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(04/12/27作成)

(05/1/13掲載)


オケ(日・略:おけ) 

 「ガクタイ用語」というのがあるのだそうです。音楽関係者が、他の世界では通用しない言い方を喜々として使うことによって、自らの特権意識を誇示しようという、鼻持ちならない風習です。その典型的なものが、物の名前を何でもかんでも縮めて言って得意がっているという悪習、当人たちは得意になって使っているのでしょうが、端から見ていてこれほどみっともない物もありません。例えば、「モーツァルトのレクイエム」のことを「モツレク」などと言っているのを聞いたりすると、「この人は、本当にモーツァルトの音楽を愛しているのだろうか?」という疑問すら湧いてきてしまいます。だってそうでしょう。言葉というものは単なる抽象的な概念ではなく、その響きから特定のイメージを連想させる働きを持ったものです。ですから、「モツレク」という言葉を聞いた場合には、「モツ」や「レバー」を「串」に刺して焼いている姿を思い浮かべる、というのが、まっとうなリアクション、天才作曲家が自らの命をすり減らしながら書いたと言われている、まさに人類の文化遺産とも言うべき名曲の姿をこの言葉から連想するのは、したがって殆ど不可能に近いことなのです。
 調子に乗った「ガクタイ」たちは、その他の「レクイエム」にも、この悪習を適用しようとします。その結果出来上がったのが、「フォーレク」、「ヴェルレク」、「ドツレク」(ブラームスの「ドイツ・レクイエム」だそうです)、そして、誰も知らない「ラタレク」と、とどまるところを知りません。さすがに、リゲティのレクイエムを「リゲレク」と、まるでお正月の遊具(それは「すごろく」)のような名称で呼ぶ人には、まだ会ったことはありませんが。

 話を本題に戻しましょう。「オケ」です。言うまでもなくこれは「オーケストラ」を縮めた言い方です。もちろん、私たちクラシックファンが使う場合は、例外なく「シンフォニー・オーケストラ」を指し示していることになります。「交響楽団」、「管弦楽団」といった、ある種威厳のある言い方を敢えて避けて、「今日のオケはひどかったね」などとサラリと言ってのけるのがスマートなファッションだと信じて疑わない「ガクタイ」に、これほど慣れ親しんだ言葉もないでしょう。もちろん、その実体は弦楽器や管楽器が数多く用いられて、多くの場合総勢が60人は越えようかという、クラシック音楽の最高峰に位置する演奏形態であることは、言うまでもないでしょう。

 しかし、この「オケ」という言葉は、クラシックから離れたジャンルでは、少し異なった意味合いで用いられていることに、気が付いていられるでしょうか。つい最近、ラジオでさる女性シンガーが「ピアノの○○さんとギターの□□さんにオケをやってもらって、レコーディングをしました」と語っているのを聞きました。「ピアノとギターでオーケストラ?」と誰しも不審に感じられることでしょう。そう、彼女はクラシックファンとは全く異なる意味で「オケ」という言葉を捉えていたのです(「ギターは小さなオーケストラ」などという陳腐な言い方とは、もちろん次元の異なる話です)。
 それは、「カラオケ」という有名な言葉と殆ど同じ意味で使われている「オケ」、すなわち「伴奏楽器」という意味です。厳密には「楽器」を使わない「伴奏」がしばしば使われている現状では、「伴奏パート」と言うべきかも知れません。
 そのようなポップ・ミュージックの分野でも、確かに「オケ」=「オーケストラ」であった時代はありました。フランク・シナトラやローズマリー・クルーニーは、大編成の「オーケストラ」を従えて、朗々たる歌声を聞かせてくれていたのです。現在でも「演歌」という分野では、きちんと弦楽器が入った伴奏で歌っている姿を目にすることはあるでしょう。
 それが、いつしか音楽の嗜好が変化して、リズム楽器が主体の小編成の伴奏が主流になったり、さらにはコンピューターによるDTMが出現して、もはや「オーケストラ」が「伴奏」をするという現場がほとんど消滅してしまったにもかかわらず、「オケ」という言葉だけは一人歩きして、しっかり「伴奏」という意味を持ち続けることになるのです。ちなみに、「カラオケ」とは楽曲からボーカルを除いた伴奏だけの音楽、つまり、「空(から)」の「オケ」のことなのですが、もちろん「空」なのはボーカルで、「オケ」ではありません。

 もしかしたら、「カラオケ」がこれだけ普及した社会では、本来の意味での「オケ」という使い方の方が、はるかに少なくなっているのかもしれません。しかし、それこそが「ガクタイ」にとっては好ましい状況なのでしょう。他人の知らない特別な世界こそが、彼らの最大の楽園なのですから。

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