マリー・キュリーと放射能
©2010 Keiko Kawashima / Emi Higashiura
1 1564イタリアのピサに生まれる。父親は音楽家で、息子に数学、音楽を教えたと言われている。
2 1582~84:ピサ大学に入学。ただし主にオステリオ・リッチの建築専門アカデミーに通い、大学は中退。
3 1589ピサ大学の数学教師に。
4 1592:ヴェネツィア共和国内のパドヴァ大学の数学教師に。
5 1597ケプラーに手紙を書き、「コペルニクス説(地動説)をとる」と表明。
1604:新星あらわれる。このことで論争が起きる。
1609世界ではじめての天体望遠鏡を制作。さまざまな天文学上の発見(木星の衛星、銀河は星の集まり、月の凹凸など)。
6 1610『星界の報告』出版。有名人になる。
7 1610フィレンツェのトスカーナ大公付首席数学者・哲学者になる(給与が上がる)。
8 1613『太陽黒点論』出版。
1615『クリスチーナ大公妃あての手紙』によるトラブルから、ガリレオに無断で第1次宗教裁判が行われた。
9 1623数学に造詣の深いウルバヌス8世がローマ法王となる。ガリレオは『天文対話』を書き始める。
10 1632『天文対話』出版。大評判になるが、大いに敵を作る。
1633ローマに出発。法皇庁で第2次宗教裁判。
11 1633ガリレオ、法皇庁に屈服。失意のアルチェトリ引退(強制蟄居)。
12 1638アルチェトリで秘かに書きためた『新科学論議』をオランダで出版。
13 1642ガリレオ、アルチェトリで死去。
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