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仙台のオーケストラの変遷

仙台のオーケストラ界の歴史をまとめた一覧表です。


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ニューフィル設立の経過 
 仙台に本格的なオーケストラを作ろうと、
1973年にアマチュアとプロの混成で結成されたのが「宮城フィルハーモニー管弦楽団」です。当初からプロをめざす姿勢が強く、1979年にはプロの団員を増やし、さらに福村芳一氏を常任指揮者に迎えてプロのオーケストラとして再出発することになります。
 そこで、プロの道を選ばなかったメンバーは独自にアマチュアのオーケストラを結成しました。それが、わが「仙台ニューフィルハーモニー管弦楽団」なのです。

名称
 新しいオーケストラを出発させるにあたってまず考えなければならないのは名前です。この土地に住む我々が普通に考えつくのは「宮城」、「仙台」という地名に、「交響楽団」、「フィルハーモニー」を組み合わせることです。それをやってみましょう。
・宮城+フィル:今まであったオケ
・仙台+交響楽団:
1960年代にあったオケ
・仙台+フィル:
1970年代初めに、東北大学混声合唱団の伴奏のために臨時結成されたオケ
あと「宮城交響楽団」というのも考えられますが、これだとなんだか皇居にいるオーケストラみたいで、おそれおおくて使えません。
 結局この組み合わせでは使える名称が無かったため、「ニュー」をつけて「仙台ニューフィルハーモニー管弦楽団」という名前が誕生したのです。創立時の苦労がしのばれますね。
 しかし、その後の他のオーケストラの改称の状況を見てみると、このような深い配慮はあまり感じられません。「宮城フィル」はなんの疑いも持たずに「仙台フィル」になってしまいましたし、今の「市民響」は
1950年代の「仙台市民交響楽団」とは何のかかわりも無い全く別の団体なのです。


オーケストラの名称について思い起こされるのは、ロンドンにある名門「フィルハーモニア管弦楽団(現在のフルートのトップはケネス・スミス)」の改称事件です。もともとは1945年にEMIのプロデューサー、ウォルター・レッグによってレコーディング用に結成されたオーケストラなのですが、レッグは資金難を理由に1964年に解散を宣言して「フィルハーモニア」という名称の使用権も持っていってしまいました。そんな訳で、放り出された団員は今までの名称を使うことはできず、やむなく「ニュー・フィルハーモニア管弦楽団」と改称して再スタートしたのです。この状況はレッグから権利を買い取る1977年まで、13年間も続きました。


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