追憶




パン・・・パシ・・・

ティラスイールのオルドスに程近い河原で、10歳くらいの少年がキタラを弾いていた。
弾いているというよりは、弦をはじいているだけのようにきこえる。
まだキタラを始めたばかりだろうか、弾き方が分からないようで、音がよく響かない。

「キタラの練習ですか?」
「うわっ!!!」
急に背後から声がし、少年は飛び上がらんばかりに驚く。

少年が振り向くと、後ろには人のよさそうな微笑みを浮かべた壮年の男が立っていた。

「は・・・はい.そうです」
どぎまぎと答える少年に、男の微笑みは倍増しした。

「僕も昔,キタラを弾いていたんですよ」
「ほんとですか?」


「じゃあ弾いてみせてくれませんか?
まだ始めたばかりで、どうやって弾いていいのかよく分からなくて・・・」
「いいですよ」

男は少年の傍らに腰をおろした。
少年は男にキタラを手渡す。
男はなれた手つきで構え、弦を軽く弾いた。


シンプルで、無駄のない音。
ゆったりとして・・・それでいて力強く、全てを包み込むようなフレーズが紡ぎ出される。

はじめのうちは男の手元を見つめていた少年が、次第に曲に引き込まれていった。

「・・・すごい曲ですね・・・」
少年には、それだけ言うのがやっとだった。

「これは水底のメロディといいます」
「水底?」
「この世からは既に忘れ去られたメロディだったんですよ」

「それをレオーネ・フレデリック・リヒターという偉大な音楽家が復活させました。
僕の初めての旅の目的はそれを見つけることでした」

「旅?」
「以前旅芸人だったんです」
「旅芸人・・・」
「演奏しながら諸国を旅する,旅回りの演奏家のことですよ」
「見たことないなぁ・・」
「僕の故郷ではそういう人が結構いたのですが、
ここではあまりそういう風習はないようですね」

この近くの出身とはちがうような男の言い方に、少年は怪訝な顔をする。
「あなたはどこから来たんですか?」

しばしの沈黙の後、男は口を開いた。
「ずっと遠く・・・あの山の向こうからです」
「あの山って・・・」

少年はあたりを見回す。
しかし、大蛇の背骨と呼ばれる大山脈以外にそこから見える山はなかった。
「まさか・・・あの大蛇の背骨を越えてきたんですか?」
彼は何も言わずにただ微笑んでいるだけだった。

「あの頃の僕は,ほんとに頼りなくて・・・祖父や幼なじみに助けてもらうばかりで。
そんな僕に『水底のメロディー』が道を示してくれたような気がします」

「この曲をめぐって、僕にとってかけがえのない出会いがたくさんありました。
その人たちからまた新しい出会いが生まれていきます・・・波紋のように」
少年は男の話に聞き入っている。

「人の絆を紡ぐ・・・
自分のまわりだけじゃなくって
この世界のみんなの絆を・・・」

男は少年を見つめた。
「今こうして君と出会って、絆の輪がまた大きくなりましたね」
そういって少年のような微笑みを見せる。

少年は熱のこもった声で言った。

「僕も・・・旅芸人になります.
あなたから受け取った絆を紡いでいけるような・・・
あなたみたいな旅芸人になります」

「僕はトロバといいます。あなたの名前を聞かせてくれませんか?」
「私は神官のフォルトです。
オルドスでパイプオルガンを弾いています」

少年はフォルトに向き直った。

「フォルトさん・・・
僕はまだまだ未熟で・・・まだ「水底のメロディ」を弾くことは出来ないけど・・
いつか・・その曲を演奏できるようになった時は、一番最初に聞いてください!」
突然の申し出に、フォルトはにっこり笑った。
「たのしみにしています、トロバくん」

「あなたへのはなむけとしてこの曲を差し上げます」
フォルトはキタラを構えなおした。

「『それみよ我が元気』・・私の故郷に古くから伝わる曲です」
軽快なリズムに乗ってキタラの音がはじき出されていく。

「ありがとうございます・・フォルトさん」
「頑張って下さいね。
どんな困難があっても決してあきらめないで。
信じる心があれば,必ず道は開けます」
「この曲のように・・・」

トロバはキタラを構え、弦を爪弾き始めた。







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