ふるさと帯広


新装なったJR根室本線・帯広駅(1997年7月) 

自己紹介で書いた様に帯広は私の故郷です。今でも親戚や兄が住んでいるので何年かおきに帰っており、生まれてから14歳の春までを帯広で過ごしただけに色々と思い出は尽きない。

JRの帯広駅からJRバスの「岩内仙境」行きに乗り、「三線21号」というバス停で降りる。
ここから21号を西に向かうと小さな橋を渡り、やがて左手に神社が見えてくる。神社の先,左手に四線が有る。
舗装されていない砂利道である。ここを南に向かって行くと22号が有る。22号を西に向かうと墓地が見えてくるが 入り口を反対方向の北側に200m程度行った所が私の生家跡である。今はただの畑であるが...

私の生まれた所は帯広でも、富士という農村であり隣の家まで行くのに最低でも100m以上は歩く様な所だった。
の住んでいた所から200m程度歩いた所が共同墓地であり、子供の頃は暗くなると近くを通るのが嫌だった。
この墓地には今でも祖母が眠っている。お盆になると墓参りの人達が私の家に水を貰いに寄ったものである。
以下は私の住んでいた所の紹介というか昔話です。  


生家跡地(北海道帯広市)


色の濃い,山桜しか無かった。墓地や神社に有り、春になると神社でジンギスカンを食べながら花見が行われたらしい。
(その頃の記憶は曖昧)そのため埼玉に来てからというもの、「染井吉野」ばかりで何となく物足りない思い をしている。  

ポプラ
北大のポプラ並木が有名だが、我が家にも1本有った。22号という道路が有ったが、そこと我が家の入り口に立 っており墓地に来る人の格好の目印になっていたが、私達が離道する前に伐採されてしまった。
高さは15mは有ったと思うだけに残念だった。  

白樺
俗に「ガンピ」と呼ばれていた。これもポプラから数10mしか離れていない所に有ったがポプラと同様に伐採されてしまった。
白樺は痩せた土地にしか生えないそうであるが、これの皮は燃えやすく、火を点ける時の焚きつけに利用した。  

ネコヤナギ
猫柳? 枝に猫が居るのは「バカボン」の世界だけである。(笑い)実際は芽が出る時が猫の毛の様にフサフサ?
しているからのようである。春になって雪が溶け始める季節になると芽を出し、これが出てくると春が近い。
夏には枝を切ってきては竹の代わりに七夕の飾りを付けたものである。  

イタヤカエデ
楓の仲間である。今は廃校となってしまった小学校の校庭に有った。毎朝登校すると授業前に校庭を掃かされた記憶がある。  


エゾマツかと思うが秋になると葉が落ちるタイプである。この葉はなかなか腐らずに弱った。松脂は手に付くとベタベタするし好きでは無かった。防風林に使われていたようである。  

蕗(ふき)
家の裏の小川の近くに沢山生えていた。茹でて醤油や味噌で味付けして食べた。私の好物の一つでもある。 

蕨(わらび)
畑に結構生えていた。蕗と同様に茹でて食べたがあまり好きではなかった。葉は引っ張ると手が切れた。  

こごみ & ぜんまい
両方とも似ているが「こごみ」は緑色でミソ汁に入れてよく食べた。「ゼンマイ」は茶色で毛深く、食べたことはない。

アイヌ葱
家の近くの雑木林に生えていた葱で、(一般的に行者ニンニクという)卵とじにすると美味かったが、臭いがキツイ のに参ったものである。
食べた翌日まで匂ってしまい、まるでニンニクのようである。丈は20cmも有ったろうか?  

セリ
春になるとセリが出て取ってきて「お浸し」にして食べた。これを採りに山(林のこと)に入るとダニに食いつかれるため麦わら帽子等を被らされた。
余談だが、このダニは食いつかれると大豆くらいの大きさまで膨れるのだ。
柔らかい所に食いつくため、耳とか入ると大変なことになったので木の下に行くときは必ず麦わらのような帽子を被らされたものである。 

山ぶどう
小粒のブドウで野生の物である。霜が降りると甘くなるが、粒が小さいため食べる所は殆どない。帯広の隣の池田町の「十勝 ワイン」は山ブドウが原料と聞く。 

こくわ
これも野生の木の実である。秋になると甘くて美味い。 

すもも & 桑の実
プラムである。家に有ったが熟れたのを食べた記憶が無い。鳥が食うか虫が先に食ってしまっていたからである。
なんとも悔しい話しであった。桑の木が何故か1本有り,桑の実を取って食べた。これはスモモと違って無事に食べることが出来た。熟すと黒紫の小粒だが甘くて美味かった。  

綿羊
物心ついた時に家で飼っていた。春になると毛を刈って、それを町で毛糸にしてもらって母がセーターや手袋を編 んでくれたものである。
羊は肌が弱く、毛を刈る際にすぐ傷が付いてしまった記憶が有る。それと雄は気が荒く、後 ろから頭突きされた記憶が有る。
子供が生まれると尻尾を切っていた記憶も有るが、これは長いままだと汚れて病気になりやすいからだとか...家で飼っていたのは全身が白い種類。  


鶏も何羽か飼っていた。白色レグホンだが、雌鳥だけだと具合が悪いのである。
何故か判らないがケンカをして尻 を嘴でつついてしまい、つつかれた鶏が卵も産まないうちから死んでしまった。
そこで近所の家から雑種の雄鳥を1羽貰って一緒に飼ったら問題は解決した。
やはり同性ばかりだとストレスとか溜まるのだろうか?

フクロウ
フクロウは夜行性の鳥である。夜になると家の垣根の所に来てはホウホウと鳴いていた。

カラス & カケス
カラスは春の種撒きの季節になるとやって来ては、蒔いた種をほじくり返しては食ってしまうので嫌われ者である。
カケスは秋の収穫の時期になるとやって来ては農作物を食い荒らした。どっちもどっちで困った輩である。

イタチ
私が物心ついた時にはそうでも無かったが、昔はイタチに鶏を殺されたそうである。肉を食うのではなく血を吸うの だとか? まるで吸血鬼のようなヤツである。ネズミを捕るためのトラバサミに掛かっていたことがあった。
これのオナラは俗に「イタチの最後っ屁」というくらい強烈だそう。幸いにして私は嗅いだことは無いが...)
怒った父がトラバサミというトラップを掛けて捕ってしまった。小学校の高学年の頃には居なくなっていた気がする。 

ネズミ
食うものが無い家のワリにはネズミが居た。(苦笑)これもトラバサミを掛けて捕まえていたが、トラバサミは間違って私が指を挟まれた事も有る。
(小学校の低学年だったと記憶しているが、親に見せると怒られるので黙っていたが痛かった記憶が有る)  

野ウサギ
冬になると雪の上に足跡や糞が落ちていた。ハンターが時々鉄砲を持って打ちに来た。春と冬で毛の色が変わる。 

カジカ
私達は「ドンカチ」と呼んでいたが、浮袋を持たない魚である。底に住んでおり大きな口で餌を飲み込んでしまう。
重りを付けて底に落としてやれば勝手に食いついてくるので世話無しの魚だった。家の近くの川に沢山居た。
他には「ウグイ」という魚も居たが、これはあまり近くの川では見掛けなかった。
かなり歩いた所に有る川には居たが、2,3度釣りに行った程度である。  

カラス貝
正確には別の名前の貝だが一般に、こう呼ばれていた。大きさは10cmくらいだったろうか? 食べても美味くなかった。
口(貝殻)を開けているのでヨモギの枝を差し込むと口を閉じるので、それで取ったりした。  

トゲウオ
熊谷市の「ムサシトミヨ」は市の天然記念物?だが、我が家の裏の小川にも「トゲウオ」が居た。大きさは5〜6cmだが、たまに見掛けた。 今は、この小川も埋め立てられて跡形も無いが.. 

ザリガニ
これも裏の小川に居た。捕まえても眺めるだけで川に帰してしてやったが... 

ホタル
これも同様である。夏になると何匹も飛んでいて,捕まえてきて瓶の中に入れてみたけど「蛍の光」で勉強できる ほどは居なかった。(^^;)
 
トゲ魚やホタルは私が離道後,10年経って戻った時には小川は暗渠排水により埋め立てられてしまい全く面影が 無くなっていたから多分、絶滅してしまったであろうと思われる。  

ヤツメウナギ
裏の小川の少し下流に居た。長さは10cmに満たないものだったが...  


帯広は全国でも有数の豆の産地である。小豆(しょうず=あずき)をはじめ、金時(きんとき=煮豆にする)や大豆,光黒(ひかりくろ)と呼ばれる黒豆、手亡(てぼう)と呼ばれる白い餡の原料等々沢山有る。
我が家では売り物以外に小豆では「大納言」(だいなごん)と呼ばれるのを作っていた。
これは味は良いのだが、 あまり収穫が良くなかった様に記憶している。

それと中長(ちゅうなが)と呼ばれるウズラ豆で煮豆にする豆 等を作っていた。
これらの豆は刃が鋸状の鎌で刈り取るのだが、茎が短い(背が低い)ので長い間刈っていると腰が痛くなってまいった。  

トウキビ
トウモロコシのことを北海道ではトウキビと言う。最初は国産の品種だったが,その後スイートコーンという甘味の有る物に変わった。
これは売り物にしていたが実が柔らかく、歯の間に挟まりやすくイマイチだった。

馬に食わせるのはデントコーンという、背丈の長い物を作っていた記憶が有る。
冬になるとストーブの上でポップコーンよろしく焼いて食べたものである。
トウキビの親戚?にハゼというのも有り、 これは色付きで少し小振りだが同様に焼いて食べた。  

ジャガイモ
馬鈴薯ともいう。北海道といえば男爵(だんしゃく)やメークイーン,農林1号というのが有名だが、我が家では「紅丸」(べにまる)という皮の赤い種類を作っていた。
これは上記の物に比べて日持ちがするのだが、実が固いの か忘れたが、家ではこれしか作ったことがない。
夏ごろのイモは皮も薄く弱いため桶等に入れて板で掻き回すのである。
そうすると上手い具合に皮が剥けるという寸法である。カボチヤと一緒に煮てオヤツ代わりに食べたりした。
もちろんミソ汁の具や、煮物でも食べた。 

カボチャ
南瓜である。これも色々と種類が有り、マサカリで無いと割れないような固い皮の物も有った。マサカリ南瓜は美味いのだが皮が固いのが難点であり、そのうち作らなくなってしまった。
オモチャ南瓜といって小型の物も有ったし、牛や馬に食わせる家畜用の大きなカボチャも有った。
よくテレビ等で100Kgを越えるカボチャの大会を見掛けるが 大半はこの手の物である。
北海道のカボチャはホクホクしていて美味い。本州の物はベチャッとしてイマイチ。
芋と一緒に煮てオヤツ代わりにした。 

スイカ & メロン
西瓜もメロン(マスクメロン)も父親が趣味で作っていた。ビニールでトンネルを作り、その中で丹精を込めて作っていて、夏になると西瓜がオヤツ代わりであった。
他には味瓜というのも有り、野良仕事の合間に食べるのが楽しみ だった。  

クワガタ
カブト虫は居なかったがクワガタは居た。学校に行く前に特定の木の幹に留まっており、木を揺すっては落としていた。
ミヤマクワガタとかウシクワガタ、コクワガタ等が居た。  

セミ
色々なのが居たが図鑑を見ないと何が居たのか判らない。ツクツクボウシとかアブラゼミあたりは居た気がする。
近くの野原に沢山、孵化? 羽化? したのが居た。中にはモッコから脱皮出来ずに死んでしまう可哀相なのも 居たり、カラスに食われてしまったのもいる。 

ソバ
蕎麦である。家で作って石臼で挽き、粉にして食べた。本当の意味での「田舎蕎麦」である。だから色は黒いしブツ ブツと切れた。
ソバガキ等も作ったが子供心には美味い物とは思えなかった。新得という所では「ソバ焼酎」という のが有り、結構評判が良いようである。  

ヒエ
粟とか稗とか言うが、物心付いた頃に食べた記憶が有るが美味い物では無かった。  

大麦
これも家で食べるために作っていたが、穂が長く背中等に入るとチクチクと痛痒くてまいった。
初めての麦刈りでは、麦でなくて自分の手を刈ってしまった記憶がある。(苦笑)  

小麦
家で食べるために作っていた。最初は春に撒いて秋に収穫していたが、途中から秋に撒いて越冬させ春に収穫す る種類に変えた。
手打ちの田舎ウドンや饅頭を作って食べた。
 

燕麦
馬に食わせるために作っていた。藁は豆などを積んだ上に被せる傘にした。  

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