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 いったいどうするか?  2つの手だて  ハウ・ツーではなく


 このページでは、拙著「思考・表現・コンピュータ あなたがあなたを救うには」(1998、現代書館)をもとに、私たちの目の前に立ちはだかる「問題」を、私たち自身が解決していくためにはどうすればよいのか、についてみていきます。

石川 博久(いしかわ ひろひさ)



■いったいどうするか?

 私たちの目の前に立ちはだかる「問題」とはいったい何なのか。このページは、

どうしたらいいのかわからないとき、いったいどうするか?

という疑問からはじまります。
 私たちは、どうすればこうした問題を解決していくことができるのでしょうか。

 問題の舞台となる現代の私たちの世界は、加速度をつけながら大きく変化し、より複雑化していっています。確固たるもの(スタンダード)が失われ、多様性と標準化、そしてそれを事細かに解説するマニュアルのあふれ返る狭間で、いったい何にしたがうべきかが、私たちには見えなくなってきています。
 一方で、技術の発展と情報化の進展により、コンピュータは単なる高速の計算機から、情報を貯えるデータベースや、情報をやりとりする通信のための道具、そして情報を自由に加工することのできる道具として、ますます人びとの生活に深く浸透してきました。それは、インターネットの世界に代表されるように、個人の表現力とコミュニケーションの能力を飛躍的に増大させ、デジタル世界に浸りつつある私たちひとりひとりに、劇的な質の変化をもたらしています。
 こうした時代の中で、私たちはいずれにしろ私たちの抱える問題に、何らかの答えを出していかなくてはならないのです。
 私たちは、こうした問題を自分自身で、それも本当に満足のいくかたちで、解決していくための手だて(「方法」)を、どうすれば手にすることができるのでしょうか。
 そのとき必要になるものこそ、これからみなさんとみていく思考と自己表現のための道具なのです。それは、目の前に立ちはだかる問題を理路整然と記述し、構築した体系を他の人に表現(伝達)し、そしてそれを実際に行動に移し、問題の解決を現実のものとしていく、私たちひとりひとりのためのパーソナルな道具です。

 このページのメインテーマである「方法」や「方法論」を考えるきっかけとなったのは、「環境問題」でした。
 家庭から地域、そして地球規模へと、あらゆる分野に拡大し複雑に絡み合う多種多様の問題。これらをいかにして解いていくか。しかも私たちは皆、それらの問題についての何らかの被害者であり、同時に加害者でもあるのです。つまりこうした問題は、私たちに深く根ざした、私たち自身の問題であるといえます。決して他人事ではないのです。
 したがって私たちがこれらの問題を解決し、本当の意味での充足を得るためには、私たちが自分自身の方法(解法のスタイル)を見出し、自分自身で問題を解いていかなくてはなりません。現代に生きる私たちに、常につきまとう疎外感や浮遊感を満足感に置き換えていくためにも、「自分流」の「方法」を見出すこと、つまり常に「自己表現」をおこなっていくということが、重要なのです。問題を解いて満足を得ようと思うなら、自己を表現して問題を解く必要があるのです。既存のマニュアルを鵜呑みにするのは他人表現であって、自己表現ではありません。
 「自分で考えて、それを表現し、そして実践すること」、そのための「方法」や「方法論」は、むろん「環境問題」だけにしか役立たないものではありません。その利用は、私たちを取り巻くありとあらゆる分野の問題に対して有効です。


■2つの手だて

 ここでは「方法論の方法論」という「思考」の分野と、「コンピュータ」による情報処理という実際の作業(「実践」の分野)の二つの側面から、私たちにとっての問題を解く手だて(「方法」)を探っていきます。
 「方法論の方法論」とは、問題を解決する「方法」を生み出す「方法論」を選択し、それを最適化していくための「思考」の技術です。
 そして「コンピュータ」とは、そうした「思考」や「知識の蓄積」を飛躍的に拡張し、私たちの自己表現や伝達を高度化することで、私たちの「方法論の方法論」を支援し、そこからの「方法」を実践する強力なツールとなるものです。
 「方法論の方法論」と「コンピュータ」は、「思考と自己表現のための道具」として、共に補い合うものです。そして両者を結び掛け橋のひとつが「オブジェクト指向」なのです。
 目の前に立ちはだかる問題にどうしたらいいのか分からなくなったとき、私たちが自分で考えて行動し、問題を解決していく手だてとして、それらは私たちにとってなくてはならないものなのです。


■ハウ・ツーではなく

 新しい方法や技術、特にコンピュータにかかわる仕事をしていこうとすると、私たちはどうしても一見おいしそうな(役に立ちそうに見える)ハウ・ツーやマニュアルに踊らされ、まためまぐるしく変わる「はやり」に右往左往しがちです。またそういった情報は、巷にあふれかえっています。
 しかし、たとえ情報処理の現場であっても、「問題を解く」ことの本質はコンピュータ技術、つまり今はやりのITそのものにあるのではなく、ITが生み出されてきた私たちの「ものごとのやり方」、「考え方」、つまり限られた条件の中での「方法論」にこそあるのだと思います。
 この本質こそが、問題を解決するために最も大切なことであり、それだからこそ、エグゼクティブは若手社員が新しいソフトを操り、何回なIT用語で会話することに脅威する必要もないわけですし、また誰にしてもデジタル・デバイドに過剰に反応する必要もないのです。


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