確かに、恋人と一緒の任務に浮かれていたことは認めよう。
毎度毎度命がけのはめに陥ったり、大怪我をした挙句病院送りになるおかげでただでさえ貴重なデートの時間がますます少なくなったりすることの多い任務だが、今回ばかりは比較的内容も難しくなく、半ば普段のご褒美的ニュアンスが強いのではないかと勝手に思っていたことも否定しない。
だが。
しかし。
それ以上に。
――そもそもが任務を受けた時から悪い予感がしていたのだ。
目の前で今にも踊り出さんばかりに満面の笑みを浮かべている、自称天才デザイナーのいやらしげなチョビ髯を眺めながら、ユーグ・ド・ヴァトー神父は、その日、人生何度目かにおける落とし穴に嵌ったことを自覚して、締めた奥歯の間で苦い虫を噛み潰した。
「だからね、何度も言うように、アタシの知ったこっちゃないのよね、そんなことは」
目の前で藍色のチョビ髯がもぐもぐと動いている。
ミラノ、冬の女王の衣裾がようやく和らぎを見せはじめる季節。ファッションの都と呼ばれるこの街では、各所で野心的なデザイナーたちが自らの生み出した作品を社交界にお披露目するべく、街のあちこちで様々な規模のショーを繰り広げる。
その数ある会場の中の一つ、貴族の別邸のサロンを改装した特別会場の片隅で、
「それよりもアタシは、明後日のショーを成功させる方が大切なの」
新進気鋭、ついでに自意識と自信もたっぷりな自称天才デザイナーの一人、パレオ・ロッソは、ネイルアートも鮮やかなぷっくりとしたパンのような手を、護衛にと派遣された二人連れの神父の眼前で、ひらひらと宙に泳がせた。
「今回の任務はなかなか楽しそうだよ、ユーグ」
先夜、金髪翠瞳の不肖の弟子を呼び寄せた彼の師匠――ウィリアム・ウォルター・ワーズワース博士は、ミラノ公のサイン入りの書類を手元に、茶目っ気たっぷりにそう言った。
「君と《ガンスリンガー
》が携わるのは、ちょっぴりスリルに満ちた宝探しだ」
「……宝探し、ですか?」
困惑する弟子に向かって、ワーズワース博士は実に楽しそうに頷いてみせる。
事の発端は、半月ほど前にミラノのさる貴族が代替わりしたところにある。
父の代に金で爵位を買った、貴族としては決して名のある男ではなかったが、その邸宅に集められた蒐集品に関してだけは特筆されるものがあった。
「亡くなった彼は偏屈な蒐集家だったけれど、その筋では評判の確かな目を持っていたよ。彼の蒐集品は実に多岐に渡っていてね、その中にはいささか物騒なものも含まれていたわけだが――最たるものが、発掘復元された遺失技術の行方を示した暗号図だったりするんだ」
近年、各国において遺失技術の発掘復元が盛んなことは知っているね? と愛弟子の世俗知識を確かめるように彼は続けた。
「調査発掘の対象となっているものは、主に軍事目的のものなんだが、それらの中でも価値が高くかつ危険なものの一つに噴進爆弾がある。その最も危険なものが核弾頭搭載の噴進爆弾なのだけれど、それが百年前に発掘復元された後、いずこかへ隠されたのだというよ。……彼が持っていた暗号図はその在り処を示しているのだそうだ」
「持っていた、ということは、現在は行方不明ということでしょうか?」と、ユーグ。
「ところがそうでもなくてねえ。いろいろあって、肝心の暗号文は今現在彼のいとこにあたる人物が所有しているのが判明しているんだよ。交渉自体も済んでいるし、あとは受け取ってくるだけなのだが……うん、問題はその人物にあってね」
いささか変わり者なんだよ、と自身は遠く棚の上にあげて師匠は言った。
「まあ、なんというか、ああいう業界の人間には比較的よく見られる変わり方だとは思うのだがね」
具体的にどう変わっているのかはぐらかしたまま続ける師匠に、嫌な予感をおぼえながらも、ユーグは、「はあ」と相槌を打つより他にない。突っ込んで聞いたところで、話すつもりが無い時の師匠には、どこまでもはぐらかされて答えをもらえることはないと、長年の間に学習した結果だ。
「任務は、期日まで彼を守りきり、当の暗号文を貰ってくること。彼は変わり者だけれど、まあ君達なら大丈夫だろうとミラノ公も僕も期待してるんだ。
そうそう、彼のことは他国の人間も目をつけているようだから、うっかり横から奪われてしまったり、暗殺されてしまったりしないようにも気をつけなければならないよ?」
――で、これのどこがスリルに満ちた宝探しなのだろう? そもそもちょっぴり変わり者程度で済む変り方なのでしょうかこの男は……師匠!
生命の危機よりもショー優先、ついでに何やら怪しげかつ胡散臭いパレオ・ロッソのオネエ言葉とその身のこなしに、ユーグは真剣にこの任務をまわした上司カテリーナ・スフォルツアの人選と、多分その人選に一枚噛んでいるだろう師匠の茶目っ気を呪う。
「しかし、先日も脅迫文が届けられたとお聞きしています。ショーを中止するか、せめて身辺に護衛をつけられた方が宜しいのではないでしょうか」
「ショーの中止なんてとんでもない!」
提示された案に、デザイナー氏は震え上がる。
「それこそ、来期に首を吊ったアタシ達のお墓が拝めちゃうわよ。護衛官もいらないわよ、そんなもの。暑苦しい男が周りをうろちょろするのなんてごめんだわ。……でも、そうね……」
ユーグの全身を検分するように、頭のてっぺんからつま先まで、鋭い視線がざっと撫でた。
「……そこまで言うなら好きになさいな。貴方達ならアタシの美意識にもかなうし、傍をうろちょろして邪魔さえしなければ気にはならないわ。無事ショーが終わったら、約束のものだってちゃんと渡してあげる」
「…………………ありがとうございます」
金髪の青年剣士は慇懃に頭を下げる。初っ端から壁に弾かれっぱなしの任務だが、なんとか予定通りに遂行できそうだ。……と、思った矢先、
「それより、ねえ、貴方、アタシのショーに出てみない? 今貴方たちを見ていて、すっごく素敵なドレスのインスピレーションが湧いたの! きっと似合うと思うのよ。ね、ちょっとだけでいいから、衣装を着て舞台を歩いてみないかしら?」
ちょび髯が、ユーグの両手を取らんばかりに暑苦しく迫ってきた。
今にもとって食われそうなホラー映画並みの迫力に、ユーグは内心悲鳴を上げて、心情的に百メートルばかり後退する。
「い、いえ! それは結構ですッ」
「そう言わずに! 貴方の金髪と翠の瞳には白の総レースなんてどうかしら。王子様風に……ううん、むしろもっと腰を絞った女性的なラインのドレスにしてもいけそうだわ。そっちの彼も!」
デザイナー氏の矛先は、傍らに待機していた人形のように整った顔立ちの小柄な神父――機械化歩兵のトレス・イクス神父にも向けられた。
「否定。任務遂行上その必要性が認められない」
すげなく断る機械化歩兵。くねくねくねりん。ちょび髭が魅惑的(?)にヒップをくねらせて、紅涙を絞らんばかりに悔しがる。
「ああん、そんな、もったいないわ。この焼き菓子みたいに茶色い髪と目、つるっつるのお肌! 小柄で均整の取れたプロポーション! 濃いめのブルーとモスグリーンのドレスと合わせたら、野性の小鹿みたいで素敵だと思うの!」
――師匠、これは新手の試練でしょうか?
自分もイクス神父も女性物の衣装を着て喜ぶ性癖はない。絶対に。そして、同性に女性物の衣装を着せて喜ぶ趣味もない。ほぼ確実に。
ユーグは思う。
――でも少し見てみたいと一瞬でも思ってしまった、罪深い俺を許してくれイクス神父。
その手の趣味は無いはずだが、ナニをどう間違ったのかどこからどうみても男性型ボディを持つ機械化歩兵トレス・イクス神父とくっついてしまった青年は、普段、トレス相手に「可愛い」だの「美しい」だの囁いていたりもするのだが、流石に今まで恋人にそんな倒錯的な格好をさせて眺めてみたいと考えたことはなかった。硝煙の香り漂う恋人を小鹿と称したことも……多分、無い……はずだ。
「拒否する」
再度拒否され、新進気鋭のドレスデザイナー、パレオ・ロッソは残念そうにため息をつく。
「仕方無いわね。気が変ったら言ってちょうだい。アタシは何時でも! 待っているから」
「…………………いえ。最終日まで護衛頑張ります」
金髪剣士のかろうじて作った引き攣り笑いが、濃すぎる空間に漂った。
リハーサル前の舞台裏はとかく慌しい。
当日の衣装に合わせる小物がまだ出来上がっていないとの連絡に、悲鳴のような怒鳴り声がかけられる。
冗談じゃないわ! 死ぬ気でショーでに間に合わせなきゃ、あんたたちホントに殺すわよ! こっち、合わせる靴が足りないわ。何言ってるの、そのドレスは裸足でってなってるでしょっ。このチークの色じゃダメ、お化けみたいよ。あと少し赤みの強いものを頂戴。あっちの部屋においといた照明用の色ラップだれか持って行ったか? フリュイが抱えて歩いてるのを見たよ。ラインが死んでる、明日までにあと一ミリ上にかがり直して。ねえこのスプレーかゆくなるわ。他のに変えてよ。ああん上出来、素敵よミーア。この蜂みたいなウェスト、惚れ惚れしちゃう。ちょっと貴方、そんなとこに居ちゃ邪魔よ! 壁際にでも寄ってなさい。はーい、皆、カッフェとパニーニが届いたわよ! 手の空いた人から休憩して!
整然と、雑然と。
混乱と、秩序と。
「はい。貴方の分よ」
「え、あ。いいのか? ……ありがとう」
早々に現場に見切りをつけ巡回に出てしまったトレスとは別に、追い立てられ壁際に突っ立つはめになったユーグは、差し出されたペーパーバッグと傍らにもたれた女性スタッフの顔を交互に見やり、ぎこちなく笑んで礼を述べた。
「どういたしまして、場違いな神父様」
「…………っ」
思わず口をつけたコーヒーに咽てしまった。ハンカチで口元を拭き拭き、
「そんなに目立つかな?」と、ユーグ。
「当然。ファッションショーの現場に巡回神父様なんて、何の冗談だろうって感じじゃない、神父様? それがパレオが考案した新手のドレスだってのなら別だけど」
赤毛の女性スタッフからは、なかなかに手厳しいそんな答えが、さらりと返ってくる。くじけ気味の青年神父に、彼女はにっこりと笑いかけた。
「私はリアラよ。リアラ・ロッソ。パレオのアシスタントをしているわ。神父様、お名前は?」
「俺はユーグ……ユーグ・ド・ヴァトー。肩書きは見ての通り巡回神父だ」
「ヴァトー神父様ね。宜しく」
「宜しく。マドモアゼル・ロッソ。その、君はもしかして…・・・?」
「ええ。パレオは――父よ。……似てないでしょ?」
「あ。いや、その……まぁ」
「正直ね、神父様」
返答に窮する青年に、リアラは今度こそ楽しそうに声を上げて笑う。
「正直な人は好きよ。パレオはあまり正直な方ではないから、反動かしらね、好感が持てるわ」
「それは……なかなか手厳しい言われ方だな。ムッシュー・ロッソはそれほど誠実ではない?」
「そうね。私との約束は、いつもすっぽかされてばかりだわ」
あの様子じゃ仕方がないけど、と、リアラはショーの準備にばたつくスタッフ達の間を縫って忙しく動き回るロッソをちらりと見やると、諦めたようにひとつ肩をすくめる。
「参ったな。俺も一つ大事な約束を頂いているんだが……」
「あら。じゃあ、忘れないように四六時中ロッソに張り付いてなくちゃ」
冗談めかした言葉だったが、すみません神様お嬢様、それは勘弁してくださいと、青年神父は床につっぷしそうな気分をかろうじて堪える。
昨夕護衛任務について以来、胸に抱きつかれた回数三回、尻を触られたこと二回、肩や腰を抱かれたり上腕に触られること各一回。既に、このセクハラ親爺、テロリストに合う前に俺がぶった切っていいですか、な気分のユーグだ。
「なんてね。でも、今回のショーに関しちゃ、多少約束をすっぽかされたくらいじゃ、私も怒れないのよね。ようやく踏み出せた夢の一歩ですもの。
ショーを開くのって、体力も気力も消耗するし、もちろんとってもお金がかかるの。ロッソはこのショーの資金集めにあちこち走り回ってたわ」
従兄弟が残してくれた遺産のおかげで、もうその必要もなくなったみたいだけど、とリエラは続ける。
「でも、それでお金の心配はなくなったけど、おかげで色々恨みは買っちゃったみたい。ただでさえあの言動でしょ、眉を顰められることも多かったけど、今じゃ一族の人たちから、すっかり嫌われちゃったわ」
よくある話だ。それまで温かだったはずの身内の人間が、利権が絡んだ途端、憎悪の視線を向ける。掌を返したように、冷たくなる――それは、ユーグ自身も生家の没落とその後の十年を経て嫌という程思い知った現実だ。
「あ……それは、何と言うか……その、とても気の毒だと思う」
その潔さと無骨さからサムライとも呼ばれる青年神父は、適当な慰めの言葉を捜そうとして失敗する。
丁度その時、隣室から悲鳴と、重いものが落ちて壊れる大きな音が、響いた。