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音楽展望
吉田ヒレカツ

2006316日  宮城県民会館

2006/3/17記)

 私が老い先短い余生を送る場として選んだこの土地は、ほどよい都会性と豊かな自然を併せ持つなかなか住み心地の良い街ではあるのだが、いかんせん、文化という点では決して恵まれてはいないことは、機会あるごとに指摘させてもらってきた。前回「アイーダ」に関しての評論をしたためた時にも、その点には触れていたのであるが、その折りには、たしか「このところ、めっきり外国のオーケストラの演奏会が少なくなっている」とも書いていたはずである。そんな、劣悪な環境にあるこの街での、久しぶりの世界的なオーケストラの演奏会である。最近、たびたび東京まで往復を重ねた結果、いささか体調が思わしくなく、軽い風邪の気もあるとはいうものの、これを聴けば日頃の飢餓感も、少しは癒されることになるのかしらん。

 演奏会が始まる前には、珍しく雨が降っていた。少し遅めに会場に着くことになってしまったので、もうすでにお客さんは中に入っているのかと思いながら近づいてみると、その前はなにやら人垣で溢れているではないか。どうやら、この雨の中、開場が遅れたために外で待たされている人でごった返している模様である。そばまで行ってみると、会場整理の担当者であろうか、一人の若者が声をからさんばかりに何ごとか叫んでいるではないか。それは、入場者が列を作って並んでいるのであるから、あとから来た人はその列の最後にきちんと並んで欲しい、というような訴えかけであったろうか。確かに、その列とやらは延々と続いているようであり、その気になればそれを無視して手近な入り口から入場するのも不可能ではないような状況になっていたようであるから、この若者の努力なくしては無秩序に入り口に殺到する輩がいたとしても、誰もそれをとがめることは出来なかったであろう。そんな混乱を未然に防いでいたこの若者の適切な誘導には、心から拍手を送りたい気持ちになったものである。まだまだ公徳心を守ろうとする人達はしっかり存在していたのであった。

 席に座って、団員がまだ入場していない舞台の上を見て、少し意外な気持ちを抱いたのは、その楽器の並び方のせいであったろうか。通常は舞台の上手に位置するコントラバスが、下手に置いてあったのである。これは、第一ヴァイオリンと第二ヴァイオリンがそれぞれ向かい合って座るという、ずっと昔のオーケストラの並び方ではないか。現在ではヴァイオリンが下手に並んで座るという配置が最も一般的なものとして、広く採用されており、このオーケストラもずっとその配置でいたのではなかっただろうか。しかし、最近では、ストコフスキーが確立したといわれているこの並び方に、必ずしもこだわらない指揮者、あるいはオーケストラがでてきているというのも事実である。同じロンドンにあるロイヤル・フィルあたりでもこの、いわゆる両翼配置を取っていると聞く。あるいは、これからはこちらの方が主流になっていくのかも知れない。

 最初の曲目は、ピアノに横山幸雄を迎えての、ショパンのピアノ協奏曲第1番であった。まず、オーケストラの序奏で聞こえてきた弦楽器の響きが、いかにも薄っぺらだったのには、失望を禁じ得なかった。協奏曲という事もあり、121210、8、6という少なめの編成だったせいなのか、あるいはこの会場の音響特性のせいなのかは定かではないが、本物のオーケストラならではの芳醇な音を期待して足を運んだ私としては、いささか肩すかしを被ってしまった感は否めない。あるいは、これは指揮者の音楽の作り方にもその一因があったのではないか。あまり歌い込ませることをしない、淡泊なものを要求した結果がこのような響きとなって現れて来たのかしらん。
 ピアノ独奏も、そんなオーケストラに合わせるかのように、どこか重心の定まらず、方向性のよく見えない演奏であった。軽やかに流れては行くのだが、その課程で心に留まるものが何もないのである。作品から何か訴えを引き出すというのではない、殆どムードミュージックに近い演奏、私のいささか疲れ切った体には、これは大変居心地の良いものであった。その結果、猛烈な睡魔が襲ってきたことが何回あったことか。

 後半の曲目はマーラーの交響曲第5番である。こちらの方は弦楽器は第一ヴァイオリンが16人という、いわゆる16型であったから、ショパンのような薄っぺらな音にはならないだろうという期待はあった。ただ、それまで舞台の奥、チェロの後方にいたコントラバスが、かなり前に出てきて第一ヴァイオリンのすぐ後ろに位置したというのは、いささか疑問を感じざるを得ない。
 冒頭のトランペットソロによる葬送行進曲のモティーフは、まさにこの曲を象徴するものであろう。この日この部分を演奏した赤ら顔の年配と見受けられるトランペット奏者は、緊張のあまりか、あるいは連日続いた演奏旅行のこれが最後の日だという安堵感からか、見事に「タタタター」というモティーフの最初の音を外してしまっていたのである。この演奏家は、それからもたびたび危なっかしいことをしてくれることになるのだが、なぜかそれを憎む気にはなれないのは、その風貌と、そして何とも言えないその音色なのであろう。先ほどの葬送行進曲も、出だしこそ躓いたものの、それに続く部分のなんと素晴らしい音色と、そして表現だったことだろう。この楽章の最後、弱音器を付けて同じモティーフが演奏される部分も、まさに絶妙のニュアンスが醸し出されていたものだ。
 第三楽章で大活躍を見せるオブリガートホルン奏者も、胸のすくような演奏を聴かせてくれていた。ソロの最後の部分を他のホルン奏者が受け継ぐところなども、驚くほどの音色の変化が見て取れて、ハッとさせられたほどだ。
 そんな個人技にはなかなか惹かれるところがあった反面、管楽器と弦楽器が全く別の方向で音楽を作っているようなところも見受けられて、なぜかオーケストラ全体から一つのまとまったものが伝わってこなかったもどかしさが、いつまでも続いていたのはなぜなのだろうか。楽器のベルを上に上げて演奏するという指示がある部分でも、なぜか一番クラリネット奏者だけは頑なに下を向けたままであったし、第三楽章の最後の二小節だけフルート奏者が全員でピッコロに持ち替えるという部分でも、一番奏者と二番奏者だけはそのままフルートを吹き続けていたなどというのも、チームワークの悪さを象徴しているものと見ることも出来なくはないのではないかなどと、勘ぐれるほどである。

 もちろん、その様なちぐはぐな印象を与えてしまった最大の責任は、指揮者が負うべきものであるのは明らかである。このオーケストラが、本当に全力を出して演奏しはじめたのは、終楽章のほんの最後の50小節ほどの間だけ、それまではどこかよそよそしい態度で、聴衆が入り込んで行けるような余地は殆どなかったのではないか。少なくとも、私には心の底が揺り動かされるような瞬間は一度たりともなかった。第四楽章のアダージェットにしても、常に何かが足らないと自問している私がいたのである。
 私が、この指揮者の実演に立ち会うのは、これで三度目となる。そのいずれもが、私にとっては納得のいかない、何か違和感の伴うものであった。世にカリスマなどと呼ばれている高名な指揮者であるのだが、なぜか、私の琴線に響くものはなにもない。余程、私とは相性が悪いのであろう。


当コラムの執筆者のペンネーム「吉田ヒレカツ」は、高名な音楽評論家吉田秀和氏からインスパイアされたものですが、コラムの内容も含めて、吉田氏ご本人とは何の関係もありません。

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