マリー・キュリーと放射能
©2010 Keiko Kawashima / Emi Higashiura
1 1867ロシア領ポーランドのワルシャワに生まれる。ポーランド名はマリア・スクォドフスカ。
2 1876姉ソフィアがチフスで死亡。
1878母が結核で死亡。これを期にマリアは無神論者になる。
3 1883最優秀の成績で高校を卒業(15才)。
4 1886~91姉ブローニャの学資のために、住み込みの家庭教師となる。
5 1891パリに発つ。ソルボンヌ大学理学部入学(24才)。
1893:トップの成績で物理学の学士号取得。
6 1894ピエール・キュリーとの出会い。2番で数学の学士号取得。
7 1895ピエールと結婚。マリー・キュリーとなる。この年、レントゲンがX線を発見(27才)。
8 1896アンリ・ベクレル、ウランより出る放射線の発見。
1897マリー、放射線研究開始。
9 18986月にキュリー夫妻はポロニウムの単離に成功。12月はラジウムの単離に成功。
10 1902ラジウムの原子量をつきとめる(34才)。
11 1903マリー博士号取得。キュリー夫妻、アンリ・ベクレルと共に「放射能の発見」でノーベル賞受賞(物理学)。
12 19064月19日、ピエール馬車にひかれて死亡(36才)。
13 190611月、マリー、ピエールのあとをついで、ソルボンヌ大学の教員となる。フランス史上初の女性大学教員。
14 1911ランジュバン事件で渦中の人に。「ラジウムの発見」により、ノーベル化学賞を単独受賞。
15 1912ラジウム研究所所長就任。
1914ラジウム研究所完成。この年、第1次世界大戦開始(~1918)。
16 1926長女イレーヌ、同僚科学者のフレデリック・ジョリオと結婚。
17 1929マリー、二度目のアメリカ訪問。(一度目は1921年)。フーバー大統領と会見。1gのラジウムをワルシャワの研究所の為にもらう。
18 1934イレーヌとフレデリック、人工放射能の発見。(35年にノーベル化学賞)
マリー、放射能のために白血病で死去(66才)。
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