旅行(長野)
 
 
新装なった長野駅
 
初めて長野を訪れたのは19年前くらい、昭和53年のことと記憶している。
新しい仕事を熊谷の工場に移す関係で実習に3日ほど行った。
それ以前には昭和40年代後半に須坂に行ったが、当時は急行で4時間近く掛かった記憶が有る。
長野電鉄の長野駅の入場券は「日本一大きい」とのことで記念に買い求めた。

その後、昭和57年に工場が新規にスタートすることとなり、4月20日に単身で実習に出向いた。
3ヶ月半の滞在であった。時は春、熊谷の桜は既に散った後だったが長野の桜は満開だった。
それから盆が過ぎるまで長野市に滞在するとは思わなかった。今から15年以上も前の話である。

長野での生活は、その後の山形での8ヶ月の滞在までは最長不倒記録だった。
滞在中は熊谷まで帰るのに特急でも2時間以上かかり、安月給取りの身では帰省するのに手元不如意で苦労した事も多く、そういった意味ではあまり楽しい思い出は無い。

長野は盆地のため夏は意外と暑かった記憶がある。当時の長野駅は「善光寺」風の作りで一風変わったものだった。
現在は長野新幹線の開業に伴い、今風の階上駅となっている。

1997年の10月に長野新幹線が開業したのを機会に久々に訪れた。
10:12熊谷発だが意外と混んでおり長野まで座れなかった。高崎までは15分、軽井沢は30分、上田まで50分。
長野までは1時間10分である。1時間 10分というのは、各駅で上野まで行くのと同じ時間であるから「東京は長野だ」というコピーもあながち間違いとは言えない。

長野駅に降りてみると駅舎の変わり様に驚いた。
「善光寺」の門前町といった雰囲気から「長野冬季五輪」を迎える場所らしくモダンな建物に衣変えしていた。
長野電鉄の駅に向かい、名物の「特大の入場券」を買う。

駅前に立ってみて、新しい建物も出来ていたが全体に町並みそのものは変わってないなあというのが実感だった。
駅前から「かるかや山」(私の記憶では「かるかや堂」だったと思うのだが..)周辺を歩いてみる。

昔と変わらぬ店並みにホッとする。その後、市役所まで歩き「ふれあい福祉ボランティアセンター」にアマチュア無線の冬季五輪の特別記念局の8J0OGNという無線局を見に行く。
目標となる市役所は行ったことがないため探すのに苦労した。

とりあえずアンテナを目印に見つけ行ってみたが、2階のエレベーターを下りた右隅の窓際に肩身の狭い雰囲気で有った。
役員の人と名刺を交換してきたが、地元の長野市の人ではなく塩尻市とか立科町の人だった。
長丁場なのと木曜,土曜のみの運用で、気のせいか何となく盛り上がりに欠ける気がした。

それから長野電鉄の電車に乗って権堂に行き、イトーヨーカ堂の本屋で来年の手帳を買ってから権堂で昼食にヒレカツ定食を食べた。
カツは美味かったが米はイマイチ美味くなかった。

それから長野県信濃美術館・東山魁夷館まで歩いた。東山魁夷館で入場料の300円を払おうとすると、共通券を買わないのかと聞くので、いくらかと聞くと1,200円とのこと。
高いなあ?と思いながら入り、売店で記念に「行く秋」等の絵ハガキを買う。
本館の方では「モネ」から「ピカソ」までと銘打って展示会をやっており、モネの「睡蓮」等の絵を展示していた。
モネ以外には「ルノアール」や「ユトリロ」、「ピカソ」、「シャガール」等が見られ、シャガールが多かった。


長野県信濃美術館

美術館を出て駅まで歩き、駅の近くの土産物屋で野沢菜の漬物と「おやき」や菓子,スノーレッツのグッズを買い駅に向かう。駅で新幹線の時間を見ると1時間近くも有るが、引き返すのも億劫で改札を通る。

改札を抜けたらホームの上に有る電光掲示板に予定より数分早い臨時列車の時刻が表示されており、そちらにする。
さすがに30分以上も前から待っている人は少なく、ホームの人影もまばらである。

ホームに降りると最初乗るつもりの隣のホームに「あさま」の車両が止まっていたので写真を撮る。
待ち時間が有って手持ち無沙汰なので無線機を持参していたのを思い出して取り出し、聞くと強い局がいる。
例の長野冬季五輪の記念局だったので記念に交信する。
列車待ちの列では気恥ずかしいので列から離れて..

その後新幹線に乗り込み高崎で乗り換えたが、やはり季節柄か軽井沢での乗り降りが多かった。
高崎までは約50分。そこから先は上越新幹線に乗り換えようかと思ったが待ち時間が40分くらいも有り、
(長野新幹線は有るが熊谷には止まらない)待っている間には各駅でも着いてしまうため、快速に乗ったが混んでいて座れ
ず疲れた。
熊谷駅から歩いて15分くらいだが荷物も有り、疲れていたので弟に迎えにきて貰った。

 
長野電鉄,長野駅の入場券。
(実物はハガキ大)

 
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