帯広旅行98
1998年(平成10年)の10月、友人からの手紙にお母さんが病気で長いことはないと知り、急遽お見舞いを兼ねての里帰りとなった。
友人とは隣近所であり、所謂「幼なじみ」である。お母さんにも離道するまでお世話になったことも有り、何はさておいても行かねばならないと思って土曜、日曜が休める日を選んで航空券を取った。
帰りは15時頃のJALにしたかったのだが、生憎と満席で遅くなるのも嫌なので1便前の13時過ぎのJASにした。

出掛ける1週間ほど前に友人から手紙が届き、わざわざ来てもらうのは申し訳ないから来なくても良いということだったので、取り敢えず電話を入れて具合を聞いてみた。
そして、出来ればキャンセルしてほしいという所を今更 キャンセルしに行くのも億劫だし、適当に遊んで行くからと行って出掛けた。

10月17日の朝、夜勤明けの上に雨の中を弟に駅まで送ってもらい、朝食も摂らないままホリデーパスを買ってから東京までの自由席特急券(新幹線)を買う。
新幹線は大宮までが早い・安いで最高なのだが、東京までだとさほどでもない。
しかし急ぐ時はやはり新幹線に限る。上越新幹線は空いており座って東京まで。
東京から浜松町まで山手線に乗る。以前、京浜東北線に乗ったら快速で浜松町に止まらなかったので、それ以来山手線を利用している。
浜松町に着き、ここで朝食を摂る。地下の食堂街を探し、昨日の夕食に食べ損なった「マーボ豆腐」を食べる。
それから売店で手土産にお菓子と、暇つぶしのための雑誌を買う。

浜松町からモノレールに乗り羽田まで。目の前に有るモノレールは混んでいるため1本遅らせて乗る。
羽田に着き、チェックインを済ませる。13時50分発のところを12時頃に着いてしまい、カウンターに行くと九州 発着の便は欠航と表示が出ている。
明日は大丈夫か?と心配ながらもチェックインを済ませ、やることもないので荷物検査に行くと手荷物が引っ掛かる。
フイルムのX線防止の袋が入っていたせいで、中身を確認される。
こちらは見られて困る物も無いので勝手に見てくれというもの。

それから動く歩道を歩き、JASの出発ゲートへ。ポケモン号が目の前をよぎって行くので持参したデジカメを出して撮ろうとしたがシャッターが切れず徒労に終わった。
1眼レフはレンズがズームのため暗く、ストロボも持参していないためお手上げ。

待合室に行くと珍しいことにツアー客が多い。後で聞いたところ、とある宗教団体の集会?が有ったとか...

定刻どうり出発。席はとみれば1番前の中側、CA(キャビンアテンダント・客室乗務員=早い話がスチュワーデス)の救命胴衣のデモは間近で見られたが、足が伸ばせず居心地はイマイチ。
(使用機材はA300)

台風の追い風のせいか前後の揺れが多かったが、定刻より早く到着。機長の説明だと速度1000Kmとのこと。
通常の速度が800Km程度であることを考えると随分速い。

空港に着いてみると友人が迎えにきており、聞くと御主人も来ているとのこと。今まで、直接会ったことは無かったので他人行儀な挨拶になってしまった。
それから友人の実家に、お母さんを見舞う。
当日は具合が良かったとのことで、思ったよりも元気そうな姿に一安心する。
夕方まで居て、折角来たのだからと一緒のカメラに収まる。

その後、友人宅に寄った後で帯広へ向かい、ホテル(東急イン)にチェックイン。
今までだと電話で申し込むか、系列の東急観光で予約していたのだが、今回はインターネットの「ホテルの窓口」を利用した。当初、朝食の無い設定だったためメールで朝食を付けて貰えないかとホテルや「ホテルの窓口」に問い合わせてみた。
結局は当日、現地で申し込めばOKとのことで、チェックインも朝食もスムーズに行った。
部屋に入ると「禁煙室」今までも数回、利用しているが久々でもあり、トイレにウオシュレットが付いていたりドライヤーが備えつけられたりと備品が充実しているのに驚いた。

それから友人と夕飯を食べに行ったが、たまたま宴会が二つほど入っており賑やかで参った。オマケに食事をしていたら肩を叩かれ、振り向くと宴会のグループ(こちらは静かな方)が写真を撮ってくれと言う。
袖擦り会うのも他生 の縁とやらで1枚撮ったけど、ほろ酔いだったのでちゃんと写っているやら?

宴会がお開きになってから場所を変え、ホテルのスカイラウンジで数年振りに水割りのグラスを傾けた。
(山形から帰って飲みに行く機会も減り、飲んでもビール程度で二次会まで行くことは無くなってしまったので...)

21時半頃になってホテルに戻り風呂に入って22時頃に寝たが翌日は4時頃に目が覚めてしまった。
明るくなって外を見ると雨。6時頃になってテレビを点けると台風が北海道に向かっていると言う。

8時頃に朝食を採る、バイキング形式で「十勝特産」品のコーナーも有った。
チェックアウトしてホテルのロビーで500円也のビニール傘を買って出発。折り畳みの傘は持参していたが、出すのが億劫で...

トヨタレンタリースの駅前営業所に行こうと思ったが場所を確認しておかなったため判らず、コンビニ(ローソン)を見つけ帯広の地図を買うが載っていない。
駅前をウロウロし、判らないので携帯から電話を入れて場所を聞く。そうしたら今、居る所と反対方向だった。

レンタカー屋に行き、免許証を見せて料金を払いナビの説明を受けてから出発。
(レンタカーは行く一週間前くらいにインターネットで申し込んだのだが、返事が届くのに5日くらい掛かり出発当日まで予約が取れたのか判明せず気が気ではなかった。)

車は一番安い料金のスターレットである。普段乗っているのは1500だが、どうせ一人しか乗らないのだし短い時間なので、これにした。
ナビだけは知らない所に行った場合に迷子になるのは避けたいので付けてもらった。
生家の近くであればナビなど無くても困らないが街中や行ったことの無い所(今回は幸福と中札内、空港)に行った場合に地理不案内で困るので...

雨の中を広尾国道(国道236号線)を愛国に向けて走る。私が住んでいた頃、国道といえば38号線しか無かったものだが...
台風が心配でラジオの台風情報を聞きながら走る。道路は轍に水が溜まっており、調子良く走って行くとグリップしなくなったりして怖い。
途中、「真鍋庭園」という所に寄ろうと思ったが行き過ぎてしまい、雨も降っているしと愛国へ向かう。
愛国に着いたが愛国駅に行く道を間違えて行き過ぎ、コンビニの駐車場でUターン。
そこから、この辺だと思って行ったら道を間違えて違う所へ2〜3Km走ってしまった。
(ナビに設定していなかったのと、普段使っているナビと違うメーカーのため使い勝手が違って間違った)

やっと愛国駅を発見し駐車場に車を停めて写真を撮る。天気が悪いのと9時頃で時間が少し早いせいも有ってか売店も開いておらず私の他には人影も無い。
愛国駅は現在は交通記念館になっており、中は自由に見学が出来る。
ホームに出ると線路にはSLが置かれてある。手前の左側には売店が有り、「愛の国から幸福へ」の土産等が買えるが私の行った時は閉まっていた。  

旧、国鉄・広尾線愛国駅(’98年10月)

愛国駅内に有る、当時の料金表
(110円で幸福まで行けた?)

愛国から川西に行こうと思ったが道を忘れてしまい、大正まで行ってから富士(私の住んでいた所)まで行く。
雨が降っているので所々で車を停め、車の中から写真を撮って墓地に行き祖母の墓参もそこそこに川西に向かう。
ここは、かって中学に行く際に通った道。約8Kmの距離を自転車で通ったものだが車だと、いくらも掛からず到着。

昔懐かしい校舎を眺め、商店街も様変りしたものと思いながら広尾国道に出る。
雨が降って居なければ車を停めて散策する所では有るが、雨では車外に出ると濡れるのでパス。

愛国から大正を通り、幸福に向かう。またも行き過ぎてしまい、農道からウロウロする。ナビが有っても無くても関係なく付いている意味が無い。(苦笑)
一人だと操作するのも億劫で、勘で走って行くと列車が目に入り(そんなに目は大きくは無いが..)無事、幸福駅に到着。 

旧、国鉄。広尾線幸福駅

幸福駅は昭和31年生まれ

幸福駅は愛国に比べ観光客が疎らながらも居た。売店で「愛国から幸福行き」の切符を数枚、記念に買う。
雨で客も居ないため売店の主人も手持ち無沙汰とみえ、話しかけてくる。駐車場脇の楓は紅葉していた。

幸福駅は昭和31年に出来たそうで私と同じ年齢?かと思うと親近感が沸いてくる。
駅舎の中には所狭しと名刺やらメモやら、来訪者の記念の紙が貼り付けられている。

幸福駅を後にしたが、空港に行くには早過ぎるので中札内村に有る「坂本直行記念館」に行くことにした。
思ったより距離が有り、行っても歩道に水が溜まっていて歩けず行くのを断念。坂本直行記念館は以前に行ったことが有ったので止め、向かいに有る「相原求一郎美術館」に行った。
ここは入館料が500円。

相原求一郎氏は本名を「茂吉」といい、川越市(埼玉県)の出身。
「幸福駅」の最後を描いた「幸福駅2月1日」が縁となって、北海道を長く描き続けてきた画伯に、北海道の「十名山」
(作家・深田久弥氏の「日本百名山」の内、北海道は9の山が含まれるが、これに「雌阿寒岳」を加えて「十名山」としたとか?)を描いてもらい、美術館ができたとのこと。
(相原求一郎画伯は1999年2月5日に永眠・享年80歳)


中札内美術村の入場券
(坂本直行記念館と相原求一郎美術館)


中札内村に在る、相原求一郎美術館 

手前の歩道に敷いて有るのは旧、国鉄広尾線で使われていた線路の「枕木」とのこと。この建物は昔、帯広市内に有った「帯広湯」という銭湯の建物とか。
(歩道の枕木は坂本直行記念館に行く所も同じで、道を挟んで建っている)

同じ敷地内には「関口哲也」という人の写真館も有るが、こちらには寄らずにきた。なお、これらの記念館や美術館は「ホワイトチョコレート」で有名な「六花亭」が運営している。

売店で「坂本直行」の絵はがき等を買ってきた。ここは「六花亭」が運営していることもあって、六花亭のお菓子も売っている。

ここを出て、後は帯広空港まで走る。中札内まで来たせいで、思ったより距離が有り時間が掛かる。
途中で給油しようと思ったがスタンドが見つからず、走行距離も120Km程度なので入れてもいくらでもないと思いそのまま空港へ。
約款によると「満タン返し」だが実費を払えば必ずしも満タンにしなくても良い様なので...

最初の予定(予約)では空港内のカウンターに返す訳だが、空港の駐車場に行ったら営業所が見えたので取り敢えず聞いてみると、こちらで良いというのでガソリン代を払って返却。
ガソリン代は500円+税だった。

空港まで送ってくれるというので、「歩いても行けるよ」と言ったら「雨が降っているから」とのことで乗ってきたレンタ
カーで空港まで送ってもらった。
(歩けば200mくらいだが、車だと一回りなので3倍以上?)

空港のカウンターに行くと「東京からの便は天候調査中」で着陸出来ない場合、最悪は千歳に降りるため東京行きは欠航になるとのこと。
取り敢えずチェックインして、欠航の場合、後の便に変更出来るか聞いたらOKとのことで一安心では有るが、これだと何も無い所で暇つぶしをしなければならず焦ってしまった。

心配では有るが出発ロビーに向かう。売店で六花亭や柳月の菓子を土産に買い求め、サッポロクラッシックというビール(北海道内限定醸造)を買う。
出発の30分前の12時半頃になって東京からの便が到着とのアナウンスが流れ一様に胸を撫で下ろす。
しかし予定より遅れたせいか、通常は二番搭乗口の筈が一番に変更。
変だと思ったら二番には関空からのMD−90が着いていた。  

手荷物検査では、またしても引っ掛かる。フイルムを確認したが、それでもダメで3回くらい検査機に通された。
中には折り畳みの傘とカメラの三脚等が入ってはいたが...13時になって搭乗開始。
窓際でシメシメと思ったら主翼の上であまり景色は見えずガックリ。空席が目立った。
(使用機材はA300−600R で今回は救命胴衣のデモは真ん中の列に設置されたモニターに映し出されており、CAによる実演は無かった。)

帯広は雨だったが、離陸してみれば天気は晴れ。揺れなどもなく無事に羽田に到着。
東京は27℃とかで暑いくらいだった。羽田からモノレールで浜松町に出、そこから山手線で東京に出て新幹線という手も有ったが、慌てて帰る必要もないので上野まで出て各駅で帰ることにして上野に着き、高崎線のホームに回ると何か変。
発車時刻を過ぎた列車がまだホームに居るのである。時計と案内板を見比べてしまった。

時刻表を見ると快速のアーバンが有ったので、これで帰ろうとホームで待っていると「本日は各駅停車になります」とアナウンスしている。
??と思っていたが、後で判ったが信号の故障や人身事故の影響でダイヤが乱れていたそうだ。
熊谷には当初の予定に対して30分程遅れて到着。弟に迎えに来てもらって帰宅した。

その後、’99年の4月末に友人からの手紙でお母さんの逝去を知った。病室から見える桜の咲くのを待たずして逝いたとのことである。合掌。

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