貴方の腕で抱き締めて
【 act1】
「悟浄、指名〜」
雨のせいで客足が微妙な木曜日、まだ7時という早い時間なのも相まって客はほとんど居なくて、俺は待機室で携帯を弄っていた。ホントは待機室に居るより店内の待機スペースに居た方がヘルプなんかに入れるからいいんだけど、そもそもの客自体が少ないせいで店長の制裁も入らず俺の他にも数人が雑談なんかをしている。俺に声を掛けたヤツも休憩する気らしく奥のコーヒーメーカーの所へ歩いてった。
携帯をポケットにしまって店内に入るとマネージャーに声をかける。
「指名って誰?」
店内を見回しながら聞くが、俺の常連らしき客は見当たらない。
指名じゃなくてヘルプの間違い?
怪訝そうな顔をした俺に、マネージャーはバーカウンターから差し出されたボトルを突き付けた。
「5番。新規だ」
「新規で指名? パックじゃねぇの?」
「通常料金でかまわんそうだ。早く持っていけ」
変な客。と思いながらボトルをトレイに乗せようとして気付いた。
「リシャール!? コール入って無かったよな!?」
「静かに目立つことなく飲みたいそうだ」
「へぇ〜……」
ますます変な客……。
新規獲得の為にこういう店にはだいたい新規客用のプランってか、セットみたいのがある。うちの店だと2時間までの席代と安めの酒の飲み放題がセットになっていて、指名は出来ないがヘルプで客の人数プラスαのホストが必ず付く。当然破格の金額だし、新規だと指名したいホストなんてあんまり解らないからみんなだいたい最初はそれだ。それ狙いで店をハシゴしまくってるヤツもいるくらいだからそれ以外の客は珍しい。しかも俺指名って。
知り合いなのかなぁと思って遠くからテーブルを見るが、こっちに背を向けて座っていてゆるふわパーマのロングヘアしか解らない。テーブルの傍まで来て、俺は膝を折り頭を下げた。トレイを持ってるから多少崩れてはいるがまぁそれは勘弁してもらおう。
「ご指名ありがとうございます。悟浄です。本日はお会いできて嬉しいです、シンデレラ」
そこまで言うとクスクス笑う声が届いた。
「そんなにお客様って感じの接客しなくていいですよ。普通でいいです。あ、シンデレラは止めて貰えると嬉しいですけど」
ハスキーな声で柔らかく言われて俺は顔を上げた。ソファーに座っていたのは見たことの無い女。
スッゲェ美人……。
びっくりして言葉もなく見つめてしまう。透き通るような白い肌、くっきりとした二重の大きな黒目がちな瞳、通った鼻筋に柔らかく笑みを浮かべる赤い唇。ふわふわの髪は左耳の上で片側だけ白い花の付いた髪飾りで留められていて、背中の真ん中くらいまで伸ばされている。そこに白の編み模様が鮮やかなタートルネックのケーブル編みニット、長めのフィッシュテールスカートにナポレオンジャケットを羽織って、胸の辺りにはカプリウォッチを模したキラキラと輝く石が嵌めこまれた金色のネックレスをしている。非の打ち所の無い美人。この業界でキレイなヒトには慣れている俺でさえ、言葉を失うレベル。
と、俺の視線の先で女が首を傾げた。
「どうかしましたか?」
その言葉にハッとして、ようやく俺はトレイの上に乗っていたボトルをテーブルに乗せた。
「スミマセン。お客様があまりにキレイで見とれてしまいました」
「天ちゃん」
「は?」
「天ちゃんって呼んでください。それから、敬語もいりません」
「えーと……」
変な客。タメ口でいいならそりゃ確かに楽だけども。
「ほら、早く座ってそれ開けてください」
どうしようかなぁと思いつつトレイに乗せていた物を全てテーブルに移し、トレイを通りかかったウェイターに渡すと、俺はニコニコと自分の隣を示している『天ちゃん』の隣に腰かけた。
「んじゃ、天ちゃん、酒の濃さは?」
「キツめでお願いします」
言われた言葉通りタメ口で聞いた俺に気を悪くした様子も無く、天ちゃんはニッコリと笑った。
仕事中っても普段からそんなに気を使った接客をしているつもりも無いが、それにしたって今日は楽過ぎる気がする。気が合うといえばそうなんだろうが、それにしたって初対面でこの気安さはなんかおかしくないか? 僅かな違和感を感じながらも表には出さずにグラスが空くと同時に新しく作った酒を天ちゃんの目の前に置いてやると、ニッコリ笑って礼を言ってくれた。
「ありがとうございます。悟浄ももう一杯どうです?」
「ん、貰う。サンキュ」
「いえいえ。好きなだけ飲んでくださいね。足りなかったら新しいボトル入れますから」
「……そんなに大盤振る舞いしちまって平気なん?」
「平気ですよ〜。これでも高級取りなんです」
初対面なだけに相手の懐具合が解らず、思わず言うと相手は楽しそうに笑う。高級取りっても、ピンキリだと思うのね……。天ちゃんがすでにオーダーしてるだけでも軽く100万は越える。酒の値段を解らずに注文してるんじゃなけりゃいいんだけど……。支払えませんでしたじゃ済まない。それに、真面目に100万単位を一晩で使えるのなら他にもっと楽しめる店があるんじゃないかと思う。自分のいる店を卑下する訳じゃないが、あくまでここは普通のOL層がメインターゲットだ。その分値段設定も安ければホストの質だって低い。どちらかといえば気軽さがウリだ。俺みたいな接客でもやっていけるくらいの。それに比べて相手はこの身なりにこの雰囲気だ。加えてそんだけの財力があるなら銀座あたりのがふさわしいんじゃないだろうか。ホストクラブに慣れてない訳でも無さそうなのに。
「ところで悟浄は一人暮らしなんですか?」
煙草を出しつつ天ちゃんが聞いた。さっきから色んな話をしてはいるものの、わりと俺のプライベートへの質問が多い気がする。不快にならないレベルだけど、初対面でそこまで興味を持たれる理由が解らなくて少し警戒してしまう。会ったこと無いと思うんだけどなぁ。こんな美人、一度会えば忘れるワケがない。火を差し出すと天ちゃんは直ぐに煙草を寄せて来た。
「一応一人暮らし、なのかなぁ?」
「疑問系なんですか?」
「居候みたいなヤツが居るんだけど、完全に住み着いてる訳でもねーの」
「恋人です?」
「ちげーよ。ただの腐れ縁。恋人は別〜」
「おや、恋人が居るって公言していいんですか? ホストなのに」
「俺そういうのオープン派だから。勘違いさせたくないし?」
「悟浄は優しいんですねぇ。イイ子です」
なぜか頭を撫でられた。
「天ちゃんは? 一人暮らし?」
「そうですよ〜」
「恋人はいないの?」
「いませんね。悟浄みたいなカワイイ子が恋人になってくれると嬉しいんですけどね〜」
「カワイイよりカッコイイって言って欲しいんですけどー」
「アハハ。そんなところがカワイイんですよ」
カワイイ言うな。男がカワイイって言われても嬉しくもなんともない。てか、最近良くカワイイって言われてないか、俺。なんでだ。
「ちなみに悟浄の恋人って、どんな人なんですか?」
「ん〜? スッゲェエロいヒト」
ニヤリと笑って言えば、天ちゃんは目を丸くして数度まばたきをした。この質問をされるのは初めてじゃ無いから既に答えは用意されていたりする。常連の女たちにも散々聞かれたからな。そんでこう答えるのが一番納得されたのだ。ついでに嘘でもねぇしな。
「ふぅん? エロい人好きなんですか?」
「好き。キモチイイコト大好きだもん」
「キモチイイコトしてくれるから好きなんですか?」
「え、いや、そういうワケじゃねぇけど」
なぜか妙に食いついてくるな。普通最初に答えた辺りで笑われて終わるのに。
「じゃあどんなところが好きなんです?」
困ったな。これ下手なこと言えねぇわ。天ちゃんは顔こそ他意は無いが逃してくれる気配は無い。なんでだ。初対面で惚れてのめり込んでなんて風でもないし、そもそもそんなことはそうそう無い。新規での俺指名といい、コイツ明らかに俺のこと知っていてその上でこの質問してる。俺のこと探ってる? なんで? 何のために? しかも恋人の話題に一番強く興味を示してるって、ストーカーかよ。けど、俺のこと好きって感じには見えないんだよな。どっか壊れたような愛情って会話すりゃ解ると思ってるんだけど、固執してたり妙な思い込みをしているようなそれはない。アノヒトみたいな、狂気の色は、無い。
思わず言葉を選んだ俺を気にした様子も無く、天ちゃんは自分の煙草のパッケージを俺に差し出した。
「どうぞ」
「あ……、サンキュ」
客から出されたものを断るワケにはいかない。余程の理由が無い限り。しかもたかが煙草だし。飛び出てる一本を口にくわえると天ちゃんが火を差し出してくれる。顔を寄せ空気を吸いながら火をつけると、甘い香りが漂った。いつものとは違う煙が肺を満たしていく。少しくらりとした。なんだろ、これ強いのかな。
すっと天ちゃんの指がテーブルを撫でた。
「ね、悟浄。教えて。恋人さんのどんなところが好きなんですか?」
柔らかな声が脳を犯す。見えない膜が張られたように思考が鈍くなる。
「……全部好き」
ポロリと勝手に言葉が零れ落ちてた。
「それはまた、惚れ込みましたねぇ。じゃあ逆に嫌いなところなんかはありますか?」
「無い」
即答した俺に天ちゃんは複雑そうな顔をした。
「悟浄は今のままでいいんですか?」
今のままってなんだろ。好きなヒトと恋人同士になれてるんだからそんなの当たり前だ。そりゃ相手のコトは何も知らないけど。……ほとんど、あんまり、会えて無いけど。でも、それでも。
「うん。今のままでいい」
好きなヒトの恋人でいられるコト以外に望むコトなんて無いから。
白くて長い指がテーブルを滑った。視界にそれが写った瞬間、店内に流れていた音楽とざわめきが耳に戻ってくる。膜が剥がれ落ちたかのようにクリアになっていく視界で、天ちゃんはニッコリと笑って灰皿を俺に差し出した。
「灰が落ちますよ」
「え? あ」
慌てて煙草を灰皿の上に移動させ、少し考えてからそのまま揉み消した。なんだろ。バッドトリップじゃないけど、似たような感じ。ぼーっとしてただけ? 記憶飛んでなきゃいいんだけど。俺何か変なこと言ってないよな?
「ところで同居人さんて、男性なんですか? 女性なんですか?」
普通に会話が続いてて、俺は慌てて意識を戻した。そうだ、客はまだ帰っていない。今はとりあえず仕事に集中しないと。
「男に決まってんじゃん。女だったらそりゃもう同棲だろ?」
「どんな方なんです?」
「ん〜、なんでも背負っちまうタイプだけど、芯は強いヤツだな」
「同級生とかです?」
「うんにゃ。タメだけど知り合ったのわりと最近だし」
「最近と言っても、同居する程度の時間は経ってるんでしょ?」
「まぁ、そろそろ4年?」
「結構経ってるじゃないですか。って、あれ? 悟浄は今歳おいくつなんですか? 若そうですけど」
「21。でも俺高校行ってねぇからさ」
「おや、そうなんですか」
「そーなのよ。てか、俺のことより天ちゃんは? いくつなの?」
「女性に歳を聞くなんて、いけない子ですね」
「ぇ〜、お姉さまの年齢知りたいな」
「仕方ないですねぇ。29歳ですよ」
「若いのに高級取りなんだ? どんな仕事してんの?」
「しがない会社員です」
「専門職?」
「ある意味そうですね〜。資格とかは特に要らないんですが、専門知識なんかはかなり要ります。しかも完全成果主義なので、評価されるのは結果だけ」
「うわ、シビア」
「でも楽しいですよ。評価が解りやすいですから」
「ああ、それはそうかも。でもそう思えるってスゴいな」
「凄くはないですよ。単に性格的な問題じゃないですかね」
笑っている天ちゃんの視線が伏せられ、左手首の時計に向けられた。
「そろそろ帰らないとです」
「そっか。残念だな」
「本当です。もっとお話したかったのに」
残念そうに天ちゃんが言うのを見ながら精算のためのウェイターを呼ぶ。天ちゃんには悪いが、正直ホッとした。ウェイターに会計を任せ、俺はクロークに天ちゃんのコートを取りに行く。テーブルに戻るとちょうど支払いが終わったところだった。カードじゃなくて現金で。頭を下げて札束をトレイに乗せウェイターが戻って行くのと入れ替わり天ちゃんに手を差し出す。
「ありがとうございます」
ふわりと微笑んで天ちゃんは俺の手を取り立ち上がった。ずっと座ってたから気付かなかったけど、天ちゃん背高ぇ……。びっくりした。女なのに俺とあんま身長変わんない。俺184だぜ? チラリと足下を見れば靴はヒールが無いのを履いているようだ。まぁ、こんだけ身長あればヒールは履けないだろうが、この身長にこの顔って、会社員じゃなくモデルでもやった方がいいんじゃなかろうか。
店の入り口まで誘導してコートを羽織らせてやると、天ちゃんは振り返った。
「今日は楽しかったです。また来ますね」
「うん、待ってる。お見送りのキスいる?」
「いります。ほっぺにお願いします」
「了解」
天ちゃんの肩をそっと掴んでその頬に唇で触れる。
「待ってるから」
「はい。それじゃ、また」
天ちゃんはそう言って帰っていった。
午前3時。仕事を終えてタクシーで家に帰ると、珍しく部屋に灯りが点っていた。
俺は一応一人暮らしだが、居候が一人いる。ソイツは完全に住み着いてる訳ではなく、月の3分の2くらい住み着いていて、残りは自宅に帰っているわけだが家の鍵は渡してあるし、そもそも俺が家を出るときに居たのだから今日居るのは当たり前だ。けど、こんな時間に起きているのは珍しい。同居人は真面目な大学生なので平日は朝から夕まで授業があり、基本俺が帰ってくる頃にはすでに寝ているのだ。出逢った当初ならともかく、付き合いも4年になると適度な距離の取り方も力の抜き加減も身に付いているわけで、相手も無理して俺を待ったりはしない。アイツ用の部屋もちゃんとあるから電気つけっぱで寝てることも無い。築40年の木造2階建てのアパート。古いのと駅から遠いのとでかなり安いこの物件に俺は15の時から住んでいた。ギシギシうるさい錆びた階段を登り、すぐの扉にカギを突っ込む。ヘアピンでも開けられそうなソレを開いて静かに扉を開くと、中から明るい光と暖かい空気が溢れた。
「ただいまぁ」
「おかえりなさい。外寒かったですか?」
入ってすぐのダイニングのテーブルで本を読んでいた同居人は、顔を上げて微笑んだ。鮮やかな緑の瞳の美人さん、名を八戒という。
「大分冷えてきたかも」
「じゃあそろそろコート出さないとですねぇ。あ、何か飲みます?」
「んー、お前まだ寝なくていいの?」
「明日、入試の関係で大学休みなんですよ。学生は敷地内立ち入り禁止で研究室にも行けません。ですから、たまには貴方を待ってみようかと思いまして」
「俺が女のトコ遊びに行って帰ってこなかったらどうするつもりだったのよ」
「その時はその時です。まぁ、本に飽きたら寝ようとは思ってましたし」
「そか。じゃあさ、久々に二人で飲まねぇ?」
「いいですね。じゃあ僕はつまみを用意するんで貴方は着替えてきてください」
「おー、頼むわ」
自分の部屋に入りクローゼット代わりにしている押し入れを開ける。着ていた服は酒と女の匂いが染み付いているのもあるし、ホストが同じスーツで毎日仕事に行くわけにもいかないしっつーことで、一回着たらまるごとクリーニング行きだ。脱ぎ散らかすと怒られるから脱いだら洗濯機の隣に設置されているランドリーボックスに突っ込む。そうすると几帳面な八戒が勝手にクリーニングに出して、あまつさえ受け取って来て押し入れの中に吊るしておいてくれる。何気に家の家事はコイツが全部やっていたりする。別に俺も出来ない訳じゃないが、雑なのといい加減なのとで八戒が切れて、それ以来コイツは自分の役目とばかりに家の家事を引き受けている。タダで転がり込んでいる代金のつもりなのかもしれないが。つっても家賃や電気ガス水道代なんかを貰ったことは無いが、代わりに日用品や食料品、タバコの代金なんかは逆に八戒が全て出しているから割と折半されてるんじゃないかと俺は思っているのだが。押し入れから適当なシャツとジーパンを出して着ると、俺はそのままダイニングに戻った。安アパートに洗面所や脱衣場なんてモンは無い。ダイニングに風呂はくっついてるし、洗面台も洗濯機もダイニングの一画だ。それでもトイレと風呂は別だからこれといって不満もない。脱いだ物を八戒設置のランドリーボックスに入れて洗面台で手を洗い、そのままイスに座った。テーブルには既に砂肝やらレンコンとチーズの揚げたのやらがのっている。相変わらず手際が良い。じゃあ俺は酒でも用意すっか。冷蔵庫からビールを出して、それだけじゃさすがに足りねぇから戸棚から適当にブランデーやらウイスキーやらを取り出すと、八戒が枝豆と氷とグラスをテーブルに置いた。
「んじゃ、飲もうぜ」
「ええ」
二人でイスに座って、俺はビールを、八戒はウイスキーをロックで用意し互いにソレをコツンと当てた。
「旨〜」
ゴクゴクと喉を鳴らしてから満足げに言えば、八戒は呆れたように笑う。
「店の方が良い酒なんじゃないんですか?」
「そうだけど、あれは仕事中だしさ」
良い酒かどうかより誰とどんな状況で飲むかの方が俺には大切だ。
「お前と飲むの好きよ」
「それはどうも」
ウインクしながら言った俺にさらりと返して、八戒は空いた自分のグラスにウイスキーを注いだ。お互い手酌の方が楽だからいつも通り。俺がシェイカーとか振れればまた話は別なんだろうが、そこまでの腕は無い。昔バイトさせてもらってた店でまた修行でもさせてもらおうかなぁ。
「ぁ、そーいや今日変な客来てさ〜」
「変な客?」
「スッゲー美人のオカネモチさんなんだけど、なぜかうちの店に来て俺を指名してったの」
「お知り合いですか?」
「いんや、初対面。謎だよなぁ」
「入り口の写真で気に入ったんでしょうか?」
「なのかなぁ? 普通にリシャール入れててさ、ビックリしたわ」
「それは驚きますね。あれ、店だと100万越えません?」
「越える越える。うちの店じゃ珍しいタイプの客だったわ」
「裕福な家の方でしょうかね?」
「や、そんな感じじゃなかったんだよな。口調は敬語だったけど、俺にはタメ口で話せって言うし」
「貴方のお客さんって、そういう方多いですよね」
「まあね。でもあんなに質問責めされたのは初めてだわ」
「質問責め?」
「なんかな、プライベートのこと色々聞いてきてさ。一人暮らしかとか恋人はいるのかとか」
「それ明らかに狙われてません?」
「かなぁって思ったんだけど、なんか違う気ィすんだよな。だから謎で」
「へぇ。それは確かに謎ですね」
少し考える素振りをした八戒は、何かを思い出したようですぐ顔を上げた。
「…………そう言えば最近貴方、余り女性と遊んでないんじゃないですか?」
「へ? 急にナニ?」
「いえ、最近いつもこのくらいの時間には帰ってくるじゃないですか。今日もですし。以前だったら女性のところに転がり込んで朝帰りとかザラだったのに、調子でも悪いんですか?」
正直ビックリした。一緒に暮らしてるといっても俺が帰ってくる時間には八戒はいつも寝ているわけで、まぁ、コイツ眠り浅そうだからワザワザ起きてこないだけで目は覚めてたのかもしれないけど、それにしたって把握されていたとは。
「え、いや、うん。調子が悪いわけじゃねぇけど……」
別に調子が悪くて遊んでない訳じゃない。けど……。理由を告げようか少し迷った。店ではオープンにしている恋人の存在だが、実は同居人であり親友みたいな存在の八戒にはまだ告げてはいなかった。秘密の関係なんて言う気は無い。けど何となく言うタイミングが無くてズルズル来ていたのだった。まぁ、これも良い機会かもしれない。
「あんな、実は恋人出来たんだわ」
「おや、またですか」
普段通りに八戒が言った。そりゃそうだ。俺に恋人が出来るのはこれが初めてという訳じゃない。むしろ恋人が居ない時の方が短いくらいだ。別れては告られて付き合ってまた別れる、の繰り返し。いつも遊び止まりで1度として本気になったことはない。それでもいつでもなんとなく居た恋人という存在に、八戒は複雑そうな顔をしつつも止めることは無かった。一応同居人のような立ち位置だから帰ってこない日が増えるだろう恋人の存在を、俺はいつも八戒に報告していたのだ。今までは。
「それで最近女遊びが控え目なんですね」
「うん、そう」
今までは恋人が居ても女遊びはしてたけどな。さすがにセックスまでは余りしてはいなかったが、基本的に束縛されるのは嫌いだし、そういう流れの時だってあるじゃん? つー感じで恋人が居ようが居まいがあんまり関係無かった。告られた時に相手にはちゃんとそれを言ってあるし、それを了承してくれる相手としか付き合ってはいない。俺にとって恋人ってのはただのステータスかアクセサリーだった。
「いつから付き合い始めたんです?」
「んー……。そろそろ1ヶ月くらい?」
さすがに八戒は驚いた顔をした。そりゃそうだろう。今までは付き合い始めた当日か翌日には八戒に報告してたし、それに、1ヶ月もあれば2、3回相手が変わっていても不思議じゃない。
「珍しく続いてますね」
「まぁ、ね」
俺は曖昧に返した。確かにそれだけ聞けば俺にしては続いていると思うだろう。けど、実情は少し違うと言うか。
「貴方のことだから例のごとく年上なんでしょう?」
「うん、多分」
「多分?」
顔を上げて俺を見た八戒の視線を受け止められなくて、俺は枝豆の殻に視線を流した。
「年上だと思うんだけど、正確な歳知らねぇんだわ」
「……貴方、付き合う相手の事くらいもう少し興味を持ったらどうなんですか?」
「はは」
心底呆れたような八戒のセリフに俺は肩を竦める。いつも俺は相手に興味を持っていなくて、相手のことはほとんど知らなかった。告られたから付き合ってはみるものの、どうしても本気にはなれなくて、結果知ろうという努力すらせずに終わる。八戒はそれを知っているからこそのこのセリフなのだ。まぁ、今回はちょっと違うんだけど……。
「でも、1ヶ月も秘密にするなんて珍しいですね。どんな人なんですか?」
「あー、うん。……その、えっと」
八戒からこんな風に聞いてくるのは初めてで、俺はどう答えたら良いか悩んでしまった。正直に全部話すべきなんだろうか。困った。深く聞かれるなんて思ってなかった。店で答えてるみたいな返答ではぐらかすのは結構チャレンジャーだし。笑顔のブリザードが容赦なく俺を襲う気がする。ぶっちゃけ、付き合ってるといっても俺は恋人の事をほとんど知らなくて、どんな人か聞かれてもこうだと言えるものがないのだ。1ヶ月付き合っていると言っても、その間に会えたのはまだ一桁だし、メールのやり取りくらいしかしていない。それだって、日に数回といったレベルで会話になんかなっていない。いや、それ以前に一つ八戒に言いにくいことがある。言いにくいというか、いつか言わなきゃならないんだろうが勇気が出ないというか。八戒は、俺は親友みたいなモンだと思っているし、言葉にするのは恥ずかしいし苦手だが、コイツのことは結構気に入っている。だからあんま隠し事はしたくないわけだが、それと同時に嫌われたくないとも思っている。同居なんて俺はそうそう出来ねぇよ。そんだけ懐に入れてる人間に軽蔑されそうなことはあんまり言いたくは無い。けど、いつか言わなきゃなら早い方が良いんだろうな。黙っておいて後で拗れるよりは早めに言うべきだろう。
「あのさ、相手、な」
「はい?」
「男、なんだわ」
八戒はたっぷり1分程固まった。
「はい?」
「イヤ、だから、相手男なの」
八戒の気持ちが解らないわけではないので、俺ももう一度繰り返した。そりゃなぁ、同居までしてる親しい同性の友人の恋人が同性だったなんていきなり言われてもなぁ。
「……あの、貴方、ゲイだったんですか?」
「違うハズ……」
「でも、恋人は男性だと」
「まぁ、そーゆーコト」
思わず絶句した八戒になんだか申し訳ないような気分になってくる。
「黙ってて悪ィ。けど、やっぱお前に隠し事したくなくてさ。…………その、気持ち悪ィよな」
いくら八戒に許容力があるといっても、事と次第によるだろう。同性が恋人ということは、性欲の対象でもあるわけで、そんな相手と同居していたなんて知ったら自分だって激しく動揺するだろうし、ぶっちゃけ嫌悪だって湧くかもしれない。こればっかりは個人の価値観だから俺には反応を待つことしか出来ない。黙って八戒を見つめていると、漸く混乱から抜け出せたらしい八戒は、苦笑して俺を見た。
「まぁ、びっくりはしましたが……」
思ってたより普通に話し出されて俺がビックリした。八戒の手のなかでカランと氷が音をたてた。
「でも、女性専門の貴方が付き合ってるくらいなんですから、本気なんでしょ?」
「うん」
「良かったじゃないですか。おめでとうございます」
ああ、コイツやっぱり懐広いなぁ。そんで、俺のコト良く見てるなぁ。今まで本気になれなかったことも、今回初めて本気で人を好きになったことも解って祝ってくれてる。照れ臭いくらい、コイツとトモダチやってて良かったって思った。
「アンガト」
持っていたビールをあおって空にすると、俺は新しいビールのプルタブを開けた。
「でもそれだったら余計にどんな方なのか気になりますね。いい加減な男に悟浄はあげられませんよ?」
ふざけて言う八戒に、ビールで噎せそうになった。
「バカ、何言ってんだよ」
口元を拭って八戒を小突く。可笑しそうに笑う八戒に、俺も思わず微笑んだ。こんな風に話せる相手がいるってのは、嬉しいもんだな。だから、ついつい口が軽くなった。
「つっても、あんま良く知らねーんだけどさ」
「え?」
「ほら、前に言ったうちの近くの店でホストやってる捲簾ってヤツなんだけどさ」
以前女を捕られてって八戒には話したことがあるから、多分コイツは覚えているだろうと思いそう言うと、八戒はやはり覚えていたようでああと言う顔をした。
「前に言ってましたね。ホストですか」
まるで娘の彼氏を語るかのような口調で言われ、俺は思わず吹き出した。かわいい娘ならホストと付き合ってるって聞いて複雑な気持ちになるのもわかるけど、俺はデカイ男な上に俺自身もホストなわけだし。
「ま、捲簾は俺と違って週1しかやってないけどな。本職は他にあるみたいだし」
「はぁ。本職は何をされてるんですか?」
「さぁ?」
俺の答えに八戒が呆れたような顔をした。
「捲簾さんて、本名なんですか? 源氏名とかじゃなくて?」
「さぁ?」
「……付き合って1ヶ月っていいましたけど、あんまり貴方外泊してませんよね」
「うん。あんまり会えてないし」
「は? どうしてです?」
「さぁ? 本職が忙しいんじゃね?」
理由なんて聞いたことも無い。そんな俺の返答に八戒は苦虫を噛み潰したような顔をした。
「……悟浄、貴方遊ばれてるんじゃないでしょうね?」
「………………さぁ?」
「ちょっと……」
グラスをテーブルに叩きつけて八戒が身を乗り出した。コイツは本当に情に厚い。1ヶ月も恋人が出来たことを黙っていた俺なんかとは違って、心底俺を心配してくれているのだ。もういい歳してるんだから恋愛なんて自己責任だろうに、突き放しもしないで不信感を露にしてくれる。思わず笑うとますます八戒は不愉快そうに顔をしかめてくれて、俺は苦笑してしまった。
「俺が教えてくれなくても良いって言ったんだって」
「ちょっと、貴方」
肩を竦めると八戒の表情が少し変わった。何がどうって言われても上手く説明出来ないけど、さっきまでの捲簾に対する怒りに似た表情ではなく不信感を露にしたような、多分俺に対する何か。だから思わず俺はそれを遮った。
「遊ばれててもイイの。恋人だって言って貰えてさ、遊んで貰えるだけでも俺は嬉いんだからさ」
笑って言ったのに、八戒から返ってきたのは沈黙と批難するような視線だけだった。
|