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〔020〕 バラ色の未来を描いた「先富論」の崩壊
【2003/01/19】

 昨年(2002年)、上海の中国企業に2週間ほど通いつめたことがある。30階建てオフィス・ビルの最上階にある企業で働くのは、大半が大学か専門学校を卒業した20代から30代の若者たち。コンピュータを使い、翻訳やデザインなどの専門分野を担当し、ほとんどが上海、あるいは近郊の出身者だった。

 そのビルの1階に、食堂が店を開いていた。社員食堂と言っていいほど、客はこのビルにオフィスを構える企業の社員で占められていた。食堂で働くのは、上海人が「外地人」(よそ者)と呼ぶ、内陸部の安徽省からやって来た人たちで、背が低く華奢な体つきは上海人とは明らかに違っていた。

 毎日、昼夜2回、その食堂に通ったが、オフィスと食堂を行き来するたびに、1階と30階で働く人たちとの間に横たわる溝は、もはや埋めることは不可能だと実感するようになった。

 30階で働く人たちの給与は、企業の上層部との直接の話し合いで決められている。このため同じような仕事をこなしながらも、額にはかなりの差があった。

 日本でもよく知られる上海の名門大学を卒業し翻訳能力が高い人物であっても、給与が低く抑えられていた。逆に、実務能力が劣ると思える人物が高給取りの場合もあった。30代前半で月収8000元(1元=15円換算で、約12万円)の人もいれば、その半額以下の3000元程度の人もいた。

 給与などの決定権を持つ人物によれば、面接時の話し合いで、会社と就職希望者が納得して決めたことであり、日本の価値観からすれば不可解かもしれないが、中国では一般的なことだと言い切る。さらに、待遇面で不満があれば、彼らはいつでも転職できるわけで、問題にはなっていないとも言った。

 事実、私がいる間にも、数人が退職していったが、企業側と社員側の両者による強気な話し合いの結果として退職が決着した。そのうちの1人は、会社側に退職金に相当する手当として、日本円で50万円相当を要求したが、担当者はこれを一蹴した。

 やりとりを聞いていて感じるのは、企業側にしてみれば、代わりとなる人材はすぐに雇える、退職希望者にすれば就職口は他にいくらでもあり、いつでも辞められるというものだった。

 しかし、これが1階の食堂で働く従業員になると、情況はまったく違った。平均年齢は20歳前後。月収は600元程度。就業時間は朝8時から夜8時までの12時間労働、休日は月に2回だけ。

 宿舎として6人部屋が提供され、食事代と住居費は無料。とはいえ、現在の上海の物価で月600元程度の収入では、休日に遊びに行くことも不可能だ。しかも彼らは月収600元の中から、200から300元程度を、実家に仕送りしている人も少なくなかった。

 18歳、上海に来て2年め、毎月200元を両親に仕送りしているという女性は、いつでも好きなときにマクドナルドに行けるような生活が夢だと語ってくれた。

 「でも、マクドナルドに行けば100元くらいはすぐに使ってしまうから、まだ2回しか行ったことがない。100元あれば、田舎ではぜいたくさえしなければ1カ月は暮らせる。できる限り貯金をして、早く田舎に戻りたい、上海は好きになれないわ」

 ケ小平が改革・開放政策の拡大と経済成長の加速を呼びかける南巡講話を発表したのが1992年。社会主義市場経済体制の確立が決定され、早10年が過ぎた。毛沢東時代の平等主義、平均主義から抜けだし、豊かになれる人から豊かになり、やがては全国的に豊かな生活を波及させていくというバラ色の未来を描く先富論があみ出された。

 しかし、現実はどうか、先に豊かになった人たちは自分の蓄えを活用してますます豊かになり、マクドナルドなど見向きもしない生活をおくりはじめている。ところが、豊かさから取り残された人たちは以前にも増して貧困を強いられるアンバランスな社会情況が露呈している。


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