「船」,一口に船といっても小さい物はボートから大きな物はタンカー等有るが、私が乗ったのは小さいものはカツオ 釣りの釣り船から、大きい物でも青函連絡船である。
一番最初に乗ったのは小学校の修学旅行で釧路に行った際に湾内を1周した船だったと思う。
青函連絡船を中心に今まで乗った船を手持ちの写真で紹介したい。
青函連絡船は飛行機があまり好きではなかったこともあって北海道の行き帰りに乗った。改札で乗船名簿を渡し連絡船に乗り込む。
出航の際の銅鑼の音と『蛍の光』が流れると切なくなってしまう。もしかしたら二度とこの場所
に帰って来れないのではと一抹の不安さえ抱かせる船出、旅の始まりでもあった。
青森−函館間,約4時間(3時
間50分)の船旅だが、波の高い時は横になって眠るかデッキに立って潮風に当たって船酔いを避けたものである。
早いもので、そんな連絡船も廃止されて既に20年近くになる。
函館港に係留されている元、青函連絡船「摩周丸」 |
元、青函連絡船・摩周丸の無線室(JHMI) |
1日・十和田丸乗船時のもの) |
十和田丸(昭和58年5月乗船)マークは「十和田湖」 |
松前丸のマークは「松前城」
大雪丸
昭和40年5月就航、昭和63年1月終航。5,376トン(8,298総トン),旅客人員1,200人。昭和58年の帰りと
昭和60年の帰りの2回乗った。マスコットは「熊」である。イカ刺し定食が美味かった。
昭和58年頃、函館港に停泊中の大雪丸。 |
大雪丸のマークは「クマ」 |
八甲田丸
昭和39年8月就航、昭和63年3月終航。8,313総トン。旅客人員1,200人。乗ったことはないが青森に行った
際に見学した。
摩周丸に比べ見学出来る内容が多い。無線室には本来の無線設備と一緒に何故かアマチュア無
線の設備が置いて有った。
青函航路最後の連絡船でもある。(青森から函館に向かった、この船が最後の連絡船)
元,青函連絡船・八甲田丸(昭和39年〜昭和63年) 1996年・青森にて撮影 |
八甲田丸のマーク |
羊蹄丸
昭和40年8月就航、昭和63年3月終航。5,376トン(8,311総トン),旅客人員1,200人。
最後の函館発青森行き。その後、回送?のために最後に津軽海峡を横断し青函航路の幕を閉じた船。昭和60年、北海道に行く際に乗った。
現在は東京の有明の近くにある「船の科学館」に係留されているが中はすっかり改装されてしまい連絡船
の面影は無い。
外観に往時を偲ばせるだけである。なお当時の塗装は現在の「青」ではなく「エンジ」で、マークは
「蝦夷富士」こと、「羊蹄山」。2006年の8月に久々に見たら元の「エンジ」色に塗装されていた。
元,青函連絡船・羊蹄丸(昭和40年〜昭和63年) 1996年・東京,船の科学館にて撮影 |
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洞爺観光汽船・エスポワール
平成9年、洞爺湖に行った際に乗った。400トン。洞爺湖観光汽船で所有している船の中で当時は最新、大型。
レーダー等も装備していた。
元、南極観測船・宗谷
東京の有明に有る「船の科学館」に係留されており内部を見学することができる。
「宗谷」は日本で初めての南極観測船で私の生まれた年に南極へ向かって航海したそうである。
(昭和11年に竣工し、元は海軍の特務艦として太平洋戦争にも就役したようである。餓島ことガダルカナルに行った
とのこと)
東京・船の科学館にある「宗谷」
塩釜−松島遊覧船(総定員460名)