マリー・キュリーと放射能
©2010 Keiko Kawashima / Emi Higashiura
1 1758:大ブルジョワの娘としてモンブリゾンに生まれる。
2 1761:母の死。女子修道院で教育を受ける(当時の習慣)。
3 1770大伯父による不条理な結婚話。父によるこの話の拒絶。
4 1771科学者で。徴税請負人(父の同僚)のラヴワジェと結婚(28歳と13歳)。ラヴワジェ夫人となる。
5 1776:砲兵工廠に引っこし、この館で夫の同僚から系統的な化学の講義を受ける。
6 ラヴワジェグループの実験記録をとるラヴワジェ夫人(化学革命)。
7 ラヴワジェグループの為に化学の本の翻訳をする。
8 砲兵工廠の館では毎週サロンが開かれ、ラヴワジェ夫人は名ホステスとうたわれた。
9 1789フランス革命起こる。
10 1794ラヴワジェの処刑(5月)。
11 17947月24日、テルミドール9日。恐怖政治の終わり。
12 1796没収された財産をとりかえし、サロンを再開する。
13 1805夫たちの原稿をまとめ『化学論集』として出版。科学者ラムフォード伯と再婚。ラヴワジェ・ド・ラムフォード伯爵夫人となる。
14 1809結婚後すぐにラムフォードと不和になるが、この年にやっと離婚が成立。
15 離婚後は社交に生き、有名な18世紀風サロンの女主人となる。また旧友などをたずねてヨーロッパをあちこち旅行する。
16 183678歳で死去。
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