Mofongo's 100% PUERTO RICO - Borinquen te llama -

レゲトン (2003/"Latina"誌に掲載したもの)

ここ数年プエルトリコのラップ/レゲエと括られる音の中から出てきた「レゲトン」。音としてのスタイルが100%出来あがった括りとはまだ言えないが、やはりカリブという場所が作りつつある音であると思う。プエルトリコとこの音の関係を見てみよう。

 


Suger Hill Gang
"Rapper's Delight"
1979

ラップとプエルトリコの関係はヒップホップの黎明期を知る人にとっては不思議は無いかも知れない。70年代終わり、フラッシュ、クール・ハークと言った先駆的DJ達を、そしてラップという名前を決定したシュガーヒル・ギャングのシングルを支持したのはニューヨークのハーレム、イーストハーレム、ブロンクスなどのアフロ系やプエルトリコ系の若者達だったからだ。

サルサではコロン=ブラデスのコンビによる名盤"シエンブラ"の時代だ。ブレイキング(ブレイクダンス)や地下鉄などへの落書き"グラフィティー"と言ったヒップ・ホップ文化の要素を支えていたのがプエルトリコ系であったことも忘れてはならないだろう。サルサとヒップホップは同じリアルな空気の中で同居していた過去からスタートしている。

 


Willie Colon
& Ruben Blades
"Siembra"
1978


Run-DMC
"Raising Hell"
1984

80年代のNYの変化に合わせる様に、サルサの中心はプエルトリコへと移動し島のシーンは大きく盛り上がった訳だが、本土でのランDMC、LLクールJと言ったラップのビッグ・ヒットの影響もさして見られなかった。

しかし90年代のサルサがプロデューサー・システムに飲み込まれリアルさを失う中、プエルトリコの 好景気が引き寄せたドミニカン人口にも支えられたメレンゲ、カウンター的に勢いを増した地元産のプレーナと共に若者の支持を得て来たのがラップだった。


Willie Rosario
Nuevos Horizontes
1984


メデジン・カルテルの首領の一人、エスコバールの情報に賞金もかかった。

経済好調な中、コロンビアの麻薬組織メデジン・カルテルが米本土への供給窓口の一つであるプエルトリコ・ルートの拡大を意図して島内のドミニカン・マフィアと手を組むのは容易い事だった。

筆者がプエルトリコで生活を始めた90年代前半、"水増しコカイン"である「クラック」の米本土での急激な蔓延は島に大きなアングラ・マネーの流入と、ドラッグ・ディーラー間の抗争による史上最高の殺人発生率を生んだ。犯罪、暴力、女性蔑視のイメージを持ついわゆるギャングスター・ ラップのスタイルこそが、その頃の島の人々が持つラップ&レゲエ(その頃このジャンルはこう呼ばれていた事が多い)という音楽への認識の代表だった。


1997年Rap/reggaeが注目され始めた頃の写真。前・左よりBaby Rasta、Bebe & Felito (Point Breakers)、DJ Negro、Vico C、Charlie


Ivy Queen

当時、島の南部の街グアイヤマ(ボンバの盛んな地でもあり、ドラッグ・ディールの問題もよく報道された)でのコンサート・シリーズのCDではそのイメージを上塗りするような詞を聞くことが出来る。

その為メディアにはラップの音楽的動きに対する記事など見ることはなかったが、そんな中で80年代後半から活動していた、DJネグロ、プラジェーロ、DJジョー、DJエリック、などが相次いで"Noise"、"Street Mix"、The Crew"と言ったシリーズのCDをリリースし、"The Noise"のシリーズは97年までに4枚のプラチナ・ディスクを獲得する売上を上げている。

これらGuayamaのライブ・シリーズや#The Noise"、"The Crew"などのシリーズには今のシーンを支えるほぼ全てのメンツが揃っているが、音はまだ実験的なもの、ストレートなスパニッシュ・ラップ、今の音の萌芽が感じられるものなどが混在しているのが魅力。


"Guyama Live Vol.3"
1997


Baby Rasta & Gringo
"Fire Live"

ラップはラッパーの歌う歌詞の内容と韻(ライム)、歌い方の個性(フロウ)、そしてDJのリズムやサンプリングのミキシングのセンスやパワーがカッコ良さの決め手になるが、90年代後半から現在までの間にプエルトリコのラップ/レゲエはそのそれぞれの要素で一つの共通の方向を持つようになってきている。


Vico C
"Enboscada"


Don Chezina
"Exitos"

歌詞は"ギャングスタ・ラップ"系統も多いが、拝金主義の裏側に島の好景気とそれにあずかれない庶民の現実がある。また英語・西語のスラングの混在は従来NYのブロンクスやエル・バリオなど本土の状況だったものがプエルトリコでもリアルになって来ている実態を表しているだろう。

但し、フロウも含めて本土のエッジ感やアフロ系のクールさとは違った、 カリブとしか言い様の無い少々"ゆるい"ニュアンスがある程度共通する。リズムのセンスも筆者にはラガとの親近性、汎カリブのイメージを感じる事が多い。


DJ Eric
"La Busqueda"


Anthony Carrillo
"Mi Raices"

テゴ・カルデロンの作品にも参加しているカチェーテ一派のボンゴ奏者アンソニー・カリージョとラップとボンバ、特にシカやクエンベのリズムとの融合の話をしたことがあるが、彼も同様の意識を持っていたとの事で、その後ソンゴとラップを融合させた曲を発表している。

また、彼のユニットのメンバーとは、ラップとデクラマシオン(当地のアフロ系"語り"の芸能)やラップのライムとトロバドールのデシマ/サルサのソネオに共通するものの話でも盛り上がった。一方、ラップに「歌」のニュアンスが盛り込まれるだろうとの話もあった。


Juan Boria
"Que Negrota"
(Declama)


Tego Calderon
"El Abayarde"

そんな中でここ2年ほどの間に「レゲトン」という言葉が表に出てきた。相変わらずストリートのエッジが利いた音が続く一方で、エクトル&ティトのような華やかさやテゴのような地元のアフロ性の現実を反映した音もある。

90年代にプエルトリコのラップ/レゲエの中で育ったリスナーも10才ほど年を重ね、音により広いリアルさが求められているのかもしれない。そしてその分島の中で広い支持を得る可能性も出てくるだろう。


Daddy Yankee
"Los Homerun-es"


Hector & Tito
"La Historia Live"
2003

2003年に入って"Hector & Tito Live"、"The Noise Biografia"、"Desafio"、"DaFlex"等これまでの様々な音を一旦まとめるようなCDが リリースされ続けている。20年前にNYでサルサと同居したヒップホップが今度はサルサを含めた島の様々な音と何を作り続けて行くのか楽しみだ。

"Desafio"
2003


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