(99/10/19掲載)


「賢者の石」初演時のポスター
 モーツァルトの最晩年、1791年は、ご存じ「レクイエム」が作られ(かけた年ですが、同時に不滅の名曲「魔笛」が作曲された年でもあります。ところが、この1年前に、「魔笛」と同じような筋、同じような配役のオペラがウィーンで上演されており、その成立にはモーツァルトが深く関係していたことがごく最近の研究で明らかになりました。
 第2次世界大戦中にドイツからソヴィエトに持ち去られてしまった「賢者の石」というオペラのオリジナルの写譜が、1990年頃にドイツに返還されたのですが、アメリカの音楽学者のデイヴィッド・ブーフという人が、ハンブルクの図書館で調査されないであったこの写譜の中の3曲に "von Mozart"(モーツァルトによる)と書いてあったのを発見したのです。このニュースは、1997年のニューヨーク・タイムズの1面を飾り、たちまち世界中の音楽関係者の知るところとなりました。
 このたび TELARC よりリリースされたCDは、この写譜をもとに、ブーフによって復元されたスコアが初めて音になったものです。
Der Stein der Weisen oder Die Zauberinsel
(賢者の石もしくは魔法の島)
マーティン・パールマン/ボストン・バロック
(TELARC CD-80508)
 今まで、このオペラの別の写譜はよく知られていて、そのうちの1曲は「多分モーツァルトの作品らしい」ということはわかっていました。今回発見されたものには曲ごとに作った人の名前が書いてあって、結局全部で5人の人が作曲に係わっていたのが明らかになったのです。 その5人というのは、魔笛のリハーサルと3回目以降の本番を指揮したヨハン・バプティスト・ハンネベルク、タミーノを歌ったベネディクト・シャック、ザラストロを歌ったフランツ・クサヴァ・ゲルル、パパゲーノを歌ったエマニュエル・シカネーダー、そしてモーツァルト。
 「賢者の石」の作曲家の一人として名を連ね、「魔笛」の台本を書いたことでも知られているエマニュアル・シカネーダーという人は、当時、興行主として、テアトル・アウフ・デア・ヴィーデンという劇場を仕切っていました。じつは、このシカネーダー(本名ヨーハン・ヨーゼフ・シッケネーダー)は非常に才能豊かな作曲家、歌手、台本作家だったのです。
Emanuel Schikaneder
(1751-1812)
 「賢者の石」というオペラ(というかジンクシュピール/歌芝居)は、1790年にテアトル・アウフ・デア・ヴィーデンで上演するために、クリストフ・マルティン・ヴィーラントが編纂したオリエンタルな童話集「ジニスタン、あるいは妖精精霊物語選」をもとに、シカネーダー自身が台本を書きました。そして、同じウィーンにあるライバルのレオポルトシュタット劇場に対抗するために、急いで完成させる必要に迫られ、シカネーダーが自分の劇場のスタッフでチームを組んで「共同製作」を行ったってわけです。 10年来の親友であったシカネーダーから協作の話をもちかけられた時、モーツァルトは経済的に困窮していたこともあって、即座にOKしました。
 それがかなりヒットしたんで、その1年後に、同じネタ(ジニスタン)からやはりシカネーダーが台本を作って、今度はモーツァルトが一人で曲を書いたのが、「魔笛」なのです。ネタは一緒だから、登場人物もほとんど設定が一緒。 筋書きもよく似ています。もちろん、上演されたのはテアトル・アウフ・デア・ヴィーデンですから、聴衆もほとんど同じ人達だったのでしょう。
 ちなみに「賢者の石」の筋のあらましはこういうものです。
 「ナディールとナディーネという高貴な二人が、オイティフロンテのもとで火と水の試練を受ける。主人公は滑稽なお供を連れている。それはルバーノという名前の自然児で、彼は最後にルバナーラという女性を得る。」
 「魔笛」をご存じの方はピンときましたね。そう、ナディール=タミーノ、ナディーネ=パミーナ、オイティフロンテ=ザラストロ、ルバーノ=パパゲーノ、ルバナーラ=パパゲーナというわけなのです。
 さらに、このCDの指揮者のパールマンが指摘しているのが、モーツァルト以外の人が作った曲でも、魔笛の中の曲とそっくりなのがあるということ。(メロディーが似てるとかそういうのではなく、歌われるシチュエーションとか、キーとか、曲のアイディア、伴奏の雰囲気、そういったものですが。)おそらく、協作しているときにはお互いに直しあったり、オーケストレーションを手伝ったりとしてたんで、そのときのアイディアが魔笛にも影響を与えたのではないかと言っています。
 面白いのは「魔笛」の「夜の女王のアリア」とよく似た曲が、「賢者の石」ではテノールのアリアになっていること。これは、「魔笛」で夜の女王を歌ったモーツァルトの義姉(コンスタンツェの姉)のヨゼファ・ホーファーが、「賢者の石」の時には産休中だったため、本当はソプラノにしたかったものをテノール用にしたのではということです。このCDでは、このアリアのメリスマ(カリスマじゃないよ)がとことん下手。やはりこれはソプラノの方が似合います。

参考文献

Martin Pearlman : Conductor's Note (1999 CD-80508)
David J. Buch : Musicologist's Note(sim.)
Kult Honolka : Papageno-Emanuel Schikaneder/Der große Theatermann der Mozart-Zeit(1984 西原稔訳 平凡社)
Attila Csampai und Dietmar Holland : Mozart-Die Zauberflöte(1987 名作オペラブックス5 音楽の友社)