生徒と一緒に作ったもの(1)
ここでは、以前私が勤めた工業系の高校で、生徒と一緒になって創り上げた作品
や独自に開発した教材のなかで、印象に残ったものを紹介します。

                                <補 足>
どうして個人のHPにこのような仕事の範疇に属するような項目を設けたかといいますと、工業高校では「課題研究」という科目があって、数人のグループにわかれてひとつの作品を作る「ものづくり」が行われています。ところが、せっかく苦労して作った作品も、学校外の方に見ていただく機会にきわめて乏しく(「卒展」というのはありますが、広報の手段が限られ来場されるのは3年生の保護者がほとんどで、それも一日限り)、関心のある一般の方や遠方の方、ましてや専門分野の方に見ていただく機会がまったくといっていいほどなく、展示後は作品の保管場所にも困り、日時の経過とともに粗大ゴミとして廃棄されるという現実をまのあたりにしていたからです。
「学校にもホームページがあるのだから、そこで紹介すればいいじゃないか」というご意見もあろうかと思いますが、多くの学校ではなかなかそこまで手が回らないのが現状です。とりあえずこれまでに自分が関わり、写真が残っている作品について紹介し、それ他の作品についても学校のHPなどで積極的に紹介するよう働きかけていこうと思います
(1)岐阜工業高校 電子科時代

 
日立レベル3用画像入力装置(1987年度)
日立の「レベル3」というパソコンがあったことをご存知でしょうか。CPUがまだ8ビットだった時代、各メーカーはきそって、独自のハードウェアアーキテクチュアのパソコンを世に出しました。最も売れたのはZ80系のNECのPC8001/8801シリーズだと思います。しかし、コンピュータを知るいわゆる「マニア」たちは、モトローラ社のMPU、68系を好みました。当時富士通と日立が68系の6809というMPU(CPU)を使ったパソコンを発売し、富士通(FMシリーズ)のほうは比較的人気がありましたが、日立というと白物家電のイメージが強く、パソコンについては販売力や商品インパクトの弱さからメジャーにはなれませんでした(そういえばレベル3の色も白だったな)
ところが、その頃の岐阜県の工業高校の先生にはマニアックな方が多く、コンピュータを教えるならば大型機に近い洗練された命令体系を持つ68系を推す方が多く、また日立が学校用に特別に、「アセンブラROMカード」や「パラレルインターフェィスカード」を製品化してくれたこともあって、岐阜県の工業高校には「日立レベル3」が数多く導入されました。
このパソコンを母体に、学校現場では数多くの応用装置が開発されました。画像入力装置は当時はまだ珍しく、メモリ容量の少ないレベル3には無理かと思われましたが、扱う画像を白黒の1ビットと割り切ることで、なんとか実用化することができました。(実はこれ、もともとの設計は愛知県の工業高校の先生で、私が日立レベル3用にアレンジしたものです)

日立レベル3というパソコンにTVカメラから画像を入力しようというシステム。PCの右、一番下のアルミシャーシがそれカメラはSONYの白黒撮像管式。PCのディスプレイは目に悪いグリーン一色のもの。(当時カラーディスプレイは大変高価で高校レベルではとても買えなかった) 画像入力装置のメインユニット。MSX(おお懐かし!)パソコンのビデオLSI、TMS9918を流用し64kBダイナミックRAMを制御。A/Dコンバータはなく、分解能は白黒1ビット(つまり2値画像)しかないがレベル3ではこれが限界でしょう。
日立レベル3の拡張基板というものは市販されているわけがなく、独自に回路図を解析し、バスラインを外に引き出し80系LSIの信号を作る基板を製作した。(両面基板) 動作させたところ。プログラムは6809のマシン語とBASIC右の白黒モニタに顔らしきものが映っているのがわかりますか?


「青春の電光掲示板」(1988年度)
 
これは、昭和63年、私が2年電子科のクラス担任をしていたときに、文化祭の出し物として製作したものです。
 このクラスは、1年のときに、初めて担任を持った、とても思い入れのあるクラスです。1年のときは、文化祭の出し物とし
 て大学時代にやっていた和太鼓をクラス全員で演奏し、大きな反響を呼びました。2年生では、電子科の専門性を生かし
 たテーマをやりたかったので、生徒のアイデアを生かし、クラスで話し合いの結果、表題のテーマとなりました。
 この頃の工業高校には、技術力の高い(いわゆるマニアックな)生徒が多く、自力でZ80アセンブラが理解できたり、ゲー
 ムのプログラミングまでできる子がいましたので、そういう意味ではとても幸せな時代でした。
 ハードウェアの構想は夏休みころから立てはじめ、8×8ドットくらいの回路から試作をはじめました。このような早い段階
 での準備が、文化祭前日には完成ということにつながったのだと思います。実際には、数多くの失敗も経験しましたが、な
 んとか動作してくれたことで、私自身も非常に勉強になり、生徒には大きな自信をつけさせることができました。
パネルの大きさは縦90cm×横135cm.
点灯するとこんな感じ。上のほうに「HOMERUN」と表示されているのがわかるでしょうか?
LEDの数は1536個
表示パネル内部の様子。1枚の基板が8×16ドットを担当し、この基板が12枚で、合計1536個のLEDを制御します。黒い箱は5V20Aのスイッチングレギュレータ こちらはパネル内の受信制御部
送信制御部からシリアルで送られてくるデータはこのユニットで12枚のLEDドライブ基板に分配されます。
こちらはPC(SHARP−X1)とつながる送信制御部。左の基板がX1のスロットに挿入され、右のシャーシがLEDディスプレイの信号に変換・送信する。 心臓部の送信制御ユニット。パソコンのディスプレイコントローラのような働きをする。専用ICはないのでTTLなどを30数個組み合わせたオリジナル。 操作・制御は赤いSHARPのXturboで
左のオシロは画像モニタ。右のビデオカメラから画像を入力して表示するようにしたかったが時間がなく断念。
同じく操作部を横から見た写真。X1専用ディスプレィが買えず、上司からもらったNECの白黒モニタ(PC9801用)で代用。5インチFDが懐かしい。手前のカセットデンスケはBGMを流すためのもの。 LED制御基板は生徒の手作り。部品の密度がけっこう高く、初めて両面基板の製作にチャレンジしました。
写真は基板に穴を開けているところ。
LED表示パネルは台所用のハンガーボード。5φの丸穴がLEDにぴったり。LEDを植え込む作業は結構大変。(この後さらに大変な配線作業が待っています)

(2)中津川工業高校 電気科時代

「16チャンネル調光システム」(1990〜1991年度)
私がいたころの中津川工業高校には、文化祭「仰星祭」で、科対抗の生徒による演劇コンテストが、また卒業式前日の「3年生を送る会」では職員による演劇が行われていました。演劇というと「照明」が欠かせませんが、私が赴任したときに同校にあった調光器(照明の明るさをコントロールする機械)は、おそらく生徒が作ったもので、ケースも木製で配線も危なっかしく、いつ火災を起こしてもおかしくないモノでした。
2年目に放送部の顧問になったのを機に、放送設備の悪いところを修理したりしていましたが、やがて自作の虫が騒ぎ始め放送部員と一緒に製作に取り組んだのがこのシステムです。はじめは簡単なものを考えていましたが、気がついたらここまで大掛かりな作品になってしまいました。あくまで実用に耐えるものをということで、安全性には特に配慮したつもりです。
明るさ設定ツマミから得られる直流電圧をコンパレータで、電源に同期したのこぎり波と比較して位相制御を行うというアナログ式で、原理的には大したことはありませんが、製作したプリント基板が21枚からなる超大作です。どうぞご覧ください


   この作品は、写真をクリックすると拡大します。(紙焼き写真からのスキャンなので画質は悪いです)
電力制御部を上から見たところ。(アクリルカバーの保護紙がついたままだ)
左が主ブレーカ、右に16ch分の分岐回路のブレーカ、出力コンセントがある
システムは手前の「NKH」と書かれた操作パネル部と奥にある電力制御部に分かれており、間を36芯ケーブルで接続なおNKHとは中津川工業高校放送部の略称で日本放送協会ではありません。 電力制御部のカバーを開いて後面からのぞいたところ。8枚のTRIAC基板にノイズフィルタ用コイル、右手に補助電源トランスが2個見える。全体は3層構造。
ノイズ対策をがっちり行ったため、この上にAMラジオを乗せて受信してもほとんど雑音は入らない。
電力制御部の上面カバーをはずしたところ。各回路に15Aブレーカが入り、内側には出力表示のLEDがある。このLEDはPWM制御で明るさが変わる。 電力制御部を下面から見る。左上のガラエポ基板は電源に同期したのこぎり波を発生させる基準信号発生回路。左下:補助電源回路、右の白い2枚は8chごとのPWM変調回路となっている。 同じく、少し斜めから見たところ。メタルのTO−3パッケージは16AのTRIAC。基板同士の接続はすべてコネクタとし、メンテナンス性の向上を図っている。
電力制御部を側面から見たところ。上のアンフェノールコネクタは操作部につなぐケーブルの差込口。この写真で3層構造になっているのがよくわかる。 100A近い大電流の流れる分電盤(メインバス)は単相三線式とし、厚さ2mmの銅版を組み合わせて製作した。補助電源にもTDKのノイズフィルタが入れてある。すべてが重装備。 下面のカバーを取り付けたところ。放熱のため直径10cmのACファンが3基取り付けてある。

  

ネズミロボット「CHUKOU(チュウコウ)」(1990〜1991年度)
業高校では1年生で「工業基礎」という科目があり、広く工業技術全般にわたって学習するために、自分の所属する学科に関係なく、工業のさまざまな要素を包含した作品を全員がつくります。私が赴任した当初は「デジタル時計」という題材でしたが、時計はすでに各家庭にたくさんころがっていて、生徒が喜んで持ち帰るものではなくなっていました。何か面白い題材はないかということで、工業科教員による研究グループが発足し、そこで開発されたのが「ネズミの形をして、音(拍手)に反応して動きを変えるロボット」です。最初はそのころ流行した「ポケットコンピュータ」で制御することを考えていましたが、どうにも不恰好で、このくらいの制御ならマイコンを使わなくてもできると判断し、汎用ICだけで構成することにしました。これがうまくまとまり、生徒らが喜んで遊んだり、持ち帰ってくれる教材になりました。
中津川工業高校は略して「中工」(チュウコウ)と呼ばれますが、ネズミの鳴き声も「チュー」で、学校名にふさわしいネーミングであるという評価をいただきました。
現在では、内部の回路こそ大幅にモデルチェンジされましたが、「チュウコウ」の名称と外形はそのままで継続して作られているとのことです。
またCHUKOUの由来でもあるネズミをあしらったイラストが同校のシンボルキャラクターとして使われています。
                     
「CHUKOU」の外観。ボディはアルミニウムの鋳造でつくる
しっぽの先には音を感じるエレクトレットコンデンサマイクが付いている。ボディに目やヒゲを描くとネズミらしくなる。
CHUKOUの内部。基板にはアナログIC2個、デジタルIC2個、トランジスタ4個などが乗る。9V電池は制御回路用で、モータ用の単3×2本、左右独立の2個のモータとギヤボックスは白いベース(プラ板)の下にある。
研究グループ全員で協力して執筆した、CHUKOUテキスト
旋盤、鋳造、ノギスの使い方、プリント基板のエッチング、ハンダ付け、機構部の組み立て、配線などすべてがわかる。
テキストの「立体組み立て図」は苦心の手書き。このころは手軽な作図ソフトがなく、文字はワープロ印刷したものを切り張りしていた。
        (クリックすると拡大します)