列車
 
汽車でもなければ電車でもなく「列車」である。ちょっと東京辺りに行くにも私の場合は電車である。
叔父が国鉄に勤めていたからという訳でも無いが...

子供の頃は4Kmくらい歩いて「大正」という駅から「広尾線」(その昔、「愛国から幸福」行きで名を馳せた路線である・大正は愛国と幸福の間に有った)から汽車(SL)に乗ったものである。

その後、SLはデイーゼルに変わったが...
現在居る所は近くを秩父鉄道(埼玉県の羽生市〜秩父郡荒川村に有る「三峰口」間・熊谷〜三峰間?にはSLも走る日が有る)とかJR高崎線(東京の台東区上野〜群馬県高崎市及び新前橋間)・上越新幹線や長野新幹線が走っている。

 
特急
初めて乗ったのは昭和55年に北海道に帰った際に乗った「はつかり」だったと思う。
その後、長野に行く際には「あさま」だったり、「白山」だったりした。


新幹線になる前の在来線時代の特急「あさま」

近くを走っている高崎線では新幹線に格上げになった「とき」が走っていた。昔懐かしい「こだま」型であり、今でも「こだま」型の特急は時々「白山」で見かける。高崎線では急行から格上げになった「あかぎ」だとか「谷川」である。
「とき」は残念ながら1997年秋のダイヤ改正で名前が消えてしまい、代わりに「越後湯沢」までの各駅タイプが 「たにがわ」として格上げになった。

山形に行く時は、時々,山形から天童まで奥羽本線の「こまくさ」に乗った。
(秋田新幹線が出来るまでは、山形から奥羽本線経由で秋田入りがメインのルート?)  
  
「たざわ」(青森−秋田,96年・青森駅にて撮影)
   
 
  「はつかり」(青森−盛岡,96年盛岡駅にて撮影)
  
北海道では「おおぞら」(函館,札幌から釧路)、「スーパーとかち」(札幌から帯広)、「北斗」(函館から札幌)、
「スーパー北斗」、「おおとり」、(同),「ライラック」(札幌から旭川は北海道内で唯一の電化区間・電車)

金沢では「はくたか」(北越急行・ほくほく線経由-越後湯沢)に乗った。MAX140Kmを誇る在来線最速の特急。  

スーパー北斗(札幌駅にて)

北越急行の「はくたか」(越後湯沢駅にて)

はくたか
JR東日本
越後湯沢駅にてH13.5.25

平成13年の秋に下呂温泉に行った際に乗ったのが「スーパーワイドビューひだ」。ディーゼルカーである。
窓は広く視界は良い。  

特急「スーパーワイドビューひだ」・
平成13年9月、名古屋駅にて。

スーパー宗谷
平成14年6月2日
稚内駅にて
エアーサスペンション車


新幹線
初めて乗ったのは当然、東海道である。行き先は名古屋までだった気がする。「ひかり」と、混んでいる時はノンビ リと「こだま」にも乗った。

上越新幹線が出来てからというものは熊谷に各駅停車の「とき」(現在は「とき」という名前は消滅して新特急だった「たにがわ」が新幹線の名前に昇格)停まるため、大宮くらいまでなら安くて速いので時間の無い時はよく利用している。
(大宮や高崎といった隣の駅なら15分で行けるのと特急料金も800円くらいと安い)
東京に国家試験を受けに行く時は殆ど新幹線を利用している。

時間帯によっては二階建て新幹線の「MAX」も走っている。
これは下の席だと目線がホームの高さ程度で、ホーム に入ると待っている人に見下ろされる感じで落ち着かないせいか、二階に乗る人が多く比較的下の席は空いているので、上記の不満を我慢すれば座れる確率は高い。

東北新幹線は仙台くらいまではよく利用した。盛岡までは青森に行った時と北海道に行った時くらいである。
どちらかというと「やまびこ」が多く、各駅タイプの「あおば」はあまり利用していない。

山形新幹線「つばさ」は山形に8ヶ月間滞在したこともあり、月に最低1往復はした。
山形からだと始発なので自由席でも並べば座れるのであるが、山形に向かって行くには大宮で乗るため座れる確率は低く,指定席を取っていた。
95年の12月からは7両編成で運行されるようになった。

東北新幹線の路線(東京〜福島)は「やまびこ」と連結して200Kmを越す速度で突っ走るが、山形新幹線として走る福島以降の奥羽線はそれほど速くなく、料金も「特急」扱いなのである。
 

山形新幹線・つばさ(95年12月・山形駅にて) 

寝台車
最初に乗ったのは昭和55年の北海道行きの際に函館から札幌に行く際に乗った、急行の「すずらん」だった。
寝台は旧式の50cm程度のタイプで乗り心地は良くなかった。
これと同じタイプは東海道線を走っていた急行の「銀河」である。「銀河」は81年のポートピア博覧会に行くのに乗った。
客車の寝台というのは発進時にショックが大 きく寝心地が良くないのである。
オマケに上段だと熱がこもって暑いし揺れは大きいし最悪である。
B寝台は3段で寝台の上に起きあがると頭がつっかえてしまうので窮屈だ。今の新しい物は二段が多いが...

電車寝台,北海道に行く際に乗った常磐線回りの「ゆうづる」である。
これは見た目は特急と同じ格好で、夜になると寝台車になるそうである。
私が乗ったのは上野からだったと思う。3段の寝台なのだが一番下の寝台のみ幅が1m も有るのである。
(他の段は70cm)寝台の方向は車両の方向と平行になっていた。

「はくつる」、昭和60年に北海道に行くのに大宮から乗った。
23時近くになっての出発である。青森着7時過ぎ。

「北斗星」も平成3年の夏に乗った。大宮から札幌まで乗ったのだが青森県内で大雨によりレールが冠水し2時間 近く立ち往生してしまい、旭川から層雲峡に行く予定が断念させられた苦い思い出がある。


北斗星(93年・大宮駅にて撮影)
 
あとは釧路から札幌まで乗った急行「まりも」である。寝不足で目眩がしたのを覚えている。
 
秋田から大宮まで乗った「あけぼの」、羽越線の踏み切り事故で到着が遅れ気をもんだ。 (青森−上野間)

快速

カーペット列車
これは札幌から函館まで乗った。快速の「ミッドナイト」である。1両の列車に雑魚寝よろしく寝転がるのである。
1両に7から8人くらいと当時のメモに書いてある。シーツと毛布が用意してあるが浴衣は有ったか覚えていない。
一応、指定席であるが場所は決まっておらず車両のみ指定である。下手な寝台車よりも揺れは少なく寝られた気がする。

「みえ」、鳥羽に行く際に乗った。97年5月・JR参宮線の鳥羽駅にて撮影。

「アーバン」高崎線である。上野あたりから乗る場合、座れないと熊谷まで立ったままということも有るので空いている時しか乗らない。

「月山」奥羽線の快速で山形県の新庄から山形間,熊谷に夜帰る時に乗った。
奥羽線の各駅はワンマンカーなので山形で乗り替える時は一旦、改札で料金を払わなくてはならないが快速は車掌が乗車しているので切符を通しで買えて便利だった。

「仙山」、仙山線(仙台−山形間),仙台に無線従事者(二級アマチュア無線技士)の国家試験を受験に行く際に乗ったが、紅葉の季節? だったため「面白山」という駅でラッシュに遭い参った。

「エアポート」、新千歳空港から札幌間。千歳から札幌、小樽に行くのに乗った。

「マリンライナー」、小樽から札幌まで乗った。  
カーペット列車の「快速ミッドナイト」・札幌駅にて

快速「みえ」・鳥羽駅にて

 

長野新幹線「あさま」
1997年10月1日開業の新幹線。
10月18日(土)に長野に行くため熊谷に停車する「あさま507号」(10:12発) と「あさま582号」16:26長野発、臨時列車)に乗った。
行きは満席(グリーン車は空席有りの様だったが..) で 結局、長野まで立ったまま。
軽井沢での乗り降りが多かったように思う。

帰りは30分以上も前から並んで乗った。熊谷に止まるのが少ないため仕方なく高崎で乗り換えたが、高崎までだと50分くらい。
オチオチ居眠りしている暇も無い。(苦笑)熊谷から長野まで1時間10分は、各駅で上野まで行くのと差が無い。
そういう意味では長野も随分と近くなったものである。
運賃は自由席の場合、熊谷から長野まで5,040 円。(97年秋現在)   


長野新幹線「あさま」

オマケの路面電車(函館・市電)
函館に行くと市内を走っている。函館山のロープウエーの駅近くの「十字街」や湯川温泉近くの「電停湯川」辺りまで 乗った。

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