〔079〕 作家・巴金氏の死と小泉首相の靖国参拝 埋めがたい落差
|
【2005/10/20】
現代中国を代表する作家、巴金氏が10月17日、上海で死去した。100歳だった。1999年以来、寝たきりの生活が続いていたと伝えられる。
ノーベル文学賞の候補に何度かなったことがある作家だけに、中国国内でその訃報は大きく伝えられ、「巴金走了」「文学巨星隕落」「中国一代文学巨匠巴金上海逝世」といった表現が、新聞やインターネットで多数見られた。
「巴金さんの作品に親しむ読者は、残念ながら現在では少なくなっている。しかし、40代以上の中国人、とりわけ知識人には人の道を貫く深い思索で大きな影響を与え、彼の功績は大きい」
中国人読者の一人は、こう言って死を悼んだ。
日本とは縁の深い作家で、1934年に10カ月ほど日本に滞在し日本語を学んだ。その後も、日本人との親交を深め、戦後、広島や長崎を訪れ、その時の思いを書き残している。
「現在のように日本へ簡単に行けなかった時代、巴金先生の著作を通して日本の様子や日本人の感情を知った。先生は日本と中国の交流に役割を果たした作家だった」
中国の翻訳家は、巴金氏と日本との関わりについてこう述べた。
同じように、中国の小説が日本でそれほど翻訳出版されることがなかった80年代後半まで、巴金氏の作品で中国人の思考方法や喜怒哀楽を日本で知ることができた。
巴金氏は日本人との交流で、ひたすら友情を信じた。
「私の命が塵となっても、熱い私の心は友人たちの間で燃え続けるであろう。私たちの友情はけっして終わることはない」と、国の違いを乗り越え次の世代へ引き継がれると綴っている。
ところが、日本と中国の多くの人々が築き上げてきた友好関係を、たった一人の意固地な分からず屋が挑発しぶち壊し続けている。
巴金氏が亡くなった17日は、皮肉にも、小泉首相が靖国神社を参拝した日。彼は同日、政府・与党連絡会議で参拝の「真意」を次のように述べたと、産経新聞が伝えている。
「一人の国民として心を込めて参拝した。二度と戦争を起こしてはならないという不戦の決意で祈った。日本はこれからもアジア諸国との関係を重視していきたい」
むなしい弁舌だ。アジアとの歴史的関係を考えれば、彼の靖国参拝がその国の国民にどのような刺激を与えるか明白なこと。
立場を変えれば、すぐに理解できる。広島や長崎への原爆投下を正当化し、核実験を続けるアメリカに、日本人がどれほど反発していることか。政治家という以前に、一人の人間として相手への思いやりや想像力の欠如ははなはだしい。
彼の発言を知って思い出したのは、巴金氏の「探索集・随想録第二集・一九八〇年」に書かれた一文だ。1979年10月14日に書かれているが、死を目前にしたような文章で強く記憶に残っている。
「何十年間にわたって仕事をし、目を閉じる前になり、私がいつも忘れないようにしているのは、読者、後生、数十年、数百年後の若者たちが、私をどのように論断するのだろうかということだ。彼らは絶対に、嘘つきを許すはずがない」
国を代表する地位に就く彼の「不戦の決意」「アジア諸国との関係を重視」といった言葉が、どれほど白々しく嘘っぱちに聞こえることか。実際の行動により、本性を既に露呈させているというのに。
しかし、衆院選で大勝しヒロイズムに酔いしれる彼なら、巴金氏の先の一文の表題をまともに受け取ってしまうのだろう。
「没什麼可怕的了(怖いものは何もなくなった)」
|
| |
|

※
君在前哨/中国現場情報
トップ・ページへ 返回首頁 ※
|