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00/8/14 作成)

00/9/2掲載)

[Nessum Dorma] [プッチーニのオペラ]


 「3Tenors」の最初のコンサートは、1990年7月7日、ローマのカラカラ浴場でプラシド・ドミンゴ、ルチアーノ・パヴァロッティという、人気と実力で当時のオペラ界のトップランナーだった二人に、実力的には1ランク落ちるものの、奇跡的に難病を克服したということで全世界の注目を集めていたホセ・カレーラスを加えて開催されました。
 ところで、このコンサートのライブCDのジャケットを見てください。これは再発ものですので、下半分に書き込みがありますが、最初にリリースされたときにはもちろんこれは入っていませんでした。ですから、アルバムのタイトルには「3Tenors」という文字はどこにも入ってはいないのです。主催者にしてみれば、このコンサートは、前のページでも述べたように、あくまで思いがけない大ヒットの勢いを受けて開いたもので、一回限りのお祭のつもりだったはずです。

 「3Tenors」という言葉が前面に出てくるのは、次のワールドカップの年である1994年のことです。それまでパヴァロッティの野外コンサートを数多く手がけてきた敏腕プロデューサーがこのコンサートを仕切りはじめたときから、「3Tenors」という言葉は、単なる「3人のテノール」という一般名詞から、「カレーラス、ドミンゴ、パヴァロッティの3人が野外で行うコンサート」という固有名詞に変わったのです。事実、冒頭の画像にあるロゴマークは商標として登録されて、CDのジャケットやコンサートパンフ、さらにはテレカや腕時計といったグッズをいろどっています。
 このときのコンサートは、前回とは比べ物にならないほど用意周到に準備されました。ローマではPAにそれほど手をかけなかったので、音響対策にはフルオーケストラをまるまる二つ使うという力わざを講じていましたが、野外コンサートのノウハウにかけては自信のある敏腕プロデューサーは、オケは普通のサイズしか使わず、もっぱらトロピカルなステージングに腐心することになるのです。

 歴代の政府要人やハリウッドのスーパースターを迎えてのコンサートは、スタンディングオヴェーションさえも演出されているのではないかと見まがうほどの盛り上がりを見せます。当然のことながら、エンターテインメントの本場の仕掛け人が、4年後のワールドカップまでこの金蔓を放っておくはずもなく、誕生のきっかけを忘れた振りをした「3Tenors」は、世界ツアーへと旅立っていくのでした。

 ここまで述べてきた中で、「3大テノール」という日本で一般的に使われている訳語をあえて避けてきたということにはお気づきでしょうか。記号としての「3Tenors」にこめられているショービズの匂いを感じ取ってしまったあとでは、絶対的な価値の押し付けでしかない「3大テノール」などという能天気な言い方は、とても出来なくなってしまうのは私だけでしょうか。


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