異界なる白き腕 




水場を見つけ、獣を狩り、草を摘むのは、アラゴルンとレゴラスの仕事だった。彼らは共に、森に生きる術に長けていた。ガンダルフを喪ってからの、以前にも増しての苦しき旅の中、彼らはできるだけ、美しい水と美味しい食物を探して方々を歩き回った。特に、森の中を歩いてさえいれば疲れすら感じることのない森エルフであるレゴラスは、一行の道行きの責任を重く肩に背負ったアラゴルンを置いて、ひとりでさっさと森をさまよいに行ってしまうことが多々あった。
その日も、日が暮れる前に泊まれる場所を確保しようと、立ち止まった彼らを置いてさっさとレゴラスは森に消えていこうとする。
「レゴラス、ひとりじゃ――」
危ないぞ、と言いかけて、レゴラスの振り返りざまのからかうような微笑に、アラゴルンは沈黙するのがオチだった。「そのへばった野伏を捕まえておいてくださいね、ボロミア!」と、手を振ってレゴラスは森に消えていく。あるいは、草原の草の狭間に気配を隠す。森の中に、草原の中に、自然の中にある限り死なない。その軽やかな自信は、草を踏みしだきもせぬその足取りにしかと、現れていた。
「まったく、彼と来たら」
ぶつぶつ言うアラゴルンも、本当に「へばって」いたらしく、やがて沈黙してぐったりと瞳を閉じてしまった。
道案内の緊張に、警戒、心の傷、身体の疲れ。
「しばらく寝かせてさしあげるがよいでしょう」
ホビットたちに頼んで暖かい寝床を作ってもらうと、ボロミアは盾をその場に置き、旅装に剣ひとつを佩いた軽装で立ち上がった。
「どちらへ?」
岩の如く頑健なドワーフが、薪を取って戻ってきた所に出くわす。
「エルフの時間間隔が少々心配でしてな。彼にとってはいとしい故郷にも近い森の中で、もしや三日ほどもふらついて帰るのではないかと」
「ありえますな」
ギムリは心底からの溜息をついてやれやれと首を振る。
「あのエルフと来たら、まったく。あれが本当にエルフなのかどうか、わたしは真剣に疑いますぞ。あっちへふらふら、こっちへふらふら、あんな浮かれエルフ見たことがない」
「……たしかに」
最初の発言が、寝入る前のアラゴルンの呟きとほぼ同じだったことに気づいて、ボロミアは口元を綻ばせた。


エルフは、何か異変が起こって自分を誰かが呼びに来た時に、すぐに見つかるようにと、仲間に彼特有の合図を教えていた。目を凝らして探していくと、道々の曲がり角となる樹の枝に、緑色の紐が目立たぬように結わえてあるのが見つかった。レゴラスの道標だ。
それを辿りつつ歩いていくと、まるで導かれたようにまっすぐ、森が開けていくのを感じる。
(エルフとは不思議な生物だ)
何となく敬虔な思いにうたれて進むと、広場のように森が切れている箇所に辿り着いた。
泉だ。
「……?」
足下に上着が転がっている。
視線を泉に向けると、水際の岩に、こちらに横顔を向け、まばゆい半裸が岩に覆い被さるようにして水面に身を乗り出している。
「!?」
赤みを帯びはじめた西日を、反射してまさしく眩しい白い肌に、なんとなく目が眩んでボロミアはその場でよろめいた。すぐに、上半身が裸であるだけだと、思い直して声をかけようと一歩踏み出し、立ち止まる。
レゴラスは岩に頬をもたせかけるようにして、岩の上にうつぶせに横たわり、身を乗り出し、手を伸ばして水の中に両腕を浸けていた。
(……一体何を?)
水は静まり返っている。鏡面のようにはっきりと、水に秀麗な横顔が映っているのが見えた。
まるで、水に映った己の顔に魅入られたかのごとく、レゴラスはじっと水面を見つめて動かない。
なぜか声をかけることができず、茫然とそれを眺めていたボロミアは、だが、不意に、レゴラスがびくりと震えたのを見つめて思わず飛び出した。
腕がずるりと一瞬水の中に引き込まれ、その顔はいっそう水面に近づいて、その水面にくちづけでもするかのように引きずり込まれかける。
それはまさしく、水の中にいるもうひとりのレゴラスが、水中に彼を引き込もうと、腕を引いたかのように見えてボロミアはぞっとした。
「レゴラス殿!」
駆け寄って岩に半ば乗り上げ、レゴラスの両肩を掴む。冷たい。
「レゴラス殿!」
言いようのない不安にかられてボロミアは再び叫んだ。


「はい?」


両手を水面に突っ込んだまま、首を傾げるようにして見返り、裸の肩ごしに振り返ったエルフの笑顔は、いつもと変わらず屈託なげであった。


「……まったく、あなたというエルフは!」
言ってから、今日この発言をしたのは自分で三人目だということに思い至る。
「何がです?」
心外そうにレゴラスは、しんどそうに首を捻じったままボロミアをじっと見つめている。気が抜けたような照れくさいような、おかしな気分でボロミアは、
「わたくしはまた、あなたが何かに引きずり込まれているのかと、……さぁ、まず、何だか知りませぬがその手を抜きなさい」
とがみがみ言いながら、脇の下に手を差し入れて力任せに、エルフを引っこ抜くように抱き起こした。
途端に、水が勢い良く跳ねてレゴラスの前面を水滴だらけにしてしまう。
「今度は何なのです!」
「鱒ですよ」
レゴラスの両手には、尾びれの付け根を握られた二匹の魚が暴れていた。
「…………はぁ?」
「だから、小さい人たち用の食事ですよ。あと二匹捕まえるつもりだったのに、あなたが大声で散らしてしまったんです。小さい人たちには半身ずつで我慢してもらいましょう」
思わずボロミアはその場に座り込んで天を仰ぐ。
「ボロミア?」
魚を両手にぶら下げたまま、レゴラスは水滴の無数に跳ねた顔を近づけて彼を覗き込んだ。
「……悪いのはわたくしではない」
天を―ーその顔を見上げたまま、ボロミアはぽつりとそうつぶゃく。
「え?」
「悪いのはあなたです、レゴラス殿。
 あなたは、すぐに、我らとは遠く離れた世界に、ふらふら行ってしまいそうで。
 いつも我らは冷や冷やしていなければいけないのですぞ」
「……それはすまないね」
よくわからなさげに首を傾げながら、レゴラスは明らかに「とりあえず」といった様子でぺこりと頭を下げて謝る。
「適当に謝っていただくぐらいなら、謝ってほしくはありません。さぁ、とりあえずその魚を置いて、身体を拭いて、服を、」
「置いたら汚れますから、このまま持って帰りますよ。わたしの水袋と服を、持って来て下さい!」
「あなたはその格好のままアラゴルンの前に出るつもりですか! わたくしは断じて反対ですぞ!」
「……なぜアラゴルン限定なんですか?」
「う……」
まさか、仮にも主筋にあたるアラゴルンを、とっさに色情狂の如く扱ってしまったなどと言えるはずもなく。目を逸らしてボロミアは、だが、有無を言わさず腰から布切れを引き抜いてごしごしと、顔から何からところ構わずレゴラスの体をこすった。
「痛い! 熱い! 痒い!」
大騒ぎするレゴラスが魚を持ったまま森の中へ逃げ込む。
「待ちなさいレゴラス殿!」
とりあえず、自分でも世話焼きっぷりにうんざりしながら服と水袋をひっ抱え、後を追って森の中に飛び込む。
「レゴラス殿、レゴラス殿、どこです!?」
「ねぇボロミア、」
不意に斜め後ろから声をかけられて、思わず服を取り落とした。律義にかき集めて拾い上げながら振り返る。
レゴラスはいない。
「レゴラス殿……レゴラス!?」
思わずアラゴルンのように声を荒げて呼び捨てにすると、
「わたしは思うのだけどね、ボロミア!」
再び斜め後ろから。いや、今度は横から? それとも斜め前?
エルフの魔法か、声の方向を断定することができない。
「レゴラス!」
「いつもはらはらしているのはわたしの方だって、一緒なんだよ。
 いつあなたたちは、わたしがもう二度と逢えないところへ行ってしまうんだろうって!」





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