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音楽展望
吉田ヒレカツ

2003年9月23日  宮城県民会館

2003/9/24記)

 仙台という、東北の片田舎の小都市にまで、毎年海外の歌劇場がオーケストラや合唱団も引き連れて公演にやってきてくれるというなんとも便利な時代になってから、かなりの時が経つのではないか。その様なことを行っているのは、主にチェコあたりの歌劇場なのだが、もはや完全に日本公演というものがスケジュールに組み込まれているようで、さまざまな場所で公演するための、例えば舞台装置の作り方などにもきちんとした配慮がなされているのは、嬉しいことだ。お陰で、居ながらにして本場の(というのは、西洋人の演奏する、という意味だが)オペラを楽しめるようになったのだから、長生きはするものである。とは言っても、チェコに数多く存在する歌劇場が全て満足のいくような演奏を聴かせてくれるとは限らない。3ヶ月ほど前にも、ブルノの歌劇場が「アイーダ」を上演していったのだが、2年前に、やはりチェコのこちらはプラハの歌劇場で味わった感激とはおよそ程遠いものであったため、原稿を書く気にもならなかったものであった。
 今回やってきたのは、チェコ国立プルゼーニュ歌劇場。「プルゼーニュ」というのはチェコ語での呼び方で、あるいはドイツ語風に「ピルゼン」といった方がわかりやすいかも知れない。そう、あのピルゼンビールで有名な町なのである。劇場も、正式には創設者の名前をとって「ティル劇場」と呼ばれているそうだ。私がこれまで聴いただけでも、プラハに3つ、ブルノ、そして今回のプルゼーニュ。チェコの歌劇場の層の厚さにはほとほと感心させられる。このプルゼーニュ歌劇場、なんでもかつてあのダグマル・ペツィコヴァーも所属していた劇場だと言うではないか。おそらく、かなり高レベルのものを期待しても良いのではないだろうか。

 開演前のオーケストラ・ピットを見てみると、左右の端にはかなり余裕がある。しかし、演目はプッチーニ、3管編成の上に、打楽器もかなり入ったオーケストレーションだから、こんなに隙間が空くはずはないのだが、と思いつつ、楽団員の入場を待っていると、どうやら弦楽器がかなり少ないようである。全員揃ったところで数えてみたら、8、6、4、4、3という、ほとんど室内オーケストラ並の人員であることが分かった。これで、管楽器に拮抗できる音が出せるのか、いささか不安がよぎってしまったものだ。
 しかし、前奏曲がヴァイオリンのトゥッティで始まると、そのような不安は完全に払拭されてしまった。たったこれだけの人数で演奏しているとはとても思えない、深みのあるつややかな音が聞こえてきたのだから。管楽器が入ってきても、弦の音がかき消されることは全くなく、完璧なバランスでオーケストラ全体の響きが聞こえてきたのは、まさに驚異的なことだった。指揮者は、イルジー・シュトルンツという若い人、きびきびした動きの小気味よい指揮ぶりだが、オーケストラの響きを無駄なく伝えるという力には長けているのであろう。もっとも、個別の奏者には必ずしも一流の腕の持ち主でないものも少なからず見受けることは出来た。オーボエの1番はテクニックがちょっと危なげだし、ピッコロの音程もいささか不安なところが見受けられる。大きな事故につながらなければよいが。

 幕が開くと、ステージ上は黒い布に覆われて、全体が真っ黒の中の中央部に、真っ白の小石が正方形に敷き詰められた石庭が配置されているという、基本的な舞台装置が目に入る。その石庭の周りに障子を立てた座敷らしきものが置かれている。後ろには背景も何もなく、ホリゾントに映し出される月や星空で、時間の経過を知ることが出来る。極めて簡素であるが、視覚的には石庭の白さが周りの黒に対比されて非常に印象的で、なかなか優れたセンスを感じることが出来た。幕開きの場面では、この石庭を丁寧に道具を使ってならしている人が現れる。いとおしむように手入れされたその庭に、次いで登場したピンカートンやシャープレスは、何の遠慮もなく立ち入ってくる。このあたりが、もしかしたら外国人の日本に対する侮蔑という、このドラマの背景を象徴的に現した演出だったのかも知れない。
 そのピンカートン役のテノールは、プラメン・プロコピエフという人だが、これがあまりにもひどい声なのには、少々がっかりさせられた。おそらく発声に問題があるのだろうが、声が全く届いてこないのである。先ほど述べた鳴りの良いオーケストラを従えては、その声はほとんど聞き取ることが出来ないほど、高音はいかにも無理をしているという様子がありありと窺えては、とても楽しめるものとは言いかねる。それともこれは、ピンカートンというこの情けない役を強調するための、意図的な人選だったのだろうか。
 それに比べると、シャープレス役のイルジー・ライニシュは、伸びのある声で大いに楽しめた。このオペラの中では、おそらく最も得をしている役を端的に印象づけるような、包容力のある演奏であった。
 続いて登場したタイトルロール、蝶々さん役のイヴァナ・シャコヴァーこそは、今回の公演を大成功へと導いた最大の貢献者であろう。そう、芯のある、しかし、この主人公の可憐さをも兼ね備えた声を完璧にコントロールした彼女の演奏があったからこそ、この日の聴衆は最後まで緊張の糸をゆるめることなく、音楽とドラマを心ゆくまで堪能することが出来たのであろう。

 第2幕になると、四角の石庭の中に、やはり四角形の板の間が斜めに張り出すような舞台装置に変わる。この板の間が部屋の中という設定、周りの2辺に障子をそれぞれ2枚ずつ配置して、それを開け閉めすることによって状況を変化させるというなかなか味のある演出が施される。ここで歌われる有名な「ある晴れた日に」は、通常私たちが抱いているものとはかなり異なった、極めてあっさりした表現に終始する。かつて三浦環あたりが作ってしまった「型」のようなものは、もしかしたら日本でしか通用しないセンチメンタリズムだったのかもしれないと、このシャコヴァーの清楚な歌声から感じてしまったのは、この歌の大時代的な解釈に辟易としていたせいかもしれない。これで、最後の音の伸ばしの部分で、ピッコロ奏者が痛恨の失態を演じさえしなければ・・・。
 しかし、第1場の最後のスズキとの二重唱で、スズキ役のパヴラ・アウニツカーの音程が定まらないなどの疵はあったにしても、このあたり、そう、あのピンカートンが舞台に現れない部分での音楽の充実ぶりには、目を見張るものがあった。めくるめく、色彩感さえ増したかに思えるようなオーケストラにも支えられ、聴衆は何の傷害もなくドラマの流れ中へ埋没してゆけたのではないか。
 そうなってくると、この作品が日本人以外によって上演される際に必ず問題としてあげられる数々の点も、さほど気にはならなくなってくる。シャープレスが土足で座敷に上がってこようが、ヤマドリが、時代と国籍を完全に無視した衣装で現れようが、蝶々ジュニアが鉢巻き姿で登場しようが、結局これはイタリア人が作った物語であると納得させられてしまうのである。何よりも、聞こえてくる音楽は紛れもないプッチーニの響き、親しみやすい旋律と高度に職人的なオーケストレーションであり、たとえそこに日本人が聴いても恥ずかしいと感じてしまう「君が代」などの陳腐なモティーフが挿入されても、本質には関係のない単なる添え物であることがはっきり理解されるのだ。

 舞台装置もそうだったが、演出には、このような旅回り公演を逆手にとって、少ない材料で最大限の効果を上げられるような工夫が随所に見られた。特に、照明の扱い方は秀逸で、ドラマの進行をどれだけ助けていたことか。先ほど述べたホリゾントによる時間の経過もそうであったし、蝶々さんがシャープレスに息子の名前を聞かれて、「今の名前は『哀しみ』」と答える時の微妙な色合い、そして、最後の自刃の場面での鮮やかな「赤」。これらは、音楽との絶妙の調和を図りながら、必ずしもオペラを上演するには適してはいないこの会場にも、見事なオペラ空間を作り出すことに成功していたのである。
 話の筋は、実に分かりやすいもの、それに敢えて逆らうことはしないオーソドックスな演出は、字幕スーパーの助けもあって、観客がテレビドラマや映画と同じ次元で物語の中に没入することを可能にしていた。終幕近くになると、客席のあちらこちらから嗚咽の声が聞こえてくるようになっていたのは、このはるばるチェコから訪れた歌劇場が、普段の生活の中でオペラと接している彼の地の聴衆と同じレベルで、「教養」ではなく、「娯楽」としてのオペラを、この東北の地の聴衆に知らしめることに成功した証と言うことは出来ないだろうか。


当コラムの執筆者のペンネーム「吉田ヒレカツ」は、高名な音楽評論家吉田秀和氏からインスパイアされたものですが、コラムの内容も含めて、吉田氏ご本人とは何の関係もありません。

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