花に嵐、舞い散れ祷(いのり)

第一話


白く霞んだ景色がゆっくりと戻ってくる。それと共に普段は無いくらりという酩酊感。いや、そもそも普段は景色が飛ぶこと自体無いのだが。戻って来た景色は夕暮れ時らしくオレンジに染まってはいるが、その街並みはあくまで単調な色彩で派手な通りでは無い事を示している。資料通り、大きも小さくも無い街の繁華街から折れた脇道。見えた景色でそう把握したところで遅れて重力が付いてきて足を咄嗟に動かしたが、予想とは違う位置に大地があって、伸ばした足が地面を擦った。踏ん張ろうとしたものの、先程から襲ってきている酩酊感が駄目押しとなりぐらりと身体が傾いだ。ドサッと音をたててその身体が地面に転がる。咄嗟に出した手はちゃんと動いてくれたようでそこまでの衝撃は無かった。筈だ。が、視界がグラグラと揺れる。いや、視界ではなく脳がかもしれない。直ぐに立ち上がることはおろか、起き上がることすら出来そうにないくらいの目眩がどんどん悪化していく。油断すると意識が途切れそうですらある。
ヤバいな……。
良い大人がこんな場所で気を失って倒れているなんて、多少どころかかなりみっともない。酔った時ですらそんなことをしたことは無いのに、と必死に意識を繋ぎ止めようとするがぐらつきは良くなるどころか悪化する一方だ。けれど、こんな場所で意識を失う訳にはいかない。無様であるというのもあるが、それ以上に自分がここに来た理由が危険信号を発している。ここに来た理由―――未確認事象の調査、おそらく妖獣の仕業であるソレ。こんな場所で意識を失ったらそれこそどうなることか。少し先の通りからは人が行き交う気配がするところを見れば、差し迫った危険は無いのかもしれないが。まあ、差し迫った危険は無くとも夕暮れ時に行き倒れるというのは違う意味でも危険ではある。なにせ今の季節も解らないのだから。
「大丈夫?」
不意に頭上から声がして視線を巡らせてみると、人の膝が見えた。多分、男の。角度的にそこまでしか見えず顔を上げようとするが、もはやそれすら出来そうにない。声の感じからして若い男であることは解るのだが、果たして善人かそれとも悪人か。
「ホントに大丈夫か? つか、死んでねぇ?」
生きてるよ。勝手に殺すんじゃねぇ。
と、言いたかったのだが、口から漏れたのは小さな呻きだけだった。それでも、相手に声は届いたようで生きていることは伝わったらしい。
「あ、生きてる。けど大丈夫じゃなさそうだなぁ。どうしよ」
「―――?」
遠くから違う人の声がした。
「あ、コイツが……えっと、どうしよ」
立ち上がった少年は逡巡すると、直ぐにその手で倒れている身体を持ち上げた。
「今行く―――てか、コイツがさ」
ひょいと持ち上げられて完全に視界が回る。ぐらぐらと揺れる視界に映ったのは、少年の横顔。どこかで見たことがあるような、顔。纏まらない思考では誰だか解らず眉をひそめたその時、少年がこちらを見た。その瞳の色に、意識せず言葉が零れ落ちる。
「悟……空?」
「え?」
金色の瞳が驚いたように丸くなる。それと反比例するように、捲簾の意識は闇に溶けた。



ゆっくりと持ち上がった目蓋が、彼の覚醒を告げた。照明は点いているのだが、その照明自体がくたびれているせいか部屋は薄暗い。
「あ、目ェ覚ました!」
ベッドの直ぐ脇の椅子に背凭れを抱くように座っていた少年の嬉しそうな声で、一気に捲簾の意識が覚醒へと導かれる。しかしまだぼんやりしているのか、天井を見詰めたまま瞳は動かない。けれど、そんなことを気にしないらしい少年は椅子から立ち上がると、自分から彼の視界に飛び込んだ。
「気分どう? 良くわかんなかったから持ってきちゃったけど大丈夫だった?」
「……人を荷物みたいに言うな……」
「しゃべった!」
そりゃ喋るだろうよと天井から視線をずらせば、目が合った少年はニコニコと笑ってマイペースに話を続ける。
「あんなトコに落ちてるからさ、死んでるかと思ったんだぜ? あ、なぁなぁ、名前なんてゆーの?」
「名前……」
まだ頭がぼんやりしている彼は、一つまばたきをしたあとぼんやりと口を開いた。
「捲簾」
「捲簾か! あ、俺、悟空! よろしくな! ……て、名前はもう知ってるか。さっき呼んだもんな?」
「え」
その言葉に捲簾は意識を失う直前のことを思い出す。
見憶えのあるような顔、そして金瞳。
同じ、名前……? 偶然……?
「よろしくな、捲簾! でもなんで俺の名前知ってたんだ?」
「え……と、他のヤツにそう呼ばれてたから?」
意識を失う寸前誰かが何か少年に話しかけていたことを思い出し、咄嗟にそう誤魔化してみれば、悟空は納得したように頷いた。
「ああ、成る程〜」
なんとか誤魔化せたらしい。捲簾は小さく息を吐くと改めて悟空を見た。
茶色の髪に金色の瞳。無邪気な表情に人懐っこい笑み。
それは記憶にある金蝉のところの悟空そっくりで、けれど年齢だけが大きく違う。捲簾の記憶の悟空はまだ10に満たないが、この悟空と名乗る少年はどう見ても10代後半。同一人物と言うには余りにも歳が離れすぎている。けれど、別人だと言うには不自然なほど似ている。外見だけでなく雰囲気が。そう、捲簾の知っている悟空が成長したというのがしっくりくるくらいに。
成長した、だと…? 馬鹿馬鹿しい。他人の空似だっつーの。だいたいここは下界だっつー……。
くだらない考えを振り払うように少し首を振ると、捲簾は身体を起こした。先程までは天井しか見えていなかった室内は宿屋の一室らしい雰囲気で、時刻は夜らしく薄暗い。捲簾の居るベッドの隣には同じベッドがもう一つ並んでいてここがツインであることを示している。他の家具と言えばサイドボードに飾り気のないテーブルが一つと椅子が2脚だけ。その椅子に眩い金糸を確認して捲簾は視線を止めた。それとほぼ同時に椅子に座った男も顔を上げて捲簾を見た。その顔に捲簾が目を見開く。
眩い程の金糸の髪、紫暗の瞳、気品すら感じさせる整った顔、そして額のチャクラ。
―――金蝉……?
いや、少し若い、か? 髪も短けぇし。
それでも他人と言うには似すぎている。外見もさることながら、その雰囲気が。兄弟? ンな馬鹿な。アイツに兄弟なんざ居ねぇ。しかもここは……。
フンと鼻を鳴らすと彼は興味無さそうに捲簾から視線を外し煙草を口にくわえた。
「あー、もう、挨拶くらいしろよな、三蔵!」
「うるせぇ」
三蔵と呼ばれた男は心底どうでも良さそうに新聞を広げてしまう。けれど、混乱している捲簾はそれどころではない。
三蔵……て、三蔵法師か? つーことはコイツは下界と俺らを繋ぐ存在っつーワケで、下界の人間ってことだ。
それにしちゃ、似すぎてねぇ?
そして、この似ている二人が揃っているというのは出来すぎてはいないだろうか。
「なんだ、これ……」
「ん? なんか言った?」
思わず口から零れた捲簾の言葉が上手く聞き取れなくて悟空が聞き返すと、捲簾はいや、と唇を歪めた。
「あのさ、ここ何て街だっけ?」
「へ?」
念のため確認しようとそう捲簾が聞いた瞬間、三蔵が鋭い視線で捲簾を見た。
「えっと、なんだっけ?」
誤魔化している訳では無く単純に解らない悟空が困ったように三蔵を見ると、三蔵は新聞をテーブルに放って腕を組み捲簾を見詰めた。
「陽林という街だ」
「陽林……」
それは確かに捲簾が行こうとしていた街だ。と言うことは悪戯好きの副官によっておかしな場所に飛ばされたワケでも無さそうである。まあ、任務遂行中にこんな悪戯をするような人間でも無いのだが、普段の行いが行いなだけに思わず可能性を考えた捲簾だった。
と言うことはどういうことだろうかと、考えてしまう。けれど、自分が行こうとしていた街に到着しているのは事実なので、取り敢えずは外に出てみようと捲簾は思考を切り替えた。大前提のルールとして、下界の人間との接触は禁止だ。ならば他人の空似などで彼らに関わるのは懸命ではない。ベッドから降りようと掛け布団を捲ると、傍らに居た悟空がキョトンとした顔をした。
「どした?」
「や、世話かけて悪かったな」
捲簾がそう言うと悟空が慌てて身を乗り出してくる。
「まだ止めとけって! せめて朝になるまでさ! また倒れでもしたら」
「ンなヤワじゃねぇよ」
「けど、なんかあったらどうすんだよ!」
「大丈夫だって」
「ダメったらダメー!」
妙に強い反対にあって捲簾がどうしようかと眉をひそめたとき、部屋の扉が開いた。
「何を騒いでいるんです? 廊下まで聞こえてますよ」
「だって八戒、捲簾が」
「捲簾? ああ、この……」
「て、ん……蓬?」
「え?」
部屋に入ってきた人物に、愕然とした捲簾の口から言葉が零れ落ちた。呟きで上手く聞こえなかったため二人が聞き返したが、捲簾にはそんな事を気にする余裕は無かった。
髪は短く瞳も緑だけれど、顔も声も話し方も雰囲気も、捲簾の副官で上官の天蓬元帥そのもので。悟空と金蝉だけで無く、天蓬にそっくりな人物まで存在するとは。
ふと、サイドボードに置いてあったカレンダーが目に入る。日と月はいい。けれど、年が―――捲簾が記憶しているそれより500程多い。
……どういうことだ。
今居る場所は行こうとしてた街であってる。そして、このカレンダーが正しいとすれば……ここは、捲簾が居た時間の500年後ということになる。
「ンな馬鹿な……」
茫然と呟いた捲簾に、悟空と八戒が眉をひそめた。
「ホント、大丈夫かよ?」
悟空の心配そうな声に、捲簾はぼんやりとそちらに視線を動かす。
てことは、これは本当にあの悟空だってのか?
捲簾の知っている悟空が成長したかのような少年が、本当に成長した悟空とでも言うのか?
「おーい。捲簾?」
「もしかしたら倒れたショックで記憶が混乱しているのかもしれませんね」
心配そうに捲簾に話し掛ける悟空の後ろから、八戒も心配そうに捲簾を見る。
ちょっと待て。
これが500年先の未来だとしたら、コイツらは一体誰だ? 悟空の周りに俺らが居ないのは何でだ。ここが下界だからか? 悟空だけが下界で俺らは天界に? ンな事があるのか? それに―――天蓬ソックリのコイツと金蝉ソックリのアイツ。それが偶然悟空の傍に居るって? 偶然?
あり得無いだろ。
じゃあ、何故?
500年先に悟空と俺らソックリのコイツらが一緒に居るってことは、つまり?
と、部屋の扉が開いた。
「意識戻ったのか?」
言葉と共に姿を表した人物を見た瞬間、捲簾は解った。
「悟浄。意識は戻ったんですが……」
赤い色を持つ長身の男。……これは俺だ。
理屈だとか常識だとか、そんなものじゃなく解った。悟浄と呼ばれた人物は、自分だと。いや、正確に言うなら全く同じではない。明らかに違う人間だ。けれど、確かに、コイツは自分だと、捲簾には解った。
500年後に俺じゃ無い俺と、金蝉じゃない金蝉と、天蓬ではない天蓬と、成長した悟空が下界に居る。それはつまり……。
「俺は死ぬのか……?」
いや、自分だけじゃない。金蝉も、天蓬も、悟空を残して、死ぬ、のか。
茫然としたまま動きを止めてしまった捲簾に、最後に部屋に入ってきた悟浄も怪訝そうな顔をする。さっきから聞き取れはするものの呟きの意味が解らない悟空はしきりに首を捻りつつも、心配そうに捲簾を見ている。唯一三蔵だけはマイペースに椅子に腰掛けたまま、時折横目で見ているだけだが、聴力が人並みな八戒は呟きが小さすぎて良く聞こえず、首を傾げつつも、ただ事ではない様子に心配そうにベッドの脇に跪くと捲簾を少し見上げる体勢で口を開いた。
「大丈夫ですか? どこか痛いとか、無いです?」
相手に不安感を抱かせないようにと穏やかな声で八戒は続けた。
「親御さんに迎えに来てもらった方がいいですね。家はご近所なんですか?」
「や、近所じゃ……?」
条件反射で上の空のまま答えた捲簾は、何か違和感を感じて八戒を見た。違和感―――八戒の口調が、まるで子供に対するソレのような。そう思ってみれば、何故彼は跪いて話しているのだろう。普通大人に話すときにそんなことしないのでは?
「もしかして、遠くから来たのに親とはぐれちゃったんでしょうか? 何か連絡手段があるといいんですが……」
「……は?」
子供に対するソレのようなというより、そのまんま子供に対するソレに、捲簾が眉をひそめたとき、八戒が何かに気付いたように笑った。
「ああ、子供扱いしてスミマセン。つい癖で。貴方と同じくらいの歳の子を教えていたことがあるのでつい。そうですよね、子供扱いされたら不快ですよね」
「イヤ、そこでなくてな?」
思わず突っ込みかけた捲簾を綺麗にスルーして、八戒は笑顔で聞いた。
「参考までに、貴方はおいくつなんでしょうか?」
その瞬間、弾かれたように捲簾は八戒を押し退けてベッドを飛び降りた。突然すぎて八戒は勿論悟空すら反応できずに捲簾を見送ってしまう。が、少し距離のあった悟浄がいち早く反応して入ってきたばかりの部屋の扉を塞ぐように立つと、捲簾は何故かその手前にあった洗面スペースに飛び込み、そして扉も閉めずに鏡の前に立った。……立ったのだが。
安宿の洗面に全身を確認できる姿見があるわけは無い。当然そこには手を洗う為の洗面台と、その正面に鏡が付いていたわけだが、建物自体が古いためユニバーサルデザインなんて気にされている筈もなく、昔ながらの高さにある鏡が1つそこには設置されていた。そして捲簾はソレを覗こうとして…………覗けなかった。
「ッ!!???」
声にならない叫びをあげた捲簾を見て、三蔵一行は何をしているのだろうと思って揃って首を傾げた。
「……その鏡じゃ、身長足りなくて見えなくね? 椅子いる?」
気をきかせるようにそう言った悟空を弾かれるように振り返った捲簾は、その視線の高さに今自分が確認したものが事実であることを確認してしまった。
身長が―――縮んでいる。
それも、洗面台の鏡に映らない程。
ということはまさか、子供扱いされている気がしたわけではなく……。バッと鏡に向き直ると、捲簾は洗面台に張り付いて背伸びした。そうして初めて自分の顔が確認できる。と言っても鼻の辺りまでだが。
「マジで……?」
思わず誰にというわけでもなく聞いてしまう。と、いきなり抱き上げられて、捲簾は慌てて手に触れたモノを掴んだ。
「ほれ、これで見えるか? ガキんちょ」
赤い髪の男―――未来の自分が鏡に映るよう捲簾を抱き上げたのだ。バランスを取るためにその肩にしがみついたまま、捲簾は茫然と鏡に映った自分を見つめる。
知っている悟空よりは高い、けれど鏡には映らない程度の身長。ツンツンと立たせた黒い髪はそのままに、けれど明らかに幼い顔立ち。どう見ても子供の姿だ。遥か昔、嫌と言うほど見た覚えのあるそれに、無意識にしがみついていた手に力が篭ったのか、抱き上げている男が捲簾の背中を撫でた。
「まだ調子悪いんじゃねーのか?」
そう言って男―――悟浄は捲簾を抱き上げたまま部屋に戻り、捲簾をベッドに降ろした。まるで小さな子供にするように、ではない。子供なのだから。されるがままにベッドに座った捲簾は小さくなった自分の手のひらを見る。
子供になってる……。
とても信じられない。けれど、疑いようも無い事実しか見当たらない。
未来にタイムスリップした上に子供になった、て?
「ありえねー……」
茫然と呟いた捲簾は、一つ息を吐くと、取り敢えず考えるのを止めた。寝たら戻るといいなぁなんて逃避気味に思いながら。



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