旅行(青森)
    
  
青森の「ねぶた」・1996年夏、「ねぶた」の前夜祭にて
                        
昭和55年、北海道を離れて10年ぶり,初めての帰郷の際には電車と青函連絡船を利用した。

当時は東北新幹線は無く、特急の『はつかり』のみであった。
朝,大宮から乗り込み、隣の席の客と何処まで行くのかという話になり北海道までという話になった。
途中、桜では無く『桃の花』が咲いている所で『中国の人は日本人が桜を愛するように桃の花を愛するそうだ』という話をしながら隣の客は一関で降りて行き、後は青森までは一人で だった。
時は5月の連休、場所によっては桜が満開だった。

夕方になって青森に到着、ホームに降りたときの風の冷たさに青森まで来たんだという思いを強くしたものである。
初めての旅ゆえ連絡船の乗り継ぎで遅れても困ると思い、1便遅らせた。そのため2時間以上、青森駅の待合室で過ごすことになった。
やがて暗闇の中に青函連絡船がゆっくりと、その巨体を表した時は感動ものであった。

その時の連絡船の名前は思い出せないが4時間かかって函館に到着。
函館から札幌行きの急行『すずらん』 (1両のみB寝台)に乗っての帰郷の始まりであった。

それから何回か同様のコースで青森に行ったが、あの時のもの寂しい旅情を味わう機会は無かった。
平成8年の夏に休みが取れ、久しぶりに青森に行きたくなり出掛けた。昔と違って東北新幹線で盛岡まで行き、そこからは昔同様,特急の『はつかり』である。

『浅虫』や『野辺地』といった昔懐かしい駅名がアナウンスされるたび、初めて乗った『はつかり』の思い出と重なって感慨深いものが有った。

夕方、青森に着き早速ホテルにチェックイン。駅からは近いものの、ずいぶんと安そうな宿である。
しかし駅から近 い分、贅沢は言うまい。カメラを持って青函連絡船だった『八甲田丸』を見に行く。
時間の関係で中に入るのは明日 にして駅や港の周辺を散策する。

八甲田丸からアスパムの方に向かうと青森ラブリッジという歩行者用の桟橋が有り、釣は禁止されているにもかかわらず公然と釣り糸を垂れる姿が見られる。
散策が終わって宿に帰ると主人が『今日は"ねぶた"の前夜祭だから"ねぶた"が見られる』と言うので、またぞろ飯を食うついでに外に出る。


青森ベイブリッジの夜景

言われたとおりアスパムの近くで『ねぶた』が待機しており、初めて見る『ねぶた』は思ったよりも大きな物であった。
次々と『ねぶた』を写真に収め、食事をする所を探すが、なかなか気にいった所が無い。やっと駅の近くで食堂を見つけ『ホタテ丼』を頼む。なかなか美味であった。

それから宿に戻って寝、翌日は八甲田丸に行こうかアスパムに行こうか迷ったがアスパムの方が早く開くのでアスパムへ行く。アスパムで展望台に上ったり展示を見た後で青森ベイブリッジを渡って八甲田丸に向かうと、船の前に『石川さゆり』が歌った『津軽海峡冬景色』の歌碑が有り、この前に立つと自動的に歌が流れてくる仕掛けである。
 

アスパムの入場券
八甲田丸と「津軽海峡冬景色」の歌碑前にて(’96.8)

 
八甲田丸に乗り込み船内を見学すると昔懐かしい連絡船のままで、思わず嬉しくなってくる。
(その前に東京の「船の記念館」に有る青函連絡船だった『羊蹄丸』を見に行ったのだが、昔の面影を全く残さない船内に失望したからである)

同じような青函連絡船としては函館港に『摩周丸』が有るが、内容としてはこちらの方が濃い。機関室や船倉まで公開しているが摩周丸は非公開である。
八甲田丸を後にして青森ベイブリッジに上がってみる。なかなかの景観である。


元、青函連絡船の八甲田丸
(’96年8月・青森港にて撮影)

それから市場に出掛け海産物等を見たが買わず、中に有る食堂で昼食をとった後で郷土館に行き青森の紹介ビデオを見る。
青森の『ねぶた』,弘前の『ねぷた』等の祭りの紹介等を見て、棟方志功の記念館へ行こうと思ったがバスの乗り場を探しているうちに時間が無くなり断念。
駅の周辺で『金魚ねぶた』のマスコットや記念切手,テレホンカード等の土産を買って青森を後に、秋田に向かう特急「たざわ」に乗り込んだ。  

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