金沢・能登(羽咋)

金沢の兼六園といえば「ことじ灯籠」
手前の橋は琴に見立てて別名を「琴橋」と言うそうだ。

平成13年5月25日、翌日の26日・27日の両日にわたり会社の無線クラブの総会が石川県河北郡内灘町にある福祉センター「憩」で開催されたが、
その前日に新潟は六日町在住の無線仲間のN氏のお誘いで能登に有る料理旅館の「大社
庵」にお邪魔することとなった。

今回のクラブの総会はJARL総会が富山であるため、それに合わせて総会にも出られるようにと日程を組んだらしい。
もっともメンバー全員がJARLの会員とは限らないし、私のように26年間一度も総会に足を運んだことなど無
い人間も居るのだから、あまり気を使う必要も無いとは思うのだが..

今回は昨年と違い、夜勤明けを含めると3日休み。ミーティングの日はまるまる休める。
そんなおり、福岡から新潟に異動となったN氏とメールで、北陸に行くなら羽咋の「大社庵」
(ここの若主人は無線を
やっており、直接面識は無いものの、パケット通信時代からの知り合い)に行かないか?と誘われ、前日は羽咋に泊まることにした。
当初は月曜という話が有ったのだが、生憎と私は月曜が仕事なので休めない。
そのため金曜な
らという条件で了承してもらい同行することとした。

とりあえず距離も有るし電車で行くことにした。N氏が越後湯沢から羽咋まで車で送ってくれると言ってくれたが、夜勤明けでもあるし初対面の人に甘えるのも気が引けるので金沢まで行くこととして金沢で合流。
しかし、電車の時間
を間違え、食事もせずに1本早い新幹線に飛び乗ってしまった。
乗ってから時刻表を見て気がついた次第。1時間
以上も湯沢で電車待ちをするハメになってしまった。
これなら指定席を取る意味が無かった。(;_;)

越後湯沢駅で食事。ラーメン屋に入りラーメンライスを食べるが、ラーメンはお世辞にも美味いとは言えないものだった。
以前も、ここで食べたのかなぁ? キオスクで何か買おうと思ったら昼休みで閉まっており、13時近くなって開
店したのでスポーツ新聞と雑誌を買う。
以前は日本酒が置いてあった筈だがと思ったが、缶の「ふなぐち菊水・一番
搾り」しか無かった。ホームに下りて行ったら「上善如水」(じょうぜんみずのごとし)という日本酒が有ったので土産に買う。

金沢に着き改札口に居るのかと思ってキョロキョロしていたら携帯に着信。N氏の奥様(この方も無線家)からだった。
駅の西口に回るとのことで待っているとそれらしき車が着いた。
また携帯に着信。聞くと車種は同じものの、色
が違うと言う。
そのうち奥様がやってきて無事、合流。N氏の運転で羽咋に行く。羽咋の大社庵という所なのだが、
ここの若主人が無線&インターネットをやっている関係で、ここに泊まることになったという訳。

18時半ころ、ここでN氏一家と夕食をとり、一風呂浴びた後で21時ころナイターが終わってからN氏の部屋で大社庵の若主人を交えJARL総会の裏話等、無線談義に花が咲く。
12時頃に寝たら6時頃に目が覚めてしまった。

しかし、こちらは無線人口は少ないと見え、持って行ったハンディ機では何も聞こえず。
それにしても、目の前は日
本海というロケーション。海の向こうは北朝鮮?に拉致されかかった人が居るとか聞くと、やはり一寸身の危険を感じてしまう。

翌日は、ここを9時半にチェックアウト。支払いを済ませて名刺代わりにQSLを渡したら、お土産にと煎餅を頂いてしまった。後日、帰宅してから食べたが美味かった。


こちらが羽咋市の料理旅館の「大社庵」(たいしゃあん)
看板しか撮って来なかった..

それから氷見に向かう。ここでは「きときと寿司」という回転寿司が有り、ここで2エリアや地元のコンテスト仲間?と合流して昼食をとることとする。
10時半頃着いてみるとCQ誌の国内コンテストのエディターのT氏(JK2X**)と
か清水の某女史JK2E**とか軽のワンボックスに何本もホイップを付けたうえに牽引まで引っ張っている怪しい車etc.
清水の女史の助手席では夜勤明けのJK2の某氏が仮眠していた。

11時頃から食事をしていて、ふと入ってきた人を見ると、同じ会社の「あきるのテクノロジセンター」という所のN夫
(JJ1X**&JL1I**)と川崎のMさん(JL2D**)だった。
まさか、こんな所でミーティングの前に会うとは奇
遇だった。
普通のネタは驚くほど美味いとは思わなかったが、流石に大トロは美味かった。
同行した人も味が落ち
た気がすると言っていたようなので、私だけが味にウルサイという訳でもなさそうだ。
(単に味オンチかもしれないが..)

それから地元のメンバーと別れ、皆で高岡に有る某JR9の故人の墓参。
私は直接面識は無かったものの、パケッ
トではアクティブだった人でコンテスターだった人。
CQ誌の国内コンテスト欄にも載ったが、載ったのは亡くなってか
らだったかもしれない。

墓参の後で2エリアの面々と別れ内灘を目指す。内灘に着いて場所を探す。ナビを便りに大体の場所を目指して坂を上った所で「福祉センター」が見つかり無事到着。
駐車場に着いたら13時半頃で予定時間の1時間くらい前だっ
た。
駐車場では熊谷工場のSさん等が同じ時間帯に着いていた。

それから受け付け。Hさんをはじめとする幹事のメンバーが居た。会費を払い、名札と資料を受け取る。
部屋割りを見ると皆、バラバラ。
後で聞いた話だが幹事が苦労した結果、このようになったようだ。今までだと事業
所毎に同じ部屋になるのが普通だったのだが、こういうのも知らない人と交流するキッカケになるので良いかもしれない。
今回は殆ど初対面(顔は知っていても話をしたことが無い人も含め)受け付けは済んだものの部屋には入れ
ないとのことで、ロビーで待つ。
Mさん夫妻、幹事の一人のYさんの奥様、JA0I**のKさん、etc。

私の隣に座っていた人は九州のNさんだった。島根のIさん一家とも久々。この前に会った時は赤ん坊だった下の子がスッカリ歩き回るようになっていた。
上の子は落ち着いてきて兄貴らしくなっていて昔を知っているだけに驚い
た。
(下の子が上の子の小さい時と同じでヤンチャにしてたが..)

その後、15時から二階の小会議室でミーティング。主催者を代表して幹事の無線部長のTさん、総務部長の挨拶の後、
工場間非常通信について川崎のS部長(JH1B**)から阪神大震災の時の明石との非常通信の経過につ
いて説明が有り、
その後名簿順に各事業所の活動報告。何故か?私の所が一番最初のため、トップバッターで報
告。
事業所としては活動していないため個人としての参加である等と説明。

懇親会は幹事のHさんの挨拶で始まり、昨年幹事の熊谷のMさんの音頭で乾杯。恒例となったビンゴ大会。
ビンゴで当たっても、更にクジ?を引いて賞品が決まるという趣向。
早めに当たっても良い賞品とは限らないのが面
白いところ。
1等のハンディ機(ヤエスのVX−1)は何処かのお子さんに当たった。私も当たったのは良いが、3人
同時。
(FFCのFさん、島根のIさん)で賞品が2つしか無いと言うので、中身を聞いたら九谷焼とのことなので辞退、
他の残念賞?の430MHz用のTVIフィルター(トラップ?)を貰ってきた。

ビンゴの後でオークション。すっかり恒例となったF氏の司会で盛り上がる。今回も色々と出てきました。アンテナの基台とか同軸、
無線機といった無線関係の物から服等の衣料品(流石に、これは買い手がつかず)タイガー計算機等
という年代物?
(私も初めて見た)とか2本の電極が出ている真空管、果ては「危険・注意この下に高圧電力ケーブ
ルあり」とか書いたテープ。
これは場所取りに最適だとか言っていたが、結構人気でしたね。かと思えばGPのラジ
アル線だけとか取り付け部分のマウントだけとか?と考えてしまう物も出ていました。
パソコン関係の雑誌も買い手
が付かず、欲しい人に上げるというので1冊貰いましたが帰宅して中身を見たら96年発行と、5年くらい前のもの。
中身を見ていて、初めてインターネットを始めた頃を思い出し懐かしくなってしまいました。
その他にもソニーの500
mWのCBトランシーバーとか、面白そうな物も出ていました。

個人的に欲しいと思った物も何点か有ったのですが、参加してまで競り落とそうとする物は無かった。
6mのFM機が売れ残ってしまいましたが、あれがオールモード機なら手を上げたかもしれない。
リグはIC−221の要修理品が出ていましたが、その他にもパソコン用のスピーカーとかマザーボード(AMDのK6
233MHz対応)、グラフィックカード、56Kの外付けモデム等々、HFのバランとかも食指は動いたものの買わず。
オークションが終わった後で会津若松のMさんが携帯のパーツ等をオール100円で売っていました。

21時で懇親会が終わり一旦部屋に戻った後で、二次会の会場の小ホールに行ってみると広い部屋の窓際に特設局(IC−726とトリオのAT−200というアンテナカプラー)が有って何人かがCWをやっていたもよう。

とりあえずビールを飲みながら来年の幹事の三重のメンバー等と話をしたりしていました。富山の人が21でXU7A AK(OP JA1OEM 豊福さん)を呼ぶも応答無し。
そこでFFCのFさん(二総通)が見本を見せてQSOに成功。その後、無事にQSOできました。
私も7とか21で何局か呼んでみましたが相手にされず、電波は出したものの交信はゼロ。

23時を過ぎたあたりでラーメンを食べたいと言った人がいるらしく、ラーメンの屋台を呼んだとのことで、20人くらいが一気に居なくなり私も部屋に帰って寝ました。

翌日は6時半から朝風呂に入り、7時から食事。
しかし箸が無いと思ったら食堂のように1ヶ所にまとめて置いてあったのには驚き。
部屋にもトイレが無かったみたいで、最近では珍しい所だった。(^^;)
オマケに私達の部屋のテレビは調子が悪く、時々画面の上下が縮んで見えなくなるのを騙しながら見てました。

朝食を食べた後で、熊谷のメンバーが兼六園に寄って帰るついでに駅まで送ってくれるというので8時に出発。

9時頃から兼六園を見物。団体の後をくっついて一緒に案内を聞いてまわり、琴柱灯籠等の所で写真を撮った後で土産を買って出発。
10時過ぎに金沢駅に着き、自動券売機で越後湯沢までの特急券を買おうとするが無い。
仕方無いので窓口にまわり、とりあえず指定席と越後湯沢からの上越新幹線の自由席特急券を買う。  
兼六園の雁行橋
兼六園の「夫婦松」は赤松と黒松
金沢城跡の石川門

出発まで1時間くらい有るので、無理に指定席じゃなくても良かったみたいだが..
駅の中の商店街(金沢百番街)が土産物や弁当、CDを買った後で2階に上がり改札口を通る。ここは店から出るため自動改札では無かった。
どのホームから乗って良いのか判らず電光掲示板を見て確認していると『「すみません』と後ろから声がする。
私じゃ無いだろうと思っていたら再び声がする。振り向くと若い女性が『敦賀に行きたいんですけど』と言う。
私に訊かれても判らない。
敦賀といえば福井の方だから福井へ行くホームだろうとは思うものの、あまりいいかげんな事も言えないので、『そこの先に改札が有るから聞いて見れば?』、
『私も旅行で来ているので地元じゃないから判らないです』と説明。それにしても、私に聞かなくてもねえ...(^^;)
それからホームに下り、駅の売店でお菓子を買う。

弁当を食べるのに自販機でお茶を買おうと思い、「優香」と書かれた缶を見て、変わった名前のお茶だなぁ?と思って出たのを見たらコーヒーだった。
コーヒーで弁当は食べられないので、お茶を買いなおし。トホホ


金沢百番街のK樽で買った釜飯

特急の「はくたか9号」に乗ってみると先頭車両の一番運転席に近い席。出発してみると、やけに煩い。
『○○、信号青GO』だの「東金沢通過GO」だの、GOの連呼。「電車でGO」じゃないんだから..(^^;)
気になって寝るにも寝られない。(^^;;)


帰りに乗った、はくたか9号(金沢駅にて)

もしかすると訓練中の運転士と教官のコンビだったのかもしれないが、こんなのは初めて。
気にはなったものの、途中からうたた寝をしてしまい、気がついた時には「GO」の連呼は無くなっていた。

富山に着いたのは12時半頃。今頃JARL総会の真っ最中だろうな? と思いながら一路、越後湯沢に向かって走る。
隣の窓側の席は終点まで一区間の直江津まで乗って来なかった。

越後湯沢に着いて新幹線に乗り換え。混んでいるかと思ったが、数分前に二階建ての新幹線MAXが出た事も有りガラガラ。
私が乗った3号車は私以外には乗っておらず貸し切り状態。高崎でパラパラと乗ってきた程度。

15時20分過ぎに熊谷に着き弟に電話して迎えに来てもらい、無事に帰宅。お昼前の電話では雨だと言っていたが止んでいた。

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