31.Jan.03 Bolzano - Haus der Kultur
Triesteのホテルを7時少し前に出てBolzanoの劇場に10時半頃に着いた。
“凡てのイタリアがイタリアとは限らない”
ハッキリ言って此処Bolzanoは、イタリア共和国内にあるがイタリアの文化圏ではない。地名もイタリア語の“Bolzano”よりもドイツ語系の“Bozen”の方が多く見られるし、劇場の今迄とは全く違って日本の会館によくある綱場もあるし(日本の劇場はドイツ型が多い)、シーリング・ライトもある。又今回のTourで初めてまともなバレエマットで(今迄破れていたり、欠けていたり、波打っていたりした)ちゃんとセンター割りで引いてあり(勿論今迄のイタリア人はそんな事を気にしてマットを引いてはいなかった)、しかも綺麗で何とイタリア人の癖にマットに埃を綺麗に拭いてからテーピングしていた。
此処の綱場のロックの方法は、日本では見た事のない方法で、写真で御覧の通り簡単な金具で押さえて終わりである。写真の金具以外の何物も使用してはいない。バランスさえちゃんと取っていれば、全く問題ないとは主が、理屈で分かっていても何となく心許ない。
写真左から綱場、綱場の綱を簡単な金具でロックしている、初めてシーリングライトがあった、装飾の少ない客席
Bolzano(Bozen)は、直線で25q程北上するとスイスもしくはオーストリアと言った所にあり、至る所にドイツ語系の表記が溢れている。劇場だけでも“Teatro”ではなく“Theater”だし、劇場の入口のドアには“Ziehen”と書いてある。又劇場の平面図はドイツ語の下にイタリア語が書いてあり、劇場の操作盤のボタンは凡てドイツ語だ。因みに音響室に貼ってあった手書きの年間スケジュール表もドイツ語だった。又昼食を食べに入ったレストランも、夜ピザを食べに入ったレストランも(どちらもリストランテとは何処にも書いてなかった)メニューは、左がイタリア語で右がドイツ語だった。此処でドイツ語でWineListの事をWineKarteと言う事を知った。これだけドイツ語が溢れているのに皆イタリア語を話していると云うのもおかしな感じがする。他の地方のイタリア人が居なくなったらドイツ語を話すんだろうか?
写真左から劇場平面図(よく見て頂くとドイツ語とイタリア語か書いてある)、音響室にあったスケジュール表、劇場入口(Theaterと表記されている)、操作盤のボタン(矢張りドイツ語表記)
本日の劇場は、先程も書いた様に設備もドイツ風だが、外観内装も(私はその辺りの事は無知だが)モダニズム辺りの影響を受けていそうなドイツ風で無駄な装飾はなく質実剛健と云った感じである。どんなにモダンな感じがしても必ず何処かに飾りっ気のあるイタリア風とは似ても似つかぬ、と云った感じがする。
舞台もRomeのテント以外では初めて八百屋ではない。Triesteがとても広かったので入った瞬間は、とても狭く感じたがCarpi、Legnago、Mestre等と同じクラスでその差は少ない。一番近いのはLegnagoかな。袖中もそこそこあるし、舞台の大黒の裏も広く使えて良い。そして劇場の人も親切!
開演予定時間は9時。サンドラ曰く「この劇場は9時開演と言ったら普通チャンと9時に開演する」との事でこの辺りにも時間厳守のドイツ人気質を感じる。その割りには(今回のTourでは初めて)開演前の挨拶があったのだが、その人が喋り出したのが9時6分で5分近く喋っていた。喋り出したら止まらないのも、結局時間厳守になりきれないのもイタリア人であった。この辺りにイタリア人の血が流れている事が分かる。
舞台は大好評!反応は少しクールに思えたが、受けていた。観客との距離が近い事は良い事だと思う。