参加作品(1979−1999) さすがにスタジオワークの参加は搭載するには多すぎるので割愛させてもらいます。 |
色々なジャンルのアーティストの作品に参加出来てとっても幸せです. | |
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Impression 高橋達也 /猪俣 猛 1979/12/20オーディオラボ LP盤(ALJ-1075) CD盤(LAB-2014) |
まだ、尚美の学生だった21歳ドラマーの猪俣 猛さんからの初仕事がこの レコーディング。 尚美卒業間近 猪俣さんに電話で「もう卒業なのでプロにしてください。」とお願いしたところ、「ああ、いいよ。」 というわけでいきなり東京デビューです。 そしてレコーディングです。その日から第一線のプロです。 しかし、マンテカという曲があまりよろしくない出来なので「プロのくせに、そんなのも弾けないのか」と猪俣さんにゲンコツをもらいました。 僕が17歳の時広島に演奏で来られた時にアレンジャーの前田 憲男さんと一緒に「東京へ出て来い。」言ってくれた猪俣さん。 18歳で東京に出てきてから3年間見守ってくださり、プロ活動のきっかけを作ってくださいました。本当に感謝です。 録音後、2年間で6枚のリーダーアルバムを作るというトリオレコードの契約書にサインをしました。 |
2008/5/21 CD再発売 |
FirstForce Force 1980/5/24 トリオレコード LP盤(PAP-9218) アブソードミュージック CD盤(ABCJ-480) |
尚美の学生だった頃ヴィブラフォンの浜田 均氏と出会い彼から仕事をもらいながらジャズの猛特訓を受けていました。 週一で2年間彼の自宅で一日中リズム訓練や作品のコンビネーションを学びました。 彼は東京芸術大学のパーカッション別科に在籍しており、僕もしょっちゅうもぐりこんで、練習や試験伴奏をしました。 その彼と共に「猪俣 猛とFORCE」に参加出来ました。 最強のヴィブラフォンカルテットの誕生です。 |
2008/5/21 CD再発売 |
SecondForce Force 1980/12/16 トリオレコード LP盤(PAP-9251) アブソードミュージック CD盤(ABCJ-481) |
この頃から回りのピアニスト達がすべて自分よりかなり優れていることに気づき始め精神的にくたびれ始め、体調が崩れ始めアトピー性皮膚炎になっていました。 自分が出ている雑誌や特集を本屋でながめて「これでいいんだ、」とごまかしている毎日でした。 Forceの奄美大島での旅の最中にビタミンCの錠剤をバリバリ食べて、広い海をぼんやり眺めていると、武蔵野音楽院(当時有った優秀な専門学校のピアノ科の講師だった小山 大宣氏が交通事故でお亡くなりになったという悲報が飛び込んできました。 僕は、彼が書いた理論書をいつも持って歩いていて大変尊敬していて、教えを請いに行こうを思っていた矢先にこの悲報。 ショックでした。 奄美の広い海、美しい空、人の死、ジャズってなに、人生って。 自分の演奏が上手だとか下手だとかどうでもよくなってきました。 自分は生きている。 とにかくコツコツといこう。今出来ることからやろう。 今でも大好きで大嫌いな言葉があります。 「ここにもう一人の自分がいます。貴方は好きになれますか。」 |
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stop over 猪俣 猛 1980/ オーディオラボ LP盤 (FM-3002) |
Forceの全国ツアーのライブ録音。とにかく4年に渡るツアーで日本まるごと2周しました。 良く食べ、良く寝、良く演奏しました。そして太りつづけるのです。 |
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POEME 浜田 均/西 直樹 1981/6 オーディオラボ LP盤 (FM-2803) |
清水 哲男の詩とヴィブラフォンとピアノのデュエットのコラボレーション。 タクシーに乗っているときにラジオから浜松のつま恋で起きた爆発事故の追悼でこのアルバムのシチリアーノが流れた時は複雑な心境でした。 |
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Love Letter From My Heart テリー水島(vo) 1981/8/11.21 Fic LP盤(FIC-003) |
この世で一番苦手だったのが歌の伴奏でした。 尚美の学生時代に大宮の「浜長」というライブハウスで演奏のアルバイトをさせてもらっていました。 そこのオーナーママさんが「あなた、そろそろ歌伴の経験を積んだ方がいいわね。」 チャレンジ当日の1ステージ終了。 歌の方のお名前もお顔も忘れてしまったのですが、大変歌い辛かったみたいで、楽屋の赤電話からどなたかに連絡を。 「あんた、ひどいのに当たっちゃったのよー。今から大宮に来て代わってくんないかしら。」 電話の相手は旦那さんらしく、ピアニストさんの様です。 結局旦那さんは奥様の緊急事態にもかかわらず、自分のライブの為こちらには来られず、セカンドステージも強引に終了。 仕事帰りの大宮駅のホームで、「ま、あんたもがんばって」と慰めの言葉をかけてはくれました。 歌伴ダメダメピアニストの誕生です。 そんな、歌伴苦手意識100パーセントな僕になんの愚痴もこぼさずに4年間歌ってくださったテリーさん、有難う御座いました。 (2008年)「Jazz Vocal Jamboree」でご一緒出来、光栄でした。 |
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Live At The L.A. Force 1981/9 fic LP盤 FIC-002 |
Forceのアメリカ西海岸ツアー中ライブハウス「Maiden
Voyage」でのライブ録音。 ゲストにハロルドランド(ts)を迎えギンギンの演奏。 このツアー最大の思い出はロサンゼルスのディズニーランドであのバディーリッチ オーケストラを聴けた事です。(なんとタダ) 彼は世界的なドラマーなのでどんなステージを見せてくれるのかとワクワクしていました。 野外ステージでラフな感じなのでステージ右後方のお店でハンバーガーを買って食べながら演奏を待ちます。 そして、ビッグバンドのメンバーがそれぞれの所定の席でセットアップしていきます。 そしてバディーリッチその人が登場。 大拍手。 ドラムがひな壇に置いてありそのまん前にベース奏者が座って演奏する配置です。 ありゃりゃ、1曲目からなにやら変です。 バスタオルを首からかけて演奏する彼は前にいるベース奏者にギャーギャー怒鳴っているではありませんか。 そして、そのステージ時間中ドラムソロ以外最後まで常にベース奏者に怒鳴りまくっていました。 あんだけどドラムを叩いてあんだけ怒鳴ってよくもまあ疲れないものです。 そっちばっかり気が散って演奏内容はさっぱり覚えていません。 |
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Dear My Friend Harold 猪俣 猛 1981/9/8 ロサンゼルス ヤマハ LAスタジオ ユピテルレコード YJ25-7035 |
どうしてもツアー中はピアノにさわる事が少なくなるので猪俣さんのスタッフの 小坂さんに頼んで昔小坂さんがホームステイしていたお宅で 練習させてもらいました。 ご飯もごちそうになりびっくりするぐらい大きいアイスクリームもいただきました。 このツアー中ロサンゼルスのハリウッドボールでロサンゼルス交響楽団とジョージシアリングの共演を聞くことが出来ました。 そして、ラスベガスでドナサマーのショウも見て、ギャンブルで翌月の家賃分 (念のため持っていった)までスッテンテンになり宿泊先の フラミンゴヒルトンホテルのプールでぷかぷか浮いていました。 |
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All The Things You Are Force 1982/12/25 FIC (FiC004) |
Forceでの最後のアルバムとなりました。 「いつまでも親(猪俣さん)と一緒ではいけない。一本立ちしなさい。」という事で 4年丁度で解散しました。 当初は2年解散予定だったのですが、2年延長してくれました。 そうは言ってもこの後も猪俣さんはなにかと仕事に呼んでくれました。 猪俣さんが言っていた言葉で印象に残っているものを挙げます。 「お中元、お歳暮はいらない。そんな気をつかう暇があったら音楽で返せばいい。」 「深夜を越えての接待や飲み歩きはだめ。翌日会う人も今日会う人も大事な人。平等に付き合うには、睡眠を十分とって体調をコントロールしなさい。」 |
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うる星やつら 猪俣 猛とサウンドリミテッド 1983/7 日本コロンビア LP盤 (CX-7111) |
祝 ネットで見つけました。 アニメをジャズでの第一弾。 いつのまにか手元から紛失してました。 ラムちゃんが帰ってきました。 ラムちゃーーーーーーーーーーーん。 |
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さすがの猿とび 猪俣 猛とサウンドリミテッド 1983/12 日本コロンビア LP盤 (CX-7134) |
アニメをジャズでの第二弾。 さすがスタジオミュージシャンの大先輩達。(さすがの) 僕のスタジオミュージシャンとしての基礎となりました。 だいたいドンカマ(ガイドのメトロノーム)を使う事なんてなかったですから。 |
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Memories Of Tomorrow 浜田 均/西 直樹 1984/2/3.4 武蔵野音楽学院スタジオ オーディオラボ LP盤(FM-2804) CD盤(LAB-2029 |
黄金のデュエット2枚目。5年間のデュエットの集大成。 チーフミキサーは「鉄炮塚 隆」君。 彼は「Force」のPAをずっと担当してくれていて、今でも大切な仲間です。 「Force」の北海道ツアーの時、彼がボーヤの代わりに移動車の運転手をしてくれました。 後日、彼が僕に教えてくれました。 「実は疲労困憊で運転中に眠気が襲ってきて死神が見えていたんですよ。 西さーーーん。」 6時間移動は当たり前の過酷な移動の多いバンドでした。 話を戻しましょう。 この頃自分のトリオを結成。(BASS河上 修 DRUMS小山 太郎)。 2年間で400本はライブとコンサートで明け暮れていました。 あんまりトリオの活動が忙しかったので浜田氏とのデュエットも解消してしまいました。 残念。 |
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’S Wonderful 平岡 ジュン 藤家 虹二クインテット 1986/2/13.14 キングレコード LP盤 NAS-1339 |
ヴィブラフォンの浜田 均氏に誘われてスウィングスタイルの大御所 クラリネットの藤家 虹二クインテットに入団。 古くからのお付き合いの平岡 ジュン(vo)のアルバムをレコーディングとなりました。 レコーディングも深夜に及び、朦朧とした頃なんとあの宮川 泰先生がレコーディングスタジオに入ってきました。 宮川先生といえばあの「宇宙戦艦ヤマト」の音楽を担当。渡辺プロダクションの「ザ、ピーナッツ」を世に送り出した立役者。 いきなりレコーディング中なのにスタジオ内に入ってきて「なあ、西!!!その曲のコードはやっぱりそう押さえるよなあ。」と大声で僕にしゃべりかけてきました。 挙句の果て、下ネタ全開。 当然レコーディングはいったん中止。 それから宮川先生はソロピアノで朝まで参加。 その間メンバーはロビーでボーッとしているしかなかったのでした。 終わり、ちゃんちゃん。 |
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Swingin House 藤家 虹二クインテット キャップス(Vo) 西城 秀樹(vo) 1986 TBSホール RVC LP盤 (RHL-8456) |
あの西城 秀樹がメモリーズオブユーを歌う。 藤家さんの出身が僕と同じ広島。 西城さんも広島。 広島つながりのレコーディング。 西城さんは、TBSホールに到着と同時に大好きなドラムセットに直行。 しこたま叩いてスッキリしてレコーディングに望まれました。 |
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あの日のように 藤家 虹二&キャップス 1986 RVC EP盤 (RHS-258) |
で、2曲シングルカットとなりました。 B面の「恋わずらい」は今でも藤家さんは僕の演奏を 誉めてくれています。正直照れていますが誇りに思います。 今でもNHKの深夜にこの曲が流れているのを聞くとなつかしい思いでいっぱいになります。 |
CD 再発売 |
Tribute to “King of Swing”
Benny Goodman 藤家 虹二クインテット 高橋 達也と東京ユニオン 1987 RCA LP盤(RHL-3057 3058) CD盤(R25H-10178) |
1998年、名誉あるエール大学「Goodman
Library」に このCDが収蔵されました。 藤家さんのもとでは、ベーシックなコード進行とサウンドでジャズの基礎を徹底的に学ぶことが出来ました。 余分なテンションを入れない開離配置の和音と副属七のスケール選択、借用和音の扱い、部分転調など、まるで古典和声学の実践でした。 ありがとうございました。そして、50周年コンサートに ゲストとして呼んでくださった事感謝します。 ちなみに僕が退団した後に入ったピアニストさんの 名前は「ひがし」さんだったとか。 冗談がすぎます。 残念ながら、藤家さんは2011年10月24日に他界されました。 あの世でもクラリネットを吹き倒している事でしょう。 冥福をお祈りします。 |
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Let's Play Brass 猪俣 猛トリオ シエナ ウインドオーケストラ 1991/3 東芝EMI CD盤 TOCZ-9168 |
岩井 直溥氏の指揮で 吹奏楽でよく演奏されるナンバーを録音したもの。 ゲストプレイヤーは エリック 宮城(TP) 佐藤 達也(TS)など 豪華多数。 猪俣 猛トリオのベーシストは北海道出身の加藤 真一氏です。 第2期のForceも同時進行でした。 |
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Wonderful World 猪俣 猛トリオ その他 自主制作 ST-9626 |
猪俣さんが気に入った演奏を集めたもの。90年のトリオの演奏が選ばれています。 この頃は藤家 虹二クインテットと猪俣 猛トリオ、 ジョージ川口とビックフォーと大御所のバンドが同時進行の為、一つのバンドで通用したことが他ではまったくダメという事がよく起こった時期です。 まずビートの捕らえ方の違い。 サウンド構築とアドリブラインの違い。 よく怒られたものです。 西 直樹の30代はこうして嵐のように過ぎてゆくのでした。 ぎゃーーー。 |
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If I Were A Bell 猪俣 猛トリオ 1991/3/27 東芝EMI CD盤 TOCZ-9173 |
猪俣 猛 音楽生活40周年記念企画アルバム。 |
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猪俣 猛 40周年記念ライブ 1991/06/21 東芝EMI CD盤 TOCT-6187 |
猪俣 猛 音楽生活40周年記念企画アルバム。 この頃は同年輩のプレイヤーのに新しいスタイルのアドリブ奏法に憧れて色々ためしていました。 ちゃんとしたセオリーも解らずやっていましたが、自分としての形作りの第一歩だったと思っています。 |
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The Pink Panther Peter Gunn 大川 友章・粕谷 幸秀 1991/5 日本コロンビア COCS-7865 |
僕が大田区に住んでいた頃 尚美学園の先生仲間でアレンジャーの先輩のこの2人がパソコンの基礎を叩き込んでくれました。 特に粕谷氏は家が近所という関係からなにかと質問攻めにしてしまうという、僕の都合だらけの状態がなんと今現在も続いております。 大川さんは今でもライブに聞きに来てくれます。 この頃は随分デジタル関係の仕事をしていたなあ。 |
加藤君のサイトで売っているかも |
SHINICHI KATO 加藤 真一 1991/9/12.19.23 NAIE 2290 (TGCS-102) |
猪俣 猛トリオ、大友 義男クインテットで一緒に演奏していたベースの加藤 真一君がめでたく、ニューヨークへ移住する直前に作った初リーダーアルバム。 ちなみに大友 義男クインテットの後釜で入ったベーシストの名前は「さとう しんいち」です。 世の中不思議な事だらけです。 僕が自分のグループでニューヨーク公演をした時ニューヨークの夜は危ないからとボディーガードをしてくれました。 ちなみに彼の体重は僕の半分ぐらいでした。 お礼に一緒にヘリコプターで空のニューヨーク観光に付き合ってもらいました。 彼は昔からとっても良い人です。 |
多分廃盤 |
Walkin' in Paris 中西 俊博 1991/10/21 For Life (FLCF-30116) |
遊機械全自動シアターという劇団とのお付き合いがあった頃に彼と出会い、音楽で遊んでいました。 よく彼は「西君は地味な生活をしているなぁ」と言ってました。 派手な生活とはいかなるものなのか? いまだに謎です。 ちなみにこのアルバムの一曲目の「At The Corner]はいまだにテレビでBGMとして流れています。 僕の知り合いのドラマーで当時のメンバーの「ガキオ」君は旅先でバイオリンのBGMが聞こえるたびに 「中西!ついて来るな!!」と叫びます。 世の中のバイオリンが全部中西君に聞こえるらしいのです。 |
フォー.センチメンタル. リーズンズ 本居 まみ 1992/5/12 30FRO-6002 Fandango Records 重松 忠男プロデュース |
すごいメンバーです。ドラマーはあの清水 潤さん。 そして、なんと歌でも参加しています。大変貴重です。 僕がまだ高校生の頃、広島で世良 譲(p)トリオのアルバムが大好きで、そのアルバムの参加ドラマー。 当時、舶来ドラマーのような日本人ドラマーと言われていました。 残念ながら他界されていますが、奥様から「幻のモカンボセッション」という 日本ジャズ創成期の貴重なアルバムを譲っていただいて宝物にしています。 なんと、その人との共演です。 ベースは岡田 勉さん。 本居 まみさんはとってもやさしい人で、僕の体にぴったりのパジャマを手作り してくれました。当時は大きいパジャマはありませんでした。 今でも、大切に使っています。20年経ってもほころび一つありません。 今、彼女は札幌で活動しています。もちろん相棒の重松 忠男さん(b)も 御一緒です。 このアルバムはその重松さんがプロデュースして製作されたものです。 ありがとう、重松さん、本居さん。いい思い出の一枚です。 そして、とってもいいアルバムです。はい。 |
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多分廃盤 |
おいしい時間の作りかた 遊機械全自動シアター 1992/5/20 EMIミュージック・ジャパン (TOCT-6492) |
とにかく面白いです。 古いジャズが好きな劇団です。 笑いと涙。 僕は遊機械のリーダーの白井 晃さんが演じるシャンソン歌手「ペギー」さんが大好きでした。 シャンソンを歌う「ペギー」さんはお釜とはなんぞやを僕に教えてくれました。 そして、芝居の真似事を経験させてもらいました。 |
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KEY THE METAL IDOL VOCAL DATA
DISC U for RADIO PROGRAM 岩男 潤子・長沢 美樹・芝原 チヤコ・井上 喜久子 1997/6/18 PONY CANYON(PCCG-00407) |
アニメよアニメ。声優よ声優。 これがきっかけで、秋葉原にパソコン部品を買いに出かける時(僕は自作パソコンマニアです)ついでにアニメ関連ショップに立ち寄るようになります。 今では、アニメ関連グッズを買う為に「アキバ」へ出かけます。 この頃指揮者の榊原 栄さんから、「ラプソディーインブルー」を一緒にやらないか、とオファーがありました。 電車に乗っている時、楽譜とにらめっこ。 なかなか暗譜出来ずに油汗がしたたっている時に、隣に座っているおばさんが声をかけてくれました。 「大丈夫? あなた病院に行ったほうがいいわよ。」 |
好評発売中 |
HERT サーカス 1997/10 サウンドサーカス SCAC-001 |
サーカスの皆さんとご一緒に演奏するようになって 16年目になりました。(2009年現在) 記念すべきハートシリーズ第一弾。 良きお姉さん、お兄さん的存在です。 コードアレンジとピアノを担当。 あらゆるジャンルを歌う日本最強のコーラスグループは僕にすごい音楽的栄養を大量にくれます。 |
好評発売中 |
Invitation 山口 真文 1998/3/23.26 SKIP RECORD (SKIP-2002) |
御茶ノ水のナルで月1回の真文さん(ts)との演奏を始めてから30年経ちます。 これほど凄い音楽家はそうはいません。 いまだに影響を受けています。 8曲目の「In The Small Hours」はソプラノサックスとピアノのデュエットでの演奏です。これ以上の演奏は聴いた事がありません。魂の演奏です。 このレコーディングの後SKIPレコードからリーダーアルバムの製作依頼をいただきました。 |
好評発売中 |
HEART U サーカス 1998/10 サウンドサーカス SCAC-002 |
ハートシリーズ第二弾。 コードアレンジとピアノを担当。 |
好評発売中 |
SAX MACHINES 菊地 康正 1999/9.1-10 VIRA](VIRA-0106) |
凄い名前のバンドです。(?)菊地氏とは28年のお付き合いです。とにかくまじめな音楽家です。 この頃はサックスだけ(金管なし)のアンサンブルでの可能性の追求がこのバンドの凄みでした。 このバンドの創設期からのメンバーとして僕は参加していました。 彼が尊敬する松本 英彦 氏(ts。fl)は日本ジャズ界の偉大なるプレイヤーであります。 そして、僕が参加していた、ジョージ川口とビッグフォーの初代メンバーです。 僕は運良く松本氏の生前最後のリサイタルで共演できました。 プレイヤー同士何かの縁で繋がっていると感じています。 |