死神とチャントを歌う夜――1



真昼のようなルミナリエの下を、急ぎ足の人々がひしめきあう。色とりどりの電飾に照らされた色とりどりのコートが行き交うさまは、さながら、現代の回り灯篭だ。
聖夜に天上の星が見えなくなる頃からか。地上の星がこうやって不夜城都市を無限に彩るようになったのは。
「……?」
ひとりの通行人が、ふと、夢幻のルミナリエを飲み込むような闇のひとひらに目と脚を留める。隣に腕を組んでべったり貼りついた恋人も、自然、同じように脚をとめた。
「どしたの?」
「いや、あれ」
野次馬ふたりの視線の先にあるのは、黒いコートをはためかせ、バッグひとつ持たず、頭ひとつ群衆より飛びぬけた長身。糸杉のような見事なプロポーションだ。あの長身ならおそらく男性なのだろうが、すらりとしてなお堂々たる、あの後ろ姿を見ると女性と見まがう。モデルかもしれない。
顔は見えない。つばの広い古めかしい帽子をかぶっている。ご丁寧なことにその帽子まで漆黒だ。わずかに見える口元が、く、と笑みの形に歪む。蒼ざめているのか、と勘違いするほどに白い貌だ。


つと、その黒いコートの腕をつかんだ手。野次馬ふたりが足を止めたのは、その手の存在だった。
「なんだろ、あのふたり」
「なんかちょっと、変なフンイキよね。……あっ喧嘩してる」
視線の先で、黒い帽子の下の薄い唇は、笑みを消し、不快げに唇の両端を下げる。
それに対して、腕を掴んだ、これはまた対称的に見事な金髪の、ダッフルコートで着膨れた中肉中背の……
「いくつぐらいだろ?」
「どっちもよくわかんねーな。ちっちゃい方は15・6? あーでも18ぐらい行ってるのかも」
「黒い人はあれだね、20代……ぐらいしかわかんないね」
観察を続けるふたりの前で、「ちっちゃい方」――といっても、彼とて充分に背は高いのだが――は、何やら激しい口調で、黒コートの腕を掴んだまま訴えかけている。
「必死じゃん。なんだろな」
「ていうか――通じてないね」
その口調の激しさに、周囲の人間も、不審そうに振り返り振り返り、通り過ぎていく。黒コートもまた、あっさりとその手を振り払ってくるり、と金髪の少年(青年?)に背を向けた。
「――あ、」
「げっ」
野次馬アベックから思わず声がもれる。


肩を怒らせた金髪の少年が、もう一度、力を込めて黒コートの――今度は「腰」に両手でしがみついたのだ。
さすがに意表をつかれたように、首だけで振り返った黒コートから、手で帽子を弾き飛ばし。


「――一緒にいてくんないと、俺ここでこのまま力いっぱい泣き出すけどそれでもいいですか!」


珍妙な内容の大声に、周辺の人間がいっせいに振り返る。
帽子を飛ばされたせいで、人形めいた端正な和風美貌を晒された黒ずくめは、天を仰いで歎息した。


「……痴話喧嘩……?」


そんなつぶやきが、ギャラリーのできはじめている周囲からちらほら、と聞こえ。
野次馬1号と2号だったらしいアベックは、目の前に飛んできた帽子を、ためらいがちに拾いながら、顔を見合わせた。
「――痴話喧嘩、」
「だよねぇ」
「……すっごーい……」
意味のない感嘆をもらすふたりの視線の先で、もう一度溜息をついたらしい黒コートは、身をかがめて顔を近づけ、何事かを、金髪の少年に囁いた。
ぱっ、と少年が顔を輝かせ、視線を左右にさまよわせる。
なんと野次馬2人に視線をとめた。
「あっ、おにーさんおねーさん、拾ってくれてありがとっ」
自分が注目を浴びているとは気づかず、駆け寄って手を出す。「帽子をとっていらっしゃい」とでも言われたのだろう。
男の方が、持っていたそれを手渡す隙に、女は思いきって声をかけてみることにした。
「ね、ね、キミ、『あれ』もしかして、キミの――」
「えへへっ」
帽子を胸に抱いて、着膨れた少年は得意げに笑う。
「きれいな人でしょ」
「え? ……あ、うん、キレイだけど、」
あれって、男――と言いかけた時、
「銀次クン?」
微妙に刺を孕んだ、良く通るテノールが少年を鞭打った。
「はいっ、帽子、帽子、見つかりましたぁ!」
小犬のように飛んでゆく少年の後ろ姿を、物見高いふたりは茫然と見送った。





「何を考えているんですか、キミは」
「今は赤屍さんのことで頭がいっぱいです」
「その返答は聞き飽きました。次からは、もう少しひねりを加えて下さい」
「――スイマセン」


足早に大股で、しゃっ、しゃっ、ときぬずれの音をたてる黒のスラックスを追いかけ、銀次は小走りに走る。
この人込みの中を、どうやったらあんなスピードで悠然と歩くことができるのか。「ごめんなさい、通して、すいません」とぶつかり、揉まれつつ後を追いかけるのに必死で、とても、話す暇などない。
「ねぇっ、赤屍さんっ、もっ、もうちょっと、ゆっくり歩きませんかっ」
「いやです」
きっぱりと返されてがっくりきた拍子に、本当にがっくり、と何かにつまづいて膝が折れる。
「うわあっ」
その場に前のめりにすっ転ぶと、「置いていこうかな」と本気で思案する赤い視線が降って来て、我が身を嘆く暇もなく飛び起きた。
「ねぇ、赤屍さん」
「なんですか?」
ぱたぱた、と服をはたき終わって銀次は顔をあげた。
「せっかくのクリスマスなんだし、ほらあんなに、電気ぴかぴかでキレイだし、いや赤屍さんの方がキレイですけどね」
「それはどうも」
で、なんですか、と間髪入れず続けられ、ちょっとしゅん、とうなだれる。
「――だから。せっかくのクリスマスなんだし、もうちょっとこう、のんびり『うぃんどーしょっぴんぐ』など」
「クリスマスって言ったって、別に私には関係ありませんよ。神なんてものに良い思い出がないのは、キミも同じだと思っていましたが」
「イベントとしてですよ、楽しまないとやっぱり――」
「なら具体的に、私は何をしたら良いんです?」
やれやれ、と肩をすくめる赤屍は、銀次の言うことを一通り聞いてやることが、さっさとこの喧燥から逃げ出すための近道だと悟ったらしい。
ビルとビルの狭間、裏路地に入る角まで下がって、銀次を手招く。
ほいほいとついてきた銀次に、
「で、なにを? ――まさかこの私に、あんなことをしろとか言うんじゃないでしょうね?」
大声ででたらめなクリスマスソングを歌う酔っ払いや、一歩おきにキスを交わすアベックを顎で差した。
「いや、さすがのオレもそこまでは期待してないです」
アベックをうらやましそうに眺めつつも、一応、銀次はそう答えた。
実際、恋人なんてもんじゃないのだ、この人と自分の関係は。こうしてつきまとって、袖にされて、それでもねだり倒して、ごねてごねまくって、やっと、「じゃあ、お手並み拝見といきましょう」程度に見られるようになった、そんなレヴェルである。
目の前を、また酔客がひとり、「サンタクロース、イズ、カミン、トゥ、タウン」と千鳥足で歌いながら去っていく。
それを見送りながら、銀次はふと、ぽつん、とつぶやいた。
「――それにオレだって、クリスマスの歌なんて一曲しか知らないし」
「おや、知っているんですか?」
「……知ってますよ」
からかう目つきになった赤屍に、むっとして言い返す。
「何を知っているんです?」
「キヨシコノヨル」
「――銀次クン」
にこにこと、それはそれは綺麗な微笑で黒衣の死神はにこやかに指摘した。
「『きよし、この夜』です。『きよしこ、の、夜』ではありません」
「ええっ!?」


人込みを避けた一角に、言いようのない沈黙が降りる。
「……本当に知ってるんですか?『きよしこの夜』」
「し、知ってるよ! だって、」
(だって、天子峰さんが、教えてくれたんだ)
喉にひっかかって出てこないその言葉に、忘れきれない自分の古傷を思い知る。
――こんながらくたの街にも、12月24日、ってのはやってくるもんだからな。
そう言って独特の掠れ声で歌ってくれた、あの歌、歌詞はおぼろでも、はっきりとその時の思い出は。
黙り込んでしまった銀次を、自信のなさの現れと見たのか。猫のように、もとより細い赫瞳をさらに細めた赤屍は、まさしく猫なで声で囁いた。
「じゃあね、銀次クン、歌ってみてくださいよ」
「――え?」
「覚えているんでしょう? 『せっかくの聖夜なんですから』――そう言ったのはキミです。歌って聴かせてくれませんか?」
新しい退屈しのぎの種が見つかって嬉しいのだろう。上機嫌の想い人に、銀次は今度こそむっとした。
「いいよっ。歌ってあげる。ここで歌っていいんだね?」
「良いですよ?」
「逃げないって約束するね?」
「? ――ええ、逃げる気はありませんが……」
何から逃げ出す必要が? と言いかける赤屍を無視して、すぅ、といっぱいに息を吸う。


「サーーーーーーーイレーーン、ナーーーーーイッ!」
怒鳴ってるんだか歌ってるんだかわからない大声の「きよしこの夜」が、人込みいまだすさまじい夜の不夜城に響き渡った。