マリー・キュリーと放射能
©2013 Keiko Kawashima / Emi Higashiura
1 1859.5.5パリに生まれる。
2 1871市民革命のパリ・コミューンに父親が味方。
3 集団生活に向かず、高校教育までは自宅教育。
4 1875ソルボンヌ大学入学(16才)。
1878理学部の助手に(19才)。
5 兄ジャックと共に、研究と発明・発見の日々。
ピエゾ電気の発見と電気計の発明。
6 1883:パリの物理化学学校の実験主任に。結晶の対称性についての研究開始。
7 1894春マリー・スクォドフスカとの出会い(35才)。翌年にプロポーズ。
8 1895理学博士号取得。結婚してキュリー夫妻となる。物理化学学校の教授に。
9 1897妻マリー、放射能研究を開始。
10 1898ピエールも放射能研究に参加。ポロニウムとラジウムの存在を発表。
11 1902ラジウムの塩化物0.1gを単離。原子量と原子番号を決定。
12 1903ノーベル物理学賞受賞(43才)。
13 1903~4ノーベル賞のあと、フランスはピエールに、レジオン・ドヌール勲章を受けるように申し入れるが、すべて辞退。
14 1904ソルボンヌ大学教授に。マリーは実験主任となる。
15 1905パリ科学アカデミー会員選挙、ギリギリで当選。
16 1906.4.19馬車にひかれて死亡(45才)。
17 1995キュリー夫妻の遺体を、パンテオンに移葬。
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