表2  水稲と青銅器-朝鮮半島と日本-

- 青銅器 水稲
朝鮮半島 日本 朝鮮半島 日本
早乙女雅博 中国東北部の遼寧青銅器文化が朝鮮半島に流入し盛行。BC8世紀頃遼寧式銅剣流入。前期:遼寧式銅剣 後期:細形銅剣 無文土器の前・後期にほぼ対応(BC300年頃を境)。BC1000~BC1世紀頃まで。 - 松菊里遺跡から炭化米出土。BC5~4世紀。半島中部の欣岩里遺跡(BC14~BC10世紀頃)と大同江中流域の南京遺跡から出土した炭化米は畑作のものと考えられる。 -
片岡宏二 - 最古の青銅器鋳型は北九州市松本遺跡のもので、弥生時代前期末に上る可能性。青銅器生産は中期前葉から。朝鮮半島の青銅器の種類・形態の差が認められない。朝鮮半島からの技術工人の渡来は確実。中期後半になると倭人の嗜好にあった青銅器へと変化する。後期段階の鋳型は春日丘陵遺跡群に集中(中期後半から)。弥生文化の開始に複合的にもたらされた文化要素の中に青銅器を生産する技術はまだなかった。 - -
宮井善朗 朝鮮半島では青銅武器の非実用化は西南部を中心にⅡ期(遼寧式銅剣の時期)からみられる。 日本に流入したⅣ期(弥生時代前期末・金海式期~中期前半)の青銅器は、剣、矛、戈の武器類、多鈕細文鏡、鉇、小銅鐸などである。流入期の初期には武器のみ。中細段階には銅矛、銅戈が大型化し埋納が始まる。 - -
田崎博之 - - 安承模によって、韓半島漢江南部の地域では、無文土器時代前期のBC1000~BC5世紀の畑作を主とする農耕、BC5世紀から水田を主とする本格的な稲作が確立されるという初期農耕の展開が論じられている。 水田遺構は縄文時代晩期終末(BC6~BC5世紀)までさかのぼる。菜畑遺跡では水田遺構が弥生時代前期初頭まで下げて考える見解もある。東北部地域では仙台市富沢遺跡(弥生時代中期初頭~後半)、青森県南津軽郡垂柳遺跡(弥生時代中期中葉)などで水田遺構が発見されている。Ⅰ型水田(水利施設をともなう水田)の伝播は韓半島南部地域から日本列島西南部地域へそして東北部地域へと想定できる。
池田次郎 - 弥生時代前期末の北部九州に持ち込まれた金属器は、中国東北部に起源をもつ朝鮮青銅器文化の要素だったことは明らか。 - 松菊里遺跡から出土した稲の穂づみに使う石包丁や磨製石斧の形式は菜畑遺跡のものによく似ており、その推定年代は菜畑より100年ほど前のBC600年前後である。晩成品種の稲は江南から山東半島を経由して朝鮮半島西南部に伝わり、そこで北部から南下してきた畑作用の早世品種の稲や雑穀、豆類を加えて九州北部へ伝来した。

※参考文献
  
早乙女雅博『朝鮮半島の考古学』 2000.7
   片岡宏二『弥生時代 渡来人と土器・青銅器』 1999.5
   宮井善朗『東アジアと日本の考古学Ⅲ』「朝鮮半島と日本列島の青銅器の比較」 2003.5
   田崎博之『東アジアと日本の考古学Ⅳ』「日本列島の水田稲作」 2002.9
   池田次郎『日本人のきた道』 1998.11


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