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00/8/12作成)

00/9/2掲載)

[プッチーニのオペラ] [「3Tenors」とは?]


 今回の演奏会の中曲はオペラアリア集。そこでテノールのために先方が選んだのがこの曲です。最近は、何かと聞く機会の多いこの曲、プッチーニの最後の作品「トゥーランドット」の中のナンバーですが、実際のオペラの中ではどのような状況で歌われるのでしょうか。例によって大まかなあらすじから。

 中国の王女トゥーランドット姫は、不本意に殺された祖先の怨念をトラウマ(というのかな?)にもっているため、愛や温かい心を知らず、自分に求婚する若者には不可解な謎を出して、それが解ければ結婚するが、解けなければ首をはねるということを繰り返しています。もちろん全問正解など出るはずもなく、今日も一人ペルシャの王子が犠牲になるところです。そこに居合わせたのが、今では祖国を追われている身のダッタンの王子カラフ。群集の中に父親の元国王と侍女のリューの姿を見つけ、再会を喜び合います。リューはひそかにカラフに思いを寄せています。
 バルコニーに姿をあらわした姫を見たカラフは、皆の反対を押し切り彼女に求婚しようと決意します。ところが、出された3つの謎とも、カラフはいともたやすく解いてしまいまったのに、姫は結婚を拒みます。明らかな約束違反ですが、カラフは妥協案として、「夜明けまでに私の名前がわかれば死んでもいい」という条件を出します。
 姫は町じゅうに「今夜は誰も寝てはならぬ」というお触れを出します。それを聞いたカラフが歌うのがこのアリア。「誰も寝てはならぬ(Nessun Dorma !)か。私の名前は誰も知らないのだから、姫は明日の朝には私のものだ。」という内容です。
 結局姫はリューを捕まえて名前を聞き出そうとしますが、リューはカラフへの愛のために自ら命を絶って秘密を守ります。この自己犠牲と、カラフとのファーストキスという衝撃的な体験で人格が変わった姫は、カラフと結婚して幸せに暮らしましたとさ。

 多少デフォルメが入っていますが、まあこんな内容です。音楽的には、舞台が中国ということもあってプッチーニお得意の異国趣味が満載。ところで、もしこのオペラを一回も聴いたことがないという方がいらっしゃいましたら、ぜひ全曲を通してお聴きになることをお勧めします。普通の日本人だったら間違いなく聴いたことがあるメロディーが、とても立派なオーケストレーションで何回も何回もしつこく現れてきますから、3回以上は大笑いできることは間違いなし。
 ところで、この「Nessun Dorma」というアリア、今ではとても有名になっていますが、ちょっと前まではこんなメジャーな聴かれ方をされるようなものではありませんでした。じつはこの曲は、ある日突然大ブレイクしたという、クラシックには珍しい体験を持っているのです。
 1990年にサッカーのワールドカップがイタリアで開催されたのはご存知でしょう。その時にイギリスでサッカー中継の番組を担当していたディレクターが大のパヴァロッティのファンだったのです。そう、あのルチアーノ・パヴァロッティ。そこで、自分の番組のオープニングに、パヴァロッティが歌っているこの曲を流したのです。趣味の押し付けですね。ところが、これを聴いたリスナーがすっかりハマってしまって、なんとシングル盤までリリースされてしまいました。そうしたら、それがUKのシングルチャートのトップに躍り出てしまったのですよ。シングルチャートですよ。あの頃だと、カイリー・ミノーグとかリック・アストリー(もうすでに懐かしい)といったダンス系の音楽がチャートを賑わせていた頃。そこへクラシックの王道とも言えるオペラアリアがチャートインしただけではなく、何週間かトップを獲得していたというのですから、これは前代未聞のことでした。
 これがきっかけとなって、例の3 Tenors、いわゆる「3大テノール」のコンサートが開催されたのです。もちろん、目玉はパヴァロッティが歌う「Nessun Dorma」。それからというもの、この催しはワールドカップの恒例行事となり、1994年にはLAのドジャース・スタジアム、1998年にはパリのエッフェル塔の下から全世界に衛星中継されるという大イベントとなってしまったのです。元はといえば、1ディレクターの出来心(ちょっとちがうかな)。おかげで、この曲は地方のアマチュアオーケストラの定期演奏会のレパートリーになるまでのポピュラリティを獲得したのですね。


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