30.Jan.03    Trieste - Teatro Rossetti
 
昨日に続いてトリエステ。
 昨日何も書かなかったので、街と劇場について少々。

 Triesteを知っている日本人は少ないと思う。Triesteはイタリアの最東部にあって、地図で見ると丸で旧ユーゴスラビア(現スロバキア)の海岸線に割り込んだ様な処にある。東側はスロバキア、南側はクロアチアに面している。来る前に想像していたよりも遙かに大きな都市で驚いた。メインストリートは広くて片側3車線ある。然し斜面にある街なので一歩路地を入ると道は狭く「よくこんな処を車で入るなあ」と感心してしまう。しかも駐車車両も多い。運転したくない街である。街の正しい大きさは不明であるが、今回のTourで来た中ではローマに次いで大きい感じがする。印象は古くからある大都市と言った所だ。兎に角坂が多い。私が見た限りにおいてはこの街に平面はない。高い丘の上に登ると(私たちは大きな病院らしき建物の建っている丘の上から見た)スロバキアやクロアチアの街灯りが見える。「結構明るいんだなあ」と感心していると、アンジェロ曰く「ユーゴスラビアのカジノだ」そうだ。そのカジノの灯りがすぐ近くに見える程スロバキアにもクロアチアにも近い。街を歩く人々の中にもイタリア人よりもスロバキア系クロアチア系に近いと思われる顔の人が結構いる。(Sは、本日の終演後「クロアチアでは公演しないのか?」と訊ねられたそうだ)

 劇場は大変美しい。特に客席は、今迄入った事のある劇場の中でも最高に美しい客席の一つだと思う。壁は深い青で、天井には雲が描かれている。最初に見た印象は、「美しいが一寸暗いなあ」であった。だが客入れの状態では、天井に仕込まれた数多くの小さな電球に灯が入れられ満天の星空となるのだ。そしていよいよ開演の時には、客電は徐々に消されてゆき、最後に星空だけになり、その星も消えて客席が闇に包まれると舞台の幕が開くと云った演出になっている。美しい幕開けである。一寸詰まらない物は上演出来ない感じである。



 
名古屋が無理だとしても日本の何処かにこういう美しい劇場が欲しいと思う。背負っている歴史が違うので街から浮いてしまいそうな気もするが明治時代には日本の地方都市にも多くの西洋建築が建てられたし、それ以後もアールヌーボーやアールデコ様式の建築は多く建てられ、街に馴染んできたと思う。チャンと考えて建てれば変な物は出来ないと思う。
 話は一寸逸れるが、昨年秋位から揉めていた某小学校の件はどうなったんだろうか?この小学校の件は最近の事でニュースでも取り上げられたが、日本にあった西洋建築(日本建築でも多くはそうなのかも知れない)の名作の殆どは知られぬまま破壊され、消えていった。10年以上前の週刊ポスト(だったと思う)に海野弘氏が連載していた物にその辺りの事が書いてあった。「光の街 影の街 −モダン建築の旅−」という本に纏められているのでご興味のある方はお読み下さい。

 さて本日のパフォーマンスも受けていた、と思う。大きな劇場で2日目なので満席までには一寸遠い入りであったが、ご来場のお客様には受けていたと思う。出入り口近くで操作しているSのと頃には「クロアチアではやらないのか?」「次は何時来るんだ?」「何処へ行けば音楽は入手出来るのか?」等多くの質問が来たと云う事なので大いなる関心を抱いてお帰りになった方が数多くいたのであろう。

 (来年のTourのオファーが来た、との情報もあり)

 ※2月12日16:00〜17:00の10分位の時間ですが、NHKに出演されるそうです。御覧下さい。
Jan28_to_Feb03 Topへ
31.Jan.03    Bolzano - Haus der Kultur
 
Triesteのホテルを7時少し前に出てBolzanoの劇場に10時半頃に着いた。

“凡てのイタリアがイタリアとは限らない”
 ハッキリ言って此処Bolzanoは、イタリア共和国内にあるがイタリアの文化圏ではない。地名もイタリア語の“Bolzano”よりもドイツ語系の“Bozen”の方が多く見られるし、劇場の今迄とは全く違って日本の会館によくある綱場もあるし(日本の劇場はドイツ型が多い)、シーリング・ライトもある。又今回のTourで初めてまともなバレエマットで(今迄破れていたり、欠けていたり、波打っていたりした)ちゃんとセンター割りで引いてあり(勿論今迄のイタリア人はそんな事を気にしてマットを引いてはいなかった)、しかも綺麗で何とイタリア人の癖にマットに埃を綺麗に拭いてからテーピングしていた。
 此処の綱場のロックの方法は、日本では見た事のない方法で、写真で御覧の通り簡単な金具で押さえて終わりである。写真の金具以外の何物も使用してはいない。バランスさえちゃんと取っていれば、全く問題ないとは主が、理屈で分かっていても何となく心許ない。

写真左から綱場、綱場の綱を簡単な金具でロックしている、初めてシーリングライトがあった、装飾の少ない客席


 Bolzano(Bozen)は、直線で25q程北上するとスイスもしくはオーストリアと言った所にあり、至る所にドイツ語系の表記が溢れている。劇場だけでも“Teatro”ではなく“Theater”だし、劇場の入口のドアには“Ziehen”と書いてある。又劇場の平面図はドイツ語の下にイタリア語が書いてあり、劇場の操作盤のボタンは凡てドイツ語だ。因みに音響室に貼ってあった手書きの年間スケジュール表もドイツ語だった。又昼食を食べに入ったレストランも、夜ピザを食べに入ったレストランも(どちらもリストランテとは何処にも書いてなかった)メニューは、左がイタリア語で右がドイツ語だった。此処でドイツ語でWineListの事をWineKarteと言う事を知った。これだけドイツ語が溢れているのに皆イタリア語を話していると云うのもおかしな感じがする。他の地方のイタリア人が居なくなったらドイツ語を話すんだろうか?

写真左から劇場平面図(よく見て頂くとドイツ語とイタリア語か書いてある)、音響室にあったスケジュール表、劇場入口(Theaterと表記されている)、操作盤のボタン(矢張りドイツ語表記)

 
本日の劇場は、先程も書いた様に設備もドイツ風だが、外観内装も(私はその辺りの事は無知だが)モダニズム辺りの影響を受けていそうなドイツ風で無駄な装飾はなく質実剛健と云った感じである。どんなにモダンな感じがしても必ず何処かに飾りっ気のあるイタリア風とは似ても似つかぬ、と云った感じがする。
 舞台もRomeのテント以外では初めて八百屋ではない。Triesteがとても広かったので入った瞬間は、とても狭く感じたがCarpi、Legnago、Mestre等と同じクラスでその差は少ない。一番近いのはLegnagoかな。袖中もそこそこあるし、舞台の大黒の裏も広く使えて良い。そして劇場の人も親切!

 開演予定時間は9時。サンドラ曰く「この劇場は9時開演と言ったら普通チャンと9時に開演する」との事でこの辺りにも時間厳守のドイツ人気質を感じる。その割りには(今回のTourでは初めて)開演前の挨拶があったのだが、その人が喋り出したのが9時6分で5分近く喋っていた。喋り出したら止まらないのも、結局時間厳守になりきれないのもイタリア人であった。この辺りにイタリア人の血が流れている事が分かる。

 舞台は大好評!反応は少しクールに思えたが、受けていた。観客との距離が近い事は良い事だと思う。
Jan28_to_Feb03 Topへ
01.Feb.03    Padova - Teatro Verdi
 
Bolzanoのホテルを8時頃に出て10時半にPadovaに到着。
 の筈だったが、Bolzanoで高速道路を乗り間違えて南下する筈が北上。しかも約80qも走った。昨日も書いた様にもうすぐ其処はスイスかオーストリアといった所なので多分スイスには入っていたと思う。南下して平野が広がってくるはずなのに、どう見てもアルプスにしか見えない山が近付いてくる。何処へ連れて行くつもりなんだろう?と不安な顔をしていたら、ピノが「パスポートは持っているか?今夜はPadovaじゃなくてPragueだ。」という。どうやら冗談であったらしい。それは『オーストリアまで7q』の標識を見た時の狼狽振りから想像された。風景がおかしいとは思いつつも南下しているつもりだった様だ。本当にそんな事が出来る程彼らは度胸も無ければ悪人でもない。本当に気の良い奴らなのだ。然し今日のドライバー、トニーは色々な風景を見せてくれる、ジェノバ、そしてアルプス。うーむ、本当に急いでいる時はトニーに運転させない方が良い、と私は考えている。

                 トニーが私たちに見せてくれたアルプスの山々!

 そんなドライブの後、例によって平均時速160qで韋駄天走りして12時少し前にPadovaのTeatro Verdi に着いた。余りにも下らない理由で余りにも遅く着いたのでアンジェロは不機嫌だった。「今日が彼らとのLastDayだというのに、全く!」と云った表情である。
 流石にピノもトニーも超急げモードで仕込んでいた。ここも矢張り1時からは劇場がクローズしてしまって作業をさせて貰えないので急がないと間に合わない。何とか1時までに少し遅れているが何とかなりそうな処まで仕込んだ。此処でTimeUp、昼食。昼食へ向かう途中Rome以外で初めて日本人旅行者にあった。女の子2人組で、今日Padovaに着いたところだそうだ。本当に私たちの行く先は日本人が居ないので、一寸驚いた様な、懐かしい様な気分になった。(Padovaは一応、「地球の歩き方」に紹介されているらしい)

 昼食は、マカロニ位ありそうな太目のパスタにアヒル(ガチョウ?)の挽肉を和えた物と、Beefsteak・Vienna風(ウィナー・シュニツェル?)。アンジェロによれば、どちらの料理もこの地方の料理との事である。Beefsteakは、カリカリでパン粉の使ってない衣で包まれていて、肉は薄い。ウィナー・シュニツェルに大変よく似ているが衣が一寸違う。多分この地方風のアレンジだと思う。どちらも美味しい。地元の人しか行かない様な店で食べるこういった昼食は、この辛い旅の中の数少ないが大きな楽しみでもある。それも今日までと思うと寂しい。

 今日の劇場も又仲々美しい劇場で、何だか美しい劇場の多いイタリアが羨ましくなってくる。天井の絵画も一寸したもんだ。懐も大黒裏も広くて使いやすい劇場であった。欠点としては劇場のスタッフが結構杓子定規な感じで一寸やりにくい。もう一寸気楽にお付き合い願いたい。
 この劇場は入口が分かり難い。パッと見どれも入口の様でありどれが正面玄関なのか分からない。また“Masahi Action Machine”のポスターが見当たらない、と思ったらチャンと貼ってあった。だけどこのポスターではクラシックバレエと勘違いしてくる人もいるんじゃ無かろうか?

写真上左から舞台奥から見た劇場、客席(写真よりも実際の方が美しい)、客席天井、舞台側天井の絵画
写真下左から劇場の入口(何処が正面なのかよく判らない)、バレエのポスターかと思ったポスター、本日でお別れのイタリア人スタッフと記念撮影、劇場の前でバスを待つカンパニーの面々


 舞台は本日も大受けに受けて、気持ちよい。矢っ張りどうせなら受ける舞台の方が仕事をしていて楽しい。
 さて後1日、1Stageだ。生きて帰られそうな気になってきた。
Jan28_to_Feb03 Topへ
02.Feb.03    Asti - Teatro Alfieri
 さていよいよ最後のStageである。
 Padovaのホテルを5時に出る予定であったが、本日の運転手マッシモが起きてこず少々遅れて出発した。然しホンの先程まで電話しても起きない程熟睡していた人間が高速道路に入ると矢張りアクセルベタ踏みで180qOverでAsti迄かっ飛ばして行くとは恐ろしい。今この日記を書いているので事故はなかった訳だが、余り生きた心地のするドライブではなかった。
 ベタ踏みでかっ飛ばした車は8時には劇場に到着した。ここも劇場だか何だかパッと見判らない所でしかもとても細い路地を入った所にあった。
 9時にならないと劇場には入れないと云う事で劇場に隣接した広場にあるカフェには行ってCafeを呑んで時間を潰す事になった。9時にしか入れないんならあんなに飛ばさなくてもいいと思うし、あんなに飛ばすんならもう1時間寝かせて頂きたかった。

 さて9時になって劇場に入ると其処は大変美しい劇場で、昨日まで聞かされていたとても小さな小さな劇場だ、というのはガセネタだった事が判った。カゼルタに行く前からとても小さな劇場だと聞かされていたので「カゼルタよりも小さい劇場でどうやって踊るんだろうか?」と思っていたが全くの杞憂に終わった。それはそれで良かったんだが何で“小さい”を矢鱈と強調していたんだろうか?ちっとも小さくないじゃないか!舞台のサイズは丁度良い位だし、客席に至っては6階席まであって階数だけで云えば一番多い、あのトリエステの劇場だって3階席までだった。サスバトンだって照明回路がちゃんとある物が3本あって、しかも電動だ。何処をどう取ったら、小さくて照明も殆ど仕込めない小さな劇場になるんだろう?何でそんな嘘(又はガセ)をサンドラは私たちに言う羽目になってしまったんだろうか?うーむ、謎である。
 然しこのガセネタのせいで一番の被害を被ったのは照明デザイナーのSだ。彼は本来3本ある筈のサスを2本に減らさなければならなかった。彼は「ここなら今迄で一番チャンと仕込めたのに!」と悔しがっていた。全くご愁傷様である。ここは前日に仕込んで置いてくれたのだが、Sの仕込み図を一寸間違えてみた為に3本あるバトンの内後ろ2本に照明は仕込まれていた。1番前のバトンには何も仕込まれておらずこのままではバックからしか照明があたらないのでSは1バトンに少々追加して仕込んだ。別段それについて劇場側は文句を言っていない様であったので、Sが最初の仕込み図を変更した時にサンドラに非常に強い調子で「変更は認めない!」と言われたので劇場側が五月蠅いのかと思ったがそうでもないらしい。どうもこの劇場に関してサンドラとその周辺の態度は怪しい。

 本日の昼食も結局劇場の方々と一緒に和気藹々と食べる事になった。私はトリエステで食べ損なったGnocchiを注文した。美味しかった。Sも同じものを食べたが食感が余り好きではないらしい。味は嫌いではないらしいが、一寸お餅みたいな処がお好みではないらしい。
 そろそろ食事を終えて、調光卓も初めて触る物だし劇場に戻って灯りをメモリーするかとSも私も考えた頃、連中はパスタの後の肉料理を注文しだした。パスタの時に1品しか注文しないので小食だなと思ったがそうではなかったらしい。Sと私は先に劇場に戻る事にしたら、劇場の照明さん1名も肉料理を諦めて一緒に来てくれた。ニコニコしていたので怒ってはいない様であった。劇場の人は結構みんないい人だったのに何で照明は多くカットする羽目になってしまったんだろう。矢張り謎である。然しこの一緒に来た照明さんがやってくれました。メモリーのやり方を教えて貰ってSが打ち込んだ方が早いだろうと思って、やり方を教えて貰った時、「こうやってやるんだ」とやって見せてくれて試しに入れたそのメモリーを消す時に間違えて凡てのメモリーを消してしまった。勿論昼食前に入れたパッチも凡てである。嗚呼天気晴朗なれど波高し、人の人生は重き荷物を背負って坂道を上る如しである。やれやれ。
 そんな状況でもチャンと灯りを作るSは偉いなあ、と結構本気で思ったりした。
 音響は此処でも見事に凡てバラバラの機材をご用意して頂き、、大変操作し辛い状況を作って頂いた。ミスをしなくて良かった。然し何でCDプレーヤー2台と云うと必ずと云っていい程違う機種を持ってくるんだろうか?操作性とかオペレーターのミスがないようにとか少しは考えるべきだぞ、イタリア人(ローマのパウロを除く)。

写真上左から劇場の入口、ロビーに飾ってあった衣装、美しく6階まである客席、客席奥から舞台を観た所。写真下左から客席の壁の彫刻、天井、プロニアム、プロセニアムのアップ

 さてこの美しい劇場が今回のTourの最終公演となった訳だが、大変多くのお客様が入っていた。チケット完売の満席であった。パフォーマンスは大変好評で観客総立ちのStanding Ovationで拍手喝采鳴り止まず、何度も何度も幕を開けなければならなかった。ハッキリ言って気持ちいい!ダンサーも勿論そうだろうけどスタッフだって気持ちいい!

 最終日という事で本日は打ち上げパーティが催された。皆様、お疲れ様でした!乾杯!Salute!!
 勿論私はしこたま呑んでしこたま酔ったのである。

Jan28_to_Feb03 Topへ
 上の写真パーティで御会食の皆さんと街頭でポーズを取る三代先生