白いドレスは微かにピンクがかって見えた。あれは光の所為だと思ったが、今考えるとオスカルの雪のように白い肌の所為かもしれない。それにしてもあんなに細かったのか?想像もしなかったぞ。手首だってそうだ。いつも見慣れているはずなのに掴んだら折れてしまいそうだったし、それから馬車に乗り込む前に微笑んだあの様子は・・・
アンドレはうっとりとした様子でほうと息をついた。

見る者総てを捕らえて離さない。それどころか酔わせてしまうような美しさだ。まるでこの世の者でない、そうだ、まるでアフロディテだ。だから何も言えなかったのだ。いや、言ったには言った。だけど “すばらしくきれいだ” だけなんて! 何故もっと気の利いた言葉がかけられなかったのだろう?いや、そんなのはどうでもいいんだ。それよりも聞きたかったのはドレスなぞ着た理由だ。本当にただ単にドレスを着てみたかったからなのか?それとも・・・・

アンドレはゴブレットを見つめたまま唇を歪めるようにして笑った。
聞いた所でどうするというのだ?もしそれが・・・

不意にアンドレの脳裏にその光景が浮かぶ。
男の腕の中にいる彼女。自分には決して向けられぬまなざし。そして彼女の唇が動く。 “一晩だけでいい、わたしを・・・”

アンドレは中身を一気に飲み干してカウンターに置くと深々と息をついた。
アンドレは店の主に声をかけた。主がアンドレを見たのでアンドレはゴブレットを持ち上げた。すると主は訝しげな顔をした。

 「パルスヴァル、どうかしたのか?」
 「聞いてなかったのか、アルレッティの話?」
 「いや?」
 「グレネル教会の共同墓地から亡骸を運び出すのは今晩らしいぜ。」
 「へえ、そうなのか。」
アンドレは気のない返事をした。
 「アルレッティの話によると運び出す荷馬車と出会うと呪われるらしいぞ。」
主はわざと恐ろしげな顔を作って言った。しかし、アンドレは動じるどころか面白そうに笑った。

 「亡骸が腐ると有毒な物質を出す。それが生きた人間に害を与えるんだ。」
 「らしいな。」 面白くもなさそうに主は答えた。
 「つまり、ただの迷信さ。」
 「だが、見たくは無い光景だろう?」 主は言った。

 「掘り起こすのは勿論、荷馬車に積み込む時の様子。そしてそれらを照らす松明の炎がまるで地獄への水先案内人のように見えて魂を抜かれるんじゃないかと・・・他の墓地の移転作業を見た奴の話だが、話してる間ずっと震えてやがった。普段は胆の座った奴がだぞ?」

それを聞いてアンドレは考え込んだ。
 「それはまあ・・・確かに見たくはないな。」
 「なら今日はお開きにしたらどうだ?」
主の言葉にアンドレは一瞬考え込んだが、すぐに主に笑って見せた。
 「かち合ったらその時はその時だ。」
 「言っとくが、馬車も捕まらないぞ。貸し馬車は臨時休業だ。」
 「なら歩いて帰るさ。」
 「ベルサイユまでどれだけかかると思ってるんだ?」

アンドレは返事をする代わりにゴブレットを差し出した。主は呆れた様子でアンドレを見た。しかしアンドレはニッコリと笑って―――ゴブレットは差し出したままだった。主は肩をすくめて見せると、酒を取りに奥へ引っ込んだ。

主はなかなか戻らなかった。アンドレは誰もいない店を見回した。それほど広くない店内はいつもより広く感じた。それはまるで1人だけが取り残されたような物悲しさを彼に与えた。アンドレは小さく息をつくと、手持ち無沙汰に盃を眺めた。
暫くするとようやく主は壜を手に戻って来た。彼はアンドレの前に壜を置いた。それは見慣れたジンの壜とは違っていた。

 「ラム、サービスだ。」
主は答えるとアンドレの元を離れた。アンドレは壜を眺めた。
 「ラムというと、船乗りが飲む?」
 「ああ。船には必ずこいつを乗せる。」

主は今しがた帰った客の使った食器を片付けながら答えた。
アンドレは目の前に置かれた壜を手に取るそれをすぐに空のゴブレットに注ぐ。するとそれほど広くない店内にトクトクトクと音が響いた。それと同時に、甘く強い香りがふわりと広がった。アンドレは白い陶器のゴブレットに注がれた濃い褐色の液体を見つめた。

悪くはなさそうだ。
アンドレは考えた。彼はグラスを持つと褐色のその液体をグイと飲んだ。途端、喉を焼くようにして胃に落ちる。舌がひりりと痛んだ。

 「特別製だ。」
主が食器を片付けながら言った。アンドレはゴブレットの中身を見た。
 「確かに。あんまり強くて咽そうになった。」
主は片付ける手を止めるとアンドレを見た。
 「ダークラムの真髄である香りとコクをとことん堪能出来るだろう?」
 「へえ、そうなのか。」
主は顔をしかめた。アンドレは苦笑した。

 「そんな顔しないでくれよ。おれには、酒の味は今一つ分からないんだ。特にこういう強いのは・・・」
 「水で薄めろなんていうのは絶対にお断りだからな!」
アンドレは苦笑した。
 「言わないよ。確かに薄めたら飲みやすいだろうが・・・」
ガチャンという音と共に食器が乱暴に重ねられた。アンドレは慌てて付け足した。
 「だから、頼まないって!大体そんな事を言ったら・・・」
 「取り上げる。」
再びアンドレを睨んだ主の言葉にアンドレは再び苦笑した。
 「だろう?」

アンドレはそう言うと中身を飲み干して壜を取るとゴブレットに注ぎ入れた。彼はその液体を一口飲むとふうと息をついた。
 「ジンよりはうまいよ。全然比べ物にならない。そうだな・・・」
アンドレはそう言ってまたラムをグイと飲んでゴブレットを見た。

 「この酒には・・・強い割にはカラッとした軽さがあると思う。なんていったらいいのかな。酒にこんな表現は適切じゃないが・・・明るい感じがする。」
 「カリブの陽気な酒だからな。」
主は不機嫌に答えた。それを聞いてアンドレは笑った。
 「そうだな。そう、そんな感じだ。陽気な酒だ。」
アンドレは答えると中身を一息で飲み干した。そしてゴブレットにラムを注ごうと壜を持った。
 「おい!味わって飲めって。」
主は声をかけた。アンドレは彼を見て笑った。彼は壜を持つとゴブレットにラムを注いだ。
 「ちゃんと味わってる。陽気で楽しくなる気がする。」
 「陽気な酒だろうと過ぎれば一緒なんだぞ。」

アンドレは主を見た。主は片付けるのを止めてアンドレを見つめていた。彼の顔には気遣わしげな表情が浮かんでいた。 アンドレは苦笑した。

 「二日酔いの辛さは変わらないか。」
アンドレは手に持った壜に視線を移し、中身を見つめた。
 「でもまあ、それでも飲みたい時もあるよ。」
彼は主に笑って見せるとラムをゴブレットに注ぎ飲み干した。

墓地の移転
当時パリの墓地(共同墓地)は限界に達していた。幾重にも重ねるように埋められた亡骸は有毒ガスの発生や疫病を引き起こし、その結果次々とパリの墓地は閉鎖された。そしてとうとうすべてのパリの墓地が使用禁止になり、墓は片っ端から掘り起こされ、パリ郊外の石切り場跡地などに運び込まれた。・・・・らしいです。
ゴブレット
当時のフランスでは、ガラス製の食器は普及していませんでした。(^_^;)。大衆に広く使われていたのが陶器製のようです。