序――新米パパ誕生



互いに各国を飛び回る身だから、「剣の館」や「スフォルツァ城」で顔を合わせる機会を、派遣執行官たちは基本的に大切にしている。特にユーグと教授には、師弟関係という絆と共に、義手の調整・被調整という関係も加わっていたから、彼らは必ず、寸暇を惜しんでも顔を合わせるようにしていた。
その日もユーグは、教授の在室を聞きつけて、「剣の館」の廊下を急ぎ足で実験室へと向かっていた。
南国での任務は、義手に少なからぬ負担を強いていた。人間としての極限を超えて稼動するユーグの全身にとって、それがどれほど精巧かつ頑丈であったとしても、「余所者」の義手は時に「足手まとい」となる。こまめなメンテナンスを必要とするのは、鍛えぬかれた生身に、義手がついていけずに金属疲労を起こす可能性が高いからだった。
コンコン、と控えめに部屋をノックすると、「開いてるよ」と変わらずに穏やかな声が答えてくれる。
安堵感を生み出すその声に、目元を和ませて、扉を開き、後ろ手に閉める。そして挨拶の口上を述べ――かけた。
「失礼します、マス――」
ター、と吐くはずであった息が、「ヒッ」と引きつったきり途絶えたのは、ユーグの失態ではない。
「やぁ、ユーグ。丁度いいところに来た」
珍しく煙を吐いていないパイプを、それでも頑固にくわえた彼の師――が、膝の上に大事そうに抱えている物体を、見てしまったためであった。
「だっ……」
「『だ』?」
「だ……だ……誰が生ませたんですか師匠!」
俺じゃない! とでも言いたげに、扉にべったり背中を張りつかせて青ざめたユーグを、教授と、教授の膝の上の物体はまじまじと見つめる。
やがて教授は、貴族らしい優雅な冷淡さでユーグのたわけた発言をスルーし、「かけたまえ」と、自分が腰掛けている椅子の向かいのソファを指差した。
ぷぅ、と何だかふにゃふにゃした声が、教授の膝からもれる。
既にぐらぐら揺れる視界のままに、その場に倒れて気絶したくなりつつも、ユーグはよろよろとソファに向かい、そこに沈み込んだ。
きらきら、忙しげに黄緑やオレンジの光を透かせる、大きなぱっちりしたその眼差し。
教授の膝の上に、抱きかかえられている物体は――……恐ろしいことに、とある機械化歩兵に酷似した、実に愛らしいひとりの赤ん坊なのであった。


「とりあえず、これでも飲んで落ち着きたまえ」
ミネラルウォーターの瓶を手渡されたユーグは、動揺と焦燥にかたかた震える手でそれを受け取り、何とか零さずに一口、水を飲み込んだ。
たじろぐほどにおっきな眼を見張り、ユーグのダメっぷりを観察している赤ん坊は、やがて利口げに、そう、「ばとーしんぷはたいちょーにふぐあいがしょーじているよーにみうけられる、ぷろふぇさぁ」とでも言いたげにユーグと教授を見比べる。
「やぁトレス君。知っているだろうが、彼はユーグ・ド・ヴァトーだよ。大丈夫、今はあんな緑色の顔色をしているが、普段はもう少し落ち着いているはずだからね」
「……マ……マスター……そこの……その……」
「だから落ち着きたまえよユーグ。彼は厳密に言って『生き物』ではない。むしろオートマタに近い存在だ」
神父トレスが生んだのでも生ませたのでもないのだ、ということをまず強調して、ユーグに溜息をひとつつかせ、教授は「落ち着いたかね?」と冷静に確認を取ってくる。
「は、はい」
「よろしい。いいかね、よく聞きたまえ。これは神父トレスの寿命を左右すると言ってもいい、とても大事なプロジェクトなんだ」
「……『寿命』……?」
「そう。彼の『脳の寿命』だよ」
軽視すべからざる発言に、ユーグの顔は一気に、別の意味で青ざめ、そして引き締まる。
ユーグは詳しく事情を知らないが、トレスの生体部品――大脳と小脳の一部には、人為的なガードがかけられ、その働きはがんじがらめに機械へと縛りつけられている。それはトレスの脳に多大な負荷を与えており……そもそも、彼を含むHCシリーズ10体に使われた生体部品は、試作ロットにも関わらずすべて同じ被験体の脳を使用していることからもわかる通り、その多大な負荷に耐えうる生体部品は、たった一種しか見つからないほどに深刻なものなのであった。
人間でさえ、年を取れば痴呆が生じるというのに、その人間の脳をぎりぎり搾り上げ、締めつけ、無理矢理捻じ曲げているトレスの脳が、いったいどれほどの期間、正常に保たれるものなのか――……それは、ローマ最高の知性と謳われる“教授”をもってしても、予測不能なことであるらしい。
教授の発言を聞きながら、膝の上の「トレス」と呼ばれた赤ん坊は、至極まじめくさった顔で、「ぷぅ」と身体を前後に揺らした。大人たちの長話に飽きつつあるようだ。
あまりの愛らしさにユーグが眩暈を覚える暇もなく、
「神父トレスには『愛された赤ん坊』の記憶がなく、そもそもストレスに弱く造られている。生まれた時にはすでに殺人機械として酷使されていたわけだから、彼の精神は、一度機械の制御を離れてしまえば実に不安定な代物なんだよ。
 そこでこのトレス君が、僕――このWWWの手によって造られたわけだ」
どん、と赤ん坊トレスが来客用のテーブルの上に据えられた。
「師匠……そこで一気に話が見えなくなったのですが……」
「困った弟子だねぇ。まぁいい。これは神父トレスの下位ルーチンだ」
「下位ルーチン……?」
「わかりやすく言えば、愛玩用トレス君だ」
「……間違った方向にわかりやすすぎるような気がします」
ぐったりするユーグに向けて、大きな頭とおむつのお尻のバランスを懸命にとっていた赤ん坊トレスが、不意に、べたん、とうつぶせに倒れる。「うわっ」と不恰好な悲鳴をあげて支えようとしたユーグの手を不思議そうに眺め、赤ん坊はたくましく手をついて、はいはいをはじめた。
机の端まで歩いてくると、鷹揚に「だっこしろ」と無言の圧力をかけてユーグを見上げる。
「そのトレス君は、神父トレスの意識下の、ある領域と常時接続されている。つまり神父トレスの一部分だね。君がここでこのトレス君を可愛がれば、神父トレスの意識下には、彼が気づかぬままに満足感が生じ、彼の『愛情を求める心』は充足されるんだ。……普段、君や僕をはじめとするAx連中にうんざりするほど愛されてる『大人の意識』だけではなく、意識下の幼い精神も、二人分ね」
ユーグは教授の言葉を聞きながら、じぃ、とにらめっこを挑んでくる赤ん坊の顔を、ただ見返していた。この愛らしい赤ん坊の姿で、“ガンスリンガー”は、全身がまだ生身であった頃、試験管の中に浮いて眠っていたのだろうか。そんな罪のない赤子を10体も、抱いて慈しむこともあやすこともなく、育て、ただ生物的に成長させ、頭を割り、脳を取り出して機械に移植する。
……そんなことが人間の所業として許されるのだろうか。
思わず抱き上げようと手を差入れれば、その身体は機械らしくずっしりと重く。それがさらに悲しくなって、ユーグはその力強い手で、しっかりと赤子を抱き上げ、不器用に抱きかかえてやった。
「まぁ、理屈は置いておいても。ただの自己満足に過ぎなくても、彼の意識下に、こっそりそんな記憶を残すぐらい許されるべきじゃないかね。少なくとも僕はそう思う」
「――仰る通りです」
驚くべきことに、機械の赤ん坊は、人間の赤ん坊にどこか似通った匂いがした。ミルクの匂いだ、と思い至ると、眠たげにぱちぱち、と作り物の眼がまばたきをする。
だが、ユーグのしんみりした物思いは、続く教授の一言で微塵に打ち砕かれた。
「というわけで、頼んだよ」
「……」
しばらくぼんやりと教授を見上げ、やがて、さぁ、と血の気を引かせる。
「…………はぁ?」
「8秒もかかってその返答かね。そんなことではパパとしての資質が疑われるよ」
「パ……パパ!?」
「別にパパンでも構わないがね。ミラノ公には許可を得ているよ。彼は僕が精力を注ぎ込んで、人間の赤ん坊そっくりに作ったんだ。皮下循環剤はミルクに擬装したから、定期的に摂取させて体内で交換させる必要があるよ。そうそう、老廃物と一緒に旧い循環剤は下からちゃんと排泄されるから、おしめも替えてやらなきゃならない――さすがに皮膚がかぶれたりはしないが、放っておかれるとさぞかし不快だろうねぇ。そうやって手をかけさせるのも、赤ん坊の立派な仕事なんだ」
得々と講釈する教授の顔を、ユーグは口を開けたまま、そして、ユーグの髪を握りしめ振り回してご満悦のトレスを膝に抱いたまま、ただ、愕然と眺めやるだけだった。


こうしてユーグは、「赤ん坊トレスの専属パパ」の任務をカテリーナより拝命し――……機械化歩兵の恋人未満との愛も円熟させえぬままに、その恋人未満と同一人物の、機械化歩兵な可愛い赤ん坊の父親になってしまったのだった。



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