ウズベキスタンという国
ウズベキスタンへの入国
(下の方にあります)

ウズベキスタンという国

ちょっとマイナーなウズベキスタンなので、まずはウズベキスタンの紹介から。

ウズベキスタン(Uzbekiston)
ウズベキスタンの「ウズベキ」は「ウズベク族の」の意で、「スタン」は「国」の意です。
場所 中央アジアの南東部・東は天山(テンシャン)山脈の西、フェルガナ盆地から。南はアフガニスタンとの国境から。北(北東だけど)はキジルクム砂漠から。西(北西だけど)はアラル海の南岸+西岸から。(地図はもう少し待って下さい……
面積 44万7400平方q
人口 2032万2000人(1990年統計)
独立 1991年12月(ソビエト連邦消滅により)
首都 首都:タシケント
気候 夏は40℃とか平気で行くけど、冬は零下になる。雨は少し春に降るけど、冬に雪が降ったりもする。真夏でも湿度がないので日陰は涼しく、日が落ちるとマジ涼しいです。
民族 ほとんどがウズベク人。でもロシア人とかタタール人、カザフ人、タジク人、カラカルパク人も多い。朝鮮人、ユダヤ人、キルギス人、ウクライナ人、トルクメン人は少数派。
公用語 ウズベク語とロシア語。タジク語も通じる。トルコ語も方言みたいな物なので、通じてました。
宗教 イスラム教。
主な産業 綿花栽培。ソ連だった時は、ウズベクには綿関係の工場ばっかりあったそうな。養蚕と羊毛産業も盛ん。干しぶどうとかアンズとかも盛ん。独立してからは、韓国企業と合同出資で、車の工場など造って頑張ってます。
ウズベクの歴史 
ウズベク族の起源は14世紀。モンゴル帝国の4つの汗国(ハンコク)の一つ、キプチャク汗国が分裂して出来たシャイバーク家に従属するモンゴル系チュルク語族集団がウズベクと呼ばれたそうな。

500年にシャイバーイ家がティムール帝国をやっつける。十六世紀にヒワ汗国が興ったり十八世紀にブハラ汗国やコカンド汗国が興ったりして、ウズベク族は3つの汗国を創ったけど、1876年には帝政ロシアに征服され、1917年にロシア革命が起こってソビエト連邦が出来ると、3つの汗国は滅亡。

ソビエト時代には、1918年にトルキスタン自治社会主義共和国が、22年にホラズム共和国、ブハラ共和国が成立し、1924年にこの3つが統合してウズベク社会主義共和国ができる。

 1991年、12月にソビエトが解体すると、ウズベキスタン共和国として独立して今日に至っている。

 ウズベキスタンは、ローマと長安をつなぐシルクロードの真ん中に位置しているオアシス都市なので、昔から交通の要所として栄え、また、灌漑農業技術を持っていたので、砂漠の中に豊かな農耕地帯を築き上げた。(シルクロードの地図はまた後で……)


ウズベキスタンへの入国

JESというマイナー地域への旅行に強い旅行会社のグループに参加しました。この会社はウズベキスタン官公庁の日本でのオフィシャル協力先のようで、JESでくれるパンフレットはウズベキスタンで買えたりもしました。ビザの手配も全てここがやってくれたので、とても楽ちんです。

ウズベキスタンへのフライトは、まず成田からソウルの金浦空港へ飛んで(1時間半)、そこでタシケント行きのアシアナ航空へ乗り換えです。

ウズベキスタンは、旧ソ連時代に、ソ連中の朝鮮系ソ連人をウズベキスタンに集められた、という過去があるために、韓国からの出稼ぎや韓国との貿易・共同出資会社などが多く、そのため、飛行機も韓国系とウズベキスタン系の飛行機がタシケントにフライトします。

飛行機の本数は滅茶苦茶少なく、アシアナだと1週間に1本です。だからウズベクに旅行するグループは、みんな同じ飛行機に乗っていきます。金浦空港のタシケント行き飛行機の待合室は、まごうことなき日本でした……。5グループぐらい一緒に行ったと思います。そして、ウズベクの中の観光スポットは限られているし、「外国人専用ホテル」も1都市に1〜2個しかないので、どれだけバッティングしないように観光会社が工夫しても、観光先やホテルで、しょっちゅう他のグループと遭遇するのです。1グループは最初から最後まで同じ行程だったなぁ……。いや、話がずれましたが。

ソウルからタシケントまでは6時間でついてしまうので、凄く近いです。ちなみに、飛行機の中では日本公開前の「仮面の男」をやっていて、英語放送にも関わらず熱中してしまいました(何故韓国語チャンネルが無かったんだろう……?)。Jポップのイヤホンサービスもありましたが、これはどこの飛行機会社でも同じですが、半年くらい前のラインナップでした……。

砂漠の夜だから涼しかろうと思っていたのに、飛行機から1歩出るともわっとした熱気が……。思ったより湿気があるように感じたけど、これはこの日の夜だけで、後にも先にもしけってると思ったのはこの時だけでした。でも焦ったよ……。私は湿気暑いのが苦手で……。

パスポートチェックを待つ間、ガイドのN島さんいわく、「2時間くらいかかると思っていて下さい。ここは旧ソ連ですから、これから先、何事につけ時間がかかったり、融通がきかなかったりします」とのこと。実際には30分くらいでチェックは受けられたけど、「どれだけ待つのかは運次第」というのはちょっと消耗しますよね。

パスポートチェックより、びっくりしたのは税関です。わたしはバックパックを手荷物にして飛行機に乗っていたので、荷物のX線検査を受けずに済んだのですが、ここが物凄い有様。私らが並んでいる所に1人が横入りすると、その横入りした人は「ここは自分の順番なんだから当然だ」という顔をして自分の家族や仲間の荷物を積んでいくのです。一人の韓国人紳士が「君たち、先に並んでいたのはこちらの方だよ」とでも言ってくれたらしく、その方が私たちの荷物を通せるように計らってくれたのですが、その方がいなかったら、きっとうちのグループが税関を通るのは、一番最後になっていたことでしょう……。

私の他に手荷物にしていた人と3人(私らは必死の場所取りをせずに、悠々と外に出れたのでした……)で、税関の外から税関の様子を見ていたのですが、日本人とウズベク人は税関が簡単で、韓国人のチェックは長い。不思議に思って聞いてみたところ、彼らは朝鮮系住民の為に商売をしに来ているので、特別にチェックが厳しいんだそうな。それにしても子供も沢山来ているけど、家族全員で商売しに来るのか……?




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