大楽寺
谷和原村大字福岡台入会地阿弥陀一二番
宗派 天台宗
開祖 恵心僧都(九四二〜一〇一七)
本尊 阿弥陀如来坐像(平安後期作)
祈願 家内安全・極楽往生・身体保護
恵心僧都(えしんそうず、平安中期の天台宗の僧。比叡山の良源に師事。横川の恵心院に住み、恵心僧都、
横川僧都と呼ばれる。「往生要集」を著して、のちの浄土教成立の基盤を築く。)が開祖と伝えられる大楽寺は阿弥陀堂と
呼ばれ何度かの大火事で廃寺になっていましたが、明治44年華蔵院(谷和原村大字田)住職呼びかけで再興の資金を
募り現在に至っています。
当時の大楽寺は、たいそうな勢力を持ち関東一円に数多くの信者が居たそうですが、火事でその勢力はしだいに
衰えごく普通の寺院になってしまったそうです。
しかし、阿弥陀如来および脇侍像(観音菩薩は紛失)を始め、薬師如来、(鎌倉後期作)十一面観音、
(江戸時代三十三観音を詠った詩に二十二番大乗寺として登場します。)それらを見守ってきたしいの木
その名のとおり国宝にも値する阿弥陀如来像(平成十一年に県重要文化財に指定の予定だそうです。)
が何度もの危機を乗り越え平安のロマンを乗せ輝く姿は神々しいばかりです。
平成九年に平安時代の瓦が見つかりました。
協力 村史編纂室・大楽寺
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