道の駅「めぬま」(熊谷市)
妻沼町は平成17年11月に熊谷市と合併により熊谷市に改称

道の駅「めぬま」

内容は当時のものであり、現在は変更されている可能性が有ります。予め確認の上でお出かけ下さい。
道の駅「めぬま」の情報(関東の「道の駅」)

平成13年4月28日に開設。国道407号線の上り車線沿いに有る。
旧、妻沼町役場(市役所の支所)から熊谷方面に500mほど
走った所に有る。
住所は熊谷市弥藤吾(くまがやし・やとうご)。電話は048−567−1212。「めぬまアグリパー
ク」

開館時間は10時〜18時。駐車場は大型30台、普通車88台、身障者用3台分。

トイレは外と館内(1階・2階)に有り。
1階では花を売る所や情報コーナーが有る。2階には食堂、軽食コーナー、
アイスクリームを売っているコーナーや、特産品コーナーの他に「にっぽん女性第一号資料ギャラリー」のコーナーが有って写真パネルが貼ってある。
(日本の女医第一号で妻沼出身の「荻野吟子(おぎのぎんこ)」、登山家の「田部井淳子」、テニスのウインブルドンでダブルス優勝の旧姓「沢松和子」、元衆議院議長の「土井たか子」、大阪府知事の「太田房枝」、国民栄誉賞の歌手「美空ひばり」等々の女史の写真パネルが一同に貼って紹介してある)

特産品コーナーには妻沼以外に瀬棚(北海道)の特産物も有る。地元の野菜等の物産は「物産センター」という別の建物に有る。
屋外には花壇が広がっており、妻沼町出身の日本第一号の女医の「荻野吟子」女史の石像も建って
いる。
この石像は等身大で、平成13年が女史の生誕150年に当たるのを記念して建てられたとのこと。

花壇はハーブガーデンや果樹・野菜園等が有る。

物産館は地元の野菜や花等を売っている。ネギや大和芋等、色々と売っているし米も玄米で売っている。 
物産館は地元の野菜を中心に花等も売っている。
左側はトイレ、右側は休憩所


荻野吟子女史の等身大の石像

花壇
噴水もユニーク
ハーブガーデン?

展示内容等は当時のものであり、現在は違っている可能性も有ります。
住所表記は当時の物で、現在は熊谷市と読み替えて下さい。

蛇足ながら、妻沼町の妻沼東1丁目1番(県道の太田熊谷線から少し脇に入る)に有る、妻沼町立展示館(妻沼町中央公民館の敷地内に有り)には、荻野吟子女史のコーナーが有り、女史ゆかりの医学資料や直筆の手紙等が展示されている。
ビデオも有り、係の人に頼めば視聴が出来る。
(私が行ったのは月曜の昼頃で、他には誰も居な
かったので見て来なかったが..)

ここは開館が9時〜17時。休館日は火曜と祝日、年末年始等。入館は無料で、他にも展示が有る。
電話は048−567−0355。他には、かつて熊谷市と妻沼町間を走っていた東武鉄道妻沼線のディーゼルカーが1輌、保管・展示されている。
町立展示館の玄関は荻野吟子女史の生家の長屋門を模した造りとなっているとの
こと。

荻野吟子女史(本名は”ぎん”)は1851年(嘉永4年)に武蔵国幡羅郡俵瀬村(現在の熊谷市、旧の妻沼町)の名主の家に生まれ、18歳で現在の熊谷市の資産家に嫁いだが、不慮の病により離婚。
1885年(明治17年)唯一人、女性として
初めて医師の試験に合格し、35歳で東京の本郷湯島にて開業。
日本初の女性医師となった。

その後、1890年(明治23年)の再婚を機に1894年(明治27年)に北海道に渡り、現在の北海道瀬棚郡今金町で開拓入植するが失敗。
1897年(明治30年)同じ瀬棚郡の瀬棚町会津本町で開業。医療・婦人解放運動等に活躍する。

1905年(明治38年)に夫の病死に伴い、1908年(明治41年)に北海道を離れ、東京本所にて開業。
1913年(大正2年)に脳動脈硬化で倒れ、1カ月後に62歳で永眠。

直木賞作家の渡辺淳一氏の小説「花埋み」(はなうずみ)で、その波瀾に満ちた生涯が世に紹介され、その後、NHKテレビのドラマ「風雪」や、舞台「命燃えて」で、広く世に紹介されることとなった。

令和元年(2019年)の秋には若村麻由美の主演で、映画「一粒の麦 荻野吟子の生涯」(山田火砂子監督、現代ぷろだくしょん)も公開された。

なお、群馬県邑楽郡千代田町の赤岩のお寺(菩提寺)には女史の生家の長屋門が移転されて残っているとのこと。
(上記の映画の最後に紹介されている)

女史の功績については北海道瀬棚郡瀬棚町のホームページに詳しく紹介されている。 
荻野吟子コーナーが有る妻沼町立展示館
熊谷市と妻沼町間を走っていた東武鉄道妻沼線の車両

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