死神とチャントを歌う夜――2
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ちょっとびっくり、といった様子の赫い瞳を横目に、堂々と――というか完全にやけっぱちで、銀次は大通りに向かい、視線を空に向けて歌いつづける。音程はかなり外れているような気が、しないでもないのだが、そんなこと気にしている余裕はなかった。 歌の意味なんて知らない。正直、英語だと知ったのも最近だ。 だけど、覚えている。 「オー、イズ、コーム、オー、イズ、ブラーイ、」 「……」 しばらくあっけにとられていたらしい赤屍が、ふと、面白そうに銀次の顔を見直す。 銀次が、歌の意味をまったく知らず、耳から入った「音」だけで覚えていることに気づいたのだろう。 目の前には、罰ゲームか何かだと思っているのだろう、にやにや笑いながら見物する人、通り過ぎる人、ぽかんと口をあけて見守る子供―― 「ラウン、ジュ、バージン、マーザ、アン、チャイ、」 後少し、後少しで終わる! そう思って息を吸い込んだ瞬間。 パン! 破裂音。 びく、と銀次が顔を上げた方角にいるのは、目を丸くして、手の中の紐とゴムの切れ端を眺める少女。 「――あー。割れちゃった!」 風船のなれの果てなのだろう、ゴムを手で伸ばしながらがっかりした声を出す。 なんだ、びっくりしたなぁ、そんな声がどやどやと湧き起こるなか、ほ、と吐息をついた時、 「続きは? 銀次クン」 にこやかな赤屍の声に今度こそ凍りついた。 「え、ええっと、どこまで歌いましたっけ」 「Mother & Child、までですよ」 「そ、それどこ?」 「さあ? さっきキミ、歌ってたじゃないですか?」 「え? え?」 とっさに対処できず、頭の中が真っ白に漂白され――歌詞が出てこない。 クス、と笑った赤屍の手に、先刻まで握られていたメスが風船をつついたのだと、誰が知るだろう。 「ほら、がんばれ兄ちゃん」 野次が飛んで、哀れな銀次は真っ赤になって歌詞をひねり出そうとする。もちろん、そうすればそうするほど、頭の中はフリーズ状態だ。 「お手上げ、ですか?」 「い、いや、ちょっと待って、ちゃんと思い出しますから――」 「じゃあ、待ちましょう」 必死に目をつぶる銀次を、面白そうに、そして不思議そうに眺めつつ、黒コートはふわり、とガードレールに腰掛ける。 何でこんなにやっきになってるのか、もはや当人たちにもよくわからないまま、銀次は絶望の表情で天を仰いだ。 「――だめだーーーー!」 パニックになって頭を抱えた時、 「Holy Infant so tender and mild――でしょう?」 穏やかなテノールが、なめらかに一節――歌を紡ぐ。 「………………え?」 「待ちくたびれました」 ガードレールに無邪気に腰掛けた死神が、腰掛けたまま、囁くように、つぶやくように、その良く通る声で―― ![]() 「Sleep in heavenly peace; ――Sleep in heavenly peace.」 ![]() ゆるゆると、歌った。 「ほら、やっぱり、覚えていなかったじゃないですか」 どこか勝ち誇ったように言って、ふわん、とガードレールから離れて立ち上がった赤屍が、ぱちぱち、と赫の瞳をまたたかせる。 「――銀次クン?」 「え、…………あ、」 自分でも驚いたように、銀次は自分の頬に手を当てた。 野次馬たちが、きまりわるげにひとりふたり、去っていく。 「――まったく何なんですか、キミは。 結局、一緒にいたって泣くんですから」 理解しがたい、と言いたげに首を振り、それでも、突然の銀次の涙に興味を覚えたらしい赤屍は、口をへの字に曲げた銀次の、顔をじぃ、と覗き込む。 「泣いてなんかいません」 「泣いてますよ」 「泣いてないってば!」 「――やれやれ」 さすがに、これ以上往来の注目を集めるのに嫌気がさしたのだろう。 「わかりましたよ」といい加減に答えた赤屍は、ひょい、と銀次の手をとって、幼児をいやいや引率する若い母親のように、半ばひきずって歩き出す。 「ほんとに泣いてないからねっ」とぐずる銀次は、それでもおとなしく、赤屍に手を引かれて人込みを離れた。 ![]() 冷たい手に手を引かれて歩く。 目の前には、優美なおっとりした後ろ姿。 鳴咽をこらえても、涙は止まらない。 わからないだろう、この人には。 自分が気まぐれで歌ったいくふしかが、どれほど銀次を驚かせたか。 自分を殺し合いの対象としてしか、見てくれないこの人が、そうやってちらりとでも、違う一面を見せてくれる。 そのことがどんなに銀次を――ゆさぶったか。 明日、その歌を誰に歌っていても構わない。 明日、その歌を歌ったことを忘れてしまっていても構わない。 クリスマス・イヴの闇に包まれ、死神は歌を――歌ってくれた。 (きっと、くだんない、ことなんだろうな……) たかが歌一つだ。 しかも通して歌ってくれたわけでもない。 なのにこの人がたわむれに、ふわりふわりと歌っただけで、銀次は本当に――本当に、嬉しかったのだ。 会えばあまりに違い過ぎるこの個体との摩擦に、傷つくだけの毎日の中で。 こんな安物の玩具のような、くだらない小さなできごとだけが、優しい、はかない思い出として、銀次の中に降り積もっていく。 「――赤屍さん、」 涙声で銀次は、自分の手を引く冷たい手をひっぱった。 「なんですか?」 「歌詞、忘れちゃいました」 「え?」 「もう一度、歌って下さい」 「いやですよ」 「お願い」 「――」 黒い背中が思案しているのがわかった。 「――そうですねぇ」 考え考え、言葉を紡いでいる。 「これからキミが、『オレ、今夜はどんなごちそうもケーキもいらないから赤屍さんのこと食べたいです』とか、馬鹿なことを言い出さないと約束するなら―― わたしの部屋に帰ってから、歌ってあげても良いですよ」 「――――――――ほんとう、に?」 「ええ。キミの駄々で朝まで寝かせてもらえないよりは、ずっとましですから」 せっかくの聖夜、ですしね。 そうさらっと吐かれた台詞に、ただ黙って、ぎゅう、と手を握る。 不思議そうに、握られた手にやられた視線が、銀次をちらりと振り返ったが、すぐに興味を失ったかのように、再び前に向き直った。 本当は、いつも寝ることばかり考えているわけじゃなくて。 それぐらいしか、オレがあなたのナカに触れる方法がないんだよ――って言ったら、あなたはなんて、答えるんだろう。 オレと何をしてたって、心の底では、オレを殺すことしか考えていないあなたは……笑うだろうか、怒るだろうか、それとも憐れむんだろうか。 ホテルの一室で、あなたがベッドに腰掛けて、「きよしこの夜」を歌ってくれるなら。 指一本触れなくたって、オレは多分、すごくしあわせになれるんだってこと―― ――今はまだ、説明したってわかんないもんね、赤屍さん…… でも、 いつかは、 きっと。 ![]() 握る手の熱で、少しずつぬくまっていく手袋を、泣きはらした眼で眺めながら。 銀次は、喧騒とクリスマス・ソングに背を向けて、歩きつづけた―――― ![]() |