賢者の事を……。アイツはミュラーと一緒になんてならない。いや、なれない。住む世界が違うんです。もう奴のことは忘れて下さい!想っているだけミュラーが不幸になる!」
「………………。はははっ…」

 必死な剣幕の彼を薄く笑って、その実、心の奥底で笑っていたのは「自分」だった。

 アイツ自身からも、そう言って何度も振られてんのよ。
 …別世界の、更に神の使いたる男を好きになるなんて。
 多くの者は叶わぬ恋だと笑うだろう。

 でも、違うのよ。
 私は、私が幸せになりたくてアイツを選んだわけじゃない。
 忘れられないんだ。あの日、あの場所で、


「この世界には、朝が来るのですね…」


 朝日に落ちた賢者の涙を     


 世界が違うなんて、言わないで欲しい。例えそれが真実であっても。
 何よりアイツを悲しませる言葉だと解っているから………。



 責める言葉はなくとも、滲む涙に気がついて、チェスターはハッとして言葉を塞き、苦虫を噛んだ。涙の意味は解らなくても、『誰のため』の涙なのかは察している。
 心なしか腕を掴む彼の手は、悔しさに小刻みに震えていた。

「………。あと数年、待てる?…ううん、一年。半年でもいいわ。多分そんなに長くはない。アイツともうニ、三度ぶつかって、それでも駄目だったら諦める。アンタと一緒になる事にする。それでいい?」
「………!?本当ですか、ミュラー!」

 いい加減、踏ん切りをつける、それが私なりの『けじめ』。
 アイツという存在がなければ、彼を断る理由もない。
 突然の申し出に驚き、その後で前向きに喜んで、幼なじみは「ほっ」としたのか頬を紅潮させて笑った。

「……分かりました。それで貴女が納得できるなら…、そうしましょう。ずっと貴女を待っています」
「……ありがとうね。ずっとこんな私を想っててくれて」
「ミュラーは…。素敵な女性です」
     見つめ合うと、熱い瞳にほだされそうで、早急に胸を押して距離を置いた。多少なりとも弱った心、このまま熱意に負けて流されてしまいそうだ……。



「疲れてるから。また明日ね」
 彼を帰らせ、一人になってベットに伏せた。冷たい寝台が温まる。けれどどこか眠りは遠く、心はずっと来るはずのない訪問者を待っていた。
 毛布の中、何度も向きを変えて、暗中の視界に浮かぶのは憎たらしい笑顔ばかりで…。その都度、どうしようもなく泣き崩れそうになる衝動を、一生かけてアイツに教えてやりたかった。

「あの馬鹿……。きっとチェスターに譲ったのよ。嫌な男ね……」
 こんな私でも心がしおらしくなる、そんな夜に告白なんて絶好のチャンス、アイツが解らない訳がない。傷心の私を支えてくれる男性。アイツと違ってずっと私の傍にいてくれる。いてくれた。これからも……。
 そんな彼を「選びなさい」、と居もしないアイツが諭す。

 どんなに待っても、絶対に今夜は現れない。



「チェスターさん。ミュラーのこと、よろしくお願いしますね」

 サマンオサの城下戦、最後に聞いたアイツの言葉。
 まさか、本当に    

 『そんな言葉』を残して、このまま出て来ないつもり………?


==


 自分たちの準備が済んで、時間を貰って足は港の海賊船へと駆けていた。日はすっかり沈み、村を流れる風は冷たい。けれど逸る気持ちに高まって、体温はむしろぐんぐんと上昇していた。

 何か言いたくても声もかけられなくて…。
 顔を見る事も切なくて…。
 ずっと晴れない胸を抑えながら、彼を見ているだけだった自分。

 積荷を指示する彼の姿を見ては物陰に隠れて、すくむ足に発破をかけながら進み出した。海賊団「暁の牙」副長、スヴァルさんを声をかけて呼び止める    



「…あの、すみません。突然お邪魔して……」

 彼の部屋で紅茶を淹れて、持ってきたクッキーをお皿に盛るとテーブルに並べた。帽子を脱ぎ、椅子に腰掛けた彼は、何処かため息のように洩らしている。
「いや、いいんだ。俺を心配して来たんだろう。感謝する…」
「………………」
 来た理由が分かったからこそ、彼は仕事を離れて休憩を取ってくれたのでしょう。何処か疲弊した彼に戸惑いながら、小さな二人がけのテーブル、向かい側に腰を下ろす。

 紅茶を啜りながら、ちらちらと何度も向かう美男子の表情を盗み見ていた。黒服の彼はいつも以上に無口で、なんだか何を話すにしても勇気が要る。
 張り詰めた空気を感じて、なんとかこの息苦しさを解消できないかと思案に暮れた。


「疲れてましたか?ごめんなさい…。それとも、火山での事って…、あの、スヴァルさん達に、相当負担がかかるものなのでしょうか……」
 私達はこれから彼らと共にネクロゴンドの火山帯へと出発する。最も活動激しい火山の火口にガイアの剣を投げ込み、二人は地下深く流れるマグマを操り、地形を動かす壮大な計画を立てていた。

 考えただけでも、本当にそんなことが可能なのかと不安が襲う。
 二人に負荷がないのかと心配だし、
 そもそも二人は父親を亡くしたばかりだと言うのに    


「主に姉さんに重大な負荷がかかるだろうな。剣を渡した俺は、せいぜい補佐をするだけだ。こんな大きな力は使ったことが無いし、遠隔操作も慣れてない。俺たちにも何処まで御せるか不安はある…」
「ミュラーさん……。心配ですね……」

 こんな時に、ワグナスさんは一体何をしてるんだろう。父の死と大きなプレッシャーを抱えて、ミュラーさんが不安でないはずが無いのに……。
 意識は勇ましい女海賊へと流れ、会話は終わり、また重い空気が部屋を押し潰そうと広がっているのに気がついた。

「だ、大丈夫ですよ!私達も守りますから。ニーズさんもアイザックもいるし…。もしかしたらワグナスさんも、ひょっこり追い着いて来るかも知れないじゃないですか」
「……。そうだな。頼りにしている」
「………………」

 やっぱり、空気が重い………。
 見ていると、せっかく作ったお菓子にも手が進まないようだった。


「お前は、あの魔法使いを助けたいそうだな」
 お菓子を薦めようとして…。     ドキリ、……と、一際鼓動が高く波打つ。

 ……そう、魔法使いファラは彼にとっては国を陥れた憎い敵、そして父親を死に追いやった仇敵だから    。そんな相手を許そうと説いている自分は、どんな風に彼の目に映るんだろうかと……。
「…ごめん、なさい…」
 サマンオサの現状にあんなに苦しみ、憎んだのに。そのためにどれだけこの人が虐げられて来たのかも解っていたのに    

 ただ一つの気がかりは、私の心に鉤爪を立てるのはたった一つ、
 魔法使いファラが『竜』であるという事実     


「謝らなくていい。憎くないと言えば嘘になるが……。もう国は解放された。父の魂はこのまま国に戻るだろう。俺の復讐は終わったんだ」
「………………」

 いい言葉でした。前向きだし、私を責めるでもなくて。
 けれど、それが時に酷く障る時もある。


「どうして…。そんな風に、なんでも、いつも、受け入れて……」
 木製のテーブルに手を組み肘を立て、何度も聞いたような「大人発言」をする彼を悔しさを込めて見つめていた。

 いつもこの人はこうなんだ。自分の中で勝手に悟りきっていて…。
 ガイアの民を攻撃するサマンオサの民にもそう、「優しくしないで」と拒絶した、不躾な僧侶にだって怒りをぶつけたりはしなかった。

「少しは怒ったっていいじゃないですか。感情的になったっていいじゃないですか…。私の事だって、怒ったっていいのに……」
 思いがけずテーブルを叩く。俯いて唇を噛むと、正直彼は当惑した表情で肘を下ろした。……何を言うのだろう私の口は……。せっかく彼が許してくれたのに、掻き回すような事を言い出して。でも私は悔しくて、苦しくて堪らない。

「私には…、言えないだけかも知れないですけど……」
 悔しいのは、そんな彼の態度に『例外』があるかも知れないから。


     スヴァルさんが好きだと言う人。一体どんな女性なんだろう……?
 ずっと気になって、でも絶対に聞き出せない苦しい胸の内。
 彼女ならもっと気の利くことを言うのかなと。
 もっと彼は素直に感情を見せて、彼女に笑いかけたりしているのかなと………。


 嫌………だ………。
 嫉妬心に駆られて、どんどん自分が醜く歪んでいくのが分かる。もう「嫌な自分」に会いたくなかったのに。あんな気持ち、もう二度と味わいたくないのに……。

 スヴァルさんの恋が叶ったら、私、きっと崩れ落ちる。
 耐えられないもの。祝福なんてきっとできない。
 できそうにない………。



「………………」
 長い、長い沈黙でした。
 私は固く握った手元を見据えたまま動くことはなく、彼も視線だけが流れて、お互い、きっと心中で激しく思いが交錯していた。
 部屋を照らすランプの炎がチラチラ揺れる。動いていたのはそれ位の息苦しい部屋。

「………。そうだな。お前の言う通りかも知れない。俺は感情を殺しすぎる…」
「………はい………」
 それが時々、どうしようもなく苦しくなるんだ。やめて欲しい。

「少しだけ、本心を聞いてくれるか。こんな事を人に話すのは初めてだ…」
 脱いで横に置いていた帽子をまた被って、顔を隠した彼が洩らす本心。ただただ、胸が鳴って強く見つめた。

「怒りは、もう無いんだ。どちらかと言えば落胆している…。ただ父親を連れて帰りたかった。最後まで生きていると信じていた。お前の綺麗にしてくれた母の墓に、二人で行けると信じていたんだ…」
「スヴァルさん……」

 悲しく崩壊していた彼の母の墓標。サマンオサ解放後、ようやっと私は修繕して…。
「…ありがとう。母親も喜んでる」彼の笑顔が余りに綺麗で胸を打たれた。
 その笑顔のために戦ったのに    

「…辛いな。余りに時間がかかり過ぎた…。復讐なんて果たした所で、もう何も帰ってくるものは無い」

 ………。泣いて、いる……?
 ううん。泣きたいのは私の方だった。
 この人の涙なんて、見たことがない。
 どうしよう。…止まらない。
 立ち上がって、思いのままに強く抱きしめて、この人の全てを守りたいと切望する。

 それはいつから?今に始まったことじゃなかった。
 サマンオサの城下町で彼を「大切だ」と認識した時から?
 「優しくなりたい」と叫んだ日から?
 ガタリと音を立てて、立ち上がる。



「サリサ、俺と付き合えよ」
「お前のいいところたくさん見つけてやるから。お前の隙間、全部埋めてやる」


 心地よい言葉の記憶。
 彼に心を委ねれば、どんなに素敵な未来が待っている事だろう。彼に心を委ねて、弱さを預けて、きっと言葉どおり私の隙間は埋まってゆく。

 でも、ごめんね。アドレス君……。
 ずっと中間地点で彷徨い、何処にも進めなくなっていた私は、でも本当は解っていたの。自分の心がどちらを指しているのかを………。



 私、スヴァルさんが好きです……。



 いつからか離せなくなった視線。抑えられない恋心。
 本当は自分でも知っていたけど、恋する事が怖くて目を背けていたんだよ。
 失恋する事が怖い。彼に振られたら…。アドレス君が慰めてくれるかも知れないけど、それってずるい事じゃないの……?

 受け止め口がある身分で、戦いを挑む事に卑怯さを感じていた。
 だからアドレス君のことは、断ち切らなくてはと考えてる。

 ごめんね。ありがとう。でも………!



「スヴァルさん………!」
 椅子を蹴り、驚いて顔を上げたその首にしかと抱きついた。帽子が落ち、綺麗な金髪に自分のを重ねてひたすら祈る。
「何て言っていいか、分からないですけど……!私、何度もお墓参りします。スヴァルさんのお母さんが寂しくないように…。サイモンさんの分も、行きます………!」

 ああ、どうして、この人に不幸ばかりが降るのかな。
 自分に注ぐ光の全てをかき集め、この人を照らす事ができたらいいのに。

「だから、大丈夫ですから………」
 どうか、哀しまないで欲しい。いつも微笑っていて欲しい。
 この人に幸せになって貰いたい。


「………。どうして、お前は………」
 彼が言葉を発した。だから顔を上げて見つめ合った。思いの丈を言葉にすることできなくて、床に膝を立て席上の彼を、ひたすら無心で抱きしめるしかできなかった。

「そんなに、俺を気遣ってくれるんだ…」
 大きな手が私の髪に乗せられる。彼と抱き合うことは初めてじゃないけれど、すでに私の鼓動は最高音に達していた。
「それは………」

 唇から想いが零れて、落ちてゆく。零れ落ちたら最後、これまで良かった『関係』まで叩き壊して転落してゆく……。そんな光景が目蓋の裏から離れない。

「それは……。スヴァルさんが、私の事を、たくさん助けてくれたからです……」
 臆病になった私は、無難なことしか言えなかった。

「………。お互い様と言うことか。…そうだな」
 ただの恩返しだと。そう話して………。

「ありがとう。サリサ…。いつも助けられている」
 いつも以上に感謝を込めて、彼は妹にするように頭を優しく撫でてくれる。
 本当……、ですか……?私が助けになっている……?

 心の中、溢れそうな液体が暴れている。本当は満たされない。感謝では満たされない思いがあるけれど、今はそれだけでいい      



 触れ合うことが嬉しくて、私は自分からは離れることが出来ずに、どれだけ図々しくも彼に貼り付いていたのだろう…。
「すっかり冷めてしまったな。淹れなおそう」
 動けない体勢に、やんわりと終了を促したのは当然彼。
「あっ…!私、やります」
 勿論彼にさせる訳にもいかないので、ササッと紅茶を淹れ直す。丁度緊張も緩んで、ふと視線の先で彼がお菓子をつまんで微笑っていた。

「旨いな。心が和む」
「………。それなら嬉しいです」
 まだ胸がドキドキしているけれど……。
 彼の心が穏やかに鎮まる。これ以上嬉しいことはないと思う。
 私はにっこり微笑んで、クッキーを頬張ると心の中で反芻していた。

 今は。今は………。




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