2――新米パパとお義母さま




打ち沈んだ白皙の美貌を、物憂くさらに翳らせて、ユーグはじっと、色の洪水の前に佇んでいる。枯葉舞うパリの表通り、白樺の木の下に立っていてもおかしくないその、澄んだほの暗い眼差しが見つめているのは……
「……どう思う、神父トレス?」
「しつもんのいとがふめーだ、ばとーしんぷ」とでも言いたげに、ユーグの腕の中で、その胸にしがみついて顔を背けたのは……外出用の、漆黒の対面用抱っこひもにも一分の隙なく、しっかり護られてユーグの肩から吊り下げられた、重量20キロ弱のサイボーグベビーだった。
僧衣姿の、明らかに神父――しかも想像を絶する美形――が、片手に杖とも思えぬ棒を携え、肩から腹にかけて赤ん坊を抱っこひもで吊り下げて、立っているのはベビー用品……それも、色とりどりのベビーウェアの売り場の前だ。
「これだけ多いと、どれを選んだものやら気が遠くなるな。君の好きな服でいいんだぞ」
俺は機械だ、機械に好悪の念はない。……と、言えたらいっそ楽だっただろう。ベベ・トレスは面倒くさくなったのか、実に精巧なことにあくびをひとつして、そして休眠体勢に入ってしまった。
「やれやれ……困った」
暢気にそう呟いて、赤よりは青のほうがいいんだろう、とユーグは売り場をふらふらと移動する。あまりに非現実的な光景に、店員もつい声をかけそびれているらしい。
「あ、あの、し、神父様……?」
かえって、通りすがりの一般人のほうが声をかけやすかったのだろう。ひとりの女性が意を決し、そっとその僧衣の袖を引いた。
「何でしょうか?」
ストイックな眼差しにわずかにやわらかさを加えて、ユーグは振り返る。赤ん坊をぶらさげていても、はた迷惑な魅力満点のその美貌に気おされて、女性はふら、とよろめいた。
「その……神父様……そちらのお子さんは……」
ぼんやりと、何とか問いを発する女性に、「ああ」と軽くユーグは抱っこひもの中の赤ん坊をゆすりあげる。まさか、20キロ弱をぶら下げているとは女性も夢にも思うまい。
「親代わり……のようなものです。可哀想な境遇の子なので」
「まぁ……」
よくニュースになるように、この子もやはり、教会の前に捨てられていたのだろうか――と、勝手にその辺りを補完して、女性は目を潤ませる。
「神父様もお大変ですわね……?」
周囲で聞き耳を立てていた若い母親たちが、いっせいに頷く。
「何て立派なお心がけでしょう」
「さすが神父様ですわ……」
「この子は私の喜びです。大変などということはありません」
大真面目にそう答えてユーグは、これ幸いとばかりに女性に逆に問うた。
「ところで、この子にはどの服が似合うと思いますか? やはりこういうことは、ご婦人方がお詳しいでしょう?」


その夜、新品のベビーウェアにくるまれて、ユーグのベッドですやすや眠るサイボーグベビーの傍ら、剣士は黙々と倒立腕立てにいそしんでいた。
あと6回で1000、というところで、耳に留めたピアスからピピ、と警告音が鳴る。
「“アイアンメイデン”?」
<ご休憩中に申し訳ありません、ユーグさん。カテリーナ様がお呼びですわ>
「ミラノ公が?」
汗を拭き、僧衣を着込み、香水を吹き掛けながら問い返す。
<ええ。今日はトレスさん、ミラノで定期検診を受けてらっしゃいますから……今のうちに、ちびとれさんの備品を取りに来て欲しいと仰せですの>
確かに、ベベ・トレスは試験運用ということもあり、当の“ガンスリンガー”には一切秘されたまま稼動し、彼がローマにいる間は稼動を停止させられている。トレスが出払っている時でないと、備品の受渡しも満足にはできない。だがしかし、問題はそんなところではなかった。
「…………『ちびとれ』?」
思わずぽかんと聞き返す。
<あら、いえ、……小さなトレスさんの、ですわ>
どうやらミラノ公とシスター・ケイトの間で、このベベ・トレスは「ちびとれさん」で定着しているらしい。女性のつける仇名は可愛いな、と感心しながら、ユーグは眠るサイボーグベビーの手に、ぬいぐるみを抱かせて立ち上がった。ちなみに、この黄色のくまさんのぬいぐるみ、ベベ・トレスが「ゆー、ゆー」と呼びつつばしばし叩いて可愛がっているところを見るに、名前は「ユーグ」で決定しているらしい。すでに叩かれすぎてぼろぼろである。ユーグ(人間)の繕いも間に合わないほどであった。
機械化歩兵の愛情表現とは、実に恐ろしい。……本当に愛情によるものであるとするならば、だが。


慇懃に視線を伏せて執務室に入室し、顔を上げて、ユーグは一瞬、ひきつりかけた口元を意志の力で抑え込んだ。
「“ソードダンサー”、お召しにより参上いたしました」
「待機中にご苦労様です……小さいトレスの稼動状況はどうですか?」
デスクに端然と着席し、ペンを走らせていたカテリーナは、鋭い眼差しを書類からユーグへと移してそう問うた。
表情の選択に迷ったユーグは、結局、うやうやしげな無表情のまま、床に積まれた「備品」らしきものの外装から目を離して答える。
「は……現在は休眠中です。起床は明日4時の予定です」
「随分と早く起き出して来るのですね? 貴方がそのように設定したのですか、“ソードダンサー”?」
「……いえ、それは……」
カテリーナの声に微妙な「棘」を感じ取り、ユーグは一瞬ためらった。だが、ここで嘘をついてもしょうがない、と素直に言葉を継ぐ。
「……極力静かに行動するよう、気をつけてはいるのですが……俺が起きるとどうしても一緒に起き出してしまい……」
“ソードダンサー”の気配を読み取って起き出すとは、さすが“ガンスリンガー”としか言いようがない。もっともユーグは、ベベ・トレスにも実に正確な体内時計があり、ユーグが出かけてしまう時間を認識さえできれば、その時間にアラームをセットするぐらいのことはお手の物なのである――ということについてはまったく知らない。
「わかりました。貴方はしばらく朝課に参加せずとも構いません。自主トレーニングも時間をずらして行いなさい。……プログラムとはいえ、赤ん坊をそんなに早く起こしているのはどうかと思いますよ、“ソードダンサー”」
「は……申し訳ありません」
それってそんなに怒られることなんだろうか、とぼんやり思いながらも、ユーグは慇懃に視線を下げる。自然、床に置いてある「備品」に目が行き、そのままそっと視線をそらした。
「……あの、」
やはり自分から切り出すべきなのだろうか……そう恐る恐ると、上司を見る。
「何ですか?」
悠然と、綺麗に切りそろえられた自分の爪を眺めたままカテリーナは問い返す。
「『備品』とはやはり……この……」
「一人で持ち帰るのが大変なようでしたら、人手を出します」
暗に「そのぐらい大丈夫でしょう?」とやんわり確認されていることに気づき、ユーグは肩を落とした。
「……一人で充分です」
「ならとりあえず、“教授”の実験室か貴方の自室に移動させてもらえるかしら? ああ、それと……」
爪から離した剃刀色の視線で、じろり、とユーグを一撫でして切り裂くと、カテリーナはやんわりと、だが断然として言い渡した。
「小さいトレスのお洋服を、市街地で購入しているそうですが、その必要はありません。備品はすべてこちらで用意させます。いいですね、“ソードダンサー”」


「……師匠、俺はもしかしてセンスが悪いのでしょうか? 神父トレスはそんなにおかしな格好をしていましたか?」
小山のような有名ブランドの衣装箱に靴箱、愛らしい刺繍の施された毬、タオルケット、毛布、銃のおもちゃに車のおもちゃ……
それを頭の上まで積んで抱えあげた上に、台車に組み立て式ベビーベッド一式を載せて入ってきた弟子に、憂鬱かつ深刻げにそう相談され、師匠はしばし、黙って彼を見返した。
やがて至極優しい声で、多分に同情を込めて諭してやる。
「ユーグ……どのご家庭でも、赤ん坊の衣装を姑が買うか嫁が買うかはもめるものだよ」
「はぁ!?」


気がつけば婿と嫁の苦労を一身に背負っていたユーグが、自室でベビーベッドの組み立て説明書を読んでいると、ぱちり、とサイボーグベビーが眼を見開いて彼を見た。
「神父トレス?」
うつぶせで幸せそうに休眠していたはずの、とある有名ブランドの実に愛らしいふりふりベビーウェアを着せられた赤ん坊が、ばたん、ばたん、と重たい手足を暴れさせ、はいはいの体勢を取っている。ユーグはいささか慌て、説明書を放り出して立ち上がった。
ユーグのベッドから勢い良く転がり落ちようとしているベベ・トレスを、何とかキャッチし、もう一度戻して寝かしつけてやる。
「すまないな、うるさかったか?」
肝心なところで致命的に鈍い男がそう問えば、ぐずるように赤ん坊は手足をばたつかせた。フランク王国流の上流階級に育ったユーグは、親子のベッドが別であることに疑問を覚えない。それでも、とりあえず機嫌が悪いらしい、ということだけ理解して抱き上げてやれば、途端に赤ん坊はおとなしくユーグにしがみついた。
「よくわからないがわかったよ……ベッドの組み立ては、明日にしよう。俺ももう寝るから」
「ぷぅ」
物分りの悪い大人のやっとの譲歩に、満足満点の肯定を送ってやると、ユーグが一緒にベッドに入り、自分の頭をなでてくれたのを確認してから、ベベ・トレスは勝ち誇って眠りについたのだった。



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