足尾銅山(通洞坑)の入り口
栃木県上都賀郡足尾町。かっては銅山で栄え、宇都宮に次いで人口の多かったこの町も、今は観光用に銅鉱が残っているだけ。
1999年7月12日に、久々に行ってみた。前回は日光に行く途中、通って行っただけなので銅山の跡を見ようと出かけたが、家を出た時はそうでもなかった雨が栃木に近づくにつれ激しさを増してくる。
熊谷から車で約2時間。
足尾銅山は1610年(慶長15年)江戸時代に偶然、2人の農民が発見したのが始まりとか。そして幕府の天領となり、1741年(寛保元年)から5年間、足尾に鋳銭座が設けられ寛永通宝(足字銭)が2000万枚鋳造された。
その後、一時衰退するが1877年(明治10年)に古川市兵衛が銅山の再興に着手。
1891年(明治24年)に国会で鉱毒問題が論議される。
銅の採掘量の減少に伴い、1973年(昭和48年)2月28日をもって約400年にわたる銅山の歴史に終止符を打ち、閉山。
足尾といえば鉱毒で有名で、渡良瀬川の下流に有る渡良瀬遊水池は鉱毒対策として作られたが、その辺りのことは別の所で見てもらうとして...
場所は栃木県の上都賀郡足尾町通洞9−2で問い合わせは電話0288−93−3240(足尾町銅山観光管理事務所)入坑料は大人が620円、高校生510円、小中学生410円、団体割引も有り。
料金その他は当時のものなので、変わっている可能性が有ります。確認の上でお出かけ下さい。
国道122号線を走って行くと「足尾銅山観光」の看板が有り、これを目印に少し脇に入る。日光から車で30分とのこと。
銅山を見学するには入場料を払ってから渡良瀬川の方に向かって坂を降りて行く。そうすると右の方に建物が有り、そこからトロッコに乗って中に入る。
中は涼しいので天気の悪い日は長袖を着る等、少し厚着をして行った方が良いだろう。
私は半袖で行ったがトロッコに乗ったら風が冷たくて、もうすこし乗っていたら風邪を引くところだった。
中の温度計を見たら12℃くらいだった。
トロッコを下りたホームを直進し、そこから先を左に入って行ったような気がする。外と比べ温度差が有るので涼しい。
雨が降っていたこともあり、所々で雨が滴っていた。昔の坑道のため、場所によっては背を屈めないと頭が当たりそうな所も有った。
中に入ると江戸時代〜昭和時代までの採掘の模様が鑞人形によって再現?されており、場所によっては簡単な説明も流される。
入る時はトロッコだが、出るときは歩いて出る。温度差が有るため外に出たらメガネが曇ってしまって弱った。
出口の近くには鋳銭座という、江戸時代の貨幣の鋳造の模様を見られる資料館が有り、足尾では寛永通宝を作っていたらしい。寛永通宝をはじめ大判・小判や貨幣。紙幣(昔懐かしい100円、500円札や今の福沢諭吉の万札)や外国の貨幣も展示されている。
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出口付近に有る採掘以外の作業の様子 |
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出口周辺(左側の階段を上って売店の二階から出る)
正面に見えるのが入る時に乗るトロッコ |
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売店では銅の原石や水晶、化石等の石類が多く見られたが結局、何も買わず。出口は二階のレストランの方から出る。
帰りに国道122号線を走っていたら赤色灯が見え、こんな雨の中をと思っていたらお巡りさんが通行止めをしており、聞くと道路脇の樹木が倒れたため切り倒して片づけるので待って欲しいとのこと。
どのくらい掛かるかと聞いたら10分くらいとのことで待っていたら、ほぼ時間通りに復旧した。
それにしても当日は栃木県の北部は大雨注意報が出ており、普段の心がけが悪いのかと思ってしまった。