6――新米パパとテディベア



実験室の客用ソファに腰掛けて、師の訪れを待つ剣士の、膝の上を可愛らしい物体が占拠している。といっても、「ぷぅ」「にぅ」と良い子のお返事も張り切った、重量20キロの小さなスーパー・ベビーのことではない。ユーグの膝で、ユーグと一緒にお行儀良く教授を待っているのは、黄色い熊のぬいぐるみだった。
ユーグには、人の理想の形を模した殺戮人形を愛でる傾向こそあれ、赤ん坊より小さなテディベアと戯れるような嗜好はない。にもかかわらず、膝の上のそれを両手でそっと包み込み、支えるように抱いている理由は、最近この膝を占拠している別の物体に起因していた。
「彼は、君を気に入ってくれるかな?」
手触りの良い、タオル地のぬいぐるみをちょんとつついて、ユーグはあれこれと、これを見た時の小さな機械化歩兵の反応を想像する。喜ぶだろうか。驚くだろうか。それとも警戒して、「にぅ」とユーグにしがみついてきてしまうだろうか……――想像しているのが何であれ、宙をぼんやり眺めて口元をニヤニヤゆるませるのは、ユーグほどの美形であってもあまり褒められた行為ではない。
通常のぬいぐるみよりも、ずっと丈夫な素材と縫製によって作られたこのぬいぐるみは、ユーグが出張先で買い求めたものだ。そして、かのベベ・トレスに献上する、記念すべき初の「おみやげ」ということになる。
くまぬいぐるみの首に巻かれた、男の子用のブルーのきらきらしたリボンをまめまめしく引っ張って直しながら、ユーグが数分後の幸福な未来に浸っていると、カチャ、と実験室の扉が開いた。
「おや……愛らしい同行者だねぇ、ユーグ」
メンテナンスが終わったのだろう。肩の辺りにしがみつかせたベベ・トレスをのんびり抱いて、火のつかぬパイプをくわえた教授が姿を現す。
「師匠こそ」
目の前のパイプに興味津々のヘヴィ級ベビーが可愛くてならず、膝の上のぬいぐるみを抱き上げて立ち上がろうとしたユーグは、だが、腰を浮かせかけたままの姿勢で、気圧されたように固まった。
パイプから視線を移した、彼の小さな同僚がまじまじと、……空恐ろしいほどまじまじと、というかむしろわなわなと、ユーグの膝を眺めている。
「あ、あの、神父トレス、これは……」
君へのお土産なんだけど。そう言う前に、「にうっ」ときかん気の返事が叩きつけられた。腕の中でなにやらばたばたしはじめたサイバーベビーに、ユーグに向く教授の視線も、ついつられて非難めく。
「今度は何をしでかしたのかね、ユーグ」
「何をって……俺はぬいぐるみを買ってきただけで……」
「にうっにうっ」
「トレス君の方ではどうも、非常なる憤慨を君に覚えているようなんだが――おやおや、少し落ち着きたまえよトレス君」
ペンより重いものなど持たない、と豪語する割に軽々と、ばたつく赤ん坊を抱き留めながら、教授は立ち上がったユーグへと歩み寄った。
「神父トレス、ほら、君へのおみやげなんだ」
どう機嫌をとったらよいのかわからず、とりあえず、ユーグは抱っこされたベベ・トレスの目の前に、両手でくまを差し出して軽く振ってやる。
すると、
「にうっ」
せいいっぱい手を伸ばした、小さな機械化歩兵はその丸々とした力強い手で、べしゃん! とユーグの手の中から、気の毒なぬいぐるみを叩き落した。
ユーグは唖然と、吹っ飛ぶくまをただ見送る。韜晦を粋とするアルビオン紳士の方は、落としかけたパイプを優雅にくわえ直すと、肩をすくめ、握り拳を振り回している赤ん坊をユーグに押しつけた。
「さ、後は父親(仮)の仕事だ。頑張りたまえ」
「し、しかし師匠……!」
差し出したくまさえ叩き落されるほどのご不興を蒙っていては、本体のユーグは何をされるかわかったものではない。及び腰になるユーグを無視して、「ほら」とふにゃふにゃずっしりした物体を弟子に押しつけると、師匠は問答無用でぱっと手を放してしまった。
「うわっ」
慌ててユーグが、力みっぱなしのサイバー・ベビーを抱き取って抱きしめる。だが、予測していた抵抗はまったくなく、むしろ振り回されていた握り拳はしっかりと、ユーグの僧衣と髪を掴んで離さない。
やれやれ、とそれを確認すると、これで義務は果たしたと言わんばかりに、適当に赤ん坊の頭を撫でてから、教授は実験室の奥に姿を消す。ただでさえ、時に痴話喧嘩としか思えぬいさかいが人形と剣士の間で繰り広げられているのだ。この上、その人形の下位端末と剣士の痴話喧嘩まで仲裁してやらなければならないほど、「師匠」という生き物が慈悲深い必要はないはずだった。勿論、隠しカメラでしっかり観察はさせてもらうとしても。


「……一体どうしたんだ、俺の可愛いキャベツくん?」
あやすように揺すりながら、ユーグはフランク語まじりで囁きかける。もう二度と離すもんか! という勢いで、しっかとユーグにくっついたまま、ヘヴィ級のだだっこは、ますますその顔をユーグの僧衣に押しつけた。
「あのくまが怖かった?」
「にぅっ」
「そうだな、君は勇敢な子だものな」
とりあえず、ユーグ本人がご不興を蒙ったわけではないらしい。それだけでも少し安堵して、ユーグは先ほどまでのように、ソファに腰掛けるとベベ・トレスを膝の上に据えた。
いつものようにお行儀良く膝の上に鎮座してはくれず、小さな同僚はもぞもぞと、ユーグの膝の上で丸くなる。
「ねむい?」
「にぅっ」
ベビーベッドには行かないぞ、と、べたんとうつぶせになって、膝の上を躍起になって占領している姿を眺めるうち、ユーグはふと、優しい想いに胸を満たされて尋ねた。
「俺の膝を……くまに取られたかと思った?」
「……ぷぅ」
ユーグの膝の上で力んだまま、抗議の眼差しで見上げてくる赤ん坊を、ユーグは即座に抱き上げて抱きしめた。
「馬鹿だな、そんなはずないだろう?」
ほお擦りされて一気にご満悦なベベ・トレスの顔を、じっと覗き込み、「いいかい、俺の天使くん」と大真面目に語りかける。
「あのくまは、君のために買われて、君と友達になりたくてここに来たんだ。だからあのくまは君のもので……君に愛してもらえなかったら、ここにいる意味なんて何一つない」
かしこげな大きな眼をぱっちりと見張って、ベベ・トレスはユーグを見上げる。じぃ、と聞き入っている良い子を抱き上げ、ふわふわの茶色い頭を撫でてやりながら、ユーグは立ち上がった。
床にころんと転がったままの、かわいそうなくまの傍らに、サイバー・ベビーを抱いたままそっと跪く。
「俺と一緒だ」
「うぅ?」
「俺も、君に愛してもらえなかったら、生きている意味なんてないんだ。だからこのくまは俺と一緒だ。君に救い上げてもらえるのを待っている」
どこまで理解しているものか。賢い機械仕掛の赤ん坊は、抱っこされたままユーグとくまを、懸命に首を動かして見比べた。
「ゆー?」
はっきりと発音されたその言葉に、ユーグは眼を見開き、それからふんわりと笑う。
「そう。ユーグと一緒」
ベベ・トレスは、不思議に分別くさい生真面目な表情で、うぅ、とうなりながら手足を突っ張った。その意味に気づいて、丁重に床に下ろしてやると、ばたんばたん、と力強いはいはいが、転がったままのぬいぐるみへと接近する。
そして心優しい赤ん坊は手を伸ばし、ぬいぐるみを捕まえるとぎゅうと抱きしめた。
「ゆーゆー」
かくほした。とでも言いたげに、ぬいぐるみをしっかり抱いて護っている、勇敢な、小さな彼の同僚。
ユーグが幾度血の沼に、溺れ倒れ伏し力果てようと、この小さなトレスの本体は、迷いなく強いあの腕を伸ばして、ユーグを支えて護ってくれる。
ぬいぐるみを掴んで離さない、懸命な身体を、再び抱え挙げてユーグはそっと、そのすべすべした額にキスをした。
「ありがとう、神父トレス……君はいつも、俺を救ってくれているんだよ」
「ぷぅっ」
当たり前だ、と言いたげに、張り切ってよい子のお返事をした、小さな身体のその下で、ふにゅ、とぬいぐるみの顔が抱き潰され、へらりと笑顔の形になった。






……物思いに沈みながら、それでもユーグは、手を動かすことを忘れてはいなかった。手の中の、くたびれたつぎはぎだらけのぬいぐるみは、千切れかけていた右腕をしっかり補修されて、縫いつけ直されていた。
怪力ベビーの手荒い友情に晒されている、この布製の友達には当然ながら、生傷が絶えない。それでもこうして、新しいつぎを当て、時には丸ごと部品を取り替えて、縫い直せばまた、小さな機械化歩兵の腕にしっかと納まるのだった。
「俺の身体も、君みたいに簡単なつくりだったらな」
糸切り鋏に手を伸ばしながら、ユーグは低い声でそう囁く。腕がもげても、首がもげても、縫い直せば元通りになる身体だったなら。そうすれば、無茶の結果の怪我のたびに、周囲を苛立たせることもなかったのだろう。いつでも、いつまでも、「彼」の傍にいてやることができたのに違いない。
小さく嘆息してしゃきん、と糸を切り落とした時、
「ぷぅ」
どこか寝ぼけた、ふにゃふにゃした声が聞こえてユーグは、己の寝台を振り返った。
つい先刻まで、ユーグの寝台を占領し、大満足の休眠状態にどっぷり浸かっていたはずの、サイバー・ベビーがぱっちりその眼を開いている。手元のランプの光を反射し、チカチカまたたいているその大きな眼に、ユーグはやわらかく微笑みかけた。
「天使くん、まだ起きる時間じゃないぞ」
「ゆー」
うぅ、とうなりながら仰向けのまま、ゆさゆさと己の身体を揺すっている小さな同僚の、主張するところに気づいてユーグは立ち上がった。
「はい、君の友達はこの通りだ」
「ゆー、ゆー」
大喜びでぬいぐるみを受け取り、赤ん坊はそれを隣にしっかり据えて、ばしばしと叩いて寝かしつける。彼――いや、その本体を含めた「彼ら」にとって、「ゆーぐ」という存在は手のかかる弟のようなものであるのかもしれない。
いいなぁ、と本気で羨みながらじっとぬいぐるみを眺めていると、くまゆーぐを確保したベベ・トレスは不思議そうに、ユーグを見上げてまた、うぅ、とじれったげにゆさゆさ揺れた。
「どうしたんだ?」
「ゆー、ゆー」
「……そこにいるだろう?」
「にぅ」
抗議の視線で見上げられて、しばし考え込み、鈍い男はやっと理解して神妙に頷いた。
「すまなかった。俺ももう就寝すべき時間だな」
「ぷぅ」
本当に手のかかる男だ、と言わんばかりに肯定されて、思わず口元をほころばせ、ユーグは部屋履きを脱いでベッドに上がる。
シーツの中に潜り込んできた、金の髪を右手に、直ったばかりのぬいぐるみの右腕を左手に、しっかり捕まえて赤ん坊は、満足げにふやふやとあくびをした。
「おやすみ、天使くん」
その丸々した頬にキスをして、ユーグは彼の宝物の、ふわふわ茶色の頭にそっと頬を寄せる。
両手に花ならぬ、両手に「ゆーぐ」の幸福な赤ん坊は、満足げに、あくびまじりの「ぷぅ」を返すと、ぱちりと眼を閉じて再び、休眠体勢に戻ったのだった。



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