書斎の扉はノックもされずに開いた。オスカルは入って来た人物を驚いた様子で見つめた。だが、すぐに微笑むと、 「酷い顔色だが、それ以上に酷いのは格好だぞ。」 と答えた。
しかしアンドレは答えもせずオスカルに近づくと彼女の左腕を掴んだ。オスカルは驚いてアンドレを見た。アンドレは構わず袖口のレースを捲って息を飲んだ。

 「・・・カトリーヌから聞いたのか?」
オスカルが声をかけた。しかしアンドレは答えなかった。彼は腕を掴んだまま 「誰がやった?」 と詰問した。オスカルはむっとしたような顔をすると  「知らん。」 と言って顔をそむけた。アンドレの顔が苦痛に歪んだ。

 「何故、庇う?」
アンドレは低い声で尋ねた。
 「庇うつもりなどない。」
 「それが、庇っているのだろう!」
アンドレは声を荒げた。驚いたようにオスカルはアンドレを見つめ、そして苦笑した。

 「わたしは盗人を庇う気はないが?」
 「盗人か。ではその盗人におまえは何を盗られた?」
 「何も盗られなかった。」
 「・・・そうなのか?」
 「当たり前だろう。」
しかしアンドレは疑いの眼差しを隠そうともせずオスカルを見た。彼は 「本当に何も?」 としつこく尋ね返した。
 「ちゃんと答えたろう?」
オスカルは苛々しながら返答をした。その途端アンドレはオスカルの肩を掴んだ。
 「なら何があった!」

アンドレの剣幕にオスカルは驚いて彼を見上げた。その時オスカルのクラバットから赤くシミのようなものが少しだけ覗いた。アンドレは茫然とそれを見つめた。オスカルはそれに気づいて慌ててクラバットを引っ張ってそれを隠そうとした。

アンドレは掴んでいた肩と腕を慌てて離すと視線を逸らした。オスカルは暫くの間アンドレの様子を見ていたが、机の上の紙の束を手に取るとアンドレに差し出した。しかしアンドレ見ようとしなかった。オスカルは小さく息をつくとアンドレの目の前までそれを差し出した。彼はようやくそれに気づいて、書かれてあるものを見た。そこには日にちと名前が書き連ねてあった。

 「舞踏会の行われる貴族の屋敷のリストだ。残りはお前が完成させろ。」
オスカルはそう言ってその紙の束をアンドレの胸元を叩いた。しかしアンドレはそれを受取らずオスカルを見た。

 「何だ?」
 「昨夜はすまなかった。その件についてはどんな償いでもする。だが舞踏会で・・・」
しかしアンドレは続けられず、黙り込むと俯いた。

 「アンドレ。」
オスカルは名前を呼んだ。しかし彼は顔を上げなかった。その様子にオスカルは思わず苦笑した。
 「目的はルビーだ。」

アンドレは顔を上げた。彼はその意味が飲み込めずにオスカルを見つめた。オスカルはアンドレに向かってにやりと笑った。

 「欲しかったのは私の首にあった宝石だ。わたしではないのだよ。」
 「お、おれは・・・」
 「メルシ、アンドレ。」

オスカルは微笑んだ。それを見てアンドレは慌てて顔をそむけた。オスカルは面白そうにアンドレを見ていたが、机の上で手を組むと厳しい顔つきをして口を開いた。

 「背後を取られたのは不覚だった。腕を掴まれて羽交い絞めにされたのを肘鉄食らわせて投げ飛ばしたまでは良かったのだが・・・」
 「投げ飛ばした?あの・・・ドレスで?」
オスカルは空を睨んだ。

 「そしたらミシッという音がして・・・破れたとすぐに分かったが後の祭りだ。その挙句、ドレスの裾に行く手を阻まれて取り逃がした。わたしとした事が大失態だ。」
アンドレはようやくドレスの破れた本当の理由を理解した。

 「わたしは貴族の舞踏会という舞踏会には総て顔を出す。だからおまえは、全ての貴族の舞踏会の日程を全て調べ上げろ。以上。」
オスカルは言った。アンドレは手に持った紙の束を見て、それからオスカルを見つめた。
 「そ、それじゃ・・・これから毎日ドレスを着て?」
オスカルは露骨にため息をついてアンドレを見た。

 「酔っ払い。」
 「おれ?」
 「他に誰がいる?」
 「オスカル!おれはもう酔っていない!おれは・・・」
 「あんなもの着て動きまわれると思うのか?」
 「そ、それはまあ無理かと・・・」
 「つまりそういう事だ。」
 「・・・なら、何をしに?」
 「黒い騎士の現われるのを待つ。」
 「黒い騎士!」
アンドレは叫んだ。

 「じゃ、じゃあ・・・おまえのその手首は貴族の屋敷ばかりを狙うというあの黒い騎士が?そうか!貴族の舞踏会という舞踏会をリストアップしてすべてに出席するというのはそいつを捕まえる為か!」
 「ようやく飲み込めたようだな。アンドレ。」
 「だけどオスカル、それは警察の仕事だぞ。わざわざおまえが動かなくても・・・」
 「いいや。この手で捕まえる!逃げられた屈辱もあるが、おかげであらぬ疑いをかけられたのだ。」
アンドレはオスカルを見つめた。

 「でも、それは・・・正直に話せば済むことじゃないのか?」
 「昨日までならな。」
オスカルはふうと息をついた。その言葉にアンドレはオスカルの首筋を見て、情けなげに顔を顰めた。オスカルはアンドレの様子に気づいて慌てた。

 「おまえの所為でない!タイミングが悪かっただけだ。」
 「おれの所為だ。すまない。おれは取り返しのつかない・・・」
 「もういい!」
オスカルは強い口調で遮った。

 「あの店へ行って寝ていたお前を無理に起こした私にも責任はある。だから!そんな顔をするな!その時だけだ。あとはずっと寝ていた。本当だぞ。静かに寝ていたのだ。おまえの隣で寝たが・・・」
 「寝た?」
 「ああ。それはもう静かに寝ていた。本当だ。一度も目を覚まさなかった。」
 「違う!おまえ今、隣で寝たと・・・言わなかったか?」
 「ああ。寝台が一つしかなかったからおまえと一緒に寝たのだ。それがどうかしたのか?」
オスカルは平然と答えた。それを聞いてアンドレは絶句した。

 「いいかアンドレ。さっき言ったようにおまえは一度も目を覚まさず熟睡していたのだ。だからもう何もして・・・アンドレ?アンドレどうした?」

あんまりだ。あまりにも酷い。アンドレは心の中で叫んだ。その途端、身体全身の力が抜ける。崩れ落ちそうになるアンドレをオスカルは慌てて抱きかかえた。アンドレをオスカルの香りが包んだ。それは夢でなく本物だったが、彼は怒りに震えた。

アンドレは記憶にない昨夜を思った。きっと、こんな風にオスカルはおれを支えようとしてくれたのかもしれない。それなのにおれは選りにも選っておれは、オスカルをオスカルと間違えて・・・

アンドレはオスカルから身体を離そうとした。しかしそれはうまくいかずアンドレはまたよろめいた。オスカルが手を差し伸べたがアンドレはそれを拒むと 「大丈夫だから。」 と言って側にあった机に手を付いて身体を支えた。

 「何言ってるんだ!真っ青じゃないか!椅子に座れ、さあ、早くこちらへ・・・」
 「このままでいい!!」

アンドレは声を荒げてそれから額に手を当てると俯いた。オスカルは口を閉ざした。アンドレには、オスカルが不安げな顔をして自分を見ているのが分かった。アンドレは俯いたまま 「本当に大丈夫だから。」 と繰り返した。

アンドレの頬に手が触れた。アンドレはオスカルの手を見た。するとオスカルは手の置かれていない方の頬に顔を近づけるとそっとキスをした。アンドレはオスカルの顔を見つめた。

 「アンドレおまえは・・・」
彼女は言葉を切った。瞳が揺れた。しかしそれを隠すかのように彼女は優しく微笑んだ。
 「おまえは何でも我慢しすぎだ。」

彼女はそう言うと、自分から視線を動かすことを忘れたように見つめるアンドレの手を引張り、自分の椅子に腰を下ろさせた。それでもアンドレはオスカルを見つめたままでいる。オスカルはアンドレの頭に手を置くと髪をくしゃくしゃにして笑った。アンドレはようやく気付いたが、クシャクシャにされた髪を直そうとはせず、悲しげな顔を見せただけだった。それを見てオスカルは苦笑した。

 「何だ、その情けない顔は?」
 「・・・済まない。」
 「いいか、アンドレ。おまえはもう何も気にする事は・・・」
 「おれはおまえに酷い事をした!昨夜おれは・・・」
 「だから酔っていたのだ。それだけだ。」
 「だからと言って許される事じゃない!」
アンドレは強い口調でいい、額を抑えると俯いた。

 「その上おれは・・・・」 声が次第に小さくなる。
 「何も覚えてない。覚えていないんだ。おまえが来た事もおまえにした行為も全部。だけどおれは・・・」
言わないと。他の女と間違えたんじゃない。これだけは言わなければ。アンドレは顔を上げた。

するとオスカルの驚いた顔がそこにあった。アンドレは誤解を解くどころかこれ以上は何も伝えられない事を思い出した。伝えられたなら、それが出来たなら、こんな惨めな有様を晒さずとも済んだのだ。
アンドレは目を伏せると 「すまない。」 とだけ言うと黙りこんだ。オスカルはその様子を黙って見つめた。

 「では、おまえは昨夜の件を・・・酒場の主から聞いたのか?」
暫くしてオスカルは尋ねた。アンドレは黙ったままだったが答えは明白だった。
 「わざわざ話をせずとも・・・」
オスカルは小さく呟くと、俯いたままのアンドレを見た。

 「いいかアンドレ、わたしは気にしてない。だからおまえももう気に病むな。たいしたことじゃないんだ。」
 「・・・たいしたことだ。」
 「だから!」
 「たいしたことだろう!」

アンドレは強い口調で言い、額を押さえた。オスカルは悲しげな目でアンドレを見た。彼女はアンドレに聞こえないように小さく息をつくと明るい口調で言った。
 「よし分かった。ならこうしよう。これからは一人で飲むな。飲みたくなったらわたしが付き合ってやる。」
アンドレはオスカルを見ると苦く笑った。オスカルもにっこりと笑い返した。

 「良い考えだろう? 飲み過ぎないようにわたしが注意してやろう。これで問題ない、万全だ。」
アンドレは苦笑した。
 「飲まないよ。」
 「・・・わたしとは飲めないと、そういう事か?」
オスカルはアンドレを睨んだ。アンドレは悲しげに笑った。
 「そうじゃないよオスカル。もう飲まない。」
アンドレの唇が歪む。
 「ああそうだ。飲むものか。絶対飲まない!おれはもう二度と・・・」

 「飲む気はない!」

アンドレは叫んで、それから両手で頭を抱えた。オスカルはアンドレの様子を寂しげに見ていたが、不機嫌な顔を作ると腕を組み 「酒に関しては、本当におまえはつまらん奴だな。」 と言った。

The end