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〔035〕 夢は北京定住、大学卒業生のうごめき
【2003/06/21】

 いったん北京を離れれば、再び舞い戻ってくるのは難しい。こう考えた青年は、北京の大学を卒業したが故郷には帰ろうとはしなかった。希望した職種ではかったが、北京の会社に就職する。

 高校まで過ごした故郷は内陸部の安徴省。中国で最も貧しい省の一つされる。北京へは大学入学で初めてやって来た。

 市場経済化が進み、かつての計画経済の象徴の一つであった戸籍制度は徐々に形骸化しつつある。改革開放以前、北京で就職するには北京に戸籍があることが絶対的条件だっただけに、青年はこう言う。

 「現在は、能力さえあれば北京に戸籍がなくても働くことができるようになった。これはありがたい。自分で人生を切り開けるのだから」

 だが、自分が望む職種を北京で求めるとなると、北京定住を希望する人が多いだけにかなり難しい。例えば、北京電影学院(北京映画大学)を卒業し、映画制作の中心である北京撮影所に入所しようとすると、依然として戸籍が大きな条件となる。

 ここ10年ほどの間に北京撮影所で働きだした職員の出身地を調べてみると、圧倒的多数が北京に戸籍がある人たちだ。上海、広東などの出身者は北京以外の撮影所、大半が出身地の撮影所に入所しているが、自らすすんで入所した人物はほとんどがいないと、かつての同級生たちは言う。

 「北京撮影所に入所するには、戸籍とコネが必要だ」と言い切る人物もいる。

 「しかも、親が映画界などでそれなりの地位を築いていなければ、テレビ局や映像プロダクションなど映画以外の企業に入るしかない。どうしても映画撮影所というのであれば不本意であっても地方の撮影所ということになる。だが、北京人が地方で生活するのは難しい。1、2年以内に、北京に戻ってきてしまうのが大半だ」

 居住と移動の自由は憲法で保障されたが、58年に「戸籍管理登記条例」が採択され、農村と都市で生活する人々は農村戸籍と都市戸籍に二分された。しかも、農村の人々は都市への転居に加え就学や就職への権利をも大きく制限され、都市住民も他の都市への自由な転居は認められなくなった。

 ところが最近の調査では、北京の企業で働く従業員のうち、北京以外の戸籍を持つ人の割合が急増している。大学卒業生になるとさらにその割合が高くなる。

 彼ら大学卒業生に共通するのは、北京の大学を卒業した者の割合が高いことだ。大学時代を過ごした北京で働きたいと希望する者が多いためだとされるが、現状ではそれだけの理由ではないようだ。

 「日本以上に、中国では人脈がビジネス・チャンスに大きな影響を与える。いったん、北京を離れれば、北京で培った人脈に加え情報さえ先細りとなる。だが、北京の大学を卒業し北京に就職すれば、やがては北京の戸籍を取得しやすくなりつつあるだけに、地方出身者は北京から出ようとはしない」

 事実、北京市は北京戸籍取得のハードルを低くしつつある。5年以上の勤続年数や4年制大学卒業など条件はいくつかあるが、親の世代が夢見た北京戸籍取得への道が開きだしただけに、地方出身者が北京定住にやっきになるのも無理はない。

 「北京の戸籍を取得し、しかも自分が希望する職種にありつければ、いつしかフリーとして生きていきたい。夢を語れる時代になっただけに、なんとしてもこのチャンスをものにしたい」


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