ホテルは、繁盛した。
日本人観光客は絶え間なく訪れ、毎年7月12日から14日までの間の予約はずっと先まで埋まり続けた。
ある年の7月12日も、日本人客一行 ―全員が妙齢の御婦人方であった― が、この部屋に泊まる為にホテルにやって来た。
彼女達はそれこそ何年も何年も待って、待って、待って、待ち続け・・・それこそどこぞの誰かのように待ちに待って・・・ようやくこの部屋へ泊まることが出来るのだ。
 胸躍らせてホテルを訪れた彼女達は、まず別の部屋へ通された。程なくその部屋へやって来たのはホテルの支配人で・・・ 彼は慇懃に礼を取ると、彼女達に信じられないような話を始めた。
それは彼女達にとってまさしく青天の霹靂、寝耳に水、それから・・・・

   嘘でしょう?ほんとに?

状況が把握できず、彼女達の頭の中がぐるぐる回っている時に、彼らは現れた。
 彼らは二人共、クラシックファンなら誰もが知る有名なソリストであった。しかし彼女達にとって、それとは別の意味で有名で特別だった。
なぜなら、彼らはここ数年ずっと 『再び映画化されたならあなたなら二人は誰に演じて欲しいか?』 というアンケートの不動の首位を確保し続けていたからだ。
勿論このホテルは彼らの父親がオーナーである。 彼女達も、もしかしたら会えるかも?などと淡い期待はしていたが、何せコンサートにレコーディングと世界中を飛び回る二人である。
まさか会えるなどとは、それも目の前で、記念すべき7月12日に!その上!

  こんな格好の二人に会えるなんて〜〜〜!!!!!

 兄妹とはいえ、血の繋がらない二人の相思相愛ぶりは有名で、いずれはそうなるであろうとは誰もが推測する所ではあったが、それでも彼女達の誰もが、結婚式を終えたばかりの・・・ウェディングドレスにタキシードという二人の姿にうっとりと魅入った。
細身の身体を純白のドレスで包み、黄金の髪を結い上げた真っ青な瞳の、たった今オスカル・フランソワ・グランディエになったばかりの女性は、それは見事なタンティングレースの長いベールを取るとそれを夫に手渡してにっこりと彼女達に微笑んだ。
(この時、彼女達の1人が卒倒したが、彼女達の誰も気づかなかった。)
 「支配人から話があったと思いますが・・・突然の申し出で驚かれたでしょう。無理難題は承知の上です。ですが、明日からコンサートツアーに出るので、1年ほどはフランスへは戻れないのですよ。それに、あの部屋は私達にとって思い出の場所なのですよ、マダム。」
彼女はそう言って、演奏の時見せる厳しい表情からは想像も付かないほど優しげで尚且つ甘えるような視線を、横にいる彼女の夫になりたてのアンドレ・グランディエに向けた。
彼はそんな彼女にそれはもう優しく微笑んで、妻の腰に手をまわすと額に口づけしてから、彼女達に視線を向けた。
彼の弾くピアノより魅了すると言われる優しげなまなざしは、勿論妻に向けたものとは比べ物にならなかったが、彼女達の半分にはそれで十分だった。
 「部屋は当ホテルのスペシャルスイートルームを用意します。ですからもしよろしければマダム。部屋を代わってはいただけないでしょうか?」
彼は彼女達に頼んだ。
続けて彼の妻が彼女達に彼女のバイオリンよりも魅了すると言われる低いアルトの声で懇願する。
 「私達の願いを聞き入れていただく事は出来ないでしょうか、マダム?」
彼のまなざしに動じなかった彼女達の残りの半分もそれで落ちた。
もはや彼女達は全員が上の空だった。
 「お願いします、マダム。」
二人同時に発せられた言葉に、彼女等はようやく気づくと全員が瞳を潤ませながら

「それはもう!あなたの為なら喜んで!」

と一斉に ―彼女達のうちの半分は妻だけを、そして残りの半分は夫だけを見て― 答えた。
 夫婦は、彼女達に感謝して、夫のピアノの伴奏で妻がバイオリンで何曲かを演奏した。
最後に彼女達のたっての希望でグランディエ夫人がモーツアルトを、あの部屋で演奏したのはいうまでもない。

―おわり―